色々とバタバタとしておりまして全然当ブログの更新ができずにおります。
さすがに色々なネタが溜まってはおりますが、これをそのまま表に出すかは微妙なところです。
久しぶりの更新となりますので、あれこれと言及したいことは沢山あります。
まず、小牧市の新図書館問題。
住民投票に向けた署名活動が本格的になっています。
署名活動スタート!皆さん、小牧山アピタ南側、7月4日(土)午前10時に来て下さい! - 小牧の図書館を考える会
国会では安倍政権の進める安全保障法制、いわゆる戦争立法への強行採決と、それへの反発が大きくなっています。
こうした自民党政権の「おごり」を受けて様々な集会やイベントが行われているようです。元名古屋市議の冨田勝三さんも名東区で勉強会を開催するようで、お知らせが送られてきました。ご紹介しておきます。
昨日、NHKスペシャルが「戦後70年 ニッポンの肖像」シリーズとして「保守・二大潮流の系譜」と題し、戦後の自民党保守合同の姿を描いていました。
この中で吉田茂(自由党)が「豊かさ」を求め、岸信介(民主党)が「自立」を求めていた。などという描き方をしていたがチャンチャラおかしい。
吉田が「豊かさ」を求めたのはある意味理解できる。というよりも、国民の豊かさを求めない政治家など政治家ではない。吉田から脈々と続く。いわゆる「吉田学校」と言われていた自民党の一部には、常に国民の豊かさを考える人々が居て、それが自民党の長期政権を支えた大きな理由だっただろうとは思う。
朝鮮戦争を受けて米国から求められた日本の再軍備を吉田は拒み続けた。この吉田の姿は国民の利益を政治が守った「外交の実現」と言えるのではないだろうか。国民の豊かさこそ「国益」であって、吉田は外交官として、真の国益を追求したのであろう。日本の政治史で数少ない「外交の実現」を成し遂げたのだろう。
それに引きかえ岸のスタンスは「自立」などと言えるのだろうか?
岸は戦前は軍政に引きずられて開戦の詔勅に記名をしたのであるし、片務的な日米安保条約の改定を強行したのだ。その姿は常に「自立」からはほど遠く、時々の強大な権力者に媚びへつらう姿に見える。戦前は軍部に国民を売り、戦後は米国に国民を売り渡したのだ。
日本は自立とは程遠く、未だに米国の属国、被占領体制が続いている。
その岸の直系である安倍首相が「自立」を掲げて「安保法制」を整備しようというのは、これは自立ではないだろう。単なる米国追従を強化するだけにしか見えない。
いたずらに隣接する中国やら北朝鮮と差異を明確化して日本という国を際立たせ、その日本という「国家」のコストを高くしているだけだ。これは国民の利益にはつながらない。
真に安倍首相が日本の自立を願うのであるなら、その交渉対象は中国や北朝鮮よりもまず、米国であるべきで、つまりは沖縄問題の自立的な解決をつけてこその自主独立ではないのだろうか?
