市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

河村式0.6%減税政策の実体

 本日は図表を使って河村市長が進めようとしている「市民税10%減税」(6%→5.4%の減税なので、以降は0.6%減税と表現する)についてその実体を探って行きたい。

 河村たかしが市長になって、2年数ヶ月、ずっとこの「減税」が議論の中心になっているが、よくよく落ち着いて考えてみるとこれほどまやかしに満ちた「政策」もない。まったく莫大な労力を使って、意味の無い議論を続けてきたと言っても良いだろう。

 実は、私はここに来てこの減税条例については「賛成」で良いと思っている。私は無責任な一市民なので若干ぐらいなら市当局の行政機構が毀損されても、さして痛痒感を感じずに済む(逆に、責任ある市議や市当局の幹部職員であればそうもいかないだろうが)そして、来年度に河村市長の言うような「減税政策」が実行されれば少なからぬ市民はその「減税政策」の意味を見抜くようになるだろう。それが二年も続けばこの政策の馬鹿馬鹿しさが誰の目にも明白になる。
 つまり、河村市長にとって「減税条例」は、成立して減税政策が現実のものになっても破綻を迎える事になるし、成立しなくても破綻を迎えるという事になる。

 そして、敢えて「賛成」する理由は、ここで河村市長の反対者として「減税政策」を軸に対立を作れば、それを元に河村市長は市民に支持を求めるだろう。実際に、先日も「減税を求めて住民投票をやろう」とぶち上げていた。
 このブログの様に、異様に文字数の多い、そして漢字やら時には怪しげな数式まで羅列するような読みにくい文章を読んでいただける方は、ここで河村市長が減税を訴えても、自分の頭で考える事が出来るが、大多数の・・・・(以下略)

 河村市長にとって、いま「減税」は唯一の政策となっている。この「減税条例」が成立してしまったら、彼には次にやるべきテーマが無い。(中京都構想??)

 市当局も議会も、「敵」にならなければ、彼にとってアイデンティティを保てないんですよ。

 さあ、では私が比較的無責任に「減税条例賛成」なんて言える理由をご説明しましょう。

市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!-減税説明図1
 図を作りました。左の図です。クリックすると大きくなります。ブラウザを2つ起動して、一つは大きな表示にした図、もう一つでこの文章を読んでいただくと便利かもしれません。

 これは何かというと、「市民税10%減税」(0.6%減税)とは具体的にどのようなものかを直感的に把握できるようにした図です。ですので、数字という意味ではおおよその値しか使っていませんが、それを作図するについては細心の注意を払っています。

 2つのグラフが並べられていますが、左の緑色が名古屋市当局の歳入・歳出のグラフです。名古屋市の一般会計は約1兆5千億円弱だが、事業会計などを入れると2兆円をオーバーする。また、0.6%減税による歳入減も200億円弱から230億円弱との見通しもある。なので、ここでは単純化するために名古屋市全体の歳入・歳出の全体を2兆円として、減税による歳入減を200億円と仮定した。こうすると、「河村0.6%減税は、総予算の1%を圧縮する政策」と捉える事ができる。

 そう、せいぜい「1%の話」なんですよね。

 これが5%だとか、10%なんて話になれば、真剣に名古屋市の全行政サービスの中で、何が必要で何を残さなければならないか。といった議論がまき起こるのでしょうが、それ程の議論は必要ない。1%ですから。市当局が、各局、各課レベルで1%ずつの削減(シーリング)をかけていけば、これぐらいの歳出はカットできます。(これは河村市長も平成22年4月26日の記者会見で同じような事をしゃべっています)

 しかし、こんな物を「行政改革」なんていう人は居ません。確かに「歳出カット」ですが、それが市民にとって真っ当なものであるかどうかは判りません。実際に行政当局に予算を付けないという行為なので、確実にこの部分は行政サービスの削減になります。効率化で1%削減できるのではないか?という人が居るかもしれません。確かに、市当局の中で知恵を絞って、行政サービスの質を維持しつつ歳出を削減した部署があるかもしれません。しかし、それをどう保障するのですか?いま、語っているのは現実の話で、政治の話です。夢物語を期待されるならここでは期待に添えません。

 例えば、2009年河村マニフェストの1の(2)の?には「予算節約報賞制度」(漢字はママ)という制度が謳われています。このような制度が約束どおり実現されていれば、あるいは各部局で「予算節約」の努力がなされているのかもしれませんが、マニフェストに謳われたこの制度は実現化されていません。(河村さんは、このマニフェストは70%達成しているとか言っていらっしゃいますので、この制度は少数派の30%なんでしょう、きっと)

