市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

痛い話

名古屋市市長選挙とそれに伴う南区の市議補選、守山区の市議補選が終わった。

 残念な事に市長選挙においては427,542票という得票を得て、河村市長が「三選」を果たした。有効得票数中では62.2%のシェアとなるが、名古屋市内の全有権者、177万人に対しては24.1%の得票率となり、果たしてこの24.1%で「民意」と言えるのかどうか。

 しかし、ご本人はこの24.1%の事は多分、今後も語らない。シェアである62.2%について語り続けるだろう。


 どうも今回、反河村陣営は、この「得票率とシェアの差」に破れたともいえるが、そういった事はまだ整理が付くまでは語らずにおこう。


 今回の市長選挙は「既得権にまみれた市当局と議会、それに一部マスコミに対して、改革派の市長である河村氏が敢然と挑戦状を突きつけて勝利を勝ち取った」という物語におとしこむ人々がいる。特に、選挙戦も終盤になって各マスコミが河村市長にネガティブな記事を打ち出してきたことを受けて、逆に「既得権VS改革派」という図式を信じ込む材料になったようだ。

 今回の選挙で唯一「減税日本」のカラーのついた候補である「松原みさこ候補」が、選挙前に次のようにブログに記述していた。

私(達)は、正常な日本を取り戻すために動いている。
それは地元守山を良くし、そして名古屋から腐りきった
日本を立て直す。

しかし、そのためにはそれができる土俵に上がらなければ
ならない。一市民がぼやいていては何も始まらない。

どうしたら悪と戦えるか、戦略を練っているところだ、素人集団で。

既得権益対庶民であろうか。

http://blogs.yahoo.co.jp/sewazuki_kasan/archive/2013/04/09

 私も日本という社会に問題が無いとは思わない。改革すべき事柄は多い。
 しかし、私は日本がまだ「腐りきった」とは思っていないし、その改革が名古屋や守山から易々とできるとも思えない。
 また、「悪」や「既得権益」があったとして、それを打ち倒すだけで日本の社会における諸問題が解決できるわけでも無いだろう。

 逆にいうと、177万人の内の42万人、その幾ばくかの人々は、行政や議会、さらにそれを取り巻くマスコミや産業、学といった領域において、既得権益やらしがらみが社会を蝕み、そういった「悪」を打ち倒せば「腐りきった」日本が良くなると思ってしまっているのだろうか。

 そして、戯画的な事に、その担い手が河村市長であると思い込んでいるわけだ。

 なんとも哀しいまでなアイロニカルな話しだ。

 河村市長自身が既得権益にまみれている事は誰の目にも明らかだろう。彼の家(ビル)がどういう経緯でできて、彼がどのような仕事をしているか目に入らないのですしょう?

 そして、彼の取っている政治的ポジショニングは、旧愛知民社の系列から小沢、大阪の橋下に、袖にされた石原と。しがらみばかりでは無いですか。


 そして、既得権益を打ち倒す? 既存の議会を打ち倒す?

 そのために作り上げたという議会会派の減税日本ゴヤに対して、ろくな教育も指導もせずに、最大会派をみすみす壊して、議会改革を止めたのは河村市長自身ではないだろうか。まあ、そもそも河村市長に名古屋市会の改革なんて毛ほども興味は無かったのでしょうが。それ以上に、既存政党である自民党市議団に接近してでっち上げたのが「尾張名古屋共和国構想」でしょう。

 しかし、これらの事柄も単なる言葉だけの事であって、河村市長が実態的に動いた事柄なんぞありはしません。せいぜい、あおなみ線をSLが走ったというだけで、あれにしたってそれ以降、継続的な事業化のプランなんか有りませんからね。

 まあ、結局、河村市長や減税日本、及びその周辺で政治ゴッコを行っている人々というのは非常に迷惑な電波系でしかないでしょう。

 たぶん、42万票、河村氏に票を入れた人々の大部分は、河村氏の市長としての実態を知りもしないし、今回の第二期マニフェストについても読んでなどいない。

 42万票の大部分は河村市長信任の票ではなく、既存議会や自民党に対する反発が形となったものであると考えられる。

 それにしても具体的な根拠があるわけではない。

 具体的な根拠があれば議論の対象ともできるが、具体的な根拠が無いだけに否定も批判もし辛い事柄なんだろう。


 と、このような漠然とした印象評論は余り面白くない。



 このブログのお得意な地を這う事実の摘出に移ります。

 松原氏は自分たちが「悪」と戦う庶民派であると既定されていますが、ではその「悪」の実態とはどのようなもので、「正義」とされるご自身のあり方はどのようなものか。



 この写真はその「悪」の軍団である自民党名古屋市議団の横井市議のブログから許可を得て転載しているものである。4月20日に自民党の石破幹事長が名古屋に入り、市長選挙の支援を市民に訴えた。場所は新瑞橋のイオン前となっている。


 次の写真はこの石破遊説の守山区の風景である。

 市バスの停留所の屋根が写り込んでいる「小幡」である。

 二つの写真を見ていただければお分かりだろうが、非常に大勢の人が集まっているが、必ず歩道には「動線」が確保されている。


 最初の新瑞橋の写真では自転車を押して歩きすぎる歩行者が写っており、一般の通行を邪魔しない配慮が感じ取れる。



さて、同じ小幡駅前に20日の夕刻、河村市長が入った。次の写真がその風景である。

 





 次の写真もそう。この写真の真ん中で赤い自転車に乗った女性に注目していただきたい。








 

 この次の写真にも写り込んでいる。
 カメラを撮っているのは私で、私を見つけた佐藤夕子衆議院議員が近寄って話しかけてきたところだ(公職者ではないので肖像権に配慮して画像を処理した)。右にいる青いジャンパーに黒いスカートの女性は余語市議である(公務中ではないので肖像権に配慮して画像を処理した)。



 この赤い自転車の女性は単に通り過ぎたかっただけだが、誰も誘導もしなければ動線の確保もされていない。


 最初の写真をもう一度見ていただければわかるが、減税の街頭演説では一般歩行者の通行など配慮するという事が無い。
 以前、バスの降車場に街宣車を止めている候補がいたので注意したところ、「自分たちは名古屋の改革運動を行っているのに、それを邪魔するのか」というような事を言われた経験もある。

 正義の活動の前には道路交通法も、歩行者の迷惑も関係が無いのだろう。

 なにせ、彼らはもっと大きな、そして大切なこと。

 「正常な日本を取り戻」し「腐りきった日本を立て直す」という使命があるのだから。

 イタタタタ。

 実は今日のこのネタもそうなんだが、河村市長や減税日本に対して、当ブログが批判することが良いことなのかどうか悩ましくなってきた。

 当ブログで批判を掘り起こしても、それが実態的な力にならず、逆に、当ブログで批判をする事で、河村市長や減税日本が反省し、修正をしてしまえば、当ブログは河村市長や減税日本の補完機能を果たしてしまうことになる。

 なので今後も批判を行う場合は、そういった「前向きな」機会となりうる批判は抑えようかと考えている。