市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

曲がり角が見える

ユヴァル・ノア・ハラリの「ホモ・デウス」を読んだ。

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来


前著である「サピエンス全史」の続編となる論考だ。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

簡単に紹介すると、「サピエンス全史」においてハラリ氏は三つの革命が人類を今の姿にまで導いたと見る。一つが「認知革命」であり、虚構(架空の物語)を信じる事によって集団で生きることが可能となり、宗教、国家、貨幣、法律という社会の秩序を打ち立てることができたとする。次に「農業革命」で、人類は「麦の奴隷」となることで種としての拡大を得た。そして最後に起きた革命が「科学革命」である。この科学革命を駆動したのも、「ヒトが明日を信じる」(明日という虚構を信じて、今日の労苦を惜しまない)という認知傾向による。

そして今、科学革命は人工知能や遺伝子操作、生命科学の発展によって「超ホモ・サピエンス」を生み出すと予言された。その予言についてさらに論考を重ねたのが「ホモ・デウス」だ。

(ハラリ氏のオンライン歴史講義は YouTube で提供されている)
Online Course: A Brief History of Humankind - Yuval Noah Harari - YouTube

ハラリ氏の論考にはヴィパッサナー瞑想の影響が見てとれ、論考にも重要な要素となっている。これは上座仏教(大乗仏教/北伝仏教が優勢の日本においては「小乗仏教」などと呼ばれ誤解されている)の「観行」の事であり、日本においても日本テーラワーダ仏教協会などが指導をしてくれている。

日本テーラワーダ仏教協会 | こころを清らかにする人が幸せである

私もスマナサーラ長老の講演や瞑想会に参加したことがある。ハラリ氏の透徹したリアリティと上座仏教の思考方法には共通するものがあると感じる。(肉を否定し、虚構を排し、そうした執着や思い込みから離れ、それでも在る自己、その自己を投企することで、はじめて人は自己を獲得できる。被投の段階から、投企する自己を、そしてその自己に対する執着すら離れる。そこに何かのゴールがあるのだろうという気はしている)*1 閑話休題

お釈迦さまは四門出遊によって老いる苦、病む苦、死ぬ苦を見、苦諦によって出家を決意なされた。人を常に苦しめるものはこうした逃れ得ぬ苦である。人類は長い事、様々な方法でこの苦から逃れる方法を考えてきた。秦の始皇帝は不死を求めて東の海蓬莱にまで不死の仙薬を求めたとされる。しかし、今や人類は様々な病を克服しつつある。そして「アンチ・エイジング」として老いる事すら克服するかもしれない。生命科学や遺伝子操作技術が進むと、死すらも克服可能なのではないかと考えられている。
(特定の個人から得た細胞から、「無脳症」のクローンを生み出す技術と、そのクローンを育成できる技術。そして、20年程度育成したこのクローンに、細胞提供者の脳を移植する技術が確立すれば、この脳そのものの寿命まではヒトは生きられる。これらの技術が確立するのは、果たして50年後か?20年後か?、今世紀中には可能に思える。しかし、そのコストはとんでもないものになるだろう。ここでも経済の格差が恐ろしい格差を生み出す)

人間は、エデンの園の中央に生える「生命の樹」と「知恵の樹」の内、知恵の樹に生える「知恵の実」を食べて楽園を追われたとされる。
知恵は得られたが、生命の樹の実によって得られる永遠の生命は得られなかった。しかし、その知恵によって「生命の実」を自ら生み出すのかもしれない。

ハラリ氏は現代を「人間至上主義」の社会と見る。世界を生み出したと言われる神は居らず、人間が神を生み出したと理解されている。ハラリ氏が指摘していた事例が面白い。

フランスにおいてシャルリー・エブド襲撃事件が起きた際、イスラム教組織のうちの一つはテロ行為を批難するとともに「世界中の何億というイスラム教徒の感情を傷つけた」として、同紙も責めた。けして「同紙が神の思し召しに背いた」と咎めたわけではない。ここにおいて既に「神」よりも「何億というイスラム教徒の感情」の方が説得力があり、重要とされている事が判る。「神」は死んだのであり、人間至上主義が現出しているのが現代だ。

こうした人間至上主義が科学を、文明をけん引し「戦争、飢餓、疫病」という人類の脅威を封じ込めている。人が自らの欲望を求める事をどこまでも是認する社会が現代であり、人間至上主義だ。それは「物欲を捨てる」という欲望すら肯定する。(つまり、いわゆるエコな生き方なるものも、一つの欲望を実現させているに過ぎない、上座仏教的に言うと執着から離れていないのだろう)

こうした人間至上主義が行き着くと、人間至上主義は空洞化する。

どういう事かというと、例えばすでに目の前にまで立ち現れている「自動運転」が完成した社会においては、人間は移動を「自動運転」にすべて委ねるだろう。ある映画では、未来の交通手段というものが描かれていて、そこでは一般の自家用車はすべて自動運転で、手動操縦ができる自家用車というのは一部の高級車だけであるという描写がある。今でいうとオートマ車とミッション車における逆転*2が、自動運転車 と手動操縦車の間で起こる。人は移動の間をシステムに委ね、時間を自由に使える。しかしそれは同時に旅をするという行為を空洞化させるだろう。(私は、すでに今でもワンボックスカーに家族が乗り込んで目的地から目的地へと移動するだけという旅行には空洞化を感じる。移動中のワンボックスカーの中は家庭における居間とまったく同じ状況となる。奥さんと下の子どもは前と後ろのモニターでそれぞれお気に入りのテレビ番組を見て、上の子はポータブルゲームに夢中というような状況では、「旅」は空洞化していると思うが)


ハラリ氏はスマートスピーカーに2人居るボーイフレンドの内、どちらを恋人に選ぶべきか相談する女性の姿を描いて見せる。スマートスピーカー(をインタフェースとしたエージェントシステム)がこの女性の嗜好や考え方の傾向、及びボーイフレンドのそうした属性情報を集め、社会全体のビッグデータから、そうしたファクター間の適合傾向を勘案、算出して、どちらの男性の方が良いと勧めたとすると、その選択は、この女性自身の選択よりも優れた(彼女自身の嗜好に適した)選択である可能性がある。ヒトはそれほど自身を知り得ないし、システムには今後どこまで拡大するのか底知れない可能性がある。ここで将来の伴侶をスマートスピーカーに尋ねる行為は、自我の喪失ではないのだろうか。

実は、人間至上主義の限界、空洞化はすでに目の前で起きている。
(特に、ハラリ氏が日本を「国家主義」的と見做している事には興味深かった。「空気」という「同調圧力」が支配するのが日本であれば、こうした観察は正しく思える)


というのも、すでに何年前になるだろうか。インターネット商用化すぐの頃だと思うが、「監視社会」の到来を予感して「脱統制」という呼びかけを行っていた。警察などの「Nシステム」の設置や「犯罪捜査への盗聴の利用」そして「監視カメラの設置」を批判していたのだ。(その歪んだ先が「個人情報保護」の風潮だったりする)

映画「踊る大捜査線」などでも青島刑事が膨大な監視カメラの録画を見せられるというシーンが描かれて、戯画的に監視社会を揶揄するような描写があった。分水嶺はここまでだろう。すでに、監視カメラによる犯罪捜査は市民権を得ているようだ。「脱統制」の頃のように、今、監視カメラ設置に対して反対運動など起こそうものなら変わり者扱いされてしまうのだろう。


日本の社会を見ていると、自ら積極的にパノプティコンに入ろうとしているようで、呆れてしまう。

そして、今年の年明け。中日新聞東京新聞がすっぱ抜いた「企業情報の警察への提供」という話だ。当初、具体的な企業名がなかったわけだが、アソコなんて危ないだろうなぁ。と思っていたら、まんまとやってくれました。「Tカード」/「CCC」

公共図書館とTポイントカード(11月9日 プレゼン予定稿) - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0


この他にも、M女史が音頭を取っていた、東区における「地域委員会試行」において、東区の大曽根駅前に「監視カメラを設置する」と聞いて、腰が抜けた。訳あって、この「地域委員会試行」については、お手伝いをさせてもらおうと思っていたのに、さすがにそこまでは節を曲げられないために距離を置かせていただいた。

(まさか、自分が監視カメラの設置を推進するなんて!)

日本の社会は個人主義よりも社会主義に親和性が高い。個人の自由よりも場の空気、集団の和を重んじる。多くの個人は自分であるよりも、自分が安全である方が良いように思える。

ヒトは常に利便性を求める。
それが現代のような技術が生まれた今において、ヒトそのものを、ヒトの存在そのものをスポイルしているようにも思える。



ああ!しまった。
ローレンス・レッシグの CODE との関連と、
ドラマ「3年A組 ―今から皆さんは、人質です―」における描写、及び先日のブログの解説を盛り込み忘れた。機会があったら書きます。

*1:「百尺竿頭に一歩を進め、十方世界に全身を現ずべし」の方がヒトによっては飲み込めたりするかな?

*2:昔は、オートマ車の方が車両価格も高かった

文化的に「正しい」名古屋城跡の姿

追記:
中日新聞プラスに外部ライターのコラムという形で、現在の名古屋城問題が載っている。
登録有形文化財の話にも触れていただいているし、大枠では同感だ。
2019年版 歴史好きの目から見た名古屋城天守閣木造復元の問題点 | 達人に訊け! | 中日新聞プラス

「苦し紛れ」とも言われている
名古屋城天守の先行解体。
つまり、木造天守復元案が成立する以前に、<とりあえず>現名古屋城天守を解体してしまおうという案。<とりあえず>文化財としての価値があり、正しく改修すれば登録有形文化財となる価値のある、現名古屋城天守を解体してしまおうという案。<とりあえず>昭和34年に、総工費の3割を名古屋市民の寄付で賄った、市民の宝である現名古屋城天守を解体してしまおうという案。
もはや、正気の沙汰とは思えないこの案。一部の歴史修正主義者のような、視野狭窄に陥った人間が、その歪んだ歴史観から妄想のごとく吐き出すのならわかるが、天下の公器である筈の新聞までこの暴挙に疑問を呈さないという不思議な案。

これが通れば、アレが言う通り、法的に所管が名古屋市にある名古屋城天守は解体されてしまって、それでも木造天守は建造できない。

となると、現在の石垣、天守台の上に何もないという姿になってしまう。

2022年には木造再建できると言っているが、その根拠は示されていない。
少なくとも、アレが言っていたように、観光の目玉。
2020年の東京オリンピックの頃には、天守台の上に何もないという姿になってしまう。

それ以降、新しい天守建物が建つのは何ねん先になることだろうか。

f:id:ichi-nagoyajin:20180205003854j:plain
モージャー氏撮影写真資料より

ヴェニス憲章に照らせば
1964 - Venice Charter

遺構の上の復元はすべて排除されるべきであり、
その遺構に降りかかった歴史的事実は
何等改変なく、伝えられるべきである。

つまり、慶長に徳川家康によって建てられた
名古屋の名城、名古屋城
昭和20年、太平洋戦争時の米軍による無差別爆撃によって
焼失してしまい。

昭和34年、市民の熱意によって再建された。
(この当時には、ヴェニス憲章という
国際合意は存在しなかった)

そして、平成31年に時の名古屋市河村たかしによって
「木造再建する」という主張によって
再建天守は破壊されたが、
上記のような国際合意、及び
木造再建計画に重大な瑕疵があったために
再建が叶わず、名古屋城
ヴェニス憲章の主張する形で保存されることとなる。

永遠に、名古屋城から大天守の姿は失われたのである。

なお、名古屋市にって3Dバーチャル映像が残っている。


てなことになりそうですね。

ちなみに、この画像は「モージャー氏撮影写真資料」より引用いたしました。

モージャー氏撮影写真資料 | 憲政資料室の所蔵資料 | 国立国会図書館


名古屋市会「市会だより」2月号が発刊できなくなった経緯


名古屋市会「市会だより」2月号が発刊できなくなった経緯

(この記事は17,771文字あり 読むのに約45分ほどかかります)

 