 つまり、一定のシーリングによる歳出の削減は、一般的に「削り易いところを削る」という事になりがちで、利用者の便益などは考慮されません。そういう意味で、「行政サービスは後退させずに減税財源を作る」という河村市長の言葉は明白な「嘘」という事になりますが、まあ、そうは言っても1%程度です。横井市議が公園の除草がされていないという事を指摘されていますが。
こういった形で少しずつ行政サービスが後退しています。

 そして、こんな事が続けばいくら鈍い名古屋市民でも気が付きます。「あ、減税ってこういう事だったんだ」と。

 さて、左の名古屋市当局側の影響について、もう一つ指摘しておきましょう。

 所謂「減税の経済効果」です。この減税の経済効果については、河村市長の口から右の名古屋市民の側の理論は語られるのですが、左の名古屋市当局側の持つ「減税の経済効果」についてはまったく語られません。

 どういうことか。
 200億円の歳出カットをするわけです。それは事務に使う備品の購入代かもしれませんし、上にみたような公園の草刈といった整備費用かもしれません。こういった市当局の歳出がカットされれば、その分誰かの売上げが減ります。備品の購入代がカットされれば販売業者の売上げがカットされますし、公園の草刈が削減の対象となれば作業員へ支払う手当が削減される事となります。後に触れますが市民側の減税で浮いた可処分所得をどこに使うかは行政ではコントロールできません。ところが、行政の支出についてはコントロール可能です。必要であれば名古屋市内の業者を優先し、市内への経済効果に加える事もできます。
 つまり、200億円の歳出削減は、ほぼ確実に200億円の経済効果にネガティブな(悪い)影響を与えるということになります。(とはいえ、名古屋市全体のGDPは15兆円ほどですから、直接で0.13%程度の効果ということですが)

 図にも書いた「市の職員給与を10%削減?」という欺瞞については、すでに「ナゴヤ庶民連(3)」で黒川慶一市議の事実誤認を指摘する形で触れております。また、その後(10月1日)に平成23年版の「名古屋市の職員給与・定員管理等の公表」がなされています。

 次に右の名古屋市民の側の効果について触れましょう。市民税は地方税の一部です。地方税は一律で所得の10%となります。その内の6%が市民税です。今回の「河村減税」はこの6%を5.4%にするという、「0.6%」減税であり、その効果は作図するとこういう事になります。総所得の0.6%と言う事になると、相当の所得が無いと減税の恩恵を感じられるような額になっていません。実際に平成22年度に一度減税を実施したにもかかわらず、大勢の市民が減税の効果を感じられなかったのはこの為です。

 現在、復興財源や社会保障費の改革で消費税率の上昇が議論の的になっていますが、この際言われるのは「消費税率5%から、1%上昇の6%」という言葉でしょう。誰も「消費税率5%を20%上昇させて6%」とは言いません。なら、6%の市民税を5.4%にするのは、「0.6%減税」ではないでしょうか?
 そりゃ確かに定率部分だけではないということは判っていますが、それでも「10%減税」という言葉が独り歩きして、実態よりも大幅な減税が実施されるように感じていた市民が多いのではないでしょうか?

 基本的に、この図の左、市民の側の上にちょこっと赤くなっている部分、ここが減税の範囲です。ここが減るだけなのです。

 「減る」と表現しましたが、こういった減税は補助金と等しいとされています。それもバラ撒き型の補助金と同じです。バラ撒きではない補助金とは重点的な政策意図を持った補助金ですが、「減税対象者=納税者」という括りで補助金を渡すことに重点的な政策意図は加えられません。せいぜい減税日本のHPにあった「納税者への感謝を表す」でしたっけ?その程度です。
 逆に、納税者ということは一定程度の収入があるわけで、逆に非納税者に対して補助金を渡さないというのは、富裕層だけを対象とした補助金と言えなくも無く、このような制度は多分、わが国初めてということになります。なんでも「わが国初めて」が好きな河村市長だから、さぞや鼻が高い事でしょう。(というか、これも初期のマニフェスト違反)
 また、非納税者層は補助金を消費に回す率も高い。ところが富裕層は補助金を手にしても消費に回す率は低いといわれている。ここでも経済効果はマイナスとなる。また、バラ撒き型の補助金の経済効果も低い事から全体的に経済波及効果は低い、更にここで名古屋市内に限定すると、一時収入として旅行などに消費した場合、名古屋市民が名古屋市内に旅行というのはなかなか考えられないから、市内への波及効果は更に低いと考えられる。


