前回に続いて、増田市議が減税日本ナゴヤを離団、離党した経緯について書きますが、増田市議の問題というよりも、佐藤夕子市議の問題であり、河村たかしの問題をお示しすることになると思われます。
その前に、ちょっとした出来事をお知らせしたい。
名古屋市のワクチン接種券配布順序が変わった。これは新聞報道でもされていたが、年齢区分に関係なく、基礎疾患のあるものへ優先的にワクチン接種がされる。
web.archive.org
名古屋市のワクチン接種クーポン配布順は、当初この様になっていた。
年齢ごとに区切って、基礎疾患がある方、次にその他の方となっていた。
そうすると、例えば、49歳で基礎疾患のある人は、8月2日からクーポン券が配布され、55歳~59歳の普通の方の配布日、7月26日よりも遅くなってしまう。
基礎疾患があっても、16歳~22歳などとなると、8月30日からとなる。
国は、次のようにワクチン接種順を決めている。
(1) 医療従事者等
(2) 高齢者(令和3年度中に65歳に達する、昭和32年4月1日以前に生まれた方)
(3) 高齢者以外で基礎疾患を有する方や高齢者施設等で従事されている方
(4) それ以外の方
名古屋市の施策は明らかに、国の方針から逸脱している。
こうした事を指摘し、民間団体と、市民(一個人が!)が施策の是正を求め、それが実現したようなのだ。
市民の声によって、施策が是正される。素晴らしいことだ。
ワクチンの接種順位など、これこそが明らかに「社会的リソースの奪い合い」であり、政治はそこにコミットし、より良い、適性な配分を実現しなければならない。政治とは、社会的リソースの適性配分という、奪い合いであり、文化的、理性的にこれを行う行為だ。
当ブログは「政治は、事実を元に議論されなければならない」と繰り返し言ってきた。
追記(1):「政治は、事実を元に議論されなければならない」とは、つまり、上記のことを踏まえ、「社会的リソースの適性配分を行う、政治とは、事実を元に議論されなければならない」ということだ。
しかし、考えてみると、次の3段階が必要であるとわかってきた。
追記(2):いまさら「わかってきた」のかというご意見をいただいたが。
以下の2と3は当たり前のことなので、特に断る必要もないと思っていたが、そうではなく、「特に確認する必要があるとわかってきた」ということだ。
1.事実を元に議論されなければならない。
以前、ある市議に情報提供したところ、それはどこから得た情報であるかと確認された。私が新聞で読んだ、と伝えると、それでは使えない。と断られた。議会におけるリアリティラインの高さを思い知った。政府の発表、査読を通った論文など、信憑性の確立した根拠に立脚しなければ、議論はできない。
最近、ある事柄をSNS上で議論していて、私が主張の根拠として外務省の掲載している情報を示したところ、反証として某科学的宗教団体のリバティーという雑誌の記事を示されて、脱力した。
あやふやで、いい加減な情報、例えば、虎ノ門ニュースだとか、月刊Hanadaなどから得た、情報に立脚し議論を進めていると、適切な回答は得られない。
2.正しい論理によって論考されなければならない。
ちょっと前に、高橋洋一がやらかした、PCR検査に対する誤ったベイズ推定を検証したが、ああいったインチキな論考に騙されてはいけない。
そのSNS上の幸福で科学的な議論でも、結局は簡単な誤謬でしか無い。
「部分を否定したからと言って、全体は否定できない」という事であって、全体を評価しているにも関わらず部分否定を繰り返す主張に意味はない。
