市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

「名古屋から革命を起こす!」について

 昨日当ブログで紹介した中日新聞の記事について、東郷市議が要約を載せてみえる。また、児玉克哉教授も「減税と行財政改革について」と減税について踏み込んで論考されている。大筋としては当ブログの主張はそれぞれの皆さんの主張と矛盾はしないと思うのだけれど。河村市長が自信満々で語られていることなので、自分の方がおかしくなってしまったのかと心配になる。

 また、名古屋市政について語られているあちこちのブログ等でもコメントが増えているように思う。当ブログもコメントが増えている。ありがたいことです。

 私としては、是非、「減税を是とする方のコメント」をいただきたいと思います。または、今までの私の記事に対して、徹底的に批判してへこませてやる!というようなコメントやご意見も是非いただければと思います。

 中には、私の表現力のなさから、誤解を放置しているような部分もあるかもしれません(そういえば、以前名古屋市の各区を列挙する中で、南区を抜かしてしまった事もありました)そういった私の表現上の誤りなどもあれば訂正や追加説明をしたいと思います。

 ・・・・そうか、中には説明不足で一気に結論を書いてしまっていたり、論理展開が不明のまま一人合点な立論をしている部分があるかもしれません。そういった不明点などもご指摘いただければ、追加説明させていただけるかと思います。

 昨日のエントリーでもチラッと触れましたが、河村たかし著「名古屋から革命を起こす!」から一部を引いて、河村市長の政策について検証してみたいと思います。ちなみに 「減税論」は Amazon で¥39から¥36に値下げされていましたが(安い方が庶民のためなんだから、河村市長も本望でしょう)この本は Amazonで ¥1 で販売されています。

 全体で94ページの本というよりもリーフレットですが、2時間程度で読めてしまいますので、余裕があったら是非名古屋市内の全戸に配布したいほどの「良書」だろうと思います。今の名古屋市政の問題が凄く良く判ります。・・・・何が悪いのかが。


 今日はこの本のうち、76ページから83ページまでの一部を引いてみたいと思います。


 「しかしワシは当然のことながら公約だけは絶対に守るときめとる」「そのうえワシのいうとることは正論だで、最後には必ず勝つという自信がある」


 ※ここで言われている「公約」については、「河村たかしの名古屋政策 庶民革命・脱官僚」( 2009年4月4日)を参照。


 「それになんといっても心強いのは二万六000人おる職員のみなさんが、よう協力してくれることだぎゃあ。減税条例案づくりや住民分権についてチームを作ってやっとるが、ワシが人件費を総額10%カットするというとるにもかかわらず、しょうがないとばかり、一肌脱いでくれとるがね。これはほんとに感謝しとる」


 ※減税条例案づくりについては不明だが、「公約」でも盛られた減税検討プロジェクトチームの会議については市のHPに資料が公開されている。8月17日、22日の2回の会合について中を見てみると、何故だか市長は出席していない、なぜ?

 ※この段階では人件費を「総額10%カットする」つもりだったんですね。しかし、それができていない事については既に言及しました。


 「ワシの理念は『減税なきところには、行政改革はない』。これを実現するにはみんなに一肌脱いでもらわにゃ、しょうがないがや」


 ※ゴーストライターを雇うにしても、もう少し名古屋弁を知っている人物を雇っていただけませんか?名古屋弁を貶めているのでしょうかね?

 「市債も発行せず、必要な市民サービスも切らん。それで減税するといったら無理のように聞こえるかもしれんけど、名古屋市は企業でたとえれば60年間無競争で税金を独占してきた企業で、総収入の1.5%ばかりを削ろうとしているだけのことですから、なんとかなるでしょう」


 ※「総収入の1.5%ばかりを削ろう」は以前述べた「河村式0.6%減税政策の実体」( http://ameblo.jp/ichi-nagoyajin/entry-11036602281.html )と同じ見解だ。予算総額をどの程度で見積もるかで、1.5%とするか1%とするかが異なるだけである。しかし、1%にしても、大きく毀損される行政サービスはあることでしょう。