市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!-減税額 ここで、もう一つの図をご覧いただきたい。
 これは先の財政福祉委員会で提出された資料を基に作図したものである。

 ちょっと、この図の話に移る前に、その資料をご覧いただきたい。個人については図を使ってご説明するので、3ページ目の法人市民税について。まず、「5.法人市民税の減税額別納税義務者数等」をご覧いただくと、区分500万円超の法人は106社。全体の法人の0.1%で、減税額が23億円。構成比で言うと37.8%となる。つまり、大企業(か、儲かっている企業)上位100社、たったの0.1%が、減税予算の内、37.8%(ほぼ4割)を持っていっている。ということになる。

 また、「6.法人市民税の減税額上位10社」という項目を見ると、1位から3位までが「運輸通信・公益事業」という業種になっている。だいたい推測がつきそうなものだけど、そのトップ3社に渡された減税額が3社合計で6億3千万円となる。
 つまり、議員報酬半減で浮かしたお金が、まるまるこの3社に流れ込んだのと同じ事になる。

 上で言ったように、行政サービスは1%のシーリングで目立たないように縮減している、同じように議会も議員報酬の半減で毀損している。どういうことか、各政党は政治を志す学生などを対象に「インターン」という制度を導入している。これは、学生に「インターン」として議員事務所の作業などを手伝ってもらい、現実の政治に触れてもらうという制度である、ここでインターン生に聞くと、もれなく「名古屋市会議員だけには成りたくない」という答えが返ってくるそうだ。
 まったくヒステリックなほどのリコール署名運動で「議員報酬の半減/800万円」を実現化させた名古屋市会ではあるが、それを求めた筈の減税日本ゴヤの市議からも「報酬800万円では市議の仕事はできない」という声が上がっている(連絡所もHPも設置しないような議員なら可能だろう)インターン生ともなれば、学生とはいえ政治の実際を承知しているから、名古屋市会議員の作業規模で報酬が800万円では「割に合わない」のではなくて「無理だ」ということが判っているのである。
 こういった声を聞くと、有望で現実的な若い力は名古屋市会に当分参入してこない、参入できるのは余程金銭的に余裕があり、報酬に頼らないで済むお金持ちか、金銭的に現実を余り認識しない無謀な者(そんな者に、市政を任せられるのか?)または、今、何人かの市会議員がしているように、800万円の報酬で連絡所もHPも設置せず、ほとんど市議としての仕事もせずに4年間「寝て」過ごし。濡れ手で粟の3200万円を手にするだけという者になる。
 これほど市議会を絶望状態に落とし込んだ「報酬半減議論」が、たったの3社への減税額で飛んでいるわけだ。なんとも空しい話じゃないか。

 ちなみに、いま中日新聞が力んでいる「議員の海外視察」について。一人当たりの予算が120万円(予算額が120万円であっても実際の執行額は違うらしい)で75人全員に適応したとして、その予算は9千万円になる。この表の9位と10位の企業に戻した金額が96百万円。

 さて、図に戻りましょう。この図は個人市民税の減税額別納税義務者数をちょっとひねって図式化したものだ。

 各区分が色分けしてあるが、それが図の各棒グラフに対応している。3百円以下の人たちの棒グラフは一番左でほとんど「横線」になっている。
 このグラフの横幅は対象者数(人数)の比率で描かれている。3区分目の「1千円超5千円以下」は220,993人居るのでこの幅になる。ここから緑色の5区分目「1万円超2万円以下」辺りまでで人数的には半分まで来ている。

 この棒グラフの「面積」がおおよそ減税額ということになる。3区分目の減税総額は6億9千3百万円で、それをおよそ22万人で分けるということになる。
 9区分目(ピンク)も減税総額は6億7千2百万円だが、対象者はおよそ2千人である。図ではほとんど「縦線」となっている。

 今現在、日本において「正しい経済理論」で「減税」を説いている経済学者など聞いた事が無い。OECDの議論などを見てみると、日本において議論されるべきは税負担の見直しであろうと思われる。この辺りの議論は後に譲る。
 今回、このような拙速な定率減税を実施するに及んで、はしなくも日本における富の偏在が露呈する事となった。これがその一端である。

