市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

リニア開通後の名古屋の姿

認知バイアスと宗教

 長々と文章を書き連ねてしまいましたが、認知バイアスについては好評のようでした。当初はあそこまで書き連ねるつもりもなかったのですが、ついつい整理しているうちにボリュームが増えてしまいました。
 人間は全てを論理的に割り切って考えることはできません。どうしても感情に左右されます。それどころか、論理も実は感情を駆動する一つの方法(自己を説得する方便)であるかのようも思います。
 そうした場合、どうしても認知的なバイアスからは逃れられず、ヒトは誰しも選択を誤ります。この「誤る」というのも、論理的に考えてみた場合の結論と、行動が異なるという意味で、では、善悪や損得、好悪といった判断基準から考えた場合、論理的な結論が常に有利になる訳でもない。「合成の誤謬」は個々のプレイヤーが論理的に判断した結果として結果的に全体が損をするという例ですが、こういった事は現実社会では往々にして起こり得る。こうした場合に一部のプレイヤーが「非論理的」に、または「感情的」に論理的結論を無視して行動することが全体の破滅を救う場合もある。

 こういった観点から、人間に備わった認知バイアスは人間を種として存続させるうえで、一定の役割、意味があったのではないかという意見もある。(「種」ということだから、それこそ人間の先祖がサルや地ネズミだった頃からという観点で)

 こういった認知バイアスについて自覚的であるか否かについては意味があると思いますし、ある程度の克服は必要だろうと思うわけです。

 また、実は認知バイアスの成立は宗教の成立、信仰心の成立と類似しているのではとも思います。宗教自体も一つの認知バイアスで、それによってヒトは倫理観をはぐくみ、社会を成立させてきたという側面もあるのでしょう。もちろん、それには副作用もある訳で、それについてはまた長い論考が必要になりそうだ。

あおなみ線SL事業

 1月29日の日経新聞あおなみ線SL事業についての記事が出ていた。
 この記事が日経に載ったということ自体、先日の大村知事への減税日本の推薦表明における朝日新聞の記事同様、河村名古屋市長の意図的な「中日新聞外し」の影響を感じる。

 中日新聞に対する抗議と、そこに記載された1月中の個別取材拒否は続いているようだ。

 2015-01-10 減税日本 大村知事推薦にみる矛盾
 2014-12-27 御用納めの帳尻は


 それはさておき、この記事を見ると少々奇異に感じる部分がある。
 「SLは、名古屋鉄道グループの大井川鉄道から『C56』を借りる方向で調整する」とある。前回あおなみ線を走ったSLは、JR西日本梅小路蒸気機関車館から移送されたものだった筈だ。

 風の噂では、前回の試験走行とその前後の河村市長の言動で、JR西日本JR東海は相当に不信感、不快感を持っているようだ。

 その上、昨年の9月にはJR東海と「客車保存」の問題でJR東海に迷惑をかけている。

 2013-09-15 天白区説明会

 JR東海が持っているSL用の古い客車を名古屋市が譲り受けるという話が出た。JR東海としても「よかれ」と思って申し入れたものだろう。古い物なので、この客車にはアスベストが使われており、さらに現在の安全基準に合わせる改造などを考えると4両でおおよそ6億円ほどの予算が必要との事だった。

 ちょうど、名古屋市会の議員報酬が半減され、75人の議員から奪った報酬が6億円なので、その分が市長の「おもちゃ」に消費されることになる。(河村市長がかたる「子ども医療費の無料化」と同じ金額とも言える。ただし、これは事実誤認ですが)

 結果として調整が付かずに引き取りを断ることになった。

 この時、河村市長は「産業遺産の破壊ですので」とJR東海を批判している。
 名古屋市:平成25年9月9日 市長定例記者会見(市長の部屋)


 にわか鉄道マニアの河村市長と、JR東海の社員、どちらが鉄道に対する愛着や思い入れがあるのだろうか?JR東海としてはできれば残したかったに違いないし、動体展示できるのであればと思って、今回の名古屋市への打診となったのだろう。その為に便宜も図って苦労して、最後に決めきれなかった名古屋市の市長から「産業遺産の破壊」とまで言われては呆れる以外にないだろう。

 他人の好意を無にするというか、恩を仇で返すというか。

 本当にこの苦労知らずの馬鹿ボンボンは何ともならない。

 還暦を過ぎた人間に言う言葉ではないかもしれないが「親の顔が見てみたい」
 完全に育て方を間違えている。


 こうした事もあって、JRグループから協力が得られず、大井川鉄道に声をかけたという事なのだろう。名鉄としては名古屋駅再開発で名古屋市に優位的立場に立たれてしまっている為に、断れないのでしょうね。しかし、現実的に可能なのでしょうかね?