(以下、特に断りが無い場合「委員長」とは「市会だより編集委員会委員長」を指し「委員」とは「同編集委員」を指す。
また、「名古屋市会議会運営委員会」とは、名古屋市会の議案、日程などを調整する名古屋市会内の交渉会派(会派所属議員が5人以上いれば交渉会派として認められ、議会運営に携わることができる)によって構成された議会運営のための会議体で、議事は公開され、傍聴も許されている。
http://www.city.nagoya.jp/shikai/category/333-5-0-0-0-0-0-0-0-0.html
「理事会」とは、この「議会運営委員会」の中で、委員長、副委員長、及び理事から構成される会議体で、議事は公開されていない。傍聴も許されていない。なお、理事会構成員は各会派の幹事長が就任する。各会派の幹事長は議会運営委員会の理事を構成するため、会派間の交渉を担うのは、各会派の幹事長ということになる)


12月21日(金曜日)「市会だより」編集委員会

市会だより編集委員会は各会派から各1名の参加で構成されている。

現在の編集委員

自民党:小出昭司(中村区)編集委員
民主 :森ともお(熱田区編集委員
公明党:沢田晃一(西区)編集委員
共産党:さはしあこ(緑区編集委員
減税日本佐藤あつし(中区)編集委員

の5会派5名

2月号を発刊するにあたって、11月議会における出来事として、
浅井康正元減税日本ゴヤ市議団団長の「ブロック塀」問題を掲載しなければならないという意見が出され、全委員から異議なしとして、浅井康正元団長の問題について掲載される事となった。

その際、特に浅井康正元団長が教育子ども委員会の副委員長を辞任した経緯と、副委員長を辞任するにあたって、委員会の再編成をする必要が生じた事、その為の調整に時間がかかった事、その間、当事者である筈の減税日本ゴヤの市議数名が、ヒトごとのように退庁してしまっていた事。こうした減税日本ゴヤの問題についても掲載すべき事や、「浅井」と同姓の議員がおり、新聞などで報道されて以来、混同される事によって風評被害が生まれている事から、浅井康正元団長の選出区(名東区)について特に明記すべき事などが提案され、同意された。

このように、掲載事項が重なったこともあり掲載紙面が足りなくなってしまった。そこで減税日本ゴヤの会派としての責任としても、通常慣例で全員掲載されている11月議会における個人質問については、減税日本ゴヤの市議の質問分を削除することによって紙面を確保し、浅井康正元団長の不祥事及び、それに付随する記事の掲載場所を確保する旨、全編集委員の同意がなされた。

この間、減税日本ゴヤ編集委員である佐藤あつし委員からは特に発言は無かった。

最後に、小出編集委員長より「掲載文書等、各会派でご確認いただき、意見などがあれば12月28日までに事務局に申しいでいただきたい」として、編集委員会は終了した。


この編集委員会の後、共産党山口市議が減税日本ゴヤ佐藤あつし委員に面談した。

ここから、話はへんてこな方向に転がっていく。

ここで特に強調しておきたい事は、12月21日の編集委員会において、佐藤あつし委員は、浅井康正元団長の記事掲載と、その為の紙面確保のために、減税日本ゴヤの市議が11月に行った個人質問の掲載を取りやめるという事について、編集委員会の席上で何も意見を述べていないという事だ。もちろん、反論も無かったわけだし、「会派に持ち帰って考えさせてくれ」というような保留の申し入れもされていない。

そして、12月22日、23日、24日には何も動きは無い。


12月25日(火曜日)になって、佐藤あつし委員より事務局に「減税日本の質問を掲載してくれ」という旨の申し入れがあった。「小出委員長にはこれから連絡する」との事で、委員長の了承もないこの申し入れに、事務局としてはどう対応すべきものか判断ができなかった。

午後になって、佐藤あつし委員と、減税日本ゴヤ鈴木団長より、小出委員長に電話が入る。「減税日本の質問を掲載してくれ」という申し入れで、小出委員長も、独断で対応するわけにもいかないので回答を保留とした。

更に、減税日本ゴヤ田山幹事長より事務局に電話が入り、「減税日本の質問を掲載してもらえるように議長に申し入れをしたいと考えている」と伝える。事務局として「編集委員会で協議いただいている事項であり、いかがか」と疑義を伝えた。

夕方になって共産党さはし委員から事務局に「減税日本の質問を掲載すべきである」との意見が申し入れられる。事務局としては「小出編集委員長へ直接説明いただきたい」と伝える。

ここで解説をしておくと。
どうしても共産党は市会内で孤立しがちだ。

国政マターなどで、自民+公明+民主+減税 VS 共産党 などという意見対立が起こる事もままある。
こうした対立においては、共産党は圧倒的に不利で、例えば「市会だより」に共産党が意見を掲載したいとしても、他党に反対されればそれは叶わない。ここで慣例として全員掲載の原則が守られている個人質問について、その原則を崩す事例が発生すれば(前例を作ってしまえば)、今後、共産党だけ同様の扱いをされることも起こるのではないかと懸念される。そうした事から共産党は動いたと推測される。(これは私の推測だ)

また後ほどの調査で明らかになるが、共産党山口市議が21日に佐藤あつし委員に面会したのは、減税日本ゴヤの市議の個人質問が掲載されないという決定について、「本当にそんなことで良いのか?」という個人的な疑問をもって佐藤あつし委員の意見や減税日本ゴヤの判断を、確認したかったまでで、共産党市議団としての行動ではないとの事だった。さはし委員も一委員の個人的な意見として事務局に申し入れたようだ。


さて、ここで大問題の12月26日(水曜日)に至る。

この日、昼前頃、減税日本ゴヤの田山幹事長から坂野議長(自民党、港区)に電話が入る。
電話の主旨は「市会だよりに減税日本の質問を掲載すべきである」との申し入れだ。

坂野議長からは「まずは、編集委員会で協議をしていただくべき内容である」と指摘した。

この時に田山幹事長は「議長選挙において、減税日本ゴヤは坂野議長に投票したのであるから、よろしく取り計っていただきたい」という趣旨の申し入れをしている。

引き続いて、田山幹事長は議会運営委員会の成田たかゆき委員長(自民党、天白区)の事務所にも電話している。しかし成田委員長が不在であったので会話は成立していない。

さらに、共産党のさはし委員から小出編集委員長に電話がかかり「減税日本の質問を掲載すべきである」との意見が申し入れられる。

この日(26日)の注目点は2つある。
一つは、この経緯の中で最も問題と思われる、田山幹事長と坂野議長とのやり取り。

二つ目は共産党のさはし委員が事務局に続いて小出編集委員長に継続的に申し入れをしているにも関わらず、肝心の減税日本ゴヤ佐藤あつし委員の動きが見えないという事だ。


デッドラインも近付く12月27日(木曜日)

減税日本ゴヤ田山幹事長が成田たかゆき議会運営委員会委員長の事務所に電話し「市会だよりについて、年内に相談したい」との伝言を依頼する。

ここで、成田議運委員長は返信をしていない。これは至極当然の事だ。
田山幹事長の申し入れは筋違いだ。市会だよりについては、坂野議長も指摘したように、市会だより編集委員会において協議すべき話であって、議運の委員長がその内容について何を言われてもどうする事も出来ないし、すべきではない。
本来、減税日本ゴヤにおいて12月21日の決定について異議があるのであれば、編集委員である佐藤あつし委員が、小出編集委員長に申し入れるべきで、その際には他の会派の編集委員にも「根回し」をすべき事柄だろう。聞いても仕方のない事について返信の電話をかけなかった成田議運委員長の判断は至極もっともな事と思われる。

田山幹事長は引き続いて事務局に電話したようだ。「成田議運委員長と話ができない」と伝えたらしい。
事務局としてはどうしようもない。そんな事を言われても、事務局から成田議運委員長に「田山幹事長に電話してあげてください」と要請できるわけでもない。
中学校か高校生がクラスの中で仲たがいして、その仲裁をするという話ではないのだ。
市会だよりの編集事務局が、議運委員長に特定会派の幹事長へ電話をしてくれ。などという事を要請するのは幾重にも筋が通らないし論理的に有り得ない。

事務局としては「編集委員会の期限は明日(12月28日)であるにも関わらず、編集委員佐藤あつし委員が動いていないのは問題なのでは」と逆に指摘をしたそうだ。

この指摘を受けてか田山幹事長が成田議運委員長の事務所に再度電話をかけ「佐藤あつし委員が小出編集委員長に再度相談する」と伝言を残したそうだ。

この後、事務局に佐藤あつし編集委員から電話が入る。「12月25日に小出委員長に対して自分から電話で申し入れた。また、鈴木団長からも電話で申し入れたが『議運で減税の責任の在り方が問題になっている』等と指摘された」との事だった。

更にこの後、田山幹事長が事務局に電話をいれている。「佐藤あつし委員より小出委員長に再度申し入れる。場合によっては文書による申し入れを考えている」「坂野議長も『まずは編集委員会の問題』と言っていた」「江上幹事長(共産党)も理事会が開催されれば、現状では減税日本の個人質問を削除する事には反対と言っており、山口議員も同趣旨の発言をしている」

この田山幹事長の発言は重い。
1.「文書による申し入れ」とは、どこに対する申し入れだろうか?ここまでの経緯で見てきたように、市会だより編集委員会は何も拒否していない。逆に、減税日本は文書によるもの以前に、申し入れを行っているように思えない。21日に発言機会が与えれなかった、保留を申し入れた、または反対を表明していたものを強圧的に決定された。のなら、「申し入れ」に当たるだろうが、そのような事実は無い。それ以降佐藤あつし委員において、一旦了承してしまった事柄について、会派として決定を覆すのであるとすれば、それは佐藤あつし委員から各編集委員編集委員長に対して謝罪とともに協議のやり直しを求めるべき事柄だろう。つまりここでは減税日本の意思決定自体が覆っているのであって、問題の所在は明白だ。
にもかかわらず、減税日本の田山幹事長が編集委員会、または事務局に「文書による申し入れ」を行うとすれば、高圧的なのはどちらかという事になろう。
2.坂野議長の名前を出した事も高圧的だ。坂野議長の「編集委員会の問題」とは、編集委員会で協議すべき問題という事で、「編集委員会に反省すべき問題がある」というような意味ではない。21日の会合から、週末をはさんでいるとは言っても、25日まで4日もある。それにそもそも市会議員に週末などない。年末の予定に追われて活動しているのが市会議員だろう。根回しをしようと思えばいくらでもできたはずだ。(小出委員長の事務所や自宅、年末であれば会合や訪問先を訪ねるぐらいの誠意を見せなければ、このような「申し出」がいれられるとはとても思えない)
3.田山幹事長の本領発揮。ここで共産党の江上幹事長や、山口議員の名前を出す幼稚さ。いったい田山さんはここで、江上さんや山口さんの名前を、事務局に出して、どんな効果があると思ったんだろうか?「多くの人も問題だと言っている」とでも言いたかったのだろうか?
坂野議長の名前、江上さんやら山口さんやらの名前を出す、それにすがる。まったく腰ぬけ、臆病者、小心者の極みだ。自ら責任をもって、自らの言葉で語る事が出来ないから、議長や他の議員の名前を出す事になる。しばらく前、ある街頭で「私たち」に逢って河村代表の陰に隠れて挙動不審におびえていた姿を思い出す。こんな人物が、・・・・是非とも、末永く減税日本の幹部を続けて頂きたいものだ。(代表は、こういった人物がお好きなんだろう、なにせ怯者として自分に似ているのだから、田山さんを見ていれば、自分はまだ、あれほどの臆病者ではないと思えるのかもしれない)


ともかく、こうした動きを受けて、小出編集委員長は事務局に電話をかける。「編集委員会として予定していた1月10日より前に、編集委員会を開きたい、日程調整願いたい」事務局より1月8日ならば可能であるとして、各委員に事務局よりこの予定変更を伝える事となる。

この日の夕方、小出編集委員長より佐藤あつし編集委員に「修正案を減税日本で考えるよう」と連絡。

この後、田山幹事長より事務局に電話が入る。「編集委員会が1月8日に開催されることになった、議長が動いたのかな?」「編集委員会が動き始めたのでこれ以上自分(田山幹事長)は動かない」・・・おめでたい世界観だ事。

 