米国に対して、かの「日米修好通商条約」並の片務的な「地位協定」を放置したまま、沖縄問題、米軍基地問題を放置しているのならば、そのような政権の騙る「自立」など推して知るべしである。
ここで話は突然ギリシャに飛ぶ。
ギリシャの国債が積みあがってユーロ、EUに危機が訪れていると騒がれた。
一部の人々は「ギリシャは借金を返すべきだ」「ギリシャ人は怠惰だ」などと語っていたようだ。またぞろバカな市場原理主義的なモノの考え方だ。
そろそろ国や地方の財政を語るうえで、個人の家計や企業に模して語ることの限界を知るべきだ。国や地方の会計は家計や企業会計とは性質が異なる。
市場原理主義や新自由主義、ましてや効率原理で公共経済は計れない。
幸いにもEUはギリシャ支援に向けて協議を進めるつもりのようで、市場原理主義的なドイツの政権もギリシャの動向を見守っているようだ。
このギリシャの事例は幾つかの事を教えてくれるが、ここでは2つ抜き出してみる。
1つはこのギリシャの姿が、やはり市場原理主義の限界を現しているということだ。
リカードの比較優位論は、不完全な空論に過ぎない*1。つまり、市場原理主義など現実の国際経済においては成立しえない。
このような誤った原理に基づいて、乱暴な自由貿易の押し付けを行えば、その結果は競争原理に敗れた国や地方、または一部の産業を蹂躙するだけに留まり、誰も幸せにできない。
ユーロ経済圏に強引に糾合されたギリシャの経済(ギリシャ国民の意思は尊重されていたが、充分な説明が有ったかは不明だ)は、この乱暴な自由貿易の押し付けの結果だろう。
つまり、このギリシャの姿はTPP締結後の日本国内における、農業や医療、保険業などの姿に重なる。
ギリシャのユーロ統合はギリシャ国内の一部産業と、富裕層の求めた政策であると聞く。日本におけるTPP締結と日本国内経済の米国への売り渡しも、それによって利益を得る日本国内の一部産業の利益の為でしかないだろう。*2
ギリシャの事例が教えてくれるもう一つの事とは、「国」などというものの仮想性だ。
ユーロ圏内に起こったギリシャ債務危機は、ギリシャという国の問題ではない。ユーロ圏全域の問題だ。そしてその原因はギリシャの国内問題であろうと、いったんユーロが受け入れてしまったからには、ユーロ全体で解決する以外にない。
ドイツやフランスが、あるいはロシアがギリシャを属国化したいとも、ギリシャ国民を奴隷化したいなどとも思いはしない。つまり、国家が国家に攻め入るなどという事は、すでに現在の国際社会においては「ナンセンス」な事なのだろう。*3
今回の安倍政権の進める「安保法制」の問題は、中国の経済拡大や、相変わらずカルト状態を続ける北朝鮮といった存在が生み出す「東アジアの不安定状態」に対応するためなのかもしれないが、だからといって日本がそれらに「対応」すれば「東アジアの不安定状態」は安定化できるのだろうか?
それは単に緊張関係を強化し、掛け金を高めているだけに見える。
多分、これは議論が逆なんだろう。
日本が「安保法制」を制定する事で「集団的自衛権」にコミットして、緊張関係を高める事で、より「国(国家)」の存在を強固にしようとしているのだろう。
ここで、「存在を強固」にしようとしているというのは、「国家」を強力にするという意味ではない。国家という枠組みの差異を際立たせて、コントラストを鮮明にしようとしているだけに過ぎない。つまり「国家」というものの存在を強固にしたいと思っているように思える。・・・・果たして誰から?
ここでギリシャの問題と日本の問題をトマ・ピケティの視点からとらえ直してみたい。
ピケティはユーロ圏の経済学者としてギリシャ問題にも積極的に発言しており、ギリシャの債務をユーロ圏全域でカバーする事を求めている。*4
また、安倍政権が進める対米追従、反中国、反北朝鮮といった「国家の差異を際立たせる政策」はある意味では社会を固着化させる。
つまり、ピケティのあの数式「r>g」がより重く意味を成す社会が続く事になる。
*5
ピケティの得た数式「r>g」*6は、資産所有者層は「国家」を強固に固定化しようとする。
ギリシャの問題をこの数式から見てみると、ドイツや北欧などの生産能力(生産資産)のあるユーロ加盟国(及びギリシャ国内の有資産階級)は「r>g」の恩恵を受け、資産が無いギリシャの一般国民や国そのものなどとの格差が拡大するのだ。
ピケティは資産所有者*7への課税を求め、再配分を行う事を求めている。そうしなければ社会は持続可能性を失う事は火を見るよりも明らかだからだ。*8
日本においてもこの格差拡大の傾向は続くだろう。そしてそれは酷くなる。
すでに資産状況による世代間連鎖は固定化しているのではないだろうか。
