市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

相生山から届いたメール


 非常に激烈なメールをいただきました。

 それに戸惑いながら、迷いながら本日のエントリーを書いてみる事にします。

 その前にちょっと前提となる話を。

 9月25日にいわゆる「上原元国立市長に対する損害賠償請求訴訟」の判決が出されました。

 "平成23年(ワ)第40981号 損害賠償請求事件"

 上原公子氏が「景観を守る」として国立市内にできる高層マンション建築に反対し市長立候補、選出される。その後このマンション建築に対して市長として様々働きかけを行いマンションは規模を縮小して建設された。
 これを受けて建築業者が国立市を訴えこの賠償請求については国立市の瑕疵を認め業者に賠償支払いが為された。(この賠償金は後に業者から国立市に寄付として戻されている)(上原氏は市長を退任。参議院選挙に出馬するも落選)
 国立市民から上原氏の行為が業者に対する営業妨害、信用棄損であって国立市は業者に賠償支払いを行った事により損失を蒙った。であるならば国立市は上原氏個人に国家賠償法1条2項に基づく求償権を有していると住民訴訟を起こされた。
 この住民訴訟は求償権を認め確定している。
 上原氏はこの支払いを行わなかった。
 その為国立市は再度求償金並びに遅延損害金の請求を訴えた。
 国立市議会はこの求償権を放棄する議案を賛成多数で可決した。現市長もこの議決を再議に付すなどしていない。

 経緯のあらましはこんな所だ。

 上原元市長のマンション建設阻止の動き自体は「機密漏えい、営業妨害」を認定されるほどのもので、業者の損害賠償が認められた背景にも、この動き自体の違法性が認められている。それを受けた住民からの国家賠償請求も認められてしまっている。

 つまり、この国家賠償法1条2項の「重大な過失」をどう捉えるかという問題について、前訴訟では政治的判断といえども遵法的な手続きに則るべきとしているのであろうし、今回の判決はその判断から逃げたとも言える。

 一般には市長が政治的判断を行い、選挙で民意を得ているのであれば「重大な過失」とまでは言えないのではないか。それを「重大な過失」としてしまっては自治の可能性が狭まる、という意見もある。確かに。*1

 市長が選挙で訴え、市民がそれを選択する。民意が示されたのであれば、その民意に則って動く事こそ市長の責務であるという考え方だろう。

 この考え方には理解を示しても良い。

 しかし、では、その前提として市民、有権者は正しい情報を与えられているだろうか。

 市民、有権者は歪みの無い情報を元に政治的判断を下せるのだろうか。

 このイメージは10月13日の朝日新聞だ。「Tポイントカード」を持っている*2「ツタヤ」に、なんら批判もなく「提灯」を付けているように見える。

(この3年、図書館建設について市民意見の聴取が行われないまま、唐突にツタヤ図書館、CCC図書館の導入が決定されたという住民不在について、朝日新聞は不問であるらしい)

 住民が事実を提示され、または様々な情報を示されて、政治判断を下しているのであれば、その住民の判断は住民の責任と言っても良いだろう。

 そしてその判断を執行する市長に責任を追及するのは酷かもしれない。

 しかし、市長が事実ではない事を提示し(というか、嘘を言い)それをマスコミが無批判に拡散した結果として形成された「民意」について、市民、有権者は責任を負うべきだろうか。嘘を言った市長に責任はないのか。その嘘を嘘と伝えなかったマスコミに責任はないのだろうか。

 今、将にこの名古屋において、事実とは異なる事を前提として、政治的判断が下されようとしている。

 言うまでもなく相生山問題だ。

 今回いただいたメールには写真が添付されており、この写真の入手方法について私は一切関知しない。また司法当局がこの写真の違法性を追求しようとしても、私は情報源の秘匿を楯に何も語るつもりはないし、何ら協力もしない。

 つまり、工事が停止している弥富相生山線の工事区間の「内側から写された」写真が送られてきているのだが。工事区間の中に入る事は危険であり、違法だろうと思う。

 しかし、この違法行為は市民の知る権利によって充分阻却できるものであると判断する。
 更にいうなら、この場所は市民の所有物である。
 市民が政治的判断を行うために、その実情を知る事は当然の権利であると主張する。

 その上で名古屋市当局、または名古屋市長がこれらの写真に対して違法行為であると訴えるのであれば、「市民に何を隠す必要があるのか」と問う事になるだろう。 

 ・・・と、散々予防線を張ったところで。

 最初の写真をご覧いただきたい。

 相生山の自然だそうだ。こうした「自然」をこのまま守っていきたい。

 誰でもそう思う。

 こんな自然を潰して、コンクリートアスファルトの道路だらけにするなんて、けしからん。

 誰でもそう思う。

 だから相生山には道路を作る必要などない。

 果たしてそうだろうか。

 実は 相生山の自然保護=道路建設反対 という図式は成立しない。

 何故なら、この写真の部分にはすでに道路ができているからだ。

 この写真をご覧いただきたい。

 先ほどの写真の「下」を撮影したものだ。

 半隧道になっており、隧道の上には木々が生い茂っている。

 よく山道などで見る落石防止の為の半隧道ではない。

 自然保護の為の半隧道なのだ。

 こうした配慮の為に、この道路は29億円もの過大な予算を付けて造られているのだ。


 そう、もうすでに造られている。

 この2〜3年の間に、ホタルの鑑賞会や散策で相生山を訪れた方は、その自然を満喫されただろうが、そのすばらしい自然と、道路はすでに共存しているのだ。

 次のイメージは Google map の画像である。( 参照
 道路が2ヶ所、途切れているように見える。左側(下山畑側)の途切れは、道路が半隧道に潜ったために空からは見れないだけだ。右側の途切れている部分が未着工区間となる。

