市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

「財政のしくみがわかる本」のご紹介

 いままでも様々な形で河村減税論の誤りを論証してきた。財政論、マクロ経済論、常識。どこをどう取っても河村たかしの主張するような減税を支える理論などない。


 河村たかしは「減税論」そして最新刊である「復興増税の罠」においても、税金として役所にお金が入ってしまうと経済循環はそこで止まってしまう。減税をしてこのお金を納税者に戻せば経済が循環する。というような事を書いている。以前この回に取り上げた図がその考え方を如実に表している。
 当然の事ながらこんな考え方 ―あたかも税金は税務署の署員がわたくしするかの様な考え方― は事実とは異なる。税として国や地方が受け取ったお金は、社会保障や行政サービス(ゴミ回収とか、道路や公園のメンテナンス等)として支出されるのであって、滞留なく支出される。(書いていて中学生に説明しているようで恥ずかしい)
 現に、名古屋市は河村減税政策の財源を引き当てるために、様々な行政事務で支出を抑えている。公園の清掃も予算を削っているようで、あちこちでペンペン草の生えかかったような小公園が見受けられる。こういった公園の清掃作業は、色々な業者が受注する事になるのだろうが、結局回りまわって地域の人々のパート作業員などを雇って実行される。つまり地域の雇用を生み出すことになる。けれども作業予算が削られてしまうと、こういった作業員たちへの賃金も支払が少なくなる。

 このように、減税で返される税金というのは、その税金から支払われる作業を糧としている人々のお金を削っているといっても過言ではない。

 河村は「税金で食っている者は極楽だ」と言うが、そういった「極楽」にいるような、正規職員や事業体職員へ、削減効果などは中々及ばない。こういった時に割を食うのは、外部の民間受託業者の、それも立場の弱い臨時雇いやパートタイマーという事になる。

 減税というからには納税者であり、一律減税なので様々に批判されたように間違いなく「金持ち優遇減税」である。その「金持ち」に減税をするために、公園清掃などに従事している臨時雇いやパートタイマーの賃金を削っているのだとしたら、「庶民減税」など悪い冗談としか思えない。


 河村たかしもそうだが、減税日本ゴヤの市議も財政についてはまったく判っていないようだ。7%修正案の趣旨説明に出てきた「財政出動」という言葉の意味の履き違えとか、様々な場面で財政やマクロ経済理論の取り違えがある。
 河村たかしが「復興増税の罠」で言っているように、官僚と政治家と学者とマスコミがグルになって国民を騙している。と言うのであれば、もはや「陰謀論」「妄想の世界」で議論に成らないが、財政を語るのであれば、もうちょっと、せめて用語の定義ぐらいは押さえていただかないと、何について語っているのかも判らなくなる。

 そういった意味で是非、この年末年始のお休みの期間を使って、減税日本ゴヤ市議団の皆さんに読んでいただきたい本があるのでご紹介しよう。
 神野直彦東京大学経済学部教授(財政学)の、その名もずばり「財政のしくみがわかる本」だ。岩波ジュニア新書シリーズの一冊となっている。

財政のしくみがわかる本 (岩波ジュニア新書)/神野 直彦

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 神野直彦教授は有斐閣から「財政学」を出しているぐらいの財政学のスタンダード、基準であって、これらの理論が「国民を騙すためのもの」であると言われるのなら、是非、その理論をお伺いしたい。その為にも一度読んでいただきたい。

財政学 改訂版/神野 直彦

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 できればこの有斐閣の「財政学」を読んでいただくのが良いのでしょうが、先ずは岩波ジュニア新書の「財政のしくみがわかる本」を手に取っていただきたい。
 ジュニア新書と言っても内容はけっして幼稚ではない。専門外であれば、大学の教養課程レベルの教材にも使える程度にはツボが押さえられている。また、2007年の出版なので、今日性も失っていない。