 「減税を実現したならこんどは住民分権の地域委員会、さらにはまだまだある庶民革命のアイデアを矢継ぎ早に繰り出して実現させていこう思うとるところです」


 ※実際には、2009年の上記「公約」はいつの間にか脇にどけられて、「市長の三大公約」というのが幅を利かせているのはご存知の通り。矢継ぎ早に出てくるアイデアというのが何かわかりませんが、アイデアというのが「思いつき」ということであれば「3分間スピーチ」なんかがそうでしょうかね。あれが「庶民革命」なんですかね。

 「住民分権ならば待機児童もなくなる
 たとえば住民分権にしても、モデル学区を設けて計画をスタートさせようと思うとる。2010年4月からやりはじめますが、はじめてみれば『ああ、これはええがや』ということになると思いますよ」


 ※地域委員会のモデル実施の事でしょうね、はじめてみてさあ、どうなりました?

 「今議論しとるのは子育てにからんだもので、待機児童の問題。仕事を持つ母親はようけおるけれど、保育園に子どもを預けたくても数が不足していてなかなか預けられない人が多い。
 これを何とか解決するにはどうすりゃええのか。
 もちろん、国から補助金もらってボンボン保育園を建てりゃあ問題はなさそうなものだけれど、そうはいかん。
 それに、たとえ保育園をつくったとしても、市町村には監督責任があることになっとる。
 けれども、よう考えてみれば市町村の役人が監督するよりも地域の人が見た方が効率がええに決まっとるが。
 保育園施設が足りない問題は、その地域で空いているアパートの部屋でも利用してこぢんまりとやればええ。
 あとは地域委員会という格好で、みんなが見ていくというシステムをつくれば、十分に園を運営していくことは可能だがね。
 利用するのも地域の知っとる子どもたちだから、近所の人がしょっちゅう出入りして様子を見るやろ。
 町内会の人や老人会の人とかやね。
 そうすれば一時問題になったベビーホテルのような事故が起きる心配もなくなるゆうわけや。
 こういう形で小規模な保育園を各地域にいくつもつくっていけば、待機児童なんてすぐなくなってまうでしょう。
 そのためには地域委員会に予算も運営も任せるようにする」


 ※まず確認しておきたいが、これは酒の席で「待機児童対策についての無責任な思いつきを語る酔っ払いの台詞」ではない。名古屋市長、河村たかしが自身の著書の中で述べていることだ。
 そもそも託児業務の難しさであるとか、危険性を認識しているような言葉とは思えない。こうやって書き写していると、薬事法違反をした東裕子県議の無責任さを連想した。彼女は化粧品についての危険性といったものを認識していないように思えた。
 近所の人が、それも誰とも判らない様な人がしょっちゅう自由気ままに出入りするような施設に子どもを預けることができるだろうか?それが「良い事」であるかのように考えられる危機管理意思のなさ。無責任さ。

 それに地域委員会が託児施設を「運営?」そんな事例がどこにありましたかね?

 後教授が作った地域委員会の制度について、一番理解していないのは河村市長だと思うのですが、これもその一端ですね。

 こんないい加減な事を言っていれば、全国的に減少傾向にある待機児童が名古屋だけ突出して増加し、「日本一」に輝いた理由も判ろうかというものだ。(待機児童:4年ぶりに減少 厚労省発表
 この「待機児童対策」一つとってみても、河村市長には、地域自治を担う市長としての行政手腕が備わっていないことは明白だ。自身の本で持ち出したプランが現実に効果を発揮せずに、結果として失政に成ってしまった原因を真摯に反省し、見直すような発言も聞かない。こういった人物は同じような間違いをもっと大きな事でも仕出かす。