リニア開通後の名古屋の姿

 ある人と色々と話をしている時に次のような事に気が付いた。

 最近、高齢者が郊外の一戸建てを手放して、名古屋市街の高齢者向けマンションや、介護施設に入る例が多いそうだ。名古屋市内にはこうした方々を当て込んだ老人ホームや介護施設付きのマンションなども新設されているという。

 子育て世代には郊外の一戸建ては生活の基盤だったのでしょうが、子どもたちがそれぞれ巣立って、別に所帯を持ち、さらに夫、妻のどちらかがなくなったりしてみると、一人暮らしに一戸建ては維持にも手がかかり広すぎます。

 従来、シルバー世帯が暮らすのは騒がしい市街地より、静かな郊外というイメージがありますが、体が弱ってくると郊外の生活は負担です。自家用車が使えるのであればまだよいのでしょうが、病気を患ったり、視力が衰えるとそれもままならなくなります。

 実は、シルバー世帯には、食料品店など日常の買い物ができる店舗や、通院できる病院が歩いて行けるような市街地の方が、生活に便利で安心なようです。

 こうしたことから「高齢者の都心回帰」という傾向がみられるようです。

 また、いわゆる「コンパクトシティ」という考え方も提唱されており、駅前などの交通至便な場所に高層マンションを建て、狭い区域で生活を成立させるという考え方もあるようです。(それによる弊害、格差の問題も起きているようです)

追記(1月31日):
コンパクトシティの弊害について、富山市の事例が報告されていましたが。
リンクを張り忘れました。
 富山市はなぜコンパクトシティを目指したのか?
 富山市は「第二の夕張市」となるか――「コンパクトシティ」を目指して暴走する国土交通省と富山市長
 コンパクトシティ富山市は自滅するか否か - Togetter

 名古屋の市街地のあちこちに、老人用の居住施設が建っており、ここに郊外の一戸建てを処分した高齢者が移転しているのは事実のようです。
 これは現在の生活様式、ライフ・ステージを考えれば至極自然で、当然の事のように思えます。

 しかし、これは大変な事になっているのではないでしょうか。

 実は、名古屋市の某駅周辺には高層の老人用住宅が複数林立しているそうです。
 それぞれ立派な施設で、設備やサービスも充実しているようですが、さて、このエリアに阪神・淡路大震災レベルの地震が襲い、ライフ・ラインが寸断された場合、はたして住居は維持できるのでしょうか?

 水やガス、電気が一定期間使えなくなったなら、高齢者の生活する高層住宅は成立するのでしょうか?

 阪神・淡路の例、東北の例を見ても、一時的にはどこか、主には近隣の小中学校の体育館などに避難生活を余儀なくされるのではないでしょうか。

 しかし、これほど大量に、集中的に高齢者が存在した場合、従来のような体育館での避難生活自体、成立するのでしょうか?

 阪神・淡路の例、東北の例では(一応、表面上)日本の社会における共助の姿が成立していたように見えます。近隣住民が相互に助け合い、避難生活をしのいでいたようです。(表面に出なかった/出せなかった問題が色々と発生していた事は承知していますが、今は論点が異なりますので、置いておきます)

 けれども、その共助の仕組みにしても、介助される人と、介助する人の比率には限界があるのではないでしょうか?


 郊外から市街地へ、利便と安心を求めて高齢者が回帰する傾向は、一面では当然で、高齢者の為でもあるのかもしれません。しかし、受け入れる市街地がそれに対してインフラ整備を怠れば、利便性も安心も満足させることはできないでしょう。また、巨大な災厄が発生した場合には、その災厄も集中化するように思えます。

 それほどに、こうした傾向が性急に亢進しすぎているように思えてなりません。

 
 さて、リニアが東京と名古屋を結びます。

 名古屋市郊外の一戸建てを売れば、名古屋市内に施設の整った高齢者施設を手に入れることができ、安心の老後が送れるのであれば、関東圏の人々にとって名古屋市内は同様に安心な老後を送れる市街地に映るのではないのでしょうか?
 名古屋市郊外の一戸建てでこうした資金が得られるのであれば、関東圏の郊外においても同様でしょう。東京都内、山手線内部の狭小住宅であっても、それを手放せば名古屋市周辺の郊外以上の資産価値があり、有利に名古屋市域の高齢者住宅が手に入るかもしれません。

 ひょっとすると、リニアを契機に、名古屋市域は関東圏の高齢者にとって、絶好の移転地になる可能性があるのではないでしょうか。

 インフラが整い(さらに市営の交通機関については「敬老パス」でただ!)日常品の購入や食事にも便利で病院も近くて安心。

 幸いなことに(?)関東圏の人々からは「名古屋は閉鎖的で引っ越したくない」と思われているようですが、そのような偏見が克服され、経済合理的に勘案した場合、関東圏の衛星都市よりも名古屋の方が終の棲家には相応しいと判断する人が増えるかもしれません。

 正常時にはこういった傾向と、名古屋に人口流入が起こることは歓迎できることかもしれません。

 しかし、異常時、災害が発生した場合には、いったいどのような事が起こるのか。

 ・・・今、知事選をやっていますが、こんな論点を打ち出している候補者って居ましたっけね?
 また、来る統一地方選挙で、こういった論点に対策を打ち出せる候補は居るのでしょうかね?