日本人は、こうした論理に疎い。教育のない親が、子どもの要求、主張に対して、議論ではなく力づくで従わせるような事を繰り返すと、子どもは議論や論理の有効性を信じなくなる。自分の頭で考えることを止め、「親の言いつけを守る良い子」「先生の言うことを聞く優秀な子」を演じるようになる。そうしているうちに、事の善悪、正邪を、自分の頭で判断せず、親や学校の先生、その他の権力者の言いつけを守るようになってしまう。そうした者はやがて、自分が年長者、権威者となるにつれ、今度は下のものを力づくで従わせるようになる。問題は、親や権力者に従っている間に、自分で考えることを忘れてしまい、下のものを従わせる際に、論理的整合性や、合目的性を保持できなくなる。下級者がそれに対し不備を指摘すると、その指示への懐疑であるにも関わらず、自分自身への批判であるかのように受け止め、そうした異論を封殺し、より高圧的に指示に従わせようとする。指示が誤っていたり、ちぐはぐな場合には、却って高圧的に従わせようとする。
これは、非文明的な社会に顕著な傾向だろうが、グループを率いるリーダーは、その能力よりも、長幼の序や出自などによって立場が定まっていく。そうした場合上位者が出す指示は、その指示が求める結果(狩りの方法とその成果や、集団の方針とそれによって得られる集団の利益)より、グループ内の上下関係の固定化、確認に視点が注がれる。その指示が間違っていようとも、従う者がグループの存続を強化し、そこで異論を持ち出すものは、グループのあり方そのものに改変をもたらしかねない。(より優秀なリーダーが居るのであれば、グループは改変されたほうが良いのだろうが)
日本的に言うと、「親分が黒いといえば、白いものでも黒くなる」という原理であり、これは集団主義、ファッショの原理でもある。これは民主主義ではないし、グループの構成員の主体性、主権を尊重した有り様ではない。
集団の構成員一人一人の主体性や主権を尊重し、民主的に集団を運営していこうとするのであれば、事実に則し、論理的に正しい議論を行わなければならない。
増田市議の告発は、減税日本ナゴヤにこうした民主的な運営が為されていないという告発であり、その原因は佐藤夕子市議の専横にあるという主張だ。そして、はしなくも、前回、追記で引用した議会運営委員会の議事録に見られる佐藤夕子市議の言動が、佐藤市議の論理性の欠落を明らかにしている。それは後に譲るとして、3段階目の最後をお示ししよう。
3.民主的に議決されること
事実を持ち寄り、相互にその事実への反証、懐疑、評価を加え。論理的な論証の元、様々な提案がなされる。同じ事実、正しい論理構成であっても、結論は異なりうる。これは構成員の価値観が異なるからだ。亡くなった立花隆の言うところの「プロトコル命題の相違」もあるかもしれない。異なる論証から、結論を得る場合、それは民主的に求められるべきだ。多数決かもしれないし、全会一致かも知れない。または、議決しないという結論もあるだろう。議決権なくして負担なし、負担を求めるのであれば、個々の議決権は尊重されなければならない。
多数決で決定したことを、個人の恣意で改変するのであれば、それは民主的と言えないし、そもそも他のメンバーの主権、人格を踏みにじる行為である。あまりに他者を軽視しており、文化的とは言えない。それを「ギャーギャー言うからしかたない」と放置する集団は、真っ当な社会人の大人が構成する集団ではない。これで市会議員だとか、国会議員などと言うのであれば、悪い冗談としか思えない。もし、佐藤夕子市議に一片の常識があるのであれば、このような事実が明らかになったからには、公職者を辞すべきだ。市政を壟断し、市民に迷惑をかけていると自覚しなければならない。
また、減税日本ナゴヤの各市議も、恥を知らねばならない。
大村光子
鈴木孝之
沢田ひとみ
田山宏之
豊田薫
鹿島としあき
中川あつし
余語さやか
手塚将之
河本ゆうこ
会派の中で、このような不正常な事が行われているにも関わらず、諾々とそれを見逃して、いったい行政の何を改善できるというのか?社会の民主主義をどうするというのか?