 ちょっと飛んで、81ページに移ります。

 「減税と地域委員会の可能性
 市民税10%減税だと、一人あたりに戻る額は平均一万五〇〇〇円。
 その金はすべて消費または貯金するという人からは頂けません。
 けれども、皆でなんとかしたいという問題については寄附を募れる。
 名古屋の減税額がおよそ二三六億円で、小学校が二六三ある。
 もし小学校の学区を単位にして地域委員会を作るとすれば、一つの学区に対して一億近い金が市民に戻ることになるがや。
 そのなかで一割でも寄附してもらえれば一〇〇〇万、半分なら五〇〇〇万が集まることになります。
 そうした寄附金を、たとえば深刻な問題のひとつである児童虐待の防止に役立てられないか。
 虐待を受けている子どもの見分け方ひとつでも、アザが体のどんな部分にあるかで判断するには、ちょっとしたコツがある。
 たとえば膝とか肘とか、体の出っ張っているところにできているアザの場合は転んだりしてできたものと見られる。
 ところが、首の下や体のくぼんでいるところにアザがある場合は虐待が疑われるので、なるべく早くみつけなけりゃならん。
 そして、虐待から救うには、そうしたシルシをみんなでなるべく早くみつけてやることが必要なのです。
 だで、そういうことを教えてくれる人はなかなかおらんでしょう。
 そんなときに、
 『ほいじゃあ、ワシ、減税された分の一部をこのことに使わしてもらう』
 と寄附してくれることもあるでしょう。
 そうした寄付が集まれば、専門家を呼んでアドバイスを受けることが出来るだろうし、そこに集まった人たちが連帯感を持って児童虐待の問題に対処していけるようになっていく。
 地域委員会による住民分権は、こういった形で人間関係に変化を与え、成長させてくれると、ワシは信じとる」



 ※もう一度確認しておきたいが、これは酒の席で「児童虐待についての無責任な思いつきを語る酔っ払いの台詞」ではない。名古屋市長、河村たかしが自身の著書の中で述べていることだ。

 正直、先の話とこの話を読んで、地域委員会であるとか減税が「良い事」と思えた人間の理性を疑う。

 最近テレビでは「実際にあったちょっといい話」などを扱う番組も多いと聞くが、これはそういった類の話なのだろうか?私たちは市政の話をしているのではなかったのだろうか?制度の話をしているのではないだろうか。
 地域や市政の問題において、近所の篤志家が「ほいじゃあ、ワシ、所得の一部をこのことに使わしてもらう」と出資してくれ、そんな人々が何人も集まってお金が集まるというのなら、何の問題も発生しない。
 東北の震災復興にも、全国の人々が資金援助すればいいのだろうし、福島の原発についても首都圏のお金持ちが資金を出し合って解決してくれればいい。

 現実はそうはなっていない。そうならないから皆で決まりを作り、拘束力のある税という形でお金を募っているのではないのか?

 そもそも減税したお金の半分を、地域委員会に入れる。地域の行政に入れるのなら、最初から減税比率を半分にして、地域予算を篤くすれば同じじゃないのか?

 経済効果としては、民間がお金を使うべきなのか?
 地域委員会がお金を使うべきなのか?
 それとも、行政が公共投資としてお金を使うことは経済効果がないのか?

 そもそも平成7年に提出した「法人税法等の一部を改正する法律案」と「地方税法の一部を改正する法律案」つまり、NPO寄附法案の骨子は、国民が可処分所得の内の一部を指定のNPOに寄附をして、その後に寄附金額分を課税対象から控除してもらうという制度設計だった筈だ。これであれば納税の先を国民が決めるという制度ができる可能性はあった。

 こういった寄附文化の普及と減税は別のものとして、減税が実施されない今という時期においても、制度はあるのだからコツコツとした努力を積み重ねていけば良い物を、いたずらに減税とリンクして話をするから矛盾したような話になる。そこにごまかしの「経済効果」を載せるとさらに異常な話になる。

 思いつきを誤魔化しで繋ぎ合わせるのではなくして、本当に必要とされる問題意識を地道な行動で積み重ねていく努力が、本当は必要とされるのだろうと思う。