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一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

「国破れて議員あり」のひとつの検証

 9月に入ろうとしています。

 地方議会にとって9月はひとつの区切りとなります。その9月議会を前に、さまざまな動きが見えてくるようです。

 相変わらず事態がはっきりしない減税日本ゴヤ、中村孝道市議の政務調査費不正請求疑惑&リコール署名簿紛失問題ですが。
 現在のところ、減税日本としては「議員辞職勧告」を出しているようです。

 ところが、市議団の減税日本ゴヤとしては、こういった対応をしていません。

 なんでも、園田団長が中村孝道市議に「会派を離脱して欲しい、幹事長についても辞めていただきたい」と電話をかけたところ、中村市議より「わかりました」という返事をもらったので、新幹事長として鈴木市議を互選したそうだ。

 ところが後になって中村市議より「やましいところがないのに会派を離脱する理由はない、幹事長も辞めない」とねじ込まれたそうで。園田団長が「『わかりました』と返事をもらった」と再度、幹事長辞職を求めたところ、中村市議より「園田さんの意向が幹事長辞任であるということが判ったと言ったまでで、幹事長を辞めるとは言っていない」と言い張られ、結果として幹事長辞職は成立していないようだ。*1

 名古屋市:会派別議員名簿(市会情報)

 今日に至るもまだ、減税日本ゴヤの幹事長は中村孝道市議である。

 聞くところによると9月3日には議運*2が行われ、その後議運のメンバーで3日〜4日と一泊の視察旅行があるらしい。中村孝道幹事長はこの視察旅行に参加されるのだろうか?


 激動の予感がする9月定例会を前に、本日は少々古い話を穿り返してみようと思います。

 そもそも河村市長というのは衆議院議員として、どうであったのかという話です。

 私は2期目の途中ぐらいまでは、まだ納得のいく活動をしていたのだろうと思います。

 ちょうど、本人も「議員立法集」という資料を公表していました(過去形)ので、これに沿って話をすると。
 

 平成7年のいわゆる「NPO法案」については意味があったと思います。(その後、名古屋市長として、名古屋でこの法案の精神を実現する機会があったにもかかわらず、それができなかった、しなかったのは何故か。という興味深い問題はありますが)

 平成11年に移っても、基本的にはこういった「規制緩和」の方向で法案を作成していた姿は意味があるように思われます。ただやはり、ところどころヘンテコな「法案」もありますけどね。

 たとえば、17番目、第146国会(平成11年)の時の「立候補休業法案(仮称)」というのは「選挙に立候補する場合、6ヶ月前から無給の休暇を企業に申し出、雇用保険から賃金の25%の支給を受けることができる法案」だそうです。
 後に河村氏は「議員特権」を散々攻撃するわけですが、これは議員特権どころか、その前の「候補者特権」とでもいうべき法案で、そもそもの考え方に疑問が浮かびます。

 それでも最初の頃はこういった政策案を打ち出して、それで支持を得ようとしていたのか、さまざまな問題に関わろうとしていた事がわかります。

 しかし、河村氏は改選を重ねる毎に感じてしまったのでしょうね。政策を研究し、法案を提出しても人気は出ない。それよりもテレビに出た方が人気が出て票も伸びる、と。

 法案を組み上げようとすれば地道な努力が必要とされます、テレビ番組でビートたけしさんや三宅久之さんと、お茶の間を沸かせる極端な発言をして絡んでいた方が、支持の拡大には簡単で効果が高いのです。

 こういったテレビ出演の機会とともに、この「議員立法集」の品質も落ちてきているように思います。最後は「議員年金」やら「議員特権」を面白おかしく揶揄するばかりでしたからね。マスコミも面白がって、議員宿舎を拒否した河村氏を追いかけて、安アパートでのやもめ暮らしを紙面に載せていましたね。

 こういった「劣化」の挙句が平成18年の「南京発言質問主意書」です。
 http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a164335.htm

 今日はこの中身についての議論は避けますが、この主意書の根拠となる資料が、あの、東中野修道氏であるといえば、その品質は推して知るべしです。

 私は政府側答弁で、十分、逐次論駁されていると判断します。

国破れて議員あり

国破れて議員あり


 河村市長の著書「国破れて議員あり」には49ページから、第二章として「議員や公務員の特権を剥奪せよ」として、自身が国会の特別委員会の委員長に就任した経緯について述べ、「委員長特権返上」として委員長専用車を返上し、委員長手当てや委員長招待も拒否したとして「二ヶ月で委員長をクビになる」と、さも委員長特権、議員特権を批判したために、委員長職を追われたかのような記述がされています。

 事実は違います。

 「河村氏が委員長特権を返上したから、たった二ヶ月で委員長をクビにしたのだ」という証拠があるのであれば出してもらいたい。

 あたかも自分は正しいことをしているが、それを疎ましく思う人々のせいで、正当な評価がされない。という悲劇のヒーローのような姿ですが、事実は全然違います。

 この経緯について今日は見ていきましょう。

 まず、この記述にある河村氏が委員長に座ったという委員会は、国会等の移転に関する特別委員会(衆議院)であって、日付は平成14年6月11日の事であります。

 この問題の経緯についてはこちらのページが詳しい。
 国会等の移転に関する主な経緯 - 国会等の移転ホームページ - 国土交通省

 結果として「沙汰止み」となっている。

 河村氏が委員長になる直前の状態を振り返ると、この当時は比較的「首都機能移転」「首都機能分散」という主張は支持者も多く、その中でも「まず国会を移転させよう」という意見は具体化しそうになっていた。

