名古屋市の平成24年度の歳出額は1兆19億円*1となっている。
平成24年は366日あって、これを秒数に換算すると31,622,400秒となる。
この値で歳出額を割ってみると31,684円/秒という商が出てくる。
つまり、名古屋市は1秒間に(勿論、土日祭日、深夜も関係ない)およそ3万1千円づつ支出をしている。予算を執行している計算になる。
皆さんが今、このブログを読み始めた5秒ほどの間にも、すでに15万円ほどの予算執行が行われているのである。
本日の名古屋市長会見。相も変らぬ内容の無さに幻滅している。
http://www.ustream.tv/recorded/41301480
先ず、 先週と同じ話、政務調査費の按分だけの領収書で政務調査費の支払いを受け取っていたという話に幻滅する。それがダメだと市長が思うなら、とっとと適正化命令でもなんでも出せばいい。条例では「領収書等」となっており支払額が判れば良いとなっている。
そもそもこんな話は河村市長のお気に召すように「訂正」でもすればおしまいの話で、それが河村市長の条例の読み違いであろうとどうでもいいのではないか?この際。議論するだけ馬鹿馬鹿しい話だろうと思う。
その馬鹿馬鹿しい話に市長会見開始4分頃から12分頃まで、時間を浪費しているとしか思えない。この10万円、7万円の話をしている8分間に執行された予算額は1,5208,320円にのぼる。
この日の市長記者会見はそれでも視聴の価値はある。
12分ごろから話題は「弥富相生山線」の工事再開に向けた住民投票の話題に移る。
17′40″頃には河村市長は住民投票を行う市民に、投票の際の参考となる情報を知らせる必要があると、「(来)年度に入ってなるべく早く、4月位までには住民説明会を開きたい」とし、住民投票はその後に行い、工事再開ということになれば補正予算で対応するという方針で居たようだ。
しかし29′50″に記者から厳しい質問が出される。
公式会見動画は記者側にマイクを設置していないためか、質問事項が良く聞き取れなかったが、おおよそ「河村市長は4月の市長選挙にマニフェストとして住民投票を盛り込んでいた。これまでの予算の中で住民投票が実施されるものと見守っていたが、この7月、8月と今まで何をしていたのか。入倉副市長が来年度予算に工事再開の予算を付けると議会で回答しているのに、市長がここでハシゴを外すのか」と迫った。(上手く聞き取れていないので、相当に私の補完がある。また、発言者は記者の中でも重い立場の人物であるという情報も得ている)
追記:12月3日(火)の午後5時から、ケーブルテレビ局であるスターキャットTVが市長記者会見の模様を放送するという情報が入った。いつもは月曜日に放送しているが今週は翌日になったようだ。ここは質問者側の記者の音声も拾っているのであるいは対話がもっとハッキリするかもしれない。
これを受けて河村市長の態度が一変する。
「早くやってもいいですよ。やれるのなら早くやる」
「1月にやる」
33′00″頃には「私はやりたいですよ早く」という発言もある。
そもそも先日行われた天白区の住民との意見交換会では「住民投票はしないで欲しい」と住民から要望が出ていた。議会では住民からのこういった声を受けて「住民投票にこだわらない意思決定」を求めていた。委員会における入倉副市長の回答もこの線に沿った発言であり、委員会における減税日本ナゴヤの意思表示も「住民投票にはこだわらない」というものであった。
それでもなお住民投票にこだわる河村市長の態度は奇異に感じる。
「住民投票が最も民主的な手段」と言っているが、これも「戦後民主主義」的発言では無いだろうか。こういった安っぽい「民主主義」理解が、「多数決絶対」になり、「少数意見の圧殺」に繋がっている。それが河村流民主主義の底の浅さだ。
そして醜悪な事に、自分が少数意見を圧殺している事に無自覚なのだ。
今定例会において丹羽議員が「我々既存議員はあなたからリコール、馘を突きつけられたのだ」と訴えていたが、河村市長からはついぞリコールの反省は聞かれない。
それでいて「既存政党の皆様には、新人ばかりの減税日本の議員をよろしく教育して欲しい」という発言をしているのだから飽きれる。
議員報酬などについて「嘘」まで吹聴して既存議員を貶め、リコール運動を煽った態度は、自分の減税政策に対する反対意見の抑圧であり、「少数意見の圧殺」でしかない。
そのような態度で居るから、減税日本ナゴヤの市議が「自分を支援してくれる市民の意見は聞くが、自分たちを支援してくれない市民の意見など聞く気は無い」と呆れ返る発言をするわけだ。
河村市長自身が、全体の奉仕者であるという根本が判っていない。
その為に、素人で社会経験の浅い減税日本ナゴヤの議員から、こういった浅薄な「民主主義」的発言が飛び出すのは理の当然だったのだろう。
そして今、まさに天白区の意見交換会で、天白区民が河村市長に行った嘆願である「住民に亀裂を生じさせる住民投票の実施を回避する事」は無視され、年度内に住民投票が行われるという結論が(記者会見の席上で)生まれた。
名古屋市の行政は、現地の住民との意見交換会や、議会の議論ではなく、記者会見の席上で決まるらしい。
そういった事例が今日の記者会見だ。
さて、この市長定例記者会見の最後にちょっと意地悪な質問が投げかけられた。
