市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

「名古屋大好き」問題(後編)

昨日に引き続き遠藤夫妻に降りかかった問題を描いていく。
本日の記事においても敬称は略させていただく。


 平成23年11月27日の歌謡ショー、そこにゲストとして名古屋市長、河村たかしを遠藤夫妻は呼んだ。その席上、河村たかしより「名古屋の歌を作ってもらえないか」と提案を受け、同じくゲストとして出演していた作曲家の岡千秋に作曲を、遠藤かず子に作詞と歌を依頼、自分もデュエットで参加すると、CD制作の話が始まった。

 ところが突然、河村たかしがレコーディングを拒否、CD制作はとん挫する。

 ここまで遠藤夫妻が負担していた制作代金は500万円をオーバーしているとの事。担当弁護士は積算したようだが、遠藤智也は正確な数字を知らない。
 そもそも遠藤智也としてはCD制作費の事は二の次で、河村にその一部を求めようとも思ってはいない。

 この話には何も書面が残されていない。
 発案が河村であり、デュエットとして歌う事を了承していたことは、数々の側面資料で明らかだが、だからといって法的に責任を追及し、制作費の負担を求めようとすれば余りにも根拠が弱すぎる。

 キングレコードの対応も私から見ると不思議だ。歌唱印税等の契約も予め取り交わしていなかったようで、そういった条件に付いても不明確なまま販売をしようとしていたのだろうか。あるいは何らかの形式は整っていても、とん挫した今となっては関わりたくないのかもしれない、または老舗の鷹揚さから、彼等の信義則に準じて書面は作らなかったのかもしれない。

 確かに、書面を作成しなかったという遠藤夫婦やキングレコードの不手際を責める事はできるかもしれないが、相手は名古屋市長であり、5期16年にわたり衆議院議員を務め、数々のテレビ番組にも出演している人物だ。
 特に一般市民がそんな人物から「一緒にCDを作りましょう」という話を持ち込まれれば、よもや途中で投げ出すとは思わない。

 現代では細かな事でも書面を取り交わすべきだとされ「口約束など信じる方が間違っている」というような風潮がある。しかし、こうした相互不信が地域コミュニティを壊し、ひいては地方自治を困難なものにしているという側面はないだろうか。
 いやしくも名古屋市の市長たるものが市民と口約束でもしたのであれば、それは市長の責任ではないのだろうか。ましてやこの事例はその口約束の現場を様々な関係者が見ているのだ。今更言い逃れは見苦しい。
 
 (減税日本、河村の周辺にはこのような「言った言わない」のトラブルは多い。
 三宅県議のスタッフとのトラブル
 2012-06-28 三宅県議敗訴
 中村孝道市議のスタッフとのトラブル
 2014-06-12 中村孝道市議に見る河村政策の誤り
 などもそういった事例だろう。トップがその組織の文化を作っていくという事なのだろうか。

追記(11月13日):
 三宅県議から強い抗議の電話をいただいた。
 ここで三宅県議の過去記事を紹介したのは、あくまで減税日本、河村氏周辺で、スタッフや周辺の人々との「言った言わない」の争いが多いという傍証を示す為であったが、
 当ブログの仕組みとして、過去記事のリンクを行うと、その記事のタイトルが表示されます。それに対し、

 2012年6月28日の当該記事のタイトルが「三宅県議敗訴」であったために

 「あたかも三宅県議が新たに何か敗訴したかのように取られる」
 また
 「当該記事にある訴訟については、その後の上訴審(地方裁判所)で三宅県議の勝訴が言い渡されているにも関わらず、敗訴であるかのように誤認されるのは不本意である」

 との事でした。以上の2点について配慮が足りませんでした。
 お詫びとともに、今一度念を押します。

 上記訴訟においては、その後上訴審で三宅県議の勝訴が言い渡されています。)
  


 遠藤智也とて企業を切り盛りする経営者である、河村たかしの責任を、法的には追及できないことは充分理解している。しかしそれでも声を上げざるを得ない。それは何故か。


 遠藤かず子は河村がレコーディングを拒否したことに悲嘆した。

 かず子は1月にガンの宣告を受け、先行きが長くないと自覚していたからである。

 自分の余命がいくばくも無いことを知って、それでも名古屋の歌を残そうと、作詞をし、構成を考え、声に影響があると抗がん剤治療も控えていたようである。


 河村とのデュエットがとん挫した後、周囲の人々の勧めもあって、デュエットとして構成した歌を、娘と歌う事にした。

 それが「名古屋大好き」という歌である。

名古屋大好き

名古屋大好き

 平成22年の5月30日 中日新聞夕刊に次のような記事が掲載された。

 この記事で「昨年秋、知人男性から(略)」とある知人男性こそ、名古屋市長、河村たかしである。

 記者もこの歌の誕生に関わる、河村たかしの問題を十分に知っていたが、こうやって敢えて伏せる事で歌に色を付けず、歌自体を名古屋の方々に親しんでもらおうという意図が伺える。