正気があるのであれば、今後、そうした口は聞けまい。
この議事録の途中で、増田市議の発言が乱れる部分がある、ここは彼女の嗚咽を表す。
衆人環視の中で、下劣な噂話に耐えた話をしなければならない。或いはそれ自体が第二のセクハラになりかねない。こうした状態を放置したのは、 大村光子、 鈴木孝之、 沢田ひとみ、 田山宏之、 豊田薫、 鹿島としあき、 中川あつし、 余語さやか、 手塚将之、 河本ゆうこ の無責任な一人ひとりだ。
深く反省すべきだ。
さて、では議事録に残った佐藤夕子の蒙昧を明らかにしていこう。
議事録では松井理事が動議を提出し、佐藤夕子の不信任の議決を求めている。
動議の提出理由は
1.コロナ禍を理由に議運の審議を打ち切るよう強く主張した一方で、無断録音については一晩中でも説明するための時間を設けるよう発言し、自分の都合のみを優先する要求を繰り返したこと。
2.議運の席上と既に総務環境委員会の審議で結論が出ている7月2日の自民党控室での無断録音の取扱いについて、一事不再議という議会のルールを無視し、その音源を聞くよう繰り返し主張したこと。
3.増田議員の離団に当たり、議会運営上、確認が必要な事柄についての説明責任を果たさなかったこと。
この3点の事例を挙げ「会派間の交渉を担うには不適切である」と判断したために、「理事の不信任動議」を提出するとしている。
これに対する佐藤夕子の弁明は次のようなものとなる。
「では、ただいまの不信任動議につきましては、私は全く承服しかねます。
まず第一に、私を理事から降ろすために、皆さんが、いろいろ昨年度の団長から出ている、あなたとは交渉ができないということを最初に持ち出されました。
しかし、それは私が理事になる前に話し合うべきことであったにもかかわらず、会派の皆さんのしっかりとした引継ぎができていないせいか、今になってやっていること。
そして、その理由を配慮したと--市民の皆さんに迷惑をかけてはいけないから配慮したというようなこともおっしゃられましたけれども、私はしっかりと議会運営に携わってやっていこうとしているときに、コロナ禍の中で私を降ろすことこそが、市民の皆様に迷惑をかけることだと思っています。
また、松井理事からは無断録音のことを指摘されました。
私は、自民党控室で松井委員長とお話をしたのではなく、ふじた議員からいろいろ言われたことであって、そこには恐怖しかありませんでした。
ですから、無断録音はとっさの行動であり、そのことを私は、ぜひ私の意見を聞いてほしい……。」
ここで小川委員長から動議に対する弁明を行うよう促されるが、佐藤夕子はその委員長の議事指揮が理解できないようで、動議に対する弁明以外の発言を繰り返そうとしていた。
松井理事の動議提出理由は「1.効率的な議運議事の妨害。コロナ禍であればより効率化、時短を行わなければならないにもかかわらず、「無断録音」についての議論を蒸し返し、時間を浪費させようとした。2.「無断録音」については一旦議決しているのだから、再議は行わないにもかかわらず、要求をした。3.増田市議の申立の中に、議会運営上の問題がある。例えば、2における提出書類が、減税日本ナゴヤの会派決定事項であるとして提出されたわけであるが、会派内の議決を得ている書類とは異なる書類が、偽造され、提出されている」
これに対する佐藤夕子の弁明は「1.私を理事から降ろすために、皆さんが、いろいろ画策していることではないか。2.コロナ禍の中で私を降ろすことこそが、市民の皆様に迷惑をかけることだ。3.無断録音はとっさの行動だ、私の意見を聞いてほしい。」
釈明になっていないというよりも、論点を捉えていない。つまり、上で述べた「正しい論理によって論考され」ていない。
これでは、議論はかみ合わない。
「無断録音」については「一事不再議」であり決着が着いたことであるとの指摘に対して、「無断録音はとっさの行動だ、私の意見を聞いてほしい」と更に言葉を重ねようとするのであれば、委員長が発言を遮って指揮をするのは当然のことだろう。
「一事不再議」であり決着が着いたことを蒸し返し、議事の進行を妨げているという指摘に対し、その蒸し返しを現に行い、議事の進行を妨げようとしているのであれば、それは「弁明」ではなく、松井理事の主張の「実証」を示している事になる。
誰が見ても、動議に賛成せざるを得ない。
もう一度いう、松井理事は「佐藤さんは、もう議論で決着が着いた『無断録音』について、話を蒸し返して、議事の進行を妨げるのだから、理事を止めてくれ」と言っている主張に対して。「無断録音はとっさの行動だ、私の意見を聞いてほしい」と佐藤夕子が言っているのだ。松井理事の発言の通りではないか。それなのに呆れたことに、減税日本ナゴヤの議員は、動議に賛成しなかったそうだ。論理的に明白な事柄も判然としないのであれば、文明国の議員、公職者たり得ない。職を辞するべきだ。
追記(3):簡単にまとめてあげよう。
「バカは議員になるな」