市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

新自由主義と基礎自治体の首長、など。

橋下氏は何を怖れているのか?

 本日(15日)のテレビ朝日報道ステーションSUNDAYに、橋下市長が出演して、大阪市政についての特集を放送していた。

 番組の構成は立体的で、番組キャスターの長野智子中田宏横浜市長(橋下氏に請われて、大阪市の特別顧問に就任)と共に大阪市内の各施設などを回って、市政の問題などを現場から報告し、それを受けて橋下市長と山口二郎北大教授()が対論をするという構成になっていたようだ。

 長野、中田両氏が大阪の通天閣や、有名になったド派手な焼却施設、大阪市バスの営業所などを回って大阪市政に無駄があると言うレポートをしていたのは面白かったけれども、なんとなく話として何周も遅れている気がした。このド派手焼却施設も既に建ってから10年ほども経っていますよね。それに市職員のブレザーの話とか。

 また、スタジオにおける橋下市長と山口教授の対論はもっと酷い有様だった。
 そもそも橋下氏は市長として、実権能者としての位置にいるわけなんだから、行政学の教授でもある山口氏が、その行政手法や政策に異論があると言うのであれば聞けばいいのではないだろうか?
 そういった対論にせずに、結局橋下氏のやった事は「大学教授なんて現場を知らないんだから、発言に信憑性が無い」というような、山口氏に対する否定ばかりだった。

 そもそも長野キャスターも、大阪における論点を最初からあれもこれも盛り込んでしまったために、橋下氏がそれに対してマシンガンの様に意見を提示するばかりで、山口氏の出番すらない有様だった。これを見ていると、テレビというものの「文法」が見えてくる。テレビにおいてはスピードと勢いが大切になる。話のトーンであるとかそのリズム、仕草などの要素が大きい。(※1)更にテレビでは「どちらが勝ったか」というような、刹那的なディベードの要素が出る。
 これがテレビの文法といったようなものだ。
 あの「画面」を構成していたのは長野キャスターで、長野氏のリズムと橋下氏のリズムはマッチしていたのだろう。しかし、山口氏は完全にこのリズムに乗り損ねていた。

 最初からあれもこれも総花的に論点を提示してしまっては、一時間や二時間では議論が整理すら出来ないだろう。しかし、そこに橋下氏はマシンガントークをぶつけて、とりあえず山口氏の発言に対する信用毀損をするように動いた。

 なので、結局あの番組を見て、視聴者の頭に残った言葉は何だっただろう。

 多分「大学教授なんて現場を知らないんだから〜」という台詞ではないのでしょうかね。なんとなくの印象ですが、橋下氏はこのような台詞を3回ほどは言っているように思いました。(※2)

 そして、結局大阪の市政についての問題は具体的に何も議題にすら上っていないでしょう。これって、最初に述べたように、大阪市や橋下氏にとって不利益な事じゃないんですか?橋下氏にとって山口氏は信用に足らないヒトかも知れないけれども、それでも行政学の北大教授で、現政権にもそれなりのプレゼンスをもった人物なんでしょ?
 なら、批判を聞いて、どのような意見の違いがあるのか橋下氏も再確認すればよいだろうし、大阪市民にとってもこういった外部からの視線というのは有用なものなのではないですか?

 山口氏の発言の信用性云々は後ほど評価すればよいのであって、汲み取れる意見は利用するのが責任ある権能者の態度ではないのかと思います。

 こうやって、山口氏の発言を抑えて、何をそこまで橋下氏は怖れているのかと思えてしまいます。

引下げデモクラシー

 橋下問題を考えるに当たって、今回の放送では山口氏に発言の機会が中々無かったので別の補助線を引いて考えて見ます。
 橋下氏は放送でも「山口氏の弟子」と誤認発言されていましたが、同じ北大の中島岳志氏の論考です。中島氏はおおよそこのように感じているようです。