「市長マニフェストを作った支援者の方が、相生山の道路建設に反対しているのですが、道路建設の結論を住民投票にゆだねてよろしいのですか」というものである。
この人物こそ彼の
小島敏郎青山学院大学国際政治経済学部教授である。
http://genzeinippon.com/seicho/nagoya/j_policy.pdf
2010年10月にはこんな事もしているようだ。
お母さんのための名古屋生物多様性ホットスポット会議: 小原玲(動物写真家)のブログ
なんと、減税日本一愛知の野田留美県議の名前も掲載されている。
平成23年3月に「財団法人 東京市町村自治調査会」というところが「多摩の生物多様性シンポジウム」という催しをしているようだ。
http://www.tama-100.or.jp/cmsfiles/contents/0000000/6/H22.symposium.pdf
この中で小島教授は次のように述べている。
私は名古屋市の経営アドバイザーに就任し、平針の里山、相生山のホタル、野田農場という都市農業の維持や自然を保全し活用するための三つの具体的なケースを担当しました。*2 緑はどういうときになくなるのでしょうか。相続のときです。相続税が納付できないため、まとまった土地を売るのです。相続税は国税です。政府は、相続税で緑が無くなるということが起こらないような措置を考えるのでしょうか。 (pp.15)
非常に「新自由主義的」な考えをお持ちのようだ。歪んでいる。
相続税さえ軽減すれば、自助的に「緑」は保持できるのだろうか?
小島氏*3は「入会地」の文化などはご存じないのだろうか?
自助的に「緑」は保持などできない。こんな考えはマヤカシだ。せいぜい、野田農場に対する税率を軽減させる程度の効果しかない。そしてそれは野田農場自体を守るのか?
守山区浸水被害説明会 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
この文章が書かれた直後、23年に起きた台風15号による出水被害は、尾張旭市の大広見池を越え、その下の大村池、蛭池、そして筧池と玉突きのように越水を起こし、野添川に至りその河口にある「野田農場」に被害をもたらした。
これらの池は元々この地域の田を潤すためのため池であった。この被害を引き起こしたものは、それまでため池を管理してきた地域の力の減退(共助の減退)と、それに立ち代るべき行政(公助)の弱体化である。
つまり、税により手厚い行政管理が必要であったにも関わらず、それがなされていないが為に、出来ないが故に越水に至ったのだ。税の軽減はこの傾向を拠り酷くする。
小島氏は次のようにも言う。
七人の侍のように自分の足で立つ、自分で自分の村を守る、そのために自分でお金を出してお侍さんを雇う、最後はお侍さんと一緒になって戦う、住民の運動もそのように変わっていかなければ、いつまでもお上を頼りにした運動にしかならないのではないかと思います。(pp.16)
個々人がそれぞれ好き勝手な事をしていては社会は成り立ちません。
当ブログでも映画「七人の侍」の島田勘兵衛(志村喬)の台詞は幾たびか引用している。島田勘兵衛はこういう。
他人を守ってこそ自分も守れる、己のことばかり考える奴は己をも滅ぼす奴だ
住民が公共圏を守るために「戦う」とは、住民運動を行って「自分の主張を訴える」ことではない。そうではなく何が自助であり、何が共助であり、何が公助であるかをわきまえ、時には自分の時間や財を地域社会の為に差し出す行為だろう。
(野田農場の在り方が「共助」に準じているとはとても思えない)
小島氏も理解が浅薄であるが為に、河村市長と波長が合うのだろう「」。
このような発言もある。
目標を100年先だけに設定してしまうと、100年後には目標を設定した人は誰も生きていないので、責任をとる人がいない、すなわち無責任になるからです。(pp.49)
社会対して提案を行った者は、それなりの責任を取らなければならないだろう。
すでに名古屋の市民は3年以上、止めた工事の維持費を払っている。
責任を担っているのだ。
果たして小島氏はどのような「責任」の姿を見せてくれるのだろうか。
また、河村市長は、発言どおり1月に住民投票を行うことができるのか。
そして住民投票の際には、住民にちゃんと判断できるだけの賛否両論の文章を示すことができるのだろうか。
・・・この文書、 「弥富相生山線」の工事停止の提言は誰が書こうとご自由だ。なんでもすでに出来上がっている道路部分を「ホタルの観察道路」にするような案もあるらしい。年間、何日利用できるのだろうか。
しかし、工事再開の立論は名古屋市が執行する事業であるのだから、名古屋市が責任を持って説明文を書き上げるべきだろう。そして、名古屋市が責任をもって文章を書くということは、その執筆者は「河村市長」ということになる。(丹羽市議の質問に正直に答えたように、ゴーストライターが書いて、サインは使いまわしでも十分)
工事停止と再開の両論併記。工事再開の文章について、文責は名古屋市長の河村たかしになるべきだろう。「」
そして迅速に実現させるべきだ。名古屋市長は寝ている間も、安酒に酔っ払っている間も、1秒ごとに31,684円の執行責任を負っているのである。*4