市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

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お気楽極楽なのは誰か?

減税日本:次期衆院選で名古屋の全区に擁立へ

減税日本:次期衆院選で名古屋の全区に擁立へ(2012年1月23日 1時46分)

 名古屋市河村たかし市長率いる地域政党減税日本」は22日、議員総会を開き、次期衆院選に向け、マニフェスト作成と候補選定を進める方針を確認した。市内全区の愛知1〜5区を中心に、3月までに候補予定者を決めるとしている。

 総会では、今月上旬に組織した選挙対策本部の設置も承認した。総会後、河村市長は「衆院選は既存政党対新しい勢力になるかもしれない。地域の自立という点では、大阪維新の会と連携できる」と述べた。

http://mainichi.jp/select/today/news/20120123k0000m010129000c.html?inb=tw

 ふ〜ん

大阪維新の会:橋下代表 衆院選候補者擁立に強い意欲示す

自身が塾長となって今春開講する「維新政治塾」には、400人程度の塾生を集める考えも表明した。

 橋下氏は集まった約1300人を前に(略)

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120121k0000m010077000c.html

河村氏のミスは、政策が具体的だからすぐにボロが出てしまったことで、橋下氏の政策はまだ具体化していないのでボロが判らないって事でしょうね。WTCなんて具体的事例ではボロが出ていますけど。

 なので、橋下氏が景気が良くて、河村氏が景気が悪い、退潮濃厚、連携もしてもらえるかな?( リンク|大阪維新の会 )ってことは、仕方がないのでしょうけど。

 ところで、「今月上旬に組織した選挙対策本部の設置」というのは知らなかったけれども、去年言っていた「減税日本ゴヤ(市議会会派)」独自の事務所設置とか、そもそも中区などの市議・県議の事務所がない所へのアクセスとか、もっと簡単な(はずの)ホームページの開設かどうなっちゃったんでしょうね?

お気楽極楽なのは誰か?

 「税金で食っているものは極楽だ」と言ったのは河村市長だった。ご自身がこの十何年に渡って、げんに「税金で食っていた」わけだから、この「極楽」は間違いないのだろう。

 確かに、この社会は間違いなく格差をもった社会になっており、その格差社会は固定化され、その広がりも大きくなっているのだろう。(※1)

 実は、21日に地域の方々と意見を交換する機会を持ったのだが、やはり商店や製造業などの中小企業の方々は大変な苦労をされていることが見てとれる。さらに、今の困難は先行きの不安というよりも、おぼろげに市場の縮小均衡が見えてきていることによる企業家精神の萎縮と言うようなものがあり、この時期に積極的な投資であるとか開発という話題を聞かない。

 こういった話題が無い事自体がまた、マインドを萎縮させる事にもなるのだろう。
 どうしても、話題は「この時期」をどう乗り切るかといったところに集約してくる。(※2)

 さて、そのような、どんよりとした気分にひとしきり浸った翌日の新聞に掲載された記事がこれである。

 「議論に「遊び心」を 中京都構想「独立」で何が見える?」
 http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20120122/CK2012012202000090.html

 分離独立という究極の選択を前提に考えると、弱点を含めた自らの姿がよく見える気がする。近く文化人や財界人らが中京都構想の議論を始めるが、独立の可能性を論じ合っても、きっと損はない

 何より、議論には遊び心がほしい。みんなしかめっつらをして、笑い声一つ漏れない会合からは、よい成果は生まれないと思う。

 「〜よく見える気がする」「論じ合っても、きっと損はない
 なんとお気楽な事か。

 そして「みんなしかめっつらをして、笑い声一つ漏れない会合からは、よい成果は生まれないと思う」

 散々、しかめっつらから先行きの苦しい話ばかりをしたこちらとしては、喧嘩でも売っているのか?と思いたくなる。

 まったく、税金で食っている人は極楽かもしれないが、中日新聞社という優秀な企業で記者として活躍されているヒトはお気楽なんだろうね。

 80歳になんなんとする町工場の経営者が、50歳を超えた、20年、30年努めてもらったヒトに早期退職を勧告して事業を縮小する苦悩であるとか。

 60歳になろうという奥さんが、自らもパートに出ているけれども、息子夫婦も奥さんが共稼ぎしなければ家計が成り立たなくなり、子どもを預ける施設を探したらキッチリ「待機児童」状態となってしまった。結局息子のお嫁さんとお姑さんとでシフトを組んで子どもを見なければならない苦労とか。

 そういった声は聞こえてこないのだろうか?