 構造改革議論などの新自由主義政策のおかげで、日本の社会は格差社会となった。このような社会の中では、若い世代が割りを食っている。非正規雇用社会保障の悪化で、若い世代は満足な生活の安定も、将来に対する希望も見出せない。
 しかし、この割を食っている筈の世代が、より激烈に新自由主義改革に熱狂する。

 具体的に言うと、官僚組織や公務員、労働組合日教組(その実態は既にレッド・データブックものだろうに)に対しての批判をするのがこの世代となっている。

 橋下氏も、大阪における府職員や市職員の厚遇を題材に、府民、市民の支持を得てきたと思われるし、現に今でも市職員組合に対する態度は先鋭だ。

 そして、先ほどまでのテレビ朝日の放送に対して、橋下氏を支持するサイトの発言なども見てきたけれども、やはり公務員批判、既得権を持つ大学教授批判といった「アングル」からの言葉が多く並んでいた。


 中島氏はこういった現象を「引下げデモクラシー」*1と呼んでいるようだ。

 その「時代の気分」とでもいったものを表現したのが赤木智弘氏という事になる。
 "「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。"朝日新聞社 「論座 2007年1月号」)

 若者にしてみれば、非難の対象はまさに左傾勢力が擁護する労働者だ。だから若者たちはネオリベ政府に「労働者の利権を奪い取って、おれたちに分けてくれ」と期待してしまうのだ。(略)
 確かに、右傾化する若者たちの行動と、彼らが得る利益は反しているように見える。たとえば一時期のホリエモンブームなどは、貧困層に属する若者たちが富裕層を支持するという、極めて矛盾に満ちたものだった。小泉政権は改革と称して格差拡大政策を推し進めたし、安倍政権もその路線を継ぐのは間違いない。それでも若者たちは、小泉・安倍政権に好意的だ。韓国、中国、北朝鮮といったアジア諸国を見下し、日本の軍国化を支持することによって、結果的にこのネオコンネオリベ政権を下支えしている。
(略)
 持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争はタブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。

http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama.html

 赤木氏の立論は「正しい」・・・・痛々しいほどに「正しい」

 この痛々しいほどに「正しい」論考が成り立つ社会がおかしい。
 (最近の論考) 【赤木智弘の眼光紙背】変わらないことを望んではいけない

 「引下げデモクラシー」とは、結局「上には上がれない」という流動性の存在しない格差社会において、人間の尊厳が保てる程度の平等も実現できないのであれば、せめて「負の平等」ぐらい実現させたい。社会を流動化させたい。という切実な叫びなのだろう。

 そもそも橋下府政や、彼のすすめる「大阪都構想」など、誰が説明できるだろうか。その政策の中身については誰も知らない(多分、橋下氏も!)にもかかわらず、圧倒的な人々が橋下府政に期待を寄せている。国政においても「大阪維新の会」との連携を様々な人々が模索している。
 中身については誰も、何も知らないのに!

 つまり、今のこの閉塞感を壊してさえくれたら、何だって、誰だって良いのだ。

決別すべきものと、私自身の反省をひとつ。

 それにしても酷かった。今日の橋下氏のテレビ出演は、大阪や大阪市民の為であるとはとても言えないだろう。今日の橋下氏の行為は、自分や自分たちの発言への反論を封殺するためのデモンストレーションであり「大学教授なんて現場を知らないんだから〜」という発言は何も生み出しはしない。

 私は、ここに橋下氏の焦りを感じる。去年の年末に堺市の竹山市長は、堺市を分割しての大阪都構想に疑義を表明した。http://www.city.sakai.lg.jp/mayor/kotoba111228.html
 更に、先日はWTCビル購入に当たっての住民訴訟が提訴された。http://www.nowiraq.com/blog/2012/01/wtc12-1.html

 私は、河村市政を見続けている中で、県などの中間自治体と、市や町村と言った基礎自治体の相違に気が付いた。田中康夫氏や東国原氏など、それなりに批判はあってもタレント首長が務められたのは、彼等が中間自治体の首長であったからだろう。ああ、そういえば東京に、瞬きが多くてしょうもない映画を作る自称作家のご老体も居た。彼なども週休4日で務まるわけだ。

 ところが、基礎自治体ではそうはいかない。
 橋下氏は、ひょっとすると大阪市長など、府知事と同じと思ったのかもしれない。何かと煩い平松氏さえ放逐できれば、自分が市長だろうと、府知事だろうと替わらないと。
 そう思う事自体が中間自治体と基礎自治体の問題の深さを理解していないように思える。
 (更に、区長もやるとか?)

