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一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

A.A.K.顛末記 その3

 本日は、「A.A.K.顛末記 その3」として、「§3地域の真の課題」をお送りいたしますが、その前に今日ある方から聞いた話を2つご紹介させてください。また、ある1つのイベントについてもご紹介致します。

引用元:LiveArtGreeks
2010年コスプレサミットで宗春に扮する河村市長


 お話その1:
 河村市長は、尾張徳川家の7代目藩主、徳川宗春をリスペクトしている。というか、本人もノリノリで自身を宗春に見立てている。吉宗の財政規律政策に対する積極財政政策と、宗春再評価の動きもあるが。実は宗春の積極財政策は結果的に破綻を来たす。(徳川宗春 - Wikipedia -
 また、宗春の行状の所為ではないものの、尾張徳川家からは、結局将軍を出す事はできなかった。
 積極財政を語り、総理を目指そうという方は、この歴史の事実にはどのように向き合われるのだろうか。

 お話その2:
 その河村市長は、度々「民のかまどを暖める」という仁徳天皇の故事を口にされる。実は、この逸話は、あの小沢氏が「小さな政府」を主張する文脈で繰り返し使っているらしい。つまり、ここにも河村氏と小沢氏の親密さが見て取れるが。確かに仁徳天皇などの「専制君主制」において、「税」とは、人民と君主の間でやり取りされる「徴税」であっただろうが、今の世においては「税」の行き着くところは「王」でもなければ漠然とした「国」でもない。その大部分は社会保障という形でまた「民」の元に返ってくる。つまり、民主主義国家における「税」とは、所得の再配分なのである。小沢氏もこの所得再配分については河村氏程度の理解であるのだろうか?
 例えば、仁徳天皇が「為政者」であるとするならば、「日立製作所」は完全に民間の私企業であり、そこに勤める社員も間違いなく「民」である。「為政者」が己の食や衣服を節約して、民のかまどを温めると言われるのならば、為政者である市長、河村氏が減額した報酬をもう一声減らして、日立製作所に損失補填をされては如何だろうか。



 今週の土曜日、6月25日には、減税日本ゴヤの富口市議の代わりに守山区で「勝手に市政報告会」を開催いたします。ちなみに、ある方に言われて各党の守山区選出市議にメールによって声をかけてみました。やはり、定例会のスケジュールでもあるし、急ですので出席は無理と回答を戴いております。

 富口市議からは、一切のレスポンスがありません。
 嫌なら嫌ぐらい返信しても良いと思うんですけどね。

 まあ、それはさておき。

 7月9日(土曜日)
 14:00〜16:30
 千種生涯学習センター 3F 視聴覚室

 において、「Myちくさ21」と言われる団体の方々が「市政出前トーク
(※A)を開催されます。

 名古屋市総務局地域委員会制度準備担当部 主幹 澤 博さんを講師にお迎えし、地域委員会のモデル実施についての検証をお話いただく予定だそうです。
 
(※B)

 参加費:無料  どなたでも参加自由だそうです。
 

※A 「市政出前トーク」というのは、市民か、市内に勤めている、または通学している人であれば、比較的簡単に催す事ができます。(平成23年度市政出前トークについて

※B 或いは、アートピアホールで質問した事で、私が「危険人物」に特定されて、私と、この「Myちくさ21」と言われるグループが関連していると思われ、開催が危うくなると申し訳ないので明確にしておきますが、私とこのグループ、このイベントは一切関係ありません。また、私が当日(7月9日ね、6月25日の方は、ちゃんと、私行きますよ。でないと、ドタキャンになっちゃうから)この催しに行く予定は今のところありません。ただ、参加を則されており、また、広く告知してくれと、このグループの方から言われたので、お知らせしたまでです。誤解なきよう、お願いいたします。
この「Myちくさ21」というグループも、7月9日のイベントも、A.A.K.の文脈とは関係ありません。6月25日のイベントは、完全にA.A.K.色が強くなる可能性はありますけど。




§3 地域の真の課題

 ちょっと、話が散乱しかけたので当日に戻りましょう。当日は中川の供米田地区と、緑区の鳴子地区の事例報告がありました。その後のパネルディスカッションで、供米田地区の海田氏が「防災訓練に若者の参加が少ない」とおっしゃっていたり、鳴子の半田氏が地域に参加される企業が少ないから、山田氏に地域に来てくれとおっしゃったり、現行のままでの地域委員会には参加できないとおっしゃっていたりするのには感銘したり、問題の捉え方が同じであると心を強くしました。
 私が現地で「2つ質問があります」といって投げかけた質問は当ブログの4月24日の記事のままであるからです。
( http://ameblo.jp/ichi-nagoyajin/entry-10870642840.html )