 また、ある方から情報を頂いたが、21日は守山区守山市民病院の民間譲渡についての説明会があったそうだ。 http://www.byoin.city.nagoya.jp/topix/arikata-mori-setsumeikai.html

 会場では 民間譲渡の方針に納得しない市民からの声が渦巻いて、荒れ模様であったという。2009 マニフェスト (2/5) | 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! これは、 ある方が2009年に市長になる時に提示されたマニフェストであるけれども、「安心して受けられる医療、介護、子育て支援の仕組みを市民参加で確立する」という話はどうなってしまうのだろうか?「地域委員会への予算に基づいて、より住民に近いところで予算の使い道が決定されることとなり、市・区の税金のムダ遣いのない充実した福祉・医療が広がる」となっているけれども、地域予算は300万とか500万程度なんですよね。それで地域の福祉や医療が賄えるのですか?

 名古屋に、防災の心配がなく、防犯の問題もなく。商業の振興策、産業の支援策が明確に打ち出されており。子育て、医療、介護、教育に不安がないのであれば「議論に『遊び心』を」持ってもらってもかまわないだろう。

 と、いうよりも、こういう事は市民から言うべき事だろう。

 マスコミが「ナニナニが心配です!」「コレコレという問題があります!」と書き立てても、市民の側に余裕があれば、「まあ、そう言ってもしかめっつらをして、笑い声一つ漏れない会合からは、よい成果は生まれないと思う」から、もう少し余裕をもって対応策を考えましょ。というのであれば、まだ正常な社会の姿といえるだろう。

 しかし、末端の市民が、現にしかめっつらを突き合せるしかない不安の中で話し合っているところに、マスコミがこのお気楽な態度というのは、なんとも情けない。

 わざわざカラーでくだらない「マーシャチ」とかの絵を掲載する余裕があるのであれば、なぜ、守山区の会合の様子をベタ記事一つ程度載せられないものか。


追記(1月23日):
と、囲み記事について違和感をもっていたら、今度は社説だ。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2012012302000014.html

参照 フラジャイル - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

6月15日の事故と、7月1日の名古屋市会本会議答弁。
この間の発言と事実関係。及び名古屋市の対応。

これについて「事実に即して」発言すべきだろうし、
社説を書くべきだ。こんなのは単なる空すべりの空論でしかない。



※1:自由競争の元でのグローバル経済(国境という枠組みを超えた自由な市場競争の社会)が実現すると、各国の国内社会において格差は広がり固定化される。
 その機序は次の通りだ。

 そもそも初期の資本主義発展段階においては、労働力を供給する者と、その生産物を購入する者は同じ「国民」であったので、資本家は自ら雇い入れた労働者の賃金を一定以上にして、自分たちの生産物を生産者自身が購入できるように図った。

 これは大量生産方式を最初に導入したと言われる米国、T型フォードの工場にも見られたことであり、ドイツにおけるフォルクス・ワーゲンの生産=消費にも見られた。
 また、戦後は日本において車だけではなく、家電製品、住宅などの生産財を消費する主体として、これらの生産者自身の賃金を一定以上に引き上げる方策が採られた。
 これが戦後の所得倍増計画以降の労使協調路線となったのである。

 ところが、経済が実体経済から金融資本主体の経済に移るにつれ、生産財はより労働コストの低い地域、国家に移せばよいと言う事になる。

 このような状況に至ると生産者と消費者は等しくはなくなる。低い労賃で働く東南アジアなどの国々の国民が働き、消費は米国や西欧の国民が行うこととなる。生産資本はどんどん労働賃金を引き下げていけばよい事になり、米国や西欧においては産業が空洞化する。

 米国や西欧などの先進国においては、生産力をオフショアできない産業だけが生き残る。すなわち、土木建築、医療をはじめとしたサービス産業、流通などの第三次産業、及び各国の公的機関と金融資本である。

 また、経済のモメントは「差異」から生じる。水力発電が高い位置から水を落とすことでエネルギーを得られるように、経済の格差が金融資本にとってよりすぐれた利潤をもたらす。資本主義の理論では財や資源が再配分され、それはやがて平準化されるという理論があるが、金融資本がコントロールする市場主義下では金融資本に有利なように財の不均衡が維持される。

※2:金融危機の際は、その金融機関の損切が一定程度為されれば経済は底を打つと思えた。また、災害ももちろん不幸なことであるのは違いないがやがて設備投資、社会インフラの整備が行われ、景気を刺激する元ともなる。しかし、例えば建設資材においても、ある程度海外製品、海外半製品が使われ、更にそれらが特定のメーカー、商社に偏れば国内への波及効果は削減される。
 また、原子力発電の先行きであるとか、東電の処理、その先にある各地域発電の先行きも不透明であることが、様々な産業の投資意欲を殺いでいるようだ。

 これらの事柄の方向性が、社会の中である程度の共通認識にならないことが、どのようなプランにとっても立ち止まらせる要素となっている。

 そして、更に申し添えるならば。これらの事柄の動きを見ていると「収穫逓増」の荒っぽい選別が広がっているように思える。各事業、各業種にとってトップランナーと2位の間の差が広がり、更にその下のシェアは下がるという流れが生まれているように思われる。