 つまり、タレント政治家にとって基礎自治体の長は鬼門です。バレますから。

 なので、早晩橋下氏も尻尾をつかまれることでしょう。なお、名古屋の河村氏についてはほとんど「終了」しました。本人も閉店準備に入っているようです。河村市長、余裕で「百恵ちゃん」口ずさむ 減税実現で「国政復帰」に勝算? : J-CASTニュース (※3)

 つまり、基礎自治体の政治、地方政治にコミットするということは、生活の場を作るということです。確かに大きくは、赤木氏の訴えるような若者の尊厳についても考えていかなくてはいけないでしょうが、そういう事を考えながらも、食事をし、ゴミを出し、水を使い、トイレにいくという生活を続けなければ「人間の尊厳について」考える事も出来ません。基礎自治体においては、こうやって、まず生活を維持するための、コツコツとした事実の積み重ね作業が最も大切なのです。
 そして、中島氏も言われるように、庇と庇を重ね合わせるような地方自治においては、攻撃的な言説(排除の論理)というのはやはり良くありません。(※4)

 地方自治においてはお互いに人間として存在し続けなくてはならないのですから、その人格まで否定する態度は慎むべきなのでしょう。
 確かに、嘘を言う、そして恥ずかしげも無くそれを糊塗し続ける態度は、「私にとって人として許せません」が、最後のケジメだけは保つべきだろうと反省しました。

 なので、ここ最近、「河村市長」を意図的に「河村」と敬称を省略して記述して来ましたが、今後は敬称<は>つけます。(でも、尊敬はしていませんが)



※1:これも中島氏の指摘事項だが「輿論と世論」の相違というのがある。
輿論(よろん)とは、勿論輸入語で、元の言葉は英文なら、”Public Opinion” であるだろう。
それに比べて、世論(よろん、せろん)とは、”Popular Sentiment” ではないだろうか。
 勿論、前者が意見であり、論理的であるのに対して、後者においてはより感情的要素が高い。漢字の使われ方だけではなく、実際にこの言葉の持つ意味、立つ位置も前者から後者へと変遷しているのではないだろうか。

※2:これに対比させるように「僕は実際に首長をやっている」というような事をおっしゃっていましたね。というか、途中で「現実に市長をやっている」とも言っていたと思うのですけど、橋下氏が市長としてそんなに定評があるとは知りませんでした。

※3:

河村市長、余裕で「百恵ちゃん」口ずさむ 減税実現で「国政復帰」に勝算?

河村市長に密着取材を続けてきた記者が興味深いエピソードを語る。昨年12月11日夜のことだという。
「自ら率いる地域政党減税日本の市議たちとの食事会を終えた市長が、待ち構える記者に向かって山口百恵の『さよならの向こう側』を口ずさみながら『ええ曲だろう? 最近、ユーチューブの動画をよく見とるんだわ』と上機嫌に話し掛けてきたのです」
(略)
次の衆院選減税日本から複数の候補者を擁立する方針を示し、自らについても「時期はともかく、(国政復帰が)最終的には当然だ」と公言する河村市長。「次の衆院選の争点は消費税。名古屋市で減税を実現した実績を掲げて存在感を示す狙いだ」(民主党県連幹部)とみる関係者は多い。
河村市長の本来の任期は2013年4月。これまで市民の支持の前に「守勢」を余儀なくされてきた議会からも「財政に悪影響を与えない程度の減税で市長の顔を立てておけばいい。早く国政に追い出してしまおうということだ」(野党幹部)とのささやきが漏れる。

※4:名古屋における、議会リコール署名収集運動のようなね!

*1:命名丸山眞男に遡るようだ。