 この「2.」がまさに海田氏や半田氏が苦慮されているであろう、地域自治の担い手の不足問題なのです。

 大都市において、この問題は「人口流入」という背景もあるりますが、大きくは就労人口の生活時間の配分に変化があるために起きているのです。
( http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2320.html )

 この図において「交際・付き合い」が女性で横ばい、男性で低下しているのが見て取れる。そしてどちらも圧倒的に低い。私の父親は自宅と同じ町内にある会社に勤めていた。徒歩で通勤し、夕飯の時間には帰宅していた。本人の趣味もあり、地域の人々と様々な活動をしていたが、それは夕飯が済んでからお互いの家を行き来して実行していた。自分の自宅にもこういった人々が訪れ、そこで交わされる議論や討論を私は子守唄代わりにして寝ていたのかもしれない。
 なんにせよ、当時の私の住環境には間違いなく「地域コミュニティ」と呼べるものがあった。
 しかし、現在、こういったものはあるのだろうか。
 そもそも、お互いの家を行き来する間柄というものに殆ど出会わない。

 また、就労の実態として、片方には月間で残業時間が200時間を越すような過重な労働に、1時間、2時間という通勤時間があり。その一方では失業という問題が横たわる。特に、過重な労働を要求されるセクターというのは地域の催事においても主力を形成すべき働き盛りの人々であり、そういった人々が地域から産業に取られてしまっている。ともいえる。

 こうして地域コミュニティは力を失い、地域自治においてはプレイヤーが居ないのである。例えば、「ゆとり教育問題」の際も。例えば地域の魚屋さんに教室で仕事のお話をしてもらう。という案がでた。教育に地域コミュニティの力を導入しようというのであったが、既に、あの頃手遅れだった。あの頃ですら「シャッター商店街」が全国に広がり、「地域には魚屋さんが無い」という実態があったのだ。宮台氏や寺脇氏は、理念に走りすぎ、この現実が見えていなかった。

 米国では、「ウォルマートシンドローム」という言葉が生まれている。ウォルマートに代表されるような巨大ショッピングモールが、地域の消費を吸収して、地場の商店、商業を壊滅に追い込む。そうすると、地域の経済が衰退し、収益源がなくなり、ウォルマートも撤退をしてゆく。すると、後に残るのは大量の失業者と破綻した商店の連なりと成る。
 日本でも同じような姿が現れつつある。

 すでに、コンビニエンス・ストアが、地域の本屋、文具店、お菓子やパンなどを扱う商店を駆逐している事だろう。その昔、私は引っ越すときに必ず本屋のある街を選んだものだが、今では独立した本屋のある街を探す方が難しい。

 効率化と集中という産業的な掛け声はメリットとして生活を豊かにするのかもしれない、しかし、デメリットとして、しばしばその生活自体を奪う事もある。

 しかし、ここにも2つほどの方策は見出せる。1つは、先ほども触れた失業者の問題である。この失業者、就職浪人、及びニートまたは引き篭もりと呼ばれているような、産業セクターで吸収しきれないマンパワーを地域が吸収できれば両者にとって良い結果が得られる可能性はある。実は、日本には古来からこういった機能があったのであるが、明治に始まる集権国家、行政の発達がこういった地域の機能を否定してしまった。これもデカルト的明治政府の誤り(国旗・国歌の問題にも行き着く、司馬遼太郎の言うところの「奇胎」)ではあるが、その話は今は置くことにする。(この辺りの文脈は政府の「新しい公共」でも触れられている)

 もう一つは産業構造にまで手を入れる「ワーキング・シェア」であるとか、更に進んだ、「ベーシック・インカム」の構築である。

 つまり、地域自治、協働というテーマで今後の日本を考えていこうとすると、こういったトータルで制度設計をしていく必要があるのである。小手先で拙速に導入しても、今ある、良い物を潰して、制度の歪に苦しむ人々を生み出すだけだろう。

 では、なぜ河村市長はこの地域委員会を拙速に(自著をみると4年以内に?)全市展開しようとしているのだろうか。




今後の予定:
§4 地域に市長の独裁権が?
§5 私のモチベーションは何か