 今回の住民意向調査でも「道路工事はヒメボタルがもっとも多い場所にかかろうとしていた」という発言があったそうだが、果たしてそうだろうか。

 これが今回、市当局が示した「ヒメボタル分布の経年変化」だが、道路予定地よりもその北側の方が飛翔目撃日数は多いようだ。

 この当局の示した分布調査について、建設反対派から批判の声が上がったそうだ。
 また、会合の後の市長インタビューでもフリーランスの記者から否定的な意見が出されていた。

 これについて私は虫好きの友人に聞いてみた。

 道路予定地はちょっとした窪地になっている。写真はその近くらしい。

 相生山ではこういった窪地に生活排水などが流れ込んで(住民意向調査での住民の発言)、そこにヒメボタルが生息しているように思える。

 ホタルと言えば水辺と思うからだ。

 まず、これも誤った「思い込み」
 「イメージ先行の歪んだ事実認識」だそうだ。

 ヒメボタルは水辺よりも陸地を好むのだそうだ。


 また、昆虫の個体数分布を調査するのであればその手法は大きく分けて3つあるそうだ。
1.区画法
2.標識再捕獲法
3.除去法

 区画法は全体区画の中から一部を選択して、その場所を根こそぎ調査して個体数を調べ、それによって全体を推計するサンプリング調査といえる。これは生息域に対する負荷がかかることから、ヒメボタル保護の観点から当局が行う事は出来なかっただろう。

 標識再捕獲法は捕獲して標識を付けるのだが、幼生から成虫まで脱皮を繰り返す生物では標識が有効に働かない。(つまり、表面に何を塗っても無駄になる)

 除去法には「最尤法」と「直線回帰法」があるが、こちらも捕獲を行う。
 捕獲を行うため生体に負担がかかるうえ、捕獲のスキルがないと行えない。

 つまり、とかく批判を受ける市当局が、この場所でヒメボタルを素人ながらに捕獲したり、標識を付けてみたりすれば批判を受ける事は目に見えている。それよりは生体に影響を与えない、非破壊的な目視調査を行う事は理に適っている。

 また、確かにサンプル数は少ないが、それなら予算が認められるのかという話になるだろう。予算さえ潤沢に有れば生体に負担がかからない手間のかかる除去法でも実施可能だ。

 しかし、この区画別の飛散目視日数という方法、確かに個体数を調査するには問題があるのかもしれないが、こうやって一定範囲の中での分布傾向を掴むのには何の問題も無いんじゃない。

 という事だった。


 さて、その問題の窪地であるが。まず、反対する人のイメージに「ホタルは窪地の水辺」という思い込みが無いだろうか。これは全くヒメボタルという生物の生態を捉えていない思い込みに過ぎない。

 二つ目、確かに道路はこの区画にかかっているが、ではこの窪地や林を潰してしまおうというのか。

 いや違う。

 相生山線はこの区間に橋脚を立てて(Google map で2つ見えている)橋のように窪地をまたぐのだ。

 つまり、下山畑側においては半隧道として山の下をくぐり、久方側の窪地には橋を架けるのだ。両方とも何のためか。すべては相生山の自然を保護するためだ。

 今あるこの相生山線という道路は、これほど自然と共存を考慮した建造物は無いのではないかと言うほどの代物になっている。予算も過分にかかっている。

 メールから抜粋して主張をご紹介する。

 住民意向調査において反対派からは「道路はもう要らない」という意見があった。
 自分たちの町であれば自由に仰っていただけばいい。しかし他人の、我々の町には救急車や消防自動車の到着が遅れても良いとおっしゃるのか。

 「新たな生きがいや生活の大事な一部を相生山の自然に求める」「生き生きとした体験をしたり、友人との出会いを奪うな」という意見もあった。地元住民の生活や安全を無視して、その不便を顧みずにそれらを求めるのは手前勝手というものではないのか。

 最後のイメージは今定例会で提出された「震災に強いまちづくり方針 平成26年版」である。

 ここに示された未着工の「防災道路」に弥富相生山線は含まれている。

 もう一度言おう。「道路建築=森林の破壊」ではない。相生山線についていえば、切り拓くべきところはすでに開いて、道路はあらかたできているのだ。相生山に出かけてみて欲しい。確かにすばらしい自然を満喫できるだろう。しかし、その自然のすぐ足元にはすでに道路は引かれているのである。完成しているのだ。

 この地域の住民に、いざという時には救急車や消防車を迅速に送る道路が、すでにできているのであって、改めて山を切り拓くというような話ではないのだ。

 果たして、ここまでできている物をぶっ潰して「自然公園」にする事が正しいのか、地域住民の要望に沿って道路を再着工すべきなのか。どちらが本当の住民自治なのだろうか。

 そして、こうした実態、事実*3を報じるマスコミは現れるのだろうか。

 視聴者、読者の勝手な思い込みに阿るのは容易だ。しかし、そんな判りやすく、飲み込みやすい「ドラマ」を「報道」し続ける姿勢をいつまで続けるのだろう。


本文中に入れられなかったが
http://himebotaru.blog.so-net.ne.jp/


 

*1:石原東京都知事の場合は、外形標準課税や新銀行東京の問題でも、個人の責任については逃げ切っているからなぁ

*2:つまり、D通の御威光を受けた

*3:確かに「一方の事実」かもしれない。しかし、この一方の事実がなかなか伝わらないではないか。