 この本の中から「スウェーデンの中学生の四つの選択」という部分をご紹介させていただこう。

スウェーデンの中学生の四つの選択(神野直彦著「財政のしくみがわかる本」岩波ジュニア文庫 p.117)

 スウェーデンの中学校の教科書では、子どもたちに、財政の選択について、つぎのような見解を紹介しています。『あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書』(アーネ・リンドクウィスト、ヤン・ウェステル著、川上邦夫訳、新評論)によっています。(引用者付記: http://www.amazon.co.jp/dp/4794802919  http://www.shinhyoron.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=4-7948-0291-9  )
 一つめの見解は、「減税をしよう。そうすれば人々の選択の自由を拡大することになるからだ」というものです。
 二つめは、「減税はぜったいにだめだ。私たちが減税に反対するのは、より多くの保育園、よりよい給食、障碍者にも使いやすい街づくりをすることを意味しているのだ」という意見です。
 三つめは、「私たちは、減税はしないけれども、料金の引き上げをしよう。そうすれば、電気や水を浪費している人よりも、電気や水を節約している人のほうが少なく支払うことになるので、公正だからだ。バス、保育園などは料金にしたほうがいい」という意見です。
 四つめは、「そんなことをしたらぜったいにだめだ。子どもたちや高齢者はどうするのだ。料金を引き上げるくらいなら増税しよう。それが高齢者や子どもたちのいる家族にとってベストだ」という意見です。
 そして、「税か料金か、あなたはこの四つの意見のうちどれに賛成しますか」と問いかけ、子どもたちに議論させるようになっています。
 この教科書は、子どもたちに、
 ①財政でまかなうのをやめよう。
 ②これまでどおり、財政でまかなおう。
 ③財政でまかなうけれど、料金引き上げでまかなおう。
 ④財政でまかない、増税でまかなおう。
のどの方針でやろうかと聞いているのです。


あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書/アーネ リンドクウィスト

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 さて、あなたならどの意見に賛成して、どのような根拠でご自分の意見を主張されますでしょうか。神野教授はここで、人間の欲求を二つに分けて考えてみています。
 一つは「ニーズ」―基本的必要
 一つは「ウォンツ」―欲望、です。

 「ニーズ」というのは人が生きていくうえでどうしても必要な、最低限度の衣食住という環境と、子どもへの保育、老人への介護、医療や防犯、防災と言った社会を成り立たせるための条件を言います。こういったものは行政が財政で賄い、国民に広く保障することで、国民の安心、安全な生活を保障することができます。逆に、これらの最低限度の保障がない社会では、様々な不安定な事柄が起きるでしょう。
 しかし、もう一方の「ウォンツ」(欲望)は財政で賄う必要はありません。こういった欲望にはきりがなく、個人差もあります。こういった事柄は市場にまかせ、行政は手を引けばいいのでしょう。
 また、この両者の間に立つような事柄もあります。神野教授は「プール」を引いて説明されています。プールで泳ぐことは、個人的な「ウォンツ」であり市場に任せればいいかもしれない。しかし地域住民がプールで泳ぐことを習慣にすれば健康を増進し、ひいては医療費負担を引き下げることに繋がるかもしれない。このように考えると一定の運動施設を提供するのは「ニーズ」とも言える。こういった両者の中間に位置するような領域については民間施設での利用に補助金をつけたり、逆に財政で施設を用意し、利用料金を設定して一部を利用者負担にしたりするといった中間的な提供方法もある。

 つまり、税が良いとか悪いとかではなく、その税で賄うべき事柄の原理原則は何であり、その決め方はどのようにあるべきかという議論が続くのです。

 河村たかしの「減税論」にはこういった原理原則など有りません。本当に、上の図のように「役所・議会」が「赤字部門」であり、お金を回す必要がないのだとするならば、「減税」なんて温い事を言っているのではなく「税は一切無し!全て民間でまかなう」方が良いということになりませんか。なぜ0.6%だけ減税するのですか?
 結局、この理論自体がまやかしなので、徹底した論理構築に耐えられないだけです。