(イメージをクリックすると拡大表示されます)









 更に、8月15日には次のような記事が掲載される。

 歌手 遠藤さと美は7月15日に永眠する。

 影響力が高すぎる中日新聞として、事の経緯を明らかにしてしまうより、こうして河村たかしの関与部分を伏せた方が、名古屋の市民に歌が受け入れられやすいだろうという配慮は判る。歌にまつわるネガティブな情報を伝えるよりも、「病をおして大好きな名古屋を歌った歌手が居た」という「物語」の方が紙面を飾るに相応しいと判断した事も十分理解できる。

 また、遺された遠藤智也が経済目的、つまりCDの売上を至上とするのであれば、こうした記事(つまり、パブリシティ)で納得していたのかもしれない。

(今回、私(当ブログ主催者)は、こうしたCD制作の裏事情を公表することで、却ってCDの販売に迷惑になるのではと思い、それを遠藤さんにも話した)

 しかし遠藤智也の求める物はそんなものではない。

 正しいものは正しい、間違っているものは間違っている。

 そして人間は、他人に迷惑をかけたのなら、素直に謝るべきだという当たり前の事を求めているのではないだろうか。

 また、この記事にあるような「慮り」「配慮」というものは、結局「報道の自主規制」であったり、戦前の体制翼賛的な報道にもつながるものではないだろうか。


 結果として、こうした「慮り」「配慮」で報道、すなわち市民に知らせる事を抑制することは、事実を歪曲していることに変わりはない。市民を本当に信頼しているのであれば、すべての事実を公表すべきだ。それでも市民は良い歌は良い歌と受け入れてくれるだろうし、名古屋市長 河村たかしが一市民にいい加減な口約束を行い、経済的な負担を強いている事例を示す事で、今後同様の被害が起きる事を抑制する事もできるだろう。

 (「鳥久」問題も、この事例と似ているところはないか。

 さらに昨日(11月11日)の市長定例記者会見において、河村市長は「一旦鳥久と合意があった」というような発言をしている。

 河村たかしという人物は自分に都合の良い言葉は耳に入り、自分に都合の悪い言葉は耳に入らないという傾向があるようだ。対話の流れの中で「鳥久」側が河村の申し出を聞き入れ、その条件として「鳥久」から河村になんらかの要望が出されたような場面で、河村は「鳥久」が聞き入れた事は理解しても、この「鳥久」が出した要望については意識の外に追い出しているのではないか?

 個人であればこんな「都合の良い人物」も居てよいかもしれない。しかし、市長、公人がこうした態度で通用する物だろうか。ましてや市長会見という場で、あたかも「鳥久」側が一方的に合意を無視したかのような発言を市長が、名古屋市の公式なインターネット放送で語ってしまうという事は、「鳥久」にとっては重大な信用棄損だ。公人としてまったく配慮に欠ける軽率な発言だ)



 それにしても分からないのは河村たかしが突然レコーディングを拒否した理由だ。

 時系列的に見れば、遠藤が収益金を河村に渡す事を拒否したからと考えざるを得ない。

 また、様々な関係者の発言を聞くと、こういった背景があったのかもしれない。

 実は、減税日本の支援者には名古屋市内で「カラオケ教室/カラオケ喫茶」を経営している人々が多くいるようだ。(河合問題で緑区で活発に活動していたという河村支援者もカラオケ教室の主催者だった)

 こうしたカラオケ教室などでは、通っている生徒さん、会員さんが一定数居るため、選挙などでは力になる。また、カラオケ教室としてもイベントに河村たかしを呼ぶことができれば動員や権威づけに利用できる。

 減税日本の各区の市議、県議はこうして各区、地域のカラオケ教室などの主催者と親しくなっているのだろう。

 さて、そうした状況の中で、港区の遠藤さと美と河村たかしがデュエットCDを出すとなればどうだろうか。自分も同じようにCDを出したいと思う人も出てくるだろうし、それが叶わないという事で河村たかし減税日本に対する支援を取り止める者も出てくるだろう。

 遠藤智也は早い段階で河村たかしにこの事を確認したそうだ。「河村さん、本当にええの? 私らみたいなものとCD出しちゃって、他の支援者の人たちは怒らないの?」そうしたところ、河村は「そんなこと気にしていたら何もできませんよ」と平気な風だったという。

 しかし結局は、他の支援者の圧力に逆らえなかったのかもしれない。

 河村たかしは「政治的勘が鋭い」とよく言われるが、それは単に「思い付き」がたまたま当たっていただけで、実は「勘」は鈍いうえに、最近ではそれが全て裏目に出る。

 よくスポーツで「天才は不調になると修正が効かない」と言われる。例えば「打撃の天才」と言われるような野球選手は、なぜ自分のバットにボールが当たるのか実は自分自身が分からずにバットを振っている事があるらしい。その為、少し打撃フォームが崩れたりすると、バットにボールを当てる事すらできなくなるという。

 河村たかしも今まで好き勝手、思い付きでその場その場、いい加減に行動していたに過ぎないのではないか?それがたまたま運よく当たっていただけ。

 結局、彼自身、なぜ自分のバットにボールが当たるのか、その理由は判っていないのだ。
 だから、彼に今「反自民の第三極結集の方法」など聞いたところで、そんな基本的な構想すら提示できない。具体的政策として名古屋市の国際展示場一つ守れないし、堀川は汚いまま、導水路事業も止まってしまった。そしてこれも一市民の私財である「鳥久」の問題で着地点すら構想できない。

 いったい、名古屋の市民は何を期待して彼に票を入れるのだろうか?