12月28日(金曜日/仕事納め)
お昼に佐藤あつし委員から事務局に電話が入る。「修正案を事務局で作ってほしい。質問のスペースは減税も他会派と同じスペースで掲載してほしい。過去には小さな文字で掲載された事もあった。全体を圧縮して調整してほしい」

更に一時間ほど経って「代案は年明けに小出委員長と事務局に報告する。減税も他会派と同じスペースを確保し、他の議員には影響が出ないように考えてみる」

そして、年末年始の休暇に入る。
年が明けて1月7日(月曜日)

佐藤あつし委員より小出委員長に電話が入る「修正案を作成したので小出委員長に事前に見ていただきたい」
小出委員長は「編集委員会を明日に構えているのだから、明日提出してほしい」と応える。

念の為に、申し上げると、今年の年始は1月4日(金曜日)だった筈だ。臨時に市会だより編集委員会を開催させるほどの緊急事態、重大用件であれば、1月4日から動いても良かったのではないだろうか?いや、動くべきだろう。

そもそも市会議員にとっては、年末年始も休みなどではない。減税日本も元旦に街宣を行う事を恒例としているのではないのだろうか(まあ、もっとも減税日本は昼に熱田神宮で街宣を行った後、参拝してそのまま酒盛りになるようだが)

そして、仄聞するにこの修正案もたった一案しか準備していなかったようだ。

さて、こうした動きを受けた1月8日の臨時編集委員会
佐藤あつし委員とさはし委員(共産党)から「減税日本の質問部分も他会派同様掲載すべき」との意見が出される。
佐藤あつし委員からは、修正案も提示される。

これに対して沢田委員から、「12月21日の編集委員会減税日本から異論が出なかった」と指摘がある。

これに対して佐藤あつし委員から次のような発言があった「12月21日の編集委員会終了後、私がお願いしたわけではなく、共産党の山口議員が控室を尋ねてきて『減税はこれでいいのか』と言われた」と。これは重要で、呆れるような発言だ。

上記の田山幹事長同様、佐藤あつし委員も、共産党の山口議員の陰に隠れようとしている。そして、そんな発言にどのような意味があるというのだろうか?

編集委員会に「他会派の議員にも反対する者も居る」といったとしても、自説の補強などにはならないし、もし編集委員会に各会派が意見を言わなければならないのであれば、それはそれぞれの会派が意見を表明するだろう。(ここで、佐藤あつし委員は、さはし委員の名前ではなく、山口議員の名前を出している事にも注目してみたい)自説に説得力が無い、または自身の立論が脆弱だから、こうした余計な発言を行うとしか思えない。佐藤あつし委員が自身の言葉に力が無いことを、編集委員会を動かす事が出来ない事を自覚するのであれば、その理由をもっと深く掘るべきだ。

なぜ、ここで編集委員会佐藤あつし委員は、減税日本は動かす事が出来ないか。それは、佐藤あつし委員の発言に「理」が無いからである。誰かの陰謀でも、編集委員会の怠慢でも無い。では、無い「理」を作るにはどうするか。他会派の議員の名前や、議長、代表の名前を出し、他力にすがっても意味は無い。自身の中で「理」を構築するしかない筈だ。その為には「内省」を行うか、会派内でキッチリとした議論を行うべきなのだろう。

このような他者によりかかったような発言は、中学生か高校生でも、少し自分の言動に自覚的な者であれば行わないような発言だ。

この佐藤あつし委員の発言に対して、共産党のさはし委員が補足の発言を行う「山口議員の行動は、共産党の団としての判断ではなく、個人的な判断で行った」

沢田委員からは「本来は市会だより編集委員会で話し合う案件であって、減税の幹事長が動き回っているのはおかしい、共産党は幹事長が動き回っているわけでもない」

小出編集委員長より「さはし委員は、編集委員として同会派の山口議員に抗議すべきだ。編集委員会としては、越権、冒とくしたとして、憤慨していることを山口議員に伝えてほしい」

次回の編集委員会で経緯についてさはし委員から報告を求める。

さらに小出編集委員長より「本件に関して、減税日本の田山幹事長が議長に対して問題があるような発言をしたのではないか」との問いかけに、佐藤あつし委員は「把握していない」と回答した。

民主の森委員より「田山幹事長から、小出編集委員長には連絡はあったのか」と確認があり、これにたして小出編集委員長は「田山幹事長からは連絡は無かった。減税日本の鈴木団長からは電話があったが、途中で政務活動費の報告をしなければならないとか言われて電話が切られ、その後連絡は無い」

次回の編集委員会佐藤あつし委員から、この経緯について報告をする事となる。

佐藤あつし委員が発言「会派内では、浅井康正議員のブロック塀の記事があるから減税の質問を掲載しないのはおかしいなどの様々な意見があった」「浅井康正議員のブロック塀に関する記事を大きく取り上げる事は、より議会の品位を下げないか心配である」

これに対して小出編集委員長から「(一般紙によって報道もされており)すでにこの問題で議会の品位は下がっており、きちんと経緯を市民にお知らせしないといけない」「減税の修正案では写真やイラストが無くなり文字ばかりになってしまう」

森委員より「詰め込むのは物理的に無理がある」と指摘。

沢田委員より「浅井康正議員のブロック塀に関する問題では、日々真面目に活動している議員は悔しい思いをしている。減税日本は会派の一つのけじめとして、今回だけは掲載を辞退されてはいかがか」

これに対して佐藤あつし委員は「会派としての責任の取り方は、理事会や議運で田山幹事長がしっかりと説明する。私は掲載をお願いするだけである」

共産党減税日本編集委員会での指摘等を会派内で検討し、次回(1月10日)の編集委員会で報告。

また、2月号の発行ためには、最終の締め切り(印刷、配布手続きは予算とともに決められている)が次回1月10日の編集委員会である事を確認し、終了。

「市会だより」は議員活動を市の公費を使って市民に知らせる物であることから、全会一致でなければ発刊はされない。
12月21日の編集委員会では、浅井康正元団長のブロック塀の記事を掲載する事、その掲載場所を確保するために慣例となっていた個人質問全員掲載の原則を取りやめて、減税日本の議員が行った個人質問については掲載を控える。という合意について、共産党減税日本の反対が表明されたわけであるから、このまま共産党減税日本が21日合意に反対するのであれば、発刊自体ができなくなる。


こうしていよいよデッドラインである1月10日の編集委員会を迎えるわけなのだが、その直前、減税日本において団会議が開かれて、その席上で佐藤あつし議員から「全員の質問を掲載するように申し入れを行った」と報告があった。特に、この措置で個人質問が掲載されないとされた新人議員である高木議員には「掲載しろって言ってやったから、安心しろ」という発言があったそうだ。


1月10日 午後2時 市会だより編集委員会開催

佐藤あつし委員より報告「田山幹事長が議長に申し入れた件というのは、議長に市会だよりを公平・公正にお願いしたいという内容であった」と報告

小出編集委員長から「昨夜田山幹事長から直接電話があり、お詫びとともに『議長に投票した会派である』という言葉がいけなかったと言っていた」

沢田委員「その田山幹事長の発言は、議長に投票したのだから便宜を図るようにということになるのでは?」

佐藤あつし委員「そのような事ではないと思うが、確認させてほしい。また、今日の理事会で田山幹事長から謝罪と説明がある」

沢田委員「田山幹事長の行動は、個人的な行動か?」

佐藤あつし委員「幹事長としての立場での行動であり、会派として行ったものである」「田山幹事長からは本日の理事会でこの件について謝罪と説明をすると聞いているので、修正案の協議をお願いしたい。また、田山幹事長から、減税の質問を掲載するように指示を受けている」

小出編集委員長「減税の修正案について協議に入りたいが、その前段階で重大な問題となっている。田山幹事長の行動は、編集委員会の範疇を超えており、理事会での発言等を確認しないと協議が進められないのではないか」

佐藤あつし委員「理事会終了後に田山幹事長の発言を確認させてほしい」


さはし委員「8日の編集委員会で指摘された山口議員の行動について。12月21日の編集委員会終了後、その内容を共産党団会議の前に役員である山口議員に報告した。山口議員は通常の編集とは異なることから、団の態度を決めるために、該当会派の情報収集が必要と判断し、佐藤あつし編集委員へ状況を聞きに行った」と報告

佐藤あつし委員「山口議員から問い合わせがあったが、まだ(減税日本市議)団に報告していないのでと答えた」

沢田委員「8日の編集委員会では、佐藤あつし委員からは、山口議員から意見をもらったというような発言があった」

さはし委員「あくまで減税日本の自粛ということであれば、共産党として意見を言うことはおかしいことであり、山口議員は減税日本としての問題意識等を確認しに行ったものであると思う」


各会派で同時刻に行われている理事会の状況を確認するために、編集委員会は暫時休憩に入った。
名古屋市会の理事会は編集委員会に先立つ午後1時30分より開催されていたが、田山幹事長からは市会だよりについての発言は一切無かった。

編集委員会においても取り上げられたように、田山幹事長の議長への「働きかけ」は問題とされており、それでも編集委員会佐藤あつし委員から「田山幹事長が理事会において謝罪と説明がある」とされていた事を受けて、編集委員会を暫時休憩し、その謝罪と説明を待っていた。しかし、そうした内容が無いまま理事会が終わった。これはどうした事かと様々な協議が非公式に行われた。

その結果、午後5時30分頃、編集委員会がやっと再開された。

小出編集委員長「休憩前に、佐藤あつし委員は、理事会で田山幹事長が説明すると言っていたが、理事会において発言が無かった」

佐藤あつし委員「15時からの予算説明会などで、田山幹事長になかなか確認ができなかった。田山幹事長が議長に申し入れた件については、議長に市会だよりを公平・公正にお願いした上で、議長に投票させてもらった会派なのでと言っていた。予算の説明会終了後、減税日本の鈴木団長と田山幹事長が議長へお詫びに伺ったが、議長に会えなかったので、秘書にお詫びの伝言をしてきた」

小出編集委員長「そもそも先ほど佐藤あつし委員から『理事会で田山幹事長が説明する』との発言と『それを確認させてほしい』という申し出で休憩になったにもかかわらず、理事会で田山幹事長の発言が無かったという事は、佐藤あつし委員が編集委員会で虚偽の説明をしたことになる。また、昨日の田山幹事長からの直接の電話でも理事会で説明するからと言っていた」

沢田委員「これまでの経緯を確認して、編集の協議に入るということであったが、理事会で一切発言がなかったという事は、減税日本が編集の前段階で止めてしまったということであるとともに編集委員は全員騙されたということである」
「最終の締め切り時間は?」

事務局から、原稿からデザインをこれから行うとなると、20時ごろが限界であると説明。

佐藤あつし委員「田山幹事長が小出編集委員長に電話をし、今日の理事会で説明をすると言っていたことは聞いている」

森委員「理事会で田山幹事長が発言しなかったのは、12月21日の合意通り、減税日本の質問について辞退するからだと思っていた」

小出編集委員長「市会だより編集委員会は合議によって紙面を作り上げていくことが使命である。佐藤あつし委員の発言を尊重し、編集委員会を休憩し、待っていた。しかし、協議に入る前の段階でこのような状態では、議論に入れない。このような事態を招いたことに対して、佐藤あつし委員は田山幹事長とどうするのか、会派で相談して決めてきてほしい。20時までに決めてきていただきたい」

ここで、編集委員会、暫時休憩。

午後8時3分過ぎ。編集委員会、再開。

佐藤あつし委員「田山幹事長が理事会で発言しなかったのは、田山幹事長が理事会では発言すべきではないと判断をし、予算の説明会終了後に議長へお詫びに伺った。また、田山幹事長が先ほど成田幹事長(議運及び理事会議長・自民党)へお詫びに伺っており、田山幹事長から編集委員会をお願いするように指示があった」

