市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

ろくでもない議員の姿

今日は、河村たかし著「減税論」が描く、ろくでもない議員たちの姿を書き出してみよう。


 税金を払うほうは地獄で、税金で食っているほうが極楽という悲劇が続く。(P.150)

 確かに続いている。本当に続いている。税金を払う市民にとって、その代弁者たる市会議員は事実上三分の二に減ったに等しい、残りの三分の一を構成する減税日本ゴヤの市議たちは、その活躍はおろか、正体すら見えない。連絡先すら市民に知らされていない。


「政治を変えよう」の掛け声だけでは何も変わらない。政治と行政の癒着の問題も解決されない。同じ顔ぶれの組織のかたまりが席を譲り合っているだけで、大きな二つの癒着組織が出来てゆくのである。(P.140)

 政治と行政の癒着とは、市会と市長の癒着だ。結局、減税日本ゴヤの存在は、市長の私兵を税金で賄っているだけで、癒着どころか「仲良し係」の号令一下、足並みをそろえている。市長の市議をかばう言葉。野党からの質問の事前通告、そして、その事前通告された質問に対して、市当局が問答集を作れ?
 また、よ〜く見ると、判る。名古屋の市議会が批判されたその根源は誰だったか。その人の関係者が戻ってきている。癒着組織が入替わっている。新たな癒着組織が出来つつある。

有権者は、選びたい候補者がいないと嘆く前に、「奉仕する人間を選ぶ」という視点を持つだけでも政治家のウソを見抜くことはできる。(P.135)

 そう、「奉仕する人間」とは誰だろうか。まず、一番に必要なことは、「呼べば応える」ことだろう。では、減税日本ゴヤの市議は、どうやって「呼べば」良い?そして、「応え」をもらえた人は居る?

党議拘束のせいで、勇気ある少数意見は国会に出される前にもみ消され、議員が何も考えないようになるからだ。(略)
党議拘束を撤廃すれば、少しは志しある議員の声が国民に伝わり、政治への信頼も取り戻せると思うのだが、どうだろうか。(P.129)


 是非、この言葉は減税日本ゴヤの志ある市議の方々に贈る。あなたを拘束しようとする党議拘束、またはそれに類する圧力を払いのけろ!そう、河村代表はおっしゃっている。


国民目線から離れ、家業化した議員の弊害はほかにもある。議員が職業議員になると、長く努めることが目的と化すので、彼らは派閥(グループ)をつくって群れるようになる。派閥をつくると、さまざまなところに便宜をはかるための違法な裏金(収支報告書に書かないで余分にかかる経費)がつくられたりする。
 どの世界でもそうだと思うが、お金を出すものが強く、もらったほうは頭が上がらなくなるものだ。(P.128)



 河村市長は、議員はボランティアで、ちゃんと活動すれば市民からの寄付で活動できる、こういった寄付で活動するのが議員の本来の姿だとおっしゃるが。議員に寄付を出せる市民なんて一部でしかない。公務員は全体の奉仕者であるべきで、議員も一部の人々の利益を代弁するのではなく、広く市民の意見を代弁すべきだろう。しかし、そこに寄付があり、「お金を出すものが強く、もらったほうは頭が上がらなくなる」という関係があるとすれば、非常に不健全な関係が発生する恐れは十二分にあるだろう。ましてや「国民目線から離れ」たところに居ればなおさらだ。
 今のように、減税日本ゴヤの市議ひとりひとりの活動も、正体も不明のまま、市民の目線はおろか、視界からすら外れた状態で、いったいこのような関係が健全に保てると言えるその根拠はなんだろうか?