 そして、地元のオピニオンをけん引すべき中日新聞はこういった事実を市民の目から伏せたまま、その選択の結果だけ市民の責任と言うのだろうか。

 そして、今後、河村たかしと様々な直接交渉を行うかもしれない皆様に申し上げる。
 河村たかしを信頼できる名古屋市長などと思われてはならない。

 河村たかしと交渉を行う際には、後々「言った言わない」の程度の低い言い争いにならないよう、最後に必ず合意事項を書面に収める事をお勧めする。


 最後に亡くなられた遠藤かず子(芸名:さと美)さんの文章を掲載させていただいて稿を閉じる。減税日本、または河村事務所の関係者の方々に告げる。
 これは他人事ではない、事の理非曲直はあなた方にもかかっている事は判っているだろう。是非、遠藤さんに対するちゃんとした対応を考えるべきだ。

 そして 河村たかしに告げる。
 人間として恥ずかしくはないのか。

河村市長様

市長さん軽率!
信頼が崩れました!
市長さんの言動、行為、言語道断
失望しました。

 師匠岡先生も 河村市長からお願いされたから名古屋市のためになるのならと、一生懸命協力してあげたのに・・・作品の仕上げに来て阻止を図っている反対派の意見を鵜呑みして保身のために二転三転とブレマクリ支離滅裂な行為は一国一城の党首のやることではない!俺達は踊らされただけだったなぁ!と怒り心頭です。

 私の個人的な見解は名古屋の歌は以前から大物歌手が歌ってもヒットさせていないし名古屋市の町はイメージ的に絵にならないといった理由から歌いたくなかったけれど、市長さんから直々に「作曲を岡さん、作詞を遠藤さん、歌は勿論遠藤さんに!」と強い要望でしたから「私なんかでいいのですか!?」と念を押したら「勿論えーですよ!!」と市長さんのご即答頂き、(名誉)の二文字に心動き、岡先生と相談し名誉なことだからとお引き受けすることにしました。名古屋市の公金は当然使用できないしお金が払えないからお願いしにくいのですが・・・と言う市長さんの意向も踏まえ、制作費用も一切こちらサイドで工面してスタートしましたのに!こんな馬鹿げた事私の人生の中でも前代未聞の出来事です。

 ご自分が言いだしっぺの河村市長さんがまさか・・・!!

 この件ご依頼受けました時は、平成23年11月27日昼食のお弁当を中電ホールの控室で食べている時ございましたが翌年1月に歯科のインプラント治療を受けるために血液検査を受けたところ、白血病になる手前の症状であることが判明。医師から早急に入院し抗癌剤治療を勧められましたがその抗癌剤のリスクの中に(声がれ)があることを聞かされ、私は命よりも河村市長さん直々にお声をかけて頂いた名誉を選びました。結果、現在、私の病気は進行して余命3,4ケ月と告知されました。もうこのきれいに咲いた桜も今回で見納めになってしまいました!私の趣味で始まったカラオケ人生の最後の名誉な歌「名古屋大好き」幻の歌に化かしてしまいました。

 公人の河村市長さん無責任なお言葉に踊らされてエンディングを迎えることになりました。内の娘がテレビのニュースを見ていて河村市長さんが映った時「人でなし!母さんが減税党の応援をどれぐらいしていたのか知っているの!?」と悔しがってスリッパを投げて泣いてくれました。

 私は河村市長さん大好きな森進一さんのおふくろさんの歌詞に「おまえもいつかは世の中の傘になれよと教えてくれた。あなたの真実は忘れはしない♪」この歌詞にきっとご自分の政治家を志したすべてがおありになるのでは・・・と勝手な解釈をして想像を楽しんでいました。河村市長のマニアルを見てまっすぐな政治家を信じておりました。しかし、どこにでも転がっている政治家と同類項であったと知った時すべてが興ざめしました。あなたが名古屋市長である限り、名古屋大好きは歌いたくないです。けれど岡先生にも私のブレーンの方々にもこの歌を何とかの熱い心でカラオケ好きの皆さんに宣伝して下さってますのに当人の私が知らんぷり出来ないのが実情です。ですから命のある限り頑張ります!

 市長さんはいつ誠意を見せてくださるのでしょうか?
 物は言いよう伝えようで全然事実が曲げられていく恐ろしさを政治家の市長さんは嫌というほど体験されておられるはずですが・・・。

 平成24年4月11日

                                遠藤さと美