 このグラフに現れているものはまだ減税対象者であるだけ恵まれている。108万人だけが対象者なのである。そしてその108万人でも1万円以下(1〜4区)でおよそ半分が含まれる。そして行政が手を差し伸べるべき弱者に対する予算は削られ続ける。こんな無茶で「粗雑な新自由主義」はない。こんな事を続ければ、名古屋市民はしっかりと気づく。

やってくれ、減税!笑ってやる。



 さ〜て、当ブログ9月16日の記事、「東ゆうこ県議の勘違いはまだまだまだまだ続く」について、その発端となった「中部経済界」及び、インタビュアーの山内氏より、記事の掲載、及び内容への言及もまかりならぬというような不当な申し出があったがこれを蹴り続けていた。このインタビュー記事は、東県議が持つ薬事法違反に対する甘い認識を示し、また県民や消費者に対して謝罪するよりも、党や支援者へ謝罪するという非常に偏った姿勢を持っている事を示すものであり、今後も県政を担ってもらうにふさわしいか、甚だ疑わしい見識を持っている事を示すものであって、広く名古屋市民、特に千種区民に一読、評価してもらうべき文章であると思えた。
 そういう意味で公益性もあるために、その正当な引用を認めない態度は「ジャーナリスト」を自称する者とは信じられない。

 すでに、当該記事のコメント欄に当該記事が適法な理由は述べたが、それでも「中部経済界」または山内氏は弁護士を立てて対応するらしい。どのような法理を持ち出してくるか今から楽しみである。

 特に、本日のコメント欄における申し出、「著作権法の第三十二条、並びに二十条は、記事の引用は認めていますが、画像については無断掲載は認めていません。その点もご了承ください」という発言はまったくの意味不明である。(おっと、この引用も著作権法違反となるか?)

 引用においては画像も同じように引用対象として認められており、それは判例「平成10年(ワ)第155号」で明白である。

 ところで、先の記事において、各画像を引用した理由は、それもまた東県議の遵法精神の無さを立証するのに一役買っているからである。

 これについては、薬事法違反という明白な違法行為を県から指摘された事で矛を収めようと思っていたが、画像の引用が何のためであるか補強する意味もこめて申し添えよう。

 勿論、当ブログは一体として私の著作物であるので、9月16日の記事に、当記述も含めて「主たる記述、主張」であり、9月16日に引用された「中部経済界」9月号の記事は「従たる記述の部分」である。

 実は、その記事の2ページ目(本誌で言うと29ページ目にあたる)に掲載されている左上の写真。選挙カーと写っている東県議の写真は、ご自身のブログにも掲載されている写真である。
 日々更新 チャレウサ日記(東裕子HP)
 同魚拓
 ずっと、下を見ていただこう、1月29日。街宣車の看板ができたという報告がある。
 この看板を見ると名前と「顔写真」が示されている。

 そして、2月4日の記述にある写真、その一番下がこの「中部経済界」9月号29ページにも掲載された写真であろうと思われる。

 更に、2月9日の記述をご覧いただこう。この車を横において、キーボードを前に街頭演説をしたという記述がある。ポイントは2つ。
 1.1月29日の記事にあった、「顔写真」と名前の看板は写っていない運転席側にある。

 2.公示も何もされていない2月9日に、街頭演説?

  名前入りの車を街宣車として走らせて?

  更に言うと、街宣車の看板に「顔写真」?


 いったい、いくつ選挙違反行為があるの?

   というか、公職選挙法を守る気あるの?

     というよりも、法律という物を何だと思っているの?


 もう少し送ってみますか。2月15日。上社の市バスターミナル、市有地内でビラ配りをしたということが書いてある。「このおじさんはきっとこれまでの既得権を失うのが怖い保守派の人なんだろうと思う。/今までよっぽど甘い蜜を吸ってきたっていうことなんでしょうね」

 もはや、法を守るという精神の欠如という以前に、社会人としての常識に欠けているという以外に無い。よくもまあこんな人を公認とかしたものだ。

 実は、今回引用した記事に掲載されている街宣車の使用についても、選挙期間はもとより、選挙期間<以前>から違法性を指摘され、指導。警告も受けていると思われるのだが、まったく意に介していない。その街宣車を平気で雑誌記事に掲載できるのである。ここでも遵法精神を踏みにじっていると思うのだが、それは当該記事では書かないことにしていた。しかし、何故画像を引用したかと強引に聞かれれば、このような記事を構成する意図があったからという以外に無い。