市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

歴史都市における公務員のレーゾンデートル

2月8日(木)
18時30分 
から
名古屋市民会館 第2会議室
で、

特別史跡名古屋城跡保存活用計画(案)」と
そのパブリック・コメントの勉強会を開催いたします。

参加費は無料(会場+資料代として、実費程度のカンパは歓迎)

勿論、天守木造化賛成の方で、何が問題とされているのか知りたい。
と思われているような方の参加も大歓迎です。


前回に続いて、「保存活用計画」について書こうと思ったが、あまり言葉を尽くす必要を感じない。
前回指摘したように、第3章によって示されたこの「保存活用計画」が踏まえる「本質的価値」には重大な歴史認識上の欠落があり、こうした事実誤認の上に構築された理論には正当性が無い事は明らかだからだ。

第8章に於いて「8−3整備の方法」として示されている「整備方針ごとの利点と課題」には、「耐震改修」と「木造復元」が比較衡量されているが、ここには大阪城などの先行事例、実績のある「耐震改修+長寿命化」に対する検討が無い。

文化庁は「史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準」の中で、「歴史的建造物の復元が適当であるか否かは、具体的な復元の計画・設計の内容が次の各項目に合致するか否かにより、総合的に判断することとする。(略)ウ.復元以外の整備手法との比較衡量の結果、国民の当該史跡等への理解・活用にとって適切かつ積極的意味をもつと考えられること」と定めているように、様々な整備手法に対する比較衡量を求めている。そして、そのような配慮を行う事は、貴重な文化財を維持する上で当然の義務である事は論をまたない。

この8章における「耐震改修」と「木造復元」に対する利点と問題点の検討は、現存天守に対する「耐震改修+長寿命化」という当然検討すべき、実績のある先行事例を欠落させており、失当である。

今般、名古屋市は「保存活用計画」において「本質的価値」という概念を用いて、名古屋城天守木造復元を正当化しようとしている。
この「本質的価値」はすでに議論したようにとても受け入れられるものではないが、こうした「本質的価値」の議論によって復元された「奈良平城京」の復元と「伊予大洲城」における木造復元を踏襲しようとしたものと考えられる。

しかし、そもそも「奈良平城京」や「伊予大洲城」という事例と、名古屋城天守との間には大きな相違がある。それは、名古屋城には、すでに天守がそびえたっているという事実だ。「奈良平城京」や「伊予大洲城」の復元と異なり、名古屋城天守の木造復元には、この現存天守の破壊という前提条件が控えている。

名古屋城天守木造化については議論されていても、現存天守の破壊について、議論は尽くされているのだろうか。

「本質的価値」という概念と、「奈良平城京」という事例を視野に入れた時、2010年の「奈良宣言」を閲する必要があるだろう。

2010年 「奈良宣言」抜粋

(略)
本会議(第12回世界歴史都市会議)では文化遺産を戦禍や災害、毀損や滅失から守りながら歴史とともに生きてきた先人たちの偉大な業績に感謝しつつ、「創造」の風を吹き込むことが私たちに課せられた使命であることを共有した。そして文化遺産を守るための技術は、それを支えるしくみが必要であることを再認識した。また、若者が歴史都市に生きることに誇りを感じ、次代に引き継ぐことに価値を見出すことが、都市の持続的な発展にとって不可欠であるとの認識を共有することができた。そして、この会議で示された「共生」への提言は、平和への力強いメッセージでもあることを確認し合った。

私たちのまちは歴史都市であるからこそ、持続可能な都市のモデルとなり得るのだ。この誇りと自覚を持って、緊密に情報を提供し合い、歴史都市同士の独自の連携や協力により一層力を注ぐことを求めるものである。

そして、この会議の成果を未来につなぐために、次代を担う若者への積極的な働きかけを力強く推し進めていくことをここに誓う。加えて、本会議が提起した「創造的再生」のために、守り伝えられてきた文化遺産には、開発と調和の中で新たな役割を担わせることを提起するものである。
2010年10月14日


( モージャー氏撮影写真資料 | 憲政資料室の所蔵資料 | 国立国会図書館
モージャー氏撮影写真資料 )

名古屋城天守は「戦禍や災害、毀損や滅失から守りながら歴史とともに生きてきた先人たちの」労苦によって維持されてきた。
我々名古屋市民は、その「先人たちの偉大な業績に感謝」しなければならない。

今、乱暴に現存天守を破壊し、木造復元を進めようとする態度に、この先人たちへの偉大な業績に対する感謝はあるのだろうか。

「若者が歴史都市に生きることに誇りを感じ、次代に引き継ぐことに価値を見出すことが、都市の持続的な発展にとって不可欠である」

名古屋城が創建された慶長はもとより、それを維持した尾張藩、さらに明治維新後の少々乱暴な改造、また第二次世界大戦の戦火による焼失と、その災禍から立ちあがり、現天守復元を成し遂げた名古屋市民、名古屋市役所の職員、名古屋の経済界、文化をになった人々、そして建設を成し遂げた人々の労苦。こうした重層的な歴史を踏みしめる事によって、我々もその歴史の一つの層となる事を自覚できる。「次代に引き継ぐことに価値を見出」し、「都市の持続的な発展」に寄与し、「歴史都市に生きることに誇りを感じ」る事が可能となる。

「私たちのまちは歴史都市であるからこそ、持続可能な都市のモデルとなり得るのだ。」

文化遺産との「『共生』への提言は、平和への力強いメッセージでもある」

文化遺産を次代に引き継ぐ為には、何より社会を平和に保つ必要がある。

社会を平和に保ち、文化遺産を襲う「戦禍や災害、毀損や滅失」、無知や偏見を排除し、守り、伝えていかなければならない。

その責務こそ、全体の奉仕者たる公務員のレーゾンデートルである。

公務員が責任を負う、「全体」とは、いまある国民、市民だけを言うのではない、今の社会を形成してきた先人や、代々の先輩職員、次代の国民や市民、まだ生まれてもいない未来の人々に対する責任が求められているのだ。

こうした重い責任を自覚し、それを為す努力を果たしてこそ、歴史都市の中で生きる誇りを胸に秘める事が出来る。

責任を果たさぬものが口にする「誇り」など、単なる倨傲でしかない、驕心でしかない。小さく脆弱な自惚れでしかないのだ。

「誇り」とは作るものではない。金で買うものでもない。
守るべきものを勇気をもって守る時、胸に生まれるのが誇りだ。

歴史都市における文化とは、多数決ではない。そのような移ろいやすいものではない。

この歴史と文化のある名古屋において、このような「保存活用計画」を策定することは、歴史における汚点であり、文化に対する棄損である。