小出編集委員長「20時までに再開するということで待っており、田山幹事長の謝罪がないと開かないとは一切言っておらず、佐藤あつし委員の発言の意味がわからない」

佐藤あつし委員「休憩中に田山幹事長なりに動いており、また、田山幹事長からも、質問の掲載をお願いして来いと指示を受けており、協議をお願いしたい」

・・・まったく、議論がかみ合っていない。

沢田委員「理事会で謝罪と説明すると言ったのは誰か」

佐藤あつし委員「田山幹事長である」

沢田委員「なぜ発言しなかったのか」

佐藤あつし委員「田山幹事長が理事会で発言するべきでないと理事会中に判断した」

沢田委員「編集委員会で、理事会で謝罪と説明をすると言い、さらに田山幹事長が小出編集委員長にまで電話をかけ、理事会で発言するとまで言っておいて、なぜ急変したのか」

佐藤あつし委員「田山幹事長は、議長に謝罪するのが先と判断し、理事会終了後、議長へ謝罪に伺った」

沢田委員「議長に謝罪をすることを先にしなければならないと思ったのであれば、どうして理事会の前に議長に謝罪をしなかったのか」

佐藤あつし委員「理事会で説明しようと思っていたのではないか」


・・・ここでも、議論がかみ合っていない。

佐藤あつし委員「田山幹事長の行動で迷惑をかけたが、原稿の締め切りであるので、協議に入っていただきたい」

小出編集委員長「期日を迎えてしまった原因はどこにあるのか」

佐藤あつし委員「編集に入る前提ができておらず、それは田山幹事長の行動や発言が妨げになっている」

小出編集委員長「確認をするための休憩や臨時の編集委員会を開くなど、減税日本の提案に対して様々な配慮を行ってきた。それにもかかわらず、編集委員会を欺いておいて、自分たちの主張はお願いしたというのは通る話ではない」

森委員「休憩中に田山幹事長が成田幹事長(自民党)へお詫びに伺ったというが、成田幹事長は了としたのか」

佐藤あつし委員「確認が取れていない」

小出編集委員長「成田幹事長は憤慨していた。また、20時が限度であるなか、田山幹事長が自民党に来たのはその直前だった」

沢田委員「編集の協議に入る前に止まってしまったのは減税の責任ではないか」

小出編集委員長「市会だより2月号が発行できなくなれば、減税日本が引き起こした問題のためである」

佐藤あつし委員「編集の協議に入れなかった責任は認める。会派に持ち帰らせていただきたい」

暫時休憩
やっと、ここで佐藤あつし委員から「会派に持ち帰」るという言葉が出てきた。12月21日にこの言葉が出てきていれば、これほどの混乱は起きなかった。


午後8時55分、編集委員会、再開。

佐藤あつし委員「田山幹事長の不手際により、迷惑をかけたが、質問は全員掲載するように調整願いたい」

沢田委員「編集の協議に入れず、発行できなくなる事に対する責任の所在は」

佐藤あつし委員「現状減税の責任であると思うが、掲載を認めていただきたい」

ここでも余計なひと言が入っている。「現状」
「現状」の状況を作ったのは減税の責任であるが、減税日本自体は悪くない。または、自分自身には責任は無いという事だろうか。
というよりも、こうした「条件付け」を、無責任な人々はよく行う。橋下徹氏などもよく行う上に、彼は自身の著作でこうした条件付けをする事で、責任を認めた事柄の範囲を限定、縮小する事を勧めてもいる。
つまり、無責任、卑怯な人々の逃避の手法であって、こうしたこずるい文化がこの日本の社会をズタズタにしている。


沢田委員「公明党としては、発行可能な時間を経過しており、編集の協議に入れない状況では判断できない」

森委員「民主としてはこれ以上前に進めない」

さはし委員「共産党としては、質問は全員掲載するべきという立場であるが、今回は減税日本の自粛という形でやむをえない。今回の混乱は共産党にも一因があり、山口議員にも確認したが、今後は編集委員会を通すことを徹底させていただく。減税日本においては、今回の混乱の責任の取り方を考えたほうがよい」

小出編集委員長「編集の協議に入れない中、減税日本の修正案で発行する事は出来ないので、2月号は発行できない」

佐藤あつし委員「質問は全員掲載するよう指示されており、お願いするしかない」

小出編集委員長「減税日本の行動により編集委員会の時間が無くなり、発行できなくなったということはわかっているのか」

佐藤あつし委員「そのとおりである」


暫時休憩

午後9時21分、編集委員会、再開。

佐藤あつし委員「質問は全員掲載すべきであり、全員が掲載されていない市会だよりを発行することは認められない」

小出編集委員長「発行できなくなった原因は、田山幹事長の行動もあるが、佐藤あつし委員の責任も大きい」

佐藤あつし委員「自分と田山幹事長の不手際により協議に入れなかったことは事実であり、発行できなくなった事に対して申し訳ない」

ここでも、限定謝罪

沢田委員「発行できなくなったことに対して佐藤あつし委員は責任を認めるのか」

佐藤あつし委員「幹事長がどうこう言う前に、代表できているので私の責任であり、委員長をはじめ委員に迷惑をかけて申し訳ない」


事務局から、2月号の発行ができなくなったことへの対応について、今までに例がないことであり、契約その他事務的に確認し、どのようなことが可能か検討させていただきたい。また、これからの確認であるので、今年度市会だよりが発行できない可能性も場合によってはあることをご承知おきいただきたいとの説明があり、事務的な調整が整い次第、改めて協議をすることに。


この「市会だより」は昭和61年に制度ができてから市議会の度毎に、必ず発行され、その市議会での出来事を市民に伝えてきた。これまでも市議会内で会派が分裂したり、厳しい議論が戦わされてきた例も繰り返されてきてはいるものの、そうした議会の中での諍いや争いを超えて、全会派(交渉会派)一致の原則を守りつつ、各会派からの代表による編集委員会によって発刊が続けられてきた。

今回、この「市会だより」が発刊できなかったことは、重大だ。なにより、それは市民に対して、説明責任を放棄したということになる。そしてその経緯を見てくると、3回の大きな誤りがその原因であると考えられる。

1.12月21日、減税日本ゴヤ市議の個人質問を掲載しないという方針に対して、佐藤あつし委員が疑義も、保留の申し入れもせず、一言も発せず同意してしまった事。

2.12月26日、田山幹事長が坂野議長に申し入れを行った事。
例えば、21日に佐藤あつし委員が小出編集委員長に疑義や決定保留の申し入れを行っており、その後異議を申し入れていたとしよう。それでもそうした異議を無視して、強圧的に減税日本ゴヤ市議の個人質問掲載を拒否するような事があれば、それは編集委員会を離れてこうした申し入れが必要であったかもしれない。しかし現実にはそのような問題は無い。そのような問題があるのであれば、小出編集委員長は編集委員長を辞任しなければならないような問題であり、もし、それでも他の要因から、こうした「議長あっせん」が容れられなければ、逆に坂野議長が議長を辞任しなければならない。「あっせん」とはそれほど重い。
「議長」の「権威」とは、党派・会派を超えて全党、全会派が議長を尊重するという前提で成立している。「議長あっせん」が容れられなければ、議長はその前提を失うということであり、辞職する以外にない。
特に、田山幹事長は、自分たちの会派が「坂野議長に投票したのだから」と便宜を要求している。そしてその便宜の要求はまったく筋の通らない類のものだ。

田山幹事長が要請した申し入れが必要であるのであれば、小出編集委員長は編集委員長を辞任すべき事柄だ。
しかし、小出編集委員長において、そのような辞任に当たる事実が無いのであれば、あるいは「あっせん」を行った議長が辞職しなければ事は収まらないのである。その要請自体が筋違いの物であった場合、田山幹事長は、幹事長を辞職して当然だろう。・・・しかし、当ブログは、田山幹事長には幹事長を辞めていただきたくは無い。もっと楽しませていただきたい。

3.1月10日、理事会において田山幹事長が「説明」と「謝罪」を行わなかったこと。
この場で田山幹事長が「説明」と「謝罪」を行うという事は、田山幹事長本人より、佐藤あつし委員と、小出編集委員長が聞いている事になる。特に、田山幹事長と小出編集委員長の間で、事前に「説明」と「謝罪」の予告があるという事は、それによって事態を正常化するという「約束」だろう。
「約束」だ。これは何を差し置いても守られねばならない事であり、この「約束」すら守らない者を、これ以降どうやって信じればいいのだろうか。

ここで田山幹事長がすべきことは(自粛、消しました。)

さて、「市会だより」2月号は発刊できなくなった。そして議長に対して、田山幹事長があらぬ申し入れを行っており、議運委員長の成田委員長にも働きかけが行われかけた。そして、それらを1月10日の理事会で「説明と謝罪」するとしていたにも関わらず、田山幹事長より言葉が無かった。これらを受けて「議会運営委員会」で問題として、事実関係の確認と整理が行われる事になった。

1月17日(木曜日)、議会運営委員会

議会運営委員会が開かれたものの、大荒れに荒れたようだ。
そうした状況を聞いて、私は仕事が終わってから、議会に駆け付けた。(同時刻、熱田区名古屋城木造化計画の市民説明会があったが、そっちはパスした)

ちょうど、私が議会運営委員会の傍聴を始めた時には、議運委員ではない佐藤あつし市議が「参考人」として参加していた。議会運営委員会の傍聴者に配られる資料には「参考人の出席について(案)」として佐藤あつし市議の名前があり、「3 意見を求める案件」として「減税の交渉会派としての理事会・議会運営委員会等へのかかわり方について」とされていた。

なんでもこの席で佐藤あつし市議が「市会だよりが発刊できなかったのは、編集委員会にも問題がある」というような発言をしたらしい。そして、それは1月10日、編集委員会における佐藤あつし編集委員としての発言と食い違うことから、議論は紛糾していた。

そうしたことからほどなくして「暫時休憩」となってしまった。

ここで面白い事を耳にはさんだ。

この議運に参考人として佐藤あつし市議を呼んだのは、編集委員会の委員かと思っていたら、なんと!
田山幹事長自ら「佐藤あつし市議を参考人として参加させてほしい」と呼びこんだとのことである。

これ、私としては今回の出来事の中で 最も理解不能 なこと。

上でも述べたように、問題点は3点で、1月17日の段階で「説明と謝罪」が必要なのは田山幹事長だけなのではないかと思うからだ。すでに「市会だより」の発刊期限を守れなかったことに関して、佐藤あつし市議が何を言っても遅い。それに彼に釈明すべき事柄など残っていない。

なぜ、田山幹事長が佐藤あつし市議を参考人に呼んだの?本当に、まったく、全然、意味がわからない。

そして、そこでマンマと佐藤あつし市議自身が言わなくてもいいような不用意な発言を口走って、紛糾させている。

佐藤あつし市議は、編集委員として、会派の意思を代議する責任を自覚していなかった。
しかし、田山幹事長も、同じだ。幹事長として議会運営委員会という席で、行うべきことは自会派の代議であり、自会派において「謝罪」すべき事柄があれば、幹事長が謝罪し、「釈明」すべきことがあれば、幹事長が釈明すべきなのだ。他の誰かに頼るのではなく、自身がその責任を引き受けるから、代議できるのであって、代議するというのは政治家の最も必要な要件。というか、政治家というのは代議するために居るんだろう?

田山さん、あんたは何者なんだ?