 特に移転先候補として「栃木・福島地域」「岐阜・愛知地域」が選定され、「三重・畿央地域(三重・滋賀・京都・奈良の4府県境)」を準候補とする答申が出され、3地域の議員は色めきだって委員会に集まった。河村氏自身、コミットしていた経緯もこれだろう。

 結局、3地域の間の綱引きが激化して「協議機関」を設置する案が出された。

 そうしたところ、首都機能移転に反対する石原東京都知事(当時)と、その意を汲んだ小泉首相(当時)まで首都機能移転に疑問を提示する。

 こういった動きを受けて5月31日、11年に及ぶ特別委員会議論を総括し、新しい協議機関に議論を移すというところで石原健太郎委員長(自由党福島県)が委員会の冒頭で「委員長を辞任する、散会」と辞表を机に叩きつけて退席するという事態が起こった。
 この協議機関への移行への反発であるとか、小泉首相への反発であるなどと解釈されている。

 もうこの段階では3地域の綱引きは決着が着かないと見られており、さらに首都機能移転に反対する小泉、石原両氏の影響で、国会移転は頓挫したと見られていた。


 ここで委員長に選出されたのが河村氏である。(この特別委は委員長を非自民で出していたようだ)


 さて、その河村氏、ここで本論の国会移転も首都機能移転も、懸案の協議機関設置もそっちのけで別の議論を引き起こす。


 つまり、「委員長特権返上」だ。
 特に委員長手当てに関しては、委員長手当てを受け取らず、国に返す行為が「選挙民への寄附行為」に当たるのではと、新聞やマスコミが報道し始める。

 またこういった委員長手当について、衆議院法制局は返上は可能と解釈するのに対し、参議院法制局はあくまで違法な寄附と解釈し、両院で見解が割れた。


 こういった状況の中、平成14年9月30日に内閣改造が行われる。
 いわゆる「第一次小泉第一次改造内閣」の誕生だ。

 この際、小泉首相は大臣、副大臣を総入れ替えし、委員会の委員長についても入替えを行った。

 特別委員会の委員長だけ列挙してみましょう。
 ●災害対策特別委員会
   田並胤明(民主) → 石井弘基(民主)
 ●政治倫理の確立及び公職選挙法改正に関する特別委員会:
   赤城徳彦(自民) → 高橋一郎(自民)
 ●沖縄及び北方問題に関する特別委員会:
   荻野浩基(自民) → 仲村正浩(自民)
 ●国会の移転に関する特別委員会:
   河村たかし(民主) → 中井洽(自由)
 ●国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動等に関する特別委員会:
   二田孝治(自民) → (委員会廃止)
 ●青少年問題に関する特別委員会:
   青山二三(公明) → 青山二三(公明)
 ●武力攻撃事態への対処に関する特別委員会:
   瓦 力(自民) → 鳩山邦夫(自民)
 ●特殊法人等改革に関する特別委員会:
   (新設)   →  保利耕輔(自民)

 公明党の青山氏を除くすべての委員長が変わっている。

 つまり「たったの二ヶ月でクビ」というような事態ではなく、その前の石原健太郎委員長が政治的な判断をしたがために、内閣改造の二ヶ月前に、臨時に委員長の座を引き受けた。といったところが正しい表現ではないだろうか。
 そして、驚くべきことに、このたった二ヶ月という隙間で「委員長手当ての返上」というパフォーマンスを引き起こして、マスコミの耳目を集めたということになる。

 しかし、だからといって国会移転の議事や協議機関設置が進んだわけではない。

 また、こういった委員長手当について制度改正されたわけでもない。

 「パフォーマンス」という以外に表現のしようがない行為だろうと思われる。

 そして、こういった「パフォーマンス」に対して、鼻白む人々は多かっただろうと推測される。(こんな行為を繰り返していれば、民主党の代表選挙において、推薦人が集まらなくなる理由も判る)


 「委員長特権を返上したから、二ヶ月で委員長をクビになる」という表現は大げさ(つまり、この言葉そのものが「パフォーマンス」)だろう。

 けれどもこういった文章を読んで「自分たちの委員長特権を守りたいために、河村さんの委員長をたった二ヶ月で引き摺り下ろす。国会議員は既得権益と私利私欲にまみれた人たちばかりなんだ。国敗れて、議員ありなんだなぁ。河村さん、あなたなら私利私欲を考えない、国会議員や市議、県議を生むことができる。党首として頑張ってくれ」と考えるような人もいるんだろう。

 結果として既得権益や私利私欲は、河村氏の場合、別の形であるだけなんだが。


*1:めんどくさい奴。こういった人間と付き合うのはたいへんだ。

*2:議会運営理事会