追記:
本文で「お城の話はしません」と言っておきながら、ですが。
今回の名古屋城問題で、報道各社が取り上げています。
そうした中で名古屋城の写真が使われているのですが。
こういった写真を見ても、「この天守を壊そうというのか」との疑問しかわきません。この美しい外観復元の建造物を破壊しようという意見の正気を疑います。
「コンクリート天守よりも木造復元のほうがいい」と口にする人がいますが、典型的な「脊髄反射的な発言」でしょう。なぜなら、木造復元でどのようなものができるのか、実は何も知りませんし(情報公開されていないために)現コンクリート天守についても、よく知らない(ここ数年訪れていないとか、現在問題となっている城跡内の植物の成長によって、見えていない)にもかかわらず、「なんとなく」漠然と口にしているに過ぎないでしょう。よくよく考えてみて、それでもまだ、そのような事って言えるものでしょうか?
今日はお城の話はしません。
一つだけ、今日の話につながる部分として。
河村市長のコメントの中で、「私としてはあきらめていない」という台詞に注目したい。
この台詞は、名古屋城天守の先行解体継続審議(不許可)という文化庁による判断(厳正なる事実)を受けてのものなんだが、「私としてはあきらめていない」というのはいったい何を表しているのだろうか。
文脈から察すると、いわゆる「2022年竣工」という期限が守られる。という意味であるはずなのだが、もし本当にそう「信じて」いるのであれば、現実が理解できない。現実に起こっていることを正しく解釈できていないということで、正常な判断能力に欠くと断じざるを得ない。
なんといえばいいのだろうか。ヒトは一般的にこうした「願いは叶う」「強く願えば実現する」といったような言葉が好きである。「願いを実現するときに、ネガティブな考えを持っていてはダメ」(この「ダメ」ってのも十分ネガティブなんすけど)的な言葉も聞く。
確かに、強い信念をもって事に当たることを否定はしない。
私家版「神々の山嶺」 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
しかし、そこには努力と、謙虚さと、誠意が備わっていなければならない。
なぜなら、本当に信念をもって事に当たっているのであれば、その目的を達成するための条件を探るために、前提となる現実を謙虚に受け入れなければならないはずだ。
そして、そうした条件について、願望を交えたような、歪んだ解釈をしないためには自分自身の判断についても厳しく評価する必要がある。そのためには目標や条件に誠実に向き合う態度が必要となる。
自分自身の虚栄心や慢心が、こうした判断を狂わせる。(いわゆる、「だろう運転」といわれるものだ)
こうした謙虚さと誠意の下に、不断の行動を続けることを「努力」というのであって、むやみな行動や、単なる思い付きに身を委ねることを「努力」とは言わない。(まさに「八甲田山」で描かれた青森歩兵第五連隊の山田少佐(三國連太郎)の愚行を努力とは言わない)
謙虚さや誠実さからは「奇策」は出てこない。こうした小手先の、矮小な、さもしく、つたない、またはあさましく、陋劣で、麁陋にしてはしたない、およそ「文化」を語るに値しない、いやしい行為に走ること自体、精神の貧困を感じる。
「私としてはあきらめていない」「総理を目指す男」「夢・まけるものか」同根の貧弱さ、主観の固着だ。
これについてははるか昔に指摘している。今回読み直してみたが何ら色あせていない(つまり、何ら変わっていない)
実は、現在「吉本興業」という存在について考察している。この会社を単なる芸能事務所と捉えるのは誤っているのではないかという気がしている。高度な消費社会、大衆社会において、情報を伝える能力、情報を分かりやすく伝えることは、あるいはとてつもない「力」を持つかもしれない。「吉本興業」には「NSC」と呼ばれる養成所がある事はよく知られている、そこでは直接的には芸能の養成、芸人の育成を行っているように思われているが、実は情報を伝える能力を持ったもの、今風に言うと「プレゼンター」を大量に生み出そうとしているのではないかという気がする。
オルテガの考察した「大衆の反逆」と、日本における「大正デモクラシー」の位置づけ。
そこにさらに「吉本興業」に代表される、「プレゼンターの尊重」という3題噺は、現代を切り取る補助線になるような気がすると同時に、空恐ろしい予感を与える。
この「大衆社会」の文脈の中に、こうした河村・減税日本の集団が振りまく「安っぽい言葉」は収まりが良いように思える。
この辺りはまたまとまりましたら書きます。
6月23日の中日新聞に「市議会個人質問」のコーナーが設けられて、現在開催されている名古屋市会定例会の個人質問について取り上げられている。
