市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

世界経済再生への提言

 政治は、いや、企業やその他の組織もそうでしょうが、人を動かそうという時に、大切になるのは「問いの立て方」だろうね。

 いっぱしの政治家であれば、自分の中に多くのヒトが共有できる「問い」の一つや二つ持っていなければおかしいし、それへの回答も用意するだけの能力が無ければダメだろう。

 そういう意味も含めて、(元々教育に携わってもいなかった者という制限の中で)教育に口を出す政治家は偽者だと思っているし、議会改革ぐらいしかネタが無い政治家も偽者で何も考えていないに等しい。

 普通の人間であれば、学校には何年も通っていたのだから、教育に付いてアレコレいうことぐらいは出来るだろうし、議員にとって生活の場である議会の改革など、単なる身の回りの問題でしかない。

 名古屋だけではなく大阪であるとか武雄市の問題を追いかけているうちに、もう少しこの定義は正確になった。「教育を語る政治家の内、その大部分は教育について語っている。自分(政治)の責任範囲であるだろう教育行政について語る者は少ない。教育と教育行政の相違が判らない者は偽者の政治家である」

 某所に”21世紀の若者のための政策立案”「ソーシャルシンクタンク」と謳っているサイトがある。はい来た。はいここ笑いどころ。そこでの「問いの立て方」が「渋谷のイイトコってどんなとこ?」やら「渋谷のワルイトコってどんなとこ?」だと。
 集計して渋谷区長に持ち込むらしいけど、区長という仕事も大変だ。

 これを見ていると「ナゴヤ庶民連」を思い出す。

 地元の問題を考えようとしても、調査能力などに問題があるのか、目の前の問題が見えども見えずなのか。漠然とした感想を述べ合うような形になって、それでいて「政治の話」と大上段に構えると一気に憲法論だのTPPだの外交だのって話になる。つまり、床屋政談、居酒屋のヨタ話程度のテーマにしかならない。
 決定的に「浅い」

 渋谷で若者といえば、非常にクリティカルな政治のテーマがあるのに。

 http://www.city.shibuya.tokyo.jp/gikai/02katsudo_ikensyo_2013_3_2.html

 クラブ(といっても、おと〜サンたちの行く方じゃない方のクラブ)の話題なんだけどね。

 まあ、大丈夫。

 こんな薄っぺらな話を転がしていても、適当にバカなタレントでもブッキングできればどこかで議席を獲得するぐらいは出来るでしょう。

 バカなタレントって、ナンだって?

 そうですね、詐欺会社の広告塔になっても平気なくらいのバカなタレントね。
 (そういえば、愛知県でもこの人を顧問だとかって言っていたヒトいたね)

 まあ、こうして「政治家」になって、議席を獲得して、それでナニをしたいかは全く不明ですけどね。


 地方行政、地方政治にとっては、こんな漠然とした「政治」の話よりも、それこそ歩道のひび割れであるとか上下水道の耐震性の方が重要なんだろうと思える。
 地域の住民の安心安全を確保できずに、国の、国民の安心安全を語るなどお笑い種でしょう。

 つまり、歩道の舗装も、外交や経済政策も、国民の安心安全という視点から捉えるならば、まったく同じ視野に入っているわけだ。
 その歩道の舗装の問題を「程度が低い」などと投げ捨てた「ナゴヤ庶民連」のメンバーには愛想が尽きたが、そういう勘違いバカは多い。

 なのでこのブログでは漠然とした政治の話はあまりしたくないが、今日はちょっと面白い動画を発見したのでご紹介したい。

 タイトルが「世界経済再生への提言」

 ジョセフ・スティグリッツポール・クルーグマンに標題に付いて語ってもらった動画だ。公開日は2012年9月になっているので、一年以上前である事は間違いが無いが、現在に至るも発言に大きな修正は必要ないと思われる。

 それどころか、日本においては昨年の暮れに積極財政策である「アベノミクス*1」が国民の支持を受け、この両人の提言はより一層重みを増しているように思われる。

 両者の共通して注目しているポイントは「有効需要の創出」である。

 日本において行われてきた小泉・竹中構造改革民主党財政均衡政策は、「生産性」を追及する「供給力強化策」「サプライサイド経済学」であって、その結果が現在の過度なデフレと社会的閉塞感に繋がっている。

 現在、名古屋においても愛知県との統合であるとか「中京都構想」という得体の知れない代物がのさばっている。先日も東国原さんのお友達の方が「ホールディングス」による統合とか訳の判らない事を口走っていたが、こういった「都構想」というのも、結局「二重行政の解消」というのが目的であるのなら、こうは言えないだろうか。

 「二重行政で何故悪い?」

 「車においてフットブレーキサイドブレーキはダブっている、自動車会社が過剰に装備を付けているんだ」と怒る人が居るだろうか?