彼らが居座っていることで、いい人材の新規参入が阻まれている。志や意欲をもった新しい人間が出てきて、自分の仕事や得意分野の問題を何とかしたいと思っても、問うの公認を妨げるとか邪魔をする。(P.126)

 次の節と区切ってみたい。この言葉は某区の公認問題を連想させる。減税日本ゴヤの公認選定においては、非常に不透明な実体があった。そして、その中で多くの「公認漏れ候補」「減税日本系無所属」の候補が生まれ、そして市議選で敗れていった訳だが、この公認漏れの経緯によもや「縁故」などという不健全な要因は作用していませんよね。立候補する、またはさせたい支援者組織内部の事情ではなく、市民の「目線」で選定されているのでしょうね。きっとそうだと信じますよ。そうだ、そうだ。


 選挙も新規参入がなければ、選挙期間中に「がんばります」と連呼すればよく、政策を競う必要もない。通ったあとは何も考えないような輩でも4年間務まる。(P.126)

 なんとなくね。凄いと思います。選挙期間中に「がんばります」とも言わなかった人も居るわけですから。河村代表のテープをエンドレスで流しているだけで、自分は自転車に乗っている。せいぜい手を振っているぐらい。連呼もすることなく、政策を競う必要もない。何も考えないで、市当局に問答集を作ってもらって読むだけで4年間務まる。これならば、年800万円でも、3,200万円丸々儲けたようなものですね。

議員は行政実務を担う立場にないから、年間約80日の議会に出席すればいい。もちろん、市民の声を聞いたり、陳情を受けたり、条約を作ったり、本気で仕事に取り組めば忙しくなる。だがそうして一生懸命活動するプロの議員がたくさんいたら、いまのように議会がどこか市民感覚とずれた場にはならなかったに違いない。(P.106)

 充分居たと思うんですけどね。「プロの議員」。確かに「たくさん」は居なかったかもしれない。だからといって、「市議会総入替え」「現職を入れたら何にもなりませんよ」と送り込まれた減税日本ゴヤの市議は「プロの議員」とは言い難い。更に、河村市長も時として「プロの議員」は要らんと言われる。兼業、ボランティアで充分と言われる。いったい本当はどちらでしょうか。
 少なくとも、「市民の声を聞いたり」「陳情を受けたり」は、連絡先ぐらいは公表している市議でなければ出来ないことでしょうね。つまり、「本気で取り組むプロの議員」ではなくて、ということなんですね。


ラーメン屋でもスーパーでも、売り上げが減れば値段を下げて客を増やすとか人員を整理するとか、厳しい中でみんなやっとる。(P.62)

 今、新しく社長になった者が、業績を伸ばす為にこういった「プライスレース」に闇雲に飛び込むようなら、その経営者は大馬鹿者といわれることでしょう。プライスレースなどいつだって行えます。
 河村市長は行政における「平成の安売り王」でしかありません。そして「安売り」だけに意識を寄せるような経営者は下の下です。古くはダイエーの中内氏、最近ではドンキホーテ、またはじゃぱネットたかた。これらは「安売り」というイメージを持っているかもしれませんが、それは彼らの商売の一面でしかないのです。「安売り」に隠れた収益を生み出すポイントこそ、本当の商売のツボとでも言うものなのです。
 商売をしていたと言われても、結局「税金で食っていた」極楽の一旦だったわけで、甘い甘い。


$市長のための市会ではなく、市民のための市会を!-市民フォーラム
(このイメージをクリックすると大きなイメージが見られます)

 6月20日に「地域委員会」についての市民フォーラムが開かれます。地域委員会の実施を受けた提言書が名古屋市の公式ページにありますので、この提言書から非常に重大であると思われる問題も含めて質問をしたいと思います。


 いよいよ、本日となりました!!





6.20 ActAgainstKawamura!


 また、本日(19日)は、とある集会に呼ばれまして、この一連の減税日本ゴヤ、及び河村市長の市政についてのお話をさせていただきました。午前と午後の二回に分かれての開催でしたが、非常に活発にご質問、ご意見を戴き、私自身も触発される一日でした。

 午後の部で、若干触れかけて話しきれなかった分について、今、話すのの替わりに文章で書きたいのですが、さすがに遅くなってしまいました。また今度の機会と致しましょう。
 また、こうやって一定の方々が集まる場所でお話をしてくれと言う要請があり、私の都合がつけばお邪魔させていただきます。どうぞ、メール等でご連絡をください。