車の運転ができないドライバー、包丁が使えない料理人、代議ができない政治家。
お笑いでしかない。


さて、しばらくして議会運営委員会は再開された。

いや、正確に言うと、再開されていない。

全員が席に着く前に、議運の委員の一人が佐藤あつし市議に一言尋ねたようだ。
そうしたところ、「編集委員会にも問題がある」というような発言を繰り返していたようで、それを咎めた委員が開会を制止した。そこで、「責任の所在はどこにあるのか」という先ほどの議論にまた戻ったようなのだ。

佐藤あつし市議は、市会だよりが発行されなかったことについて、自身の責任を認めている。
ところがそれが「編集委員会にも問題がある」というような責任を転嫁する発言として翻っていては、今度は議会運営委員会としての議論に入れない。先の10日には、田山幹事長の発言が翻ったために、編集委員会に入れなかった、今回は佐藤あつし市議/編集委員の発言が翻ったために議会運営委員会の議事が進まないことになる。

聞き咎めた委員は「ハッキリ言ってみなさい」と促したが、別の議員からは「それを言ったら終わるぞ」と声がかかった。そりゃそうだ、ここで発言を翻して責任転嫁したら、ほぼ全員の委員が席を蹴って出ていくだろう。

しばらく紛糾した後、またまた暫時休憩と相成った。

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20190117



その休憩後、理事会が開かれて提出されたのがこの文書らしい。
キッチリと、発言を明記し、その場にいた全編集委員が確認し、署名した。
そして、議会運営委員会に傍聴に来た暇な名古屋市民にも配布された資料だ。


人間は、自分の行動、判断を自ら引き受けるべきである。

なぜなら、人間とは、人格とは、その人が行ってきた過去の行動と、それへ向き合う態度であるからだ。
過去の行動について、明確な責任を取ろうとせず、または見てきたように責任に限定を加えることで自己の判断について言い逃れの余地を残す。
そうしている間に「誤りを起こさない自分」「無謬な自分」「常勝の自分」という現実から遊離した自我が形成される。
この自我は「常勝」なのだからさぞや強いと思われるが、生まれてこのかた、一度もウィルスに触れたことのない体のように脆弱だ。
「謝ったら死んじゃう病」とはこうやって発症する。そして本当に「謝ったら死んじゃう」ほど脆弱だ。

こうした自身の過去に正直に向き合えない者。
過去の自分の過ちを受け入れるだけの強さの無い物が、同時にこの社会の過去の過ちを受け入れなくする。
それが歴史修正主義だ。

さらに、その変種として、自分の地域の都合のいい過去の出来事だけをつまみ食いして、さも自分の地域が素晴らしい地域であると自己満足に浸る(自分の生まれた町の素晴らしさと、自分自身の素晴らしさは混同するものではない筈だ)それが「歴史的町名を復活させる運動」であるらしい。(「町名」のなかには、そのまま歴史の中に埋めておくべきものもあることに思いが至らない視野狭窄である)

こうした出来事、思い出、歴史に対する偏ったものの見方が、名古屋城の歴史から、戦災による被災や、戦後の再興という歴史的事実を隠ぺいしようとする「木造化事業」に繋がる。

どれも、脆弱な自我を、自身が生まれた国や地域に依存して補強しようとする、心根の弱い者たちの「あがき」であって、それは精神医学的な社会学的な研究対象ではあっても、政治課題として議論する価値など無い話だ。

なぜ田山幹事長は、1月10日の理事会の席上、突然、説明と謝罪を取りやめたのだろう。
なぜ佐藤あつし市議は、一旦は認めた自己の責任を、回避するような発言を繰り返したのだろう。

それは、彼等の師である代表自体が、歴史修正主義という脆弱な自我を持っており、彼等はその文化の中で、責任を引き受けない、引き受けられない思考方法を身につけてしまったからに他ならない。

今のこの社会、政治家が責任を引き受けず、代議を放棄する。

「信なくば立たず」この使い古された言葉を、もう一度引き起こして、埃をはらって打ち立てなければならない。

二枚舌を弄し、民衆を愚弄する者に、公職者たる資格は無い。

 

なお、この騒動で減税日本ゴヤ佐藤あつし市会だより編集委員は辞任、後任には増田市議が就いた。


 

口は塞げても事実は変わらない

「平成30年度開催 名古屋城天守閣木造復元 市民向け説明会」というのに参加した。

名古屋市:平成30年度開催 名古屋城天守閣木造復元 市民向け説明会・シンポジウム(観光・イベント情報)

昨日、1月22日の瑞穂文化小劇場における「説明会」だ。

市民との質疑に時間を割くと言っているそうだが、その説明に虚偽が含まれており、そうした虚偽、回答漏れを追及すると司会者がそれを遮るという、非常に不公正な運営がまかり通っている。

市の職員が説明の誤りを認めている時に、その発言を司会者が遮るように司会者席を離れて市民をさして「うるさい」などと不規則発言するとは何事か。その不規則発言の向こうで市の職員がまたまた問題発言を繰り返しているにも関わらず、その問題発言の追及を行わずに発言を遮っている。

当局においては、当日の動画ぐらいあるのだろうからその検証をしてみるべきだ。

そもそも、名古屋城天守閣木造化事業自体が、虚偽から動いている事を自覚せねばならない。

名古屋城天守閣木造化事業とは、とりもなおさず現名古屋城天守建物の取り壊し事業に外ならない。

そして、現名古屋城天守建物(再建は昭和34年)は、大阪城天守閣(再建は昭和6年)と同等に、適切な取り扱いを行えば「登録有形文化財」となる価値の有る建築物である。そしてそれは戦災の悲惨を伝える「トラウマ事態からの回復とリコンストラクション」の(前近代的ではあるけれども)昭和的事例であり、その昭和遺構としての復元自体を保存するという歴史的、文化的意義を持つものである。(本事業においてはこうした議論はなされていない、特に、天守閣部会という「有識者会議」では、こうした当然指摘されるべき論点が取り上げられていない、つまり「有識者」のレベルが知れるというものだ!)

ここについて付言するならば、まだ戦後復興の緒に付いた昭和34年という段階で、復元された現天守、及び天守台は、確かに乱暴な工事を受けたともいえるかもしれない。しかし、それは昭和34年という技術水準を思えば現実的な事であり、その中でも外観復元においては優れた造形が実現されたのであって、現在に至るも様々に参照利用され(現市長の私党である「減税日本ゴヤ」ですらHPのタイトルバックに利用してもいる。彼等は自身が利用参照している名古屋のシンボル、名古屋城の造形自体を、自ら破壊しようとしている事を理解しているのだろうか?)

この復元の美しさには議論をさしはさむ余地は無い。この優れた建築物を破壊する理由が判らない。

いわゆる「2万人アンケート」においては、当ブログで繰り返し指摘しているように「耐震改修しても40年しかもたない」という極めて稚拙な詭弁によって、その存続を否定されている。「耐震改修」とは建築物の耐震性を向上させるものであって、長寿命化を直接図るものではない。建築物の長寿命化工事というものは別にあるのであって、それは大阪城における「平成の大改修」においても用いられている。

大阪城天守閣

(外部改修工事の中の「アルカリ回復工事」がそれである)

文化庁は「史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準」(平成 27 年 3 月 30 日 史跡等における歴史的建造物の復元の取扱いに関する専門委員会)において。

ウ.復元以外の整備手法との比較考量の結果、国民の当該史跡等の理解・活用にとって適切かつ積極的意味をもつと考えられること。

http://www1.city.matsue.shimane.jp/bunka/bunkazai/matsuejyou/sisekimatsuejyohozonkatsuyou.data/siryou5.pdf

と定めている。大阪城の「平成の大改修」において行われた先行事例について、現名古屋城天守建物について、その効果、費用等を「比較衡量」すべきであるのに、名古屋市はそれを行っていない。それはこの文化庁の基準に反する行為であり、怠慢である。

まことに、名古屋市、及び 名古屋市長 河村たかし は姑息でさもしい。

堂々とした議論ができない。

堂々とした議論ができるのだというのなら、反論してみれば良い。できやしない。

反論できないのでコソコソと不公正な手を打って、違法な建築物を建てようとしている。
それは違法であるばかりでなく、来場者、入場者にとっては危険な建物であり、火災や地震が発生した場合、少なからぬ重篤な被害が発生する。

単なる小心者の功名心のみの為に、名古屋市は貴重な文化財である現名古屋城天守を破壊し、危険な木造建築に2000人とも3000人とも言われる人々を入れようというのだ。

万が一の場合、その被害を生みだしたのは、名古屋市長 河村たかし であり、その尻馬に乗って法令無視を繰り返した市職員であり、わずかな金で雇われ、曲学阿世を恥じない「有識者会議、天守閣部会」の責任である。

もう一度言う。

名古屋城天守閣木造化事業とは、とりもなおさず現名古屋城天守建物の取り壊し事業であり、現名古屋城天守建物の取り壊しについて、名古屋市民はその是非について、議論も聞いていないし、民意も計られていない。

もし、名古屋市長 河村たかしに、少しでも良識があるのであれば、表に出てくるべきだ。

真っ向から議論したらどうだろうか。

名古屋城天守の有形文化財登録を求める会

2月11日、3月11日に場所は用意されている。
だれでも、参加費無料だ。

まあ、「南京大虐殺」について「自由に議論したい」と言いながら、市民団体からの招待を無視し続けてまったく「自由な議論」に参加しないのだから、政治家失格だろう。(これも、統合された「観光文化交流局」マターではないか!)

私は当初、黙って聞いているつもりだった。
しかし、当局の説明に虚偽が多いので黙っていられなくなった。
(以下のやり取りは、時系列順ではない))

一つは、ある方が「石垣の保全に不安がある」と言われた事に対して、市の説明に「工学的に解析を行い、安全性をはかる」と回答してきた。それについて「工学的に解析を行うとはどのような手法で行うのか」と確認した。市の説明では「調査を行い、相対的に安全を確保する」というような不明瞭な物であった。「相対的」とは「豆腐を並べるよりは強固」という意味だろうか。

事実として「石垣を工学的に解析して、その安全性を保証するような手法も、技術も、この国、この世には存在しない」

まやかしでしかない。

ある方が次のような発言をされた。非常に貴重な指摘だ。

「現在、西南隅櫓などが公開されている。木造3階建ての建物だ。そこに伺ったところ、大変な行列だった。並んで待っていると、最上階に入れるのは一時期に9人までで、それ以上は入れられず、入れ替えとなっているとの事だった。理由を(消防に、後日)聞いたところ、木造3階建ての建物で、階段が一つしか設置されていない建物へは、10人以上入れてはならないという規則がある。その規則に抵触しないよう、一時期には9人しか最上階(3階)には入れない。との事だった。現在、示されている木造天守でも、最上階へあがる階段は一つで、西南隅櫓より危険な5層構造となっている。この最上階に何人の人が入れて、その根拠法はどこにあるのか?そして、それが収支計画の来場者数と整合するのか?」

結果として、最上階には一時期で100人程度は入れると回答した。(これでも、収支計画の来場者数がクリアできるとは思えない)
そして、その根拠法は示されなかった。

「建築審査会や安全評定でお認めいただく」という回答をしていたが、そうした有識者であれば、38.45mの地上高にいる100人程度の人間を、一つの避難路でも救出できるのだろうか。(有識者ではなく、スーパーマンにでも聞くべき事柄だろう)

火災発生に対して、設備を用意して対応するという。そんな設備でどう人命を守れるというのだろうか。

もっと傑作な発言もあった。「各階に燃えグサを置かない」

木造建築物は、その全てが「燃えグサ」そのものではないのか?

古今の火災を起こした建築物で、最初から燃やすために建てたものなど無い。皆、燃えてなど欲しくはなかっただろう、それでも発生するのが火災だ。
そして、ひょっとすると自分の建てる建物は燃えるかもしれない。という事業者はまだ被害を最小に食い止めるだろう。その可能性を自覚できているからだ。一番危険なのは、「これだけは燃えない」または「出火させない事が最大の対策です」などと、無責任な思考停止に陥っているモノであり、現在の名古屋市と事業者にはその危険性が垣間見える。もはや、これだけでも事業継続の危険性を感じる。

それともいっそ木造では建てるけれども、一般の方々は入れない。と、素直に言ってみたらどうか?

事業者の「優秀提案」と言われた初期のプランですら、避難路が一方向しかなく、火災発生の最大被害想定は悲惨なものだった。(ほぼ、全滅だろう、恥の上塗りで「名古屋市の最大のはしご車による救出」を明記していたが、その大きなはしご車は天守内庭には入れない)
しかし、現在仄聞されるコンセプトはそれ以下で、果たしてこれで防災評定が通るとは思えない。

そして、現在行われている「実施設計」においては、もう、こうした建築物の防災評定を諦めているように見える。
実施設計には建築物の防災評定は無い、代わりにあるのは防火設備の評価だけだ。

こんなものは詭弁でしかないが、それでも素人の市民をごまかす事は出来るかもしれない。
しかし、この詭弁の意味するところは、落ち着いて考えれば恐ろしいものだ。その詭弁でごまかされているのは、3000人からの人命なのだ。

私や、我々が追及しても、聞き入れられない。
こうした問題を追及するために、マスコミは有るのではないのか?

