市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

ナゴヤ庶民連

 今日のこの体験を何と喩えればいいのだろうか。まあ、どうせ、私があれこれ言ったところで、なんらかの偏った見方をする人の意見だ。ぐらいにしか理解されないでしょうから、委細構わずに申し上げますが。多分、最低です。
 こんなひどい人たちと、会合は初めてだった。いったいこれが名古屋市民のレベルかと思うと悲しくなってくる。

 何事かというと、本日、「市民と市議の本音トーク」という催しが名東区において開催された、主催は「ナゴヤ庶民連」と言うらしい。元々は「河村勝手連」が、選挙後も解散せずに、「ナゴヤ庶民連」として、名古屋市政に物申していこうと言う事らしい。
 これが、まぁビックリするぐらい、ひどい。

 特に、何が酷いって特に名を伏せますが、司会の女性。全ての発言者の発言を受けて自分の意見を付け加えるんですけど、これがてんで偏っている。酷いのなんの。更に、発言が以前批判した「床屋政談」居酒屋のクダ程度。まったく具体性も、地域に根ざした切実性も無い。完全に彼等、彼女等にとっては、政治はお遊びなんでしょうな。お金持ちが遊ぶのでしたら、海外旅行とか、習い事とか、幾らでもあるのですから、そちらで時間を潰していただけませんか。と、思いましたよ。

 こういった人々が、余った時間でくだらない政治ごっごをしているから、政治というのはひん曲がって、それが必要なところに手が差し伸べられないのだろうと思った。

 ここに参加した名古屋市会の市議は次の5人。

 減税日本ゴヤ団長浅井市議、山田(まな)市議、余語市議、湯川市議、黒川市議。そう、すべて減税日本ゴヤの市議の皆さん。それぞれ5分間の時間を使って話されたことは、「市長と議会の対話」であるとか「三大公約の実現」であるとか「地域の絆作り」だって。
 こういった言葉が、空想的な、理念だけの「床屋政談」なんですよ。

 特にひどかったのが、湯川市議。語られたことが「市民の意見を聞く」ってね。湯川市議自身がHPを開設している事は知っているけれども、会派のHPもなく、連絡先も不明な市議がゴロゴロ居る状況で、市民に向かってこんな事言う暇があったら、会派内の総会で、この大切さがわかっていない市議にでも言ってちょうだい。(特に名指しで批判させていただくと、林市議。あなた聞くところによると、やっぱり生活拠点が大阪にあるらしく週末の度に大阪に帰っているらしいではないですか。市民と会話する気も、そもそも地域の人々と会う気もないんじゃないの?)事実と語ることが違う、これも「床屋政談」


 そして、テーマがアンケートの結果から設定されて、それが「地域まちづくり」ということで、となると、自然と「地域委員会」についての話が出てきますよね。先日、私は「物事には”だし”にして良い事と悪い事がある」と、まるで「地域委員会さえ実現すれば、地域の問題は全て片付く」というような河村市長の態度を批判しました。これは至極真っ当な事であると自分では思います。どうですか?地域には様々な問題があります。老人介護であるとか、独居老人、子育てに悩む母親、就職機会を得られない若者、そして、家庭の問題や、地域の課題に時間を避けない働き盛りの人々。これらの課題が「地域」だけで解決ができる訳がないではないですか。問題に拠っては市レベルの課題であるものもあれば、県レベルのものもあります、そして多くは国レベルの、政治だけでなく、社会や経済をも撒きこんだ議論が必要な問題です。
 それを「地域委員会さえ実現すれば、地域の問題は全て片付く」と思い込むのは、完全に政治やら「床屋政談」のレベルすら超えて、こりゃあ「宗教」ですな。

 「地域からの発議が少ない」と訴えた方が居ました。確かに今回は、初とはいえ265学区の中から手を上げた地域がたったの16でしたし、その方が捉えた問題は、その地域からも「発議が少ない」という事だったようです。で、これって「地域委員会」が設立されれば解決される問題ですか?そもそも「発議が少ない」のは問題ですか?政治的課題がないというのは、(一方では)そこで住んでいる人々が満足をしているともいえる。
 また、町内会長が何十年と変わっていない、また老齢化が進んでいるという話を出す人も居た。これも「地域委員会」で解決が付くのですか?そうではなくて、そもそも町内での地域自治に関わろうとする意思を持つ方を吸収しようという、地域自治そのものの問題でしょう。一事が万事この調子です。地に足が付いていない、単に不満を言っているだけです。

 これらを指摘して、テーマである「地域まちづくり」について発言をさせていただきました。名古屋市には今「町おこし」というような計画がありません。なぜならば、その元となる「中期戦略ビジョン」が議会になく「裁判所」にあるからです。つまり、名古屋の街づくり、町おこしの障害は、この計画を裁判所に送り込んだ河村市長にあります。

 と、こういうような形で論を張ったら、「河村市長を肯定するとか、否定するとかという議論ではなく」と来た。私が「否定する為に否定しているのではなく、事実を語っているだけです」と申し上げたら、なんでしたっけ?「事実は主観的なもので自分たちは理念的に河村市長に賛成するけれども」でしたっけ?
 そもそも「政治的理念」なんてのは、それこそ主観的な問題であって、議論にはなじまないでしょう。中学生やら高校生ならこれから価値観を構築していくのだから議論の価値もあるでしょうが、責任ある大人になって、こんな主観的な「政治的理念」の優劣だとか、肯定否定だとかって話をするのは、それこそ「時間の無駄」です。

 そもそも、こういった「政治的理念」なんてものを異にする人々とも、軒を並べて生活するのが地域なんですから。

 私の立論はそうじゃない。主観的な、観念的な議論ではない。具体的な事実に即した話をしている。「地域まちづくり」というのなら、そこにどのような議論が過去にあって、どのようなプランがあり、そこにどのような予算が考えられているか。そして、その個々について話し合うのが「建設的」で「具体的」で大人が語るべき論点でしょう。そして、その論点の対象が名古屋においては「中期戦略ビジョン」であろう事は、客観性をもつ話だろうと思います。それこそ、それ以外に何か語るに値する論点が有るのならご提示願いたい。その大事な「中期戦略ビジョン」(=名古屋におけるこの先10年程度の「地域まちづくり」に対する基本方針)を、実行もせずに裁判所に叩き込んで恥じない。この中でも緊急に大切なものに関してだけでも裁判とは別に先行審議しても良いではないですか。その気もない。つまり、河村市長は「地域まちづくり」について意欲がないと断じざるを得ない。

 と、以上のように事実に即して語ったまでです。このように事実を積み重ねれば、河村市長への批判っぽく聞こえるのだとしたら、それは事実が河村市長を批判すべしと指しているからです。

 このようにこれは酷い会合です。現在の名前は「ナゴヤ庶民連」というのですか?その前は「河村勝手連」本当に「勝手」ですね。無責任にも程があります。

 この会合、「ナゴヤ庶民連」に批判的な人々から色々と伺いもしましたが、それ以上でした。そして、この会合が今後、残りの15区について順次実施されるという事です。

 ふふふ、参加させていただきましょう!