ここで、タイトルにもされているのは減税日本の佐藤夕子市議が質問した。「残骨灰有価物で市収益」という問題だ。いわゆる斎場における残骨灰に付着した貴重金属などの有価物によって市が収益を上げているので、斎場を利用する遺族に周知徹底をするべきであり、今後それを行うということだ。
・・・これのどこが問題があるか?・・・何も問題はない。
この個人質問や、その質問に対する市の対応には何も問題はありません。
ただ、違和感は禁じえません。
佐藤夕子市議は、市議としては現在2期目。
つまり、2回市議選挙に出られているわけだが、その2回分の選挙公報、つまりは佐藤市議の公約はこのようなものだ。
佐藤 夕子(名古屋市会議員:減税日本・東区選出) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
2015年 市議選公報
・市会議員報酬半減を制度化
・政務活動費の完全全面公開(黒塗り廃止)
・敬老パスの継続と特典付加
・高齢者スポーツの推進
・待機高齢者の解消(施設の増設)
・医療センターの充実と活用(がん検診)
・子どもの医療費無料の拡大
・待機児童ゼロの持続
・育児介護世代への休業推進
・街路灯ルールの見直し
・山車まつり全五輌の「国の重要無形民俗文化財」登録推進
2019年 市議選公報
・議員報酬800万円を制度化
・名古屋城天守閣本物木造復元
・市民税減税の継続
・議員の政務活動費の全面公開
・ワンコイン(500円)検診の継続と拡充
・敬老パスの継続と特典付加
・なごや子ども応援委員会の拡充
・育児、障がい、介護など、誰もが安心して暮らせる街・東区
・生活するうえで不便と感じるもの全てを検証、改善
・自治会・消防団・老人クラブ・女性会・子ども会・スポーツ大会・山車まつりなど地域に根差した活動を全力応援
ちなみに、市会議事録検索がある。
この検索機能で「全ての年」かつ「発言者を指定しない」まま(「発言者を選ぶ」のまま)
「山車」を検索すると、117件ヒットする。
発言者を「佐藤ゆうこ」に限定すると、0件となる。
山車まつりについての公約は、市会本会議や、委員会質疑では関係ない事項なのだろうか。
まあ、それは置くにしても。
私の違和感はほかにあって、今回新聞に掲載されたような「残骨灰」や「都市鉱山」と呼ばれるような問題について、佐藤夕子元県議、元衆議院議員は県議会や衆議院において追及されていたという記憶はないし、この一連の公約にもない。掠りもしていない。
いったい、突然、斎場における「残骨灰」の問題に目覚められるきっかけというのは何なのだろうか?
・・・はは~ん、これはアレだな?
・・・「お土産」だな。
軽目のネタ 減税日本ナゴヤ 新幹事長―田山ひろゆき - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
以前も、改選直後の市長与党議員に質問させて、新聞に掲載されるような当局回答を行っていた。
前回は、そこそこ予算もかかるし、政策的にも実効性があるものだっただろうが、今回は斎場における周知徹底ということで、せいぜい印刷代程度の経費だろうし、政策としての実効性も、良くも悪くも知れている。(このサイズのフォントでタイトル打つような内容か?)
「市長を助ける市会議員」というのは、これだ。
市長を助けるということは、市当局を助けるということで、市当局の都合のいいように質問を読み上げて(あるいは、質問文書も、市当局に準備してもらって)市当局の望み通りの回答を引き出す。つまりは、市の広報活動を議会において行い。ついでにこうやって新聞に掲載してもらって、何か議員活動をしているようなふりをする。
誰も傷つかないし、何も問題は起きない。
「生活するうえで不便と感じるもの全てを検証、改善」ということは、不便と自分が感じなければ何もしないということだろうし、「地域に根差した活動を全力応援」というのは、文字通りメガホンでも持って「全力応援」することで、具体的に自分は何もするつもりなどないんだろう。(だから、市会において「山車」という一言すら口にしていない)
それで、立って座って、言われたまま文書を読んで、年間報酬800万円なら文句はない。
さらに、退職時に、2千万円を超える「積み立て退職金」がもらえるなんて、夢のようじゃないか。
まさしく「夢・つかみとれ」ですなぁ。
追記:
そのように市当局から「もらった」質問を読み上げるだけの行為。それが新聞記事になって大喜びで自身のHPに掲載するところなんざ、なんとも学芸発表会感が漂います。
新聞記事(中日新聞)掲載のお知らせ。 | お知らせ | 減税日本ナゴヤ市議団
○「名古屋城天守閣整備事業」違法支出訴訟 第二回公判
7月3日(水)午前11時
名古屋地方裁判所 第1102法廷
○月例勉強会
7月8日(月)18:30~20:30
「北生涯学習センター」(北区)第1集会室
名古屋城天守の有形文化財登録を求める会
https://bit.do/Ncastle