追記:
耐震検査について言及し忘れていた。
事業者は木材構造の耐震検査(震度6相当)をマスコミに公開して、提灯を付けさせていた。
(「震度7といわれた濃尾地震に耐えた木造構造」という詭弁も使われていた。当時の震度評価で震度7であれば、木造建築は全滅の筈で、木造建築でも残れたのなら震度7ではなかったということだ。震度7の地域もあったが、天守建物の地域は異なっていたという事だ)
阪神淡路大震災以降の厳しい耐震基準を、木造木軸構造5層の建物がクリアできるわけがない。それだから提案にはハイブリット構造が盛り込まれていた。
また、本当に耐震性を保証するのであれば、同じ構造で一度作ってみて、実際にゆすってみる以外に無い。それ以外に証明する方法は無い筈であり。「法同等」「法同等以上」という言葉は、重い筈だ。

   ◇ ◇ ◇    ◇ ◇ ◇ 

私は、ちょっと遅れて会場に着いた。
ちょうど私が着いた時に、市の説明が終盤に差し掛かっており「このように基本計画はまだ策定されておりませんが」というような説明があったようだ。その言葉の意味するところは重いのだが、それはまた追々明らかとなるだろう。

それよりも、配られているパンフレットの中のこのグラフには呆れた。

これは

2018-06-25 名古屋城についての事実確認と現状の推測(4)

でも指摘したように、どんなところにでもくっつく、浅井万金膏のような調査結果を出してくれる「三菱UFJリサーチ&コンサルティング」の「作品」だ。

名古屋城入場者推計が、平成83年まで算出されている。

入場者推計なので、「人口」はシミュレーションの最も基本的な算出根拠だろう。
その人口の推移については、「国立社会保障人口問題研究所の全国の将来人口推計結果」を反映としている。

日本の将来推計人口(平成29年推計)|国立社会保障・人口問題研究所

日本の将来推計人口


根拠とする人口推計は平成77年(2065年)までしかない。
そこから先の人口推計はどのような根拠で算出されたものだろうかね!

浅井万金膏の大将!

表紙に社名を入れたくない気持ちも分かろうってもんだ。

これについて追及していたところ、私の前に座った市民(減税日本から市議選に出ようとして公認が得られなかった人物と、減税日本の元市議)が不規則発言で、その追及を邪魔しており、私がより大きな声で「ちゃんと回答しろ」と求めていたところを、司会者が市の説明員を遮り、その説明の声をさえぎるように「うるさい」とがなっていた。当日の録画を良く見てみろ。

市の説明員は、元データの人口推計が切れた先については、「そのトレンドを延長して推計した」というような説明をしていたように聞こえた。

これもおかしいだろう。

元データの人口推計は一貫して人口減少を示しており、「そのトレンドを延長」すれば、その先も人口は減少する。
人口が減少するにもかかわらず、来場者が減少しないというのは異常だ。

平成27(2015)年に12,709万人だった人口は、平成77(2065)年には8,808万人と減少する。(中位仮定)総人口において69%が減少するにもかかわらず、来場者はそれほど減らないとすると、実質では144%の来場者増が期待されなければならない。

これを「虚偽」と指摘して何が悪いのだろうか。

そして、こうした事実を元にした指摘に対して、市は誠実に回答していない。市民の正当な要求。事実の提示を求めているモノの発言を遮って、それで何を説明できているというのだろうか。

予算の無駄であり、罪に罪を重ねるだけの行為である。

追記(2023/1/12):
名古屋城天守閣木造復元に向けた調査業務


さて、次回は。
現在名古屋市会で騒動になっている、「市会だより」問題について、詳細な内部告発が手に入り、ご報告できると思う。
ご期待ください。


若者の志を挫く縮小均衡論

この正月休みに衝撃を受けた事柄があったのでその話をしてみたい。
ご覧になった方もいるかもしれないが、NHKで12月28日に放送された「事件の涙『そして、研究棟の一室で〜九州大学 ある研究者の死〜』」の事である。

NHKドキュメンタリー - 事件の涙「そして、研究棟の一室で~九州大学 ある研究者の死~」

西日本新聞が事件のあらましを残している。

九大箱崎キャンパス火災 元院生の男性 放火し自殺か 身元判明、福岡東署|【西日本新聞】

昨年、9月7日に移転、廃止を控えていた九州大学の研究棟(「院生長屋」と呼ばれていたようだ)から出火、現場から男性の遺体が発見された。男性は出火現場の部屋に出入りしていた「職業不詳」の46歳の男性。部屋の内側に目張りがしてあり、遺体の近くに灯油用のポリタンクが置かれていることなどから、男性が自ら焼身自殺したものと推測された。

その後、この男性は九州大学の卒業生であることが判る。

男性の半生を追うと言葉を失う。

男性は小学生、中学生の頃はクラスでトップの成績を残す優秀な子供だったそうだ。しかし、家庭の事情から高校進学を諦め自衛隊の幼年学校に進む。家庭(母親)に負担をかけずに学び続けられる道だったからだろう。その後21歳になって九州大学法学部に進む。この時特にドイツ語に堪能だったそうだ。どれほど自らを律し、志を持っていたのだろうか。
九州大学法学部で学んだのは憲法、特に「法の下の平等」について研究をしていたという。
自身が恵まれない環境に生まれ育ち、そうした不条理を乗り越える社会の実現を願っていたのだろうか。大学での学び、さらに修士課程、博士課程と進んでも経済的な環境は改善できず、アルバイトを続けつつ学んでいたようで、最終的に博士課程は修了できずに卒業するという事になってしまう。(2010年博士課程中退という事になるのだろう)
これも、怠業と言う訳ではなく、博士論文の出来に納得がいかなかったからだという。
その後700万円の奨学金の返済をしつつ、法律やドイツ語の非常勤講師で糊口をしのぎ、研究を続けていたようだ。
一昨年の4月に専門学校の非常勤講師の職を「雇い止め」にあい、5,6月の月収は15万円弱となってしまったようだ。同月から昼間に週4回、宅配便の仕分けアルバイトをはじめ、さらに12月からは夜も4回、別の肉体労働のアルバイトも掛け持ちしていたようだ。
夜のバイトを週6日に増やし、研究室に寝泊まりするようになるが、研究室の移転によって、大学から退去も求められた。

700万円の奨学金返済を抱え、4つの学校の非常勤講師を務めて40才、月収が15万円弱。

その頃、この男性はある人に語ったそうだ。「学力や能力があっても、その先に行くためには常に経済力が必要になってくる」なんとも絶望的な響きだ。

国は大学改革と称して大学院生を大量に増やしはしたが、その先のポストについては削減の方向にある。大学における講師や助教授、教授という職ですら、単年度の契約が増え、大学に残って研究するには経済的な余裕(つまりは、実家が裕福であるという条件)がなければ成立しないのだろう。

こんな国、亡ぶしかないのではないのだろうか。

放送終了後、ツイッター上で様々な人々が意見を出しており、その中にはやはり奨学金を抱え、その返済をしつつ非常勤の講師をしているという「ポスドク」の人々の「他人事ではない」という意見が多くみられた。

日本は、資源がない。唯一あるのは戦後営々と築いてきた産業の基盤であり、高い教育水準だ。つまり、ヒトという資源以外に日本は優位性を保つことはできない。そのヒトを育てるべき教育の現場が疲弊している。

そこには歴然と「親の経済力」という壁が立ちはだかっている。

私の知人にも東京の大学に入学できたものの、東京での生活費を工面できずに地元名古屋の大学にとどまったというケースを見聞きしている。(親が国会議員で、国会議員宿舎から大学に通うようなことができればよかっただろう。さらに、自分が卒業して議員宿舎をろくに使わなくなったら、その親が「国会議員宿舎は国会議員の既得権だ!廃止すべきだ!」と騒ぐような事をして恥ずかしい思いをしなければ)

能力と意志のあるものに、教育の機会を与え、ヒトを育てる。それこそが社会の力ではないのだろうか。国や社会が、つまりは公助によって機会の均等が与えられない社会は歪んでいる。

親の経済力によって志をもった若者がその夢を挫かれていく。

こんな国、亡ぶしかないのではないだろう、というか亡んで当然だ。

以前触れたように、均衡財政論、縮小均衡論を振り回す者は、重大な犯罪を行っている。
財政赤字がどうした、人口縮小に合わせて経済も収縮させるべきだ?
大量消費を止めて「足るを知り」消費を控えめにすべきだ?

はたまた、財政赤字が酷いのだから、生活保護や失業給付、年金を押さえるべきだ?


そうした誤った経済学によって、この国はまさに滅びつつある。

2018-08-20 縮小均衡論の罪

まさに、少子化はこうした誤った経済学、均衡財政論、さらにその結果としての人件費の圧縮、非正規雇用の拡大が原因であり、その為に数十万人の生まれていたであろう子どもたちが生み出されなかった。

一旦生まれた命を奪うことは重大な犯罪だ。しかし、当然生まれてきたと推測される命を奪う事は、現在の法律では裁くことはできない。だが事は同じだ。政治的判断の誤りによって生まれてくるはずだった命を奪い、その親の世代の生活を貧しいものに落としめてきたのだ。

この九州大学の彼にしても、ここまで誠実に学に向かっている人であるなら、当然の事として学に向かう生活が与えられるべきだろうし、そうした安定した生活の中で結婚し、家庭を築き子どもを設けているべきだろう。そして親がこれほど誠実に学に向かっている家庭に育った子どもは、また優秀な力量を身に着ける可能性を秘めていたはずだ。そうした当たり前の可能性を潰したのは、この国であり社会だ。

構造改革だとか、郵政民営化に拍手を送ってきたアンタであり、私だ。

国家財政が赤字である、公的セクタが赤字であるとは、日本においてはそれが個人の金融資産、または企業の内部留保に流れ込んでいるだけであって、つまりは通貨の所在がアンバランスであるに過ぎない。法人税率を上げ、私企業に積み上がった、この動かない資金を公的セクタに移せば、公的セクタの資金は確実に(単年度で)流動するのだから、経済が活発化するのは理の当然だ。

税とは、ボンクラ政治家が書いたような、役人の私有物ではない。官僚が懐にいれるようなものではない。国家予算、地方自治体の予算は確実に単年度で流動する。税を下げ、歳出を削減するという事はこの流動量を下げることに他ならない。この国は構造改革というヌエのような経済政策以降、この流動性を下げ、アホのように経済を収縮させることに血道をあげてきた、更にそれを進めようとしている。

まさに、滅びの道を歩んでいる。こんなバカな国、亡べばいい。

公務員給与はその地域の消費の原資であり、私企業の給与水準の算定基準でもある。これを下げれば経済は縮小していく。

生活保護も、失業給付も、年金も、「無駄な国家財政からの支出」などではない。これらも確実に消費の原資であり、経済活動の起点となるものだ。これを縮小すれば国家経済は縮小する。

こんなバカな経済理論妄言からは一刻も早く決別しなければならない。

キミのお金はどこに消えるのか

キミのお金はどこに消えるのか

追記:そういえば橋下徹三角関数など要らないとか言ったそうだ。こうした事を「押し付ける教育」を批判したそうだが、義務教育とは一定の基準までは好きも嫌いも子どもたちに「紹介」する必要があるだろう。

その紹介は「押し付け」にならざるを得ない。

また、一般の人々にとって数学など要らないと言いたいのだろうか?実は数学というのは「概念」を構成する基本であると考えられる。

数学嫌いというのはこうした概念を厳密に捉える事を厭う行為であり、つまりは厳密な思考から逃避する態度に他ならない。これなど、本当に彼の減税日本の東大生(もどき)のY元市議のキャラクターのままだ。彼女の乱雑な論理構成には呆れるほかないが、その根底に数学の無理解、論理学の軽視があるような気がする。論理学ができないものが修士や博士課程の論考を、それが文系であってもできるとはとても思えないのだが。

更に言うと、昨今注目されている「人工知能」の基盤技術はそのすべてが数学を基礎に置いている。今後、人工知能は国や社会の成り立ちの基盤として深く広く浸透するだろう。つまり、国や社会の力とは、その国や社会の計算力によるともいえる。そしてその基本は数学だ。

数学を軽視する国や社会は、やはり滅んでいくしかないだろう。というか、橋下徹の言葉なんぞに騙される社会など滅んでしまえばいい。

本当に、いい加減目を醒ますべきだ。

追記:
大学、教育学部の競争率がのきなみダダ落ちしているらしい。

国公立大学で倍率の低い学校【2018年度受験用データ】 | ライフハック進学

教員の職場環境の劣化が、教員を目指す若者を減らし、
結果として教育の質が低下する。

そうした質の低下はまた、教員の職場環境を劣化させるだろう。
(志のあるものほど、こうした歪の犠牲者になる)

縮小均衡とは、「効率化」に繋がらない。
「余分な物を切り捨てる」つもりが、
大切な物から切り捨てられていくのが縮小均衡なのだ。

それは単なる社会の毀損でしかない。



おまけ:
デンマークの経済や産業、企業は?国王や首相は? | BRAVE ANSWER

狂気に陥った都市

(推敲は明日の朝行うので、いろいろ間違いはありましょう)

どうも、皆様、寒中お見舞い申し上げます。
今年のお正月休みは、貴重な本を一冊と、ちょっとしたシステム拡張を行いました。
いままでなぜしなかったのかと悔やまれるほど安価で高いパフォーマンスが得られて満足しております。

年末からこの8日にかけて、納品物件があったので、なかなか忙しい状態でしたが、それも納まり、追加物を含めて今週末に納品がすめばやっと、やれやれ。気分的にはやっと年を越した感じです。

さて、本来であればこの本についての論考を年初の記事としようと思っておりましたが、本日強烈な電話をいただき、その話をしていこうと思います。

年末に小耳には挟んでおりましたが、またまた名古屋市会でちょっとした騒動がまき起こっているようです。マスコミというのはなぜこういった事を市民に伝えないのでしょうか?