つまり、資産のある家庭の子供は充分な教育機会を与えられ、資産やその周辺の文化状況により、より豊かな生活が保障されているが、それを得られない者たちは満足な教育や雇用が与えられず、それによる社会保障も与えられない。そして、医療や雇用といった社会保障も今後は米国型市場原理に晒される。
こうなると、社会に階層が生まれ固定化する。
この階層は社会に不満を生む。
一つの国家の中で国民に不満が鬱積している場合、国家を運営する者たちが生み出すのが「国の外の敵」である。
今の日本における「中国」やら「北朝鮮」さらには、まったく反発しあう理由も理解できない「韓国」という「国の外の敵」という認識には、呆れ返るほどの無駄を感じずには居られない。*9
米国は「テロとの戦い」といって、国軍を整備し、そのリクルートには地方の無産階級の子供たちが対象となっている。無産階級の子供たちには、大学進学(の資金)や就職の機会が軍への入隊以外与えられず、結果として貧困層に対する事実上の徴兵制と言われている。
日本においても、今後「職業訓練校」としての自衛隊などと呑気な事を言っておられず、あちこちで死地に出向かなくてはならなくなれば、こういったリクルートの問題は重要になり、その為にも国民間の格差は必要となる。
「r>g」という数式は非常に強力だ。
この数式を通してこの社会を見直してみると、この格差を維持させたい人と、それを解消させたい人を明確に分けて眺めることができる。
何かと何かの間に線を引いて、その差異を際立たせることで、己の存在を強化しようとする人々が居る。そして歴史の中にもこういう人々は常にいた。歴史的にこういった人々がどうなったか、私たちはもう一度、真摯に歴史と向き合う必要があるのだろう。
かの減税日本の県議の政務調査費問題(記者会見で返済すると県民に公言したにも関わらず、金を返しもしていない。それどころか、問題が指摘された以降も同様の乱費を行っているという破廉恥な行為)について、減税日本が何か行動を起こしたという事も聞いていない。*10
つまりは、減税日本という無責任な政党とはこういったものだ*11。
また、終了した6月の名古屋市会。市議会改選直後の補正予算。
皆さんはこの補正予算がお幾らだか把握されていますか?
見事と言っても良い。「0円」
つまり、文字通り「何もしていない」「する気が無い」
これが今の名古屋市政です。
補正予算で「0円」は前例が無いわけではないのでしょう。特に6月はその傾向があるといわれますが、そうでしょうか。
今年の場合、市議会改選直後で当初予算は骨格予算になっていました。
つまり「肉付け」は選挙後の、民意をはかってから。というのが「当たり前」の市政の進め方です。その骨格予算の直後の補正が「0円」とは。
今、名古屋市は骨格以外何もやりたいことが無いのでしょうね。
無駄話。
誰かさんが「レクチャーというのは語源が説教だ、市長レクチャーとは失礼だ」と妄言を口に出しているらしい。
レクチャー(lec-ture)の語源は lect -URE 「lect」 とは 「co-lect」という言葉があるように「(拾い)集めること」転じて、言葉を拾い集めるように読み上げる事。(中世ラテン語)
接尾詞の -URE は 動詞に繋がって名詞を作る詞。
確かに「lecture」の語意に「説教」はあるが、「語源」は「読み上げる事」であって、「市長レクチャー」という場合、「市長に読み上げます」であって何も失礼な意味は含んでいない。
変な被害妄想があるのか、一緒に飲む人々の文化レベルがこの程度なのかという事。
*2:後は、リカードの比較優位論の誤りも知らない市場原理主義の過誤に気付かないバカが、自身の損も知らずに賛成しているのだろう
*3:やるとすれば、実例を持っているのは、アフリカの一部事例を除けば米国ぐらいではないだろうか?
*4:ユーロの一部地域(ギリシャ)の負債をユーロ圏内の資産に対する課税で再配分すべきだとしている
*5:そして、それが行き着いて社会自体がニッチもサッチもいかなくなると、今までの歴史では戦争が起きている
*6:資産から得られる利益は常に経済成長を上回り、資産所有者はより豊かになり、社会の格差は拡大する
*7:それも、資産そのものの利益が資産を再生産する、格差拡大階層
*8:収穫逓減なんてものは存在せず、収穫逓増が「安定的な社会」の傾向だ
*9:中国や北朝鮮を「仮想敵」とまで言い放つ人が、韓国まで「敵」と認定するのは、その立論に論理性が欠けすぎている。「遠交近攻」とは三十六計の内の一つだ
*10:ご本人に私は何も期待しない。こんなヒトは元県議ですらない、ある鳥の種類で呼ぶ方が正しい