 行政機構が二重であるからというだけで、悪いわけではあるまい。

 逆に、こういった掛け声で行われた省庁再編、それによって「科学技術庁原子力安全局」が無くなって、国の機関から原子力行政に対するブレーキが失われたという意見もある。

 変な話だが「二重行政」で一つの事をやろうとする時に二重の手間がかかるのであれば、ひょっとするとそれも「需要の創出」かもしれない。(動画の途中でクルーグマンはそれに似た事を言っている)


 特に、スティグリッツは「格差の拡大は需要を縮小させる」と社会的格差の解消が、デフレを解決し、需要創出に役立つ事を述べている。

 これもちょっと考えればすぐに理解できる。

 給料でギリギリの生活をしているヒトならば、少し所得が上がれば即座に消費するだろう。たぶん、こういった人たちは生活に必要な何かを少しずつ我慢しているので、こういった所得階層には潜在需要が溜まっている。
 しかし十分な所得階層にいる人たちは少々所得が上がったところで、それを消費にまわそうという事にはならない。こういうクラスの人々はすでに生活が満たされているからだ。

 特に私は現在の日本において、雇用は重要な意味を持つと思う。
 日本における雇用の流動化こそは、日本の社会を蝕む病巣だろう。

 若者の雇用が安定しないために、彼等は結婚、出産、育児という生活の段階を踏むことができない。なぜなら、こういった生活の段階は将来的な安定が見込まれないことには進む事ができないからだ。(ここから更に議論は進むがここで打ち切り)

 また、クルーグマンは積極財政策が必要であると訴える。
 これは「アベノミクス」の1と2の矢で実現化している。*2

 ここで指摘したいことは「河村流減税政策」はこの両者の提言と真っ向から反するという事だ。「河村流減税政策」は「減税」であるから納税者に戻す補助金という性格を持つ。
 これは非納税者、つまり(資産を持たない)年金生活者や貧困層には恩恵が無い。
 納税を行えるほどに所得がある人、所得が多く、納税額が多いヒトほど手厚い補助金という逆進性を持つ。

 これはスティグリッツのいうような「格差の解消」ではなく「格差の拡大」に当たる。
 (それでも 0.6% 程度なのでたいした影響にはならないが)

 また、クルーグマンは積極財政論を推奨するが、「河村流減税政策」を行う限り、名古屋市は政策的市債の発行を行うわけにはいかない。市債の発行を増加させれば総務省から税率の減額を許可されない。

 現に、現在名古屋には碌な経済振興政策が無い。

 ・・・呆れ返るほど何も無い。

 ちなみにこのページ
 名古屋市政関係リンク集 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 に政令指定都市のリンクと、各市の議会へのリンクを作った。

 このリンクを使って各都市のHPで「経済振興」という文字を検索すると、川崎市は54件、新潟市は691件、堺市は1545件ヒットする。さいたま市は5620件もあるようだ。
 名古屋市は果たして何件か。
 "経済振興の検索結果”


 河村市長の提唱するような「新自由主義」の考え方は間違っている。
 河村市長は「名古屋は東京に上納金を払っている」と納税額に対する地方交付税の少なさに不満を漏らすが、この考え方は日本を離れタックス・ヘイブンなどに逃げ出す「新富裕層」の論理に非常に似ている。
 まだ「新富裕層」は「自分の稼ぎ」についての不平と言えるだろうが、河村氏は「自分の稼ぎ」でもない。

 日本の各地方が河村氏の言うように利己主義的に自分たちの地域の事だけ考えていたならば、日本という国は成り立つのだろうか。

 そもそも名古屋の税収、名古屋市内の法人や個人の所得、収入、が、名古屋市だけのものであるという考え方自体が異常だ。

 「新自由主義」は圧倒的大多数を不幸にする。
 その不幸の上に、少数の繁栄があるのだとすれば、そんなものを享受して、大多数の人々の苦しみを理解できないような者は人間ではない。
 ABCServer

 「新自由主義」は人間の社会を失わせ、リバタリアンの、怪物の社会を作るだけだ。*3


 追記:
 話がひん曲がって「国債とは国内の財の偏在である」という話に行き着かなかった。


*1:一部、怪しいところがあるのでまだ安心はできないが

*2:3の矢が方向性が違うので心配なんだけどね

*3:功利的でない。つまりゲーム理論に暗い「リバタリアン」というのは、しかし、嘲笑の対象でしかないだろうけどね