減税日本ゴヤの市議が、どのような活動をしているか知らされないまま、市民は、市議報酬について判断ができるのでしょうか?逆に、市議報酬についてまた「半減」というような乱暴な提案を、市長がするのだとしたら、その「半減」で得られる市議の品質について、市長は市民に開示する義務がある。

市長は、次の定例会の論点、そして市議選の論点として市議報酬の「半減」を提案するのであれば、減税日本ゴヤの市議の行動を知らせる努力をするべきだ。しかし事実は逆で、市長は減税日本ゴヤの市議の動きを隠蔽しようとしている。隠そうとしているし、ことある毎に「おとなしくしていろ」と指示しているようだ。つまり、市長にとって「何もしない市議」こそがありがたい市議なのだろう。市長の好き勝手な提案に諾々と従うロボットが欲しいだけなのだ。

当初、市民が選んだ減税日本の市議は12名だった。
それが大義も無い衆議院転身で10名に減り、離脱者が出て9名になった。
そしてこの11月定例会における不適切な行動によって、浅井康正団長が離脱するに及んで8名となっている。市民の付託を受けて活動すべき市議が任期中に1/3に減少する。

議席をなんだと思っているんだろうか?

それは市長の物でも、市議自身の物でもない。付託した市民、有権者の物だ。
市議はその付託を受けて活動するのであるし、その付託は重い。

その重みを自覚することなく、あたかも私有物か、ゴミクズのように投げ捨てる減税日本に、これ以上投票しようなどという有権者が居るとすれば、正気を疑う。

そして、そのような無責任な者を、市議として選択する、やはり無責任な有権者には軽蔑の念しか浮かばない。



11月定例会が終わり、名古屋市会は「市会だより」の編集に入った。「市会だより」は各会派から編集委員が集まり、市民に議会の活動を知らせる重要なメディアだ。市長が議会報告会という市民の権利を奪っている今、市民が市会の行動を知るメディアは直接議事録を読むか、インターネット中継を見るか、議員各自の情報提供に目を通す以外にはこの「市会だより」以外には方法がない。

さて、この11月議会はまったくの無風議会だった。
市長の「生命をかける」と言った名古屋城関連の予算は計上されず、議論には具体性が掛ける結果となった。また、様々な施策についても、これといった特色も無い当たり前の予算、当たり前の施策が並ぶばかりだった。そうした中で起きたのが減税日本ゴヤ団長である浅井康正の違法建築、違法ブロック塀増設騒動だ。

2018-11-15 減税日本ナゴヤ市議団団長 浅井康正

大阪北部地震によって起きた「ブロック塀」の倒壊で、幼い命が奪われ、名古屋市においても特別の補助金を組んで市内の「ブロック塀」を減らし、危険を減らしていこうとしているさ中に、その議論を行っている市議自身が、新たに「ブロック塀」を設置する。それも違法で危険な「ブロック塀」を設置しているとあっては、いったい市議会、委員会の議論をどのようなつもりで聞いていたのか、正気すら疑わせる。

これはちょうど、河村市長と同じだ。

呆れたことに河村市長はこの11月定例議会に「障碍者差別解消推進条例」を上程している。
また、愛知県における「人にやさしい街づくりの推進に関する条例」に適合するように、公共的な施設の設置者に整備計画の届け出を求めている。

名古屋市:人にやさしい街づくりの推進に関する条例(事業向け情報)

名古屋市:障害を理由とする差別の解消の推進に関する条例検討部会(暮らしの情報)

それでいて、自身が進める名古屋城天守の木造化においては、こうした基準を無視したバカを続けている。

目の前で「ブロック塀」の危険性が議論されている事も耳に入らぬかのように、自ら「ブロック塀」を作り続けた浅井康正減税日本ゴヤ団長。

目の前で「障碍者差別解消」の条例制定の議論が行われているにもかかわらず、それを全く無視して障碍者差別の言動を続ける河村市長。

根底ではまったく繋がっている。

浅井康正団長は会派から追い出されたが、さぞ納得のいかない事だろう。なにせ、代表と同じ事をしていただけなのだから。

さて、浅井康正市議の問題は委員会の構成や会派の構成にまで影響が及び、市会も少なからぬ遅延を被ることになった。(なんでも、その時間数は50時間を越えるそうだ)

こうした事について「市会だより」に掲載しなければならない。特に浅井康正市議が会派を離脱した事は、減税日本ゴヤの勝手な事情であって、これだけの説明では何のことやらわからない。

お詫びとお知らせ。 | お知らせ | 減税日本ナゴヤ市議団

また、この間「浅井市議、違法建築で会派離脱」と報道されるなどして
自民党選出、中川区の浅井正仁市議には少なからぬ「風評被害」もあるようで、こうした誤解も払拭しなければならない。という事で、浅井康正市議の違法行為とその経緯、及び市議会、委員会における対応や会派における対応、会派離脱について克明に「市会だより」に掲載する事となったようだ。

勿論、この意向は「市会だより」の減税日本ゴヤ編集委員である市議にも了解を取ってある。

というよりも、この編集委員はこの編集方針について一切意見を言わなかったそうだ。

この編集委員が誰だって?

当ブログではおなじみの「ワイルド・佐藤」だ!

2018-10-22 ダサすぎる、減税日本、佐藤市議の政治資金に関する疑惑について

このように、イレギュラーな出来事を詳細に載せるために、通常は掲載するべき市会における質問事項を掲載する場所が減ったそうだ。そうした中で編集委員の議論として、浅井康正市議の不祥事についての記事を掲載する空間を得るために、11月定例会で減税日本ゴヤの市議が行った議案外質問は割愛することとしたそうだ。当然この決定にも ワイルド・佐藤市議は参加しており、特に異論はなかったそうだ。

繰り返すが、この編集方針を減税日本ゴヤの「市会だより」編集委員である佐藤あつし市議は了承して、「市会だより」編集委員会は終了している。

ちなみに、割愛される減税日本ゴヤの市議というのは、鈴木孝之現団長、田山宏之幹事長、高木善英市議、そして浅井康正市議本人の4人分となる。

さて、確かにこの措置は厳しいものであるし、それだけに11月議会において、浅井市議が副委員長を降りると表明してからの混乱や、その際、本来であれば減税日本ゴヤの全市議が揃って対応すべき意思表明が、帰宅者が居たことから遅れた問題など、無責任のそしりを免れない事などもあって、他の会派が厳しい態度で挑んだことは疑いがない。しかし、だからといって、「飲めない」条件であるのであれば、その編集委員会でその旨を表明すべきではないだろうか?

そこでの抗弁や、同意の拒否があるのであれば、まだ理解もできるが、編集委員である佐藤市議が同意してしまったのだから「後の祭り」彼ら、新自由主義者のお好きな言葉で言えば「自己責任」というものだろう。

ところがここからが凄い。

なんと、田山幹事長がこの決定に不満を持って、議長に異議を唱えたというのだ。

「市会だより」は編集委員によって作成されるものであって、議長は介在しない。
また、田山幹事長も編集に対しての異論を述べる立場にはない。筋を通すとすれば、佐藤市議・編集委員が、編集委員長である議員に「会派に持ち帰ったところ、強硬な反対に遭った。何とか考え直してもらえまいか」というのであれば判る。これは社会的な常識だろう。

それが、まったく筋の異なる会派の幹事長から、編集委員編集委員長を通り越して議長に異論をぶつけるというのは、筋違いも甚だしいし、編集委員編集委員長を蔑ろにする行為だ。

・・・田山市議という人、ブラック企業大賞2017年に輝いている「アリさんマークの引越社」の創業者から多額の献金を受けていたり、その行動原理から、こうした場合の身の振り方に独特のものがあるのでしょうが。それはその「アリさんマークの引越社」や彼の出身の企業などに独特な、非民主的で農奴的な権力構造では成立しても、民主的な組織においては通用しない。

何を議長に頭越しに話を持って行っちゃったんでしょうね?

また、ワイルド・佐藤市議の編集委員としての責任はどうなるんでしょうか?

なんでも、ひょっとすると「市会だより」の2月号は発行できないかもしれないと観測されている。


確かに、議会における活動を市民に知らせる機会を奪われることは、重い。それを厭う気持ちは判らないでもない。しかし、それと同等に重い問題をいやしくも市議会派の団長が起こし、委員会の副委員長も降り、他会派にも迷惑をかけているのだから、その説明責任は果たされるべきだろう。

そして、田山幹事長がそれほど市民に説明責任を果たし、示したい個人議案外質問について、ではあなた方ご本人は説明責任を果たしているのだろうか?


高木市議
HP

http://hito-machi.nagoya/

11月28日の質問内容についての記載なし。


Facebook

https://www.facebook.com/takagi.yoshihide/posts/2153623801398986

メディアで取り上げられたという小学生のような感想だけ。
肝心の問題点や施策の説明は無し。

失格



鈴木新団長

Facebook

https://www.facebook.com/takayuki.suzuki.357284


個人質問について、説明なし。

Blog

http://takas828-blog2.seesaa.net/archives/20181202-1.html


記載なし


浅井康正

Blog

https://ameblo.jp/yasumasa-asai/


記載なし。

田山宏之


http://htayama.net/?p=493

新聞に掲載されたという、やはり小学生のような自慢(?)だけ。
質問の内容についての市民への説明は無し。

というか、こんなに記事(引用)が多く、主たる記述が少ない場合、
それは引用ではなく剽窃となり、著作権を侵害することになる。

というか、このダダくさな記事引用。市民への説明がめんどくさいなら市議など辞めろ!


揃いも揃って、これで8年*1市議やったってんだから、笑わせる。

自分自身では説明もしていないものを、「市会だより」にフリーライドする権利だけ主張するというのは、ちょっとさもしくはないだろうか?

市民に説明責任を果たし、議論を行おうなんて習慣は欠片ほども身についていない。それは仕方がない、代表にそんな素養がないのだから。

ボンクラ名古屋市長が、年頭言で市の職員に「アイデア」を求めたそうだ。

アホだろう。
それを考えるのがトップマネジメントの仕事じゃないのか?


それにだ、自分たちの給料を下げようというトップを助けるような提言をいったい誰がするというの?
ボンクラ、あんたの耳に心地良い提言は、必ずその先に「落とし穴」があると覚悟した方が良い。笑い


相変わらず、職員報酬も下げようとしているようだけれど。
年収300万円の者と、年収1200万円の者。必ずとは言えないだろうが、どちらが良い「アイデア」を思いつくだろうかね?優秀な職員を得ようとすれば、報酬は下げるべきだろうか、上げるべきだろうか。

名古屋市民も同様だ。もし、名古屋市議に不満があり、もっと優秀な市議が必要だと思うのであれば、その為には報酬は下げるべきだろうか、上げるべきだろうか。

本当に、市議報酬が半額で良いと思うのであれば、そんな中途半端な事をする必要があるのだろうか?
いっそ、議会など失くしてしまえ。それが究極の節税なんだろう?

なぜ、中途半端に「半額」なんて言っているんだろうか?


市議報酬半減なんて名古屋しかやっていない。
そして、市民税減税も名古屋しかやっていない。

それは果たして、他都市が鈍いからだろうか、それとも名古屋だけが狂気に陥っているからだろうか。

この名古屋の狂気を形成したのは果たして誰なのだろうか?



*1:高木市議は除く

名古屋城木造化、エレベーター未設置は社会の劣化である

12月8日に開催された「名古屋城木造復元のバリアフリーを考えるシンポジウム」に参加してきた。

主催は「名古屋城木造天守にエレベーター設置を実現する実行委員会」と「日本福祉のまちづくり学会東海北陸支部」だ。
オリンピック・パラリンピックの東京開催もにらんで、日本の社会におけるバリアフリーの実現という広い観点からのシンポジウムで、全国から出席者がおられて、深いお話が聞けた。

ある方は「私たちは『名古屋城木造天守にエレベーター設置を実現する実行委員会』とは言っているけれども、何も木造天守に賛成しているわけではない。会の名前を変えようとさえ思っている」とおっしゃっていた。

また、私たちが進めた住民監査&住民訴訟の話題にも触れられたので、少々会場発言をさせて頂いたが、言葉足らずの部分もあるので、ここで少々補足させていただきたい。


その前に面白いニュースが飛び込んできたのでご紹介したい。

北海道の国史跡・松前城、木造で復元へ 35年完成目指す
(12/9(日) 7:31配信 北海道新聞)

火事で焼失、現在は鉄筋コンクリート造り 江戸末期を再現へ

 【松前】渡島管内松前町は、国指定史跡の松前城福山城)について、現在は鉄筋コンクリート造りの天守(地上3階、地下1階建て)を、江戸末期の建設当時の木造で復元する方針を決めた。来年度から基本構想の策定に着手し、最短で2035年度の完成を目指す。総事業費は概算で30億円と見込まれ、国の補助を得たい考え。

 松前城天守は北方警備の拠点として1854年に完成。道内唯一の日本式城郭で、1941年に国宝に指定されたが、49年に火事で焼失した。現在の天守は61年に建設され、資料館として一般公開されているが、老朽化が進んで耐震性の問題が確認されていた。

 復元する木造天守は3階建て。江戸時代の図面やメモ書き、焼失前の写真などを基に、内部構造も忠実に再現する方針で、木材も当時と同様にヒバなどを使う。国指定史跡の建て替えには文化庁の許可が必要で、町教委は来年度から2〜3年かけて基本構想や年次計画などをまとめ、同庁に計画を申請する。

 松前藩が執務や会議に使っていた天守隣の「本丸表御殿」も6億円を費やして復元し、文化財展示施設として活用する計画だ。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181209-00010000-doshin-hok&fbclid=IwAR1ip9AyllKgwWK86y35JvZAFkw7SElDs-gsQHeFDqIOdk7aV77MCLaK2yI

松前城 再建・復元 大岡實建築研究所

建設そのものが江戸末期なので、詳細な資料も残っているようだ(構造図もある。名古屋城には構造図(内部構造図)は無い)

幾つか考えさせられる。

・地上3階建てなら建築基準法にかからないかもしれない
・最短で今から17年という現実的な再現スケジュール
・総工費30億円という現実的な費用負担(国の補助も仰ぐ常識的な判断)
・町教委が主導するという、文化財を扱うに常識的な構え
・木材も国内のヒバを使用するという本格さ

そうそう、名古屋市が買った木材、いざとなったらここに売れますね。(八雲町なら寄付しても良いぐらいですけどね)

これなら実現しそうですね。
そして、こうした計画も出てくると、また一つ、河村たかしのウソが暴かれますね。
河村たかし名古屋市民に「名古屋城は豊富な資料があるから、国内で唯一、木造で復元できる城」と説明していませんでしたか?

ウソになりますね。

本題に入る前に、ついでに先にこちらをご紹介しましょうかね。
(障害者差別の酷い言葉が並びますので、閲覧には精神的な負担を伴います)

名古屋城の復元をじゃまする障害者という名のクレーマー – 長崎県立大村高校卒業生同窓会

以前「ネトウヨはバカなんじゃなくて、バカだからネトウヨになる」と申しましたが、これは典型的なバカのサイトですね。

幾つも事実誤認や誤りがありますが、こうした方が誤った認識を持たれるのも、名古屋市中日新聞、そして河村市長が、誤った情報を与え、または曖昧な言葉を垂れ流すからです。河村たかしに反省など求めても、魚屋でキャベツを買うようなものでしょうから期待しませんが、せめて名古屋市中日新聞には、少しは理性が残っているのであれば、こうしたサイトの存在を自らの恥として認識するべきだ。

そして、私は表現の自由、相互批判として、このサイトを「晒しあげて」批判する。
こうした言説を放置する事は、それが障害者差別につながる事であるし、こうした批判によって、少ない可能性かもしれないが、サイト主催者が再考されれば良いと思っている。反論があれば、下に投稿欄もあるし、当ブログはトラックバック機能もあるので反論されれば良い。

このサイトが言うような「設計当時の図面」は残っていないし、再現されるのは建築当時の慶長の姿ではなく、ずっと下がった、改修された宝暦以降の姿だ。

再現時期は恣意的に選択されている。
また、そもそも名古屋市はプロポーザルの条件にバリアフリーを盛り込んでいる。
復元建造物といえども、「新築の公共建築」にはバリアフリーが求められるのは当然である。

宝暦天守は焼失してしまったが、歴史的にはその後復元されて、現在も天守建物自体はある。
そして、この本物の昭和遺構である現名古屋城天守建物にはエレベーターは設置されている。

現在、エレベーターが設置されている公共建造物から、そのエレベーターを抜くという法的根拠は無いし、文化的にもそのような主張が一般的であるという学説も無い。つまり、一部の人々の勝手な思い込み、主観的判断でしかないのであって、主観を押し付けるのはあまりに幼稚だ。

「多数派の名古屋市民は、クレーマー障害者団体を支持しないのでは」との言葉は、
「多数の名古屋市民は(以下略)」と置き換えて解釈するが、そもそも2万人アンケートによって民意を図った際の構想案は、エレベーターが設置されていた姿である。エレベーターが設置されていない復元案については、一度も民意を図っていない。(というか、そもそもそのような復元案については、公表すらされていないのだ)


名古屋市長の祖先は代々、名古屋の尾張藩藩士でした。身分は図書掛。尾張藩の書物を管理する役人でした」

この誤認は、中日新聞の責任だ。

まず、「代々」ではない。尾張藩河村家が「文書奉行」を仰せつかったのは、一代のみである。

河村秀頴(秀興)がその人であって、不思議な事に末裔を自称する河村たかし自身、この兄弟の関係について理解していないようだ。

2017-04-09 またまた河村市長の嘘を暴く

また河村文書奉行は「尾張藩の書物を管理する役人」というわけではない。
そして、河村たかし(隆男)が、この尾張藩河村家の末裔であるという証拠はない。(というよりも、そんな事を喧伝できるエビデンスがあるのなら、示して頂きたいが、無理だろう)

2014-04-02 河村たかし名古屋市長は尾張藩書物奉行の末裔か?
河村たかしは尾張藩士の末裔か検証資料集(Box)

「菊千代様」級の幼稚な嘘だ。*1

障害者に対するこの差別的な発言、「排除」を声たかく主張する姿。こんな言葉を恥も無く掲げられるような状態を、それも行政が作り出すとは、何事だろうか。

もう一度言う、名古屋市中日新聞に、一辺の理性が残っているのであれば、こんな言説を生みだした己の責任を感じ、恥いるべきだ。

さて、気分を変えて最初のテーマに戻る。


私たちの住民訴訟は12月17日に提訴される。
そして現在、隠ぺいされている、基本設計図書について、文書開示命令を出して公開させる。
その中には驚くような情報が含まれている可能性がある。それは現在のエレベーター議論に大きな波紋を投げかける可能性もある。

会の途中で「議会がエレベーター設置問題に沈黙している」という意見があった。「議会は議員報酬議論を市長から持ち出される事を恐れて、バーターとして木造化を進めているのでは」との憶測に対して、私は「名古屋市会で河村市長を信じている議員なんて一人も居ない。それは減税日本の議員を含めてだ。ここまで散々騙されてきて、まだ市長の言葉を信じて騙されるのであれば、それは騙される方がどうかしている。なので、議会と市長の間で取引なんて成立しない。木造化計画に関係なく、河村市長は来年の議会で議員報酬半減の条例を出すつもりでいる。ではなぜ議会が沈黙しているのか。それは、河村市長に計画をすすめさせればいいと思っているからだ。どうせ碌なものはできない、それどころか現に今も文化庁と揉めて止まっている。ここで議会が木造化に反対すれば、市長にとっては願ったり叶ったりだ。自分のせいで計画がとん挫しているのに、『議会が止めた』と騒ぐのは目に見えている。ならば、議会は黙って『できるものなら作ってみればいいじゃないか』と構えた方がいい」とお話ししました。

それと、是非「名古屋城木造天守にエレベーター設置を実現する実行委員会」という名前は「エレベータも設置しないような名古屋城木造化に反対する会」に替えて頂きたいとお話ししました。

天守は文化的にも価値がある。会の中にもエレベーターが設置された木造化に期待されている方が居るかもしれませんが、実は、名古屋市民は誰もどのような物が作られるのか知りません。基本設計ができたと言っていますが、その設計図書はほとんど非公開で、いったいどのような物ができるか、知らされていないのです。今、名古屋市は寄付も募っていますが、実体は判っていない。名古屋城木造化に期待しているという方には、いったい何に期待されているのか、きちんと事実を見つめるべきだと話して頂きたい。

基本設計説明書

そして、上で紹介したようなサイトや、「名古屋城にエレベータ設置を求める障害者のわがまま」というような言葉を、私も聞いた。
こうした発言が出る事自体が、大きな行政、社会の後退でしかないが、そうした際には、ぜひ「ジョン・ロールズの『無知のヴェール』」が社会的なコンセンサス、常識となるように訴えていく以外無い。義務教育でもこの概念は教えるべきだ。

ジョン・ロールズの『無知のヴェール』

平たく言えば「誰だって、いつ何時、障害を持つようになるか判らない。その時、自分が排除されて平気でいられるのか?」という単純な原理だ。上のバカサイトを作っているモノや、そこで見られた「匿名掲示板のコメント」などを書きなぐっている者は、自身に降りかかるかもしれない、こうした不条理に無知なだけだ。

障害者に住みやすい社会は、誰にとっても住みやすい。
それは、あなたのような障害者差別を口にする、バカにとっても住みやすい社会なのだ。

平成も終わるというのに、21世紀に入ったというのに、ロールズも知らない無知で幼稚な社会。社会の劣化であり、それを喧伝するピエロのようなテレビ芸人と、それに迎合するマスコミ、怠惰な行政。君たちはいったい自分が何をやってしまったか、反省すべきだ。


2018-10-30 お金はどこに消える?

河村たかしは、平成18年1月27日の衆議院議院運営委員会における発言を実行せよ。
自ら一円も受け取らないと言った国会議員年金について、積み立てている金額を公表し、その処分についても明らかにせよ。

減税日本ゴヤの市議も、現在積み立てている議員報酬を明らかにし、自分たちが過剰としている積立金の処分について明らかにせよ。

それらがなされないのであれば、河村たかしは公言に反して、国会議員年金を受け取っているのであり、減税日本ゴヤの市議は単に、報酬の一部を「積立退職金」にしているに過ぎない。

それは有権者に対する深刻な裏切り行為であり、かの則竹元団長の例を引くまでもなく、公職者としての職を辞するべき行為だ。

にもかかわらず、恋々と「多選禁止」の公約をも反故にし、公職の椅子にしがみつく姿は、醜悪であり恥ずべき行為と知れ。


*1:この言葉の意味が判らないのであれば、文化や歴史を語るな!