市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

政治屋宣言

 河村市長を支援していた市民団体「ナゴヤ庶民連」が、実態的な政治に対して無理解で、行政というものの捉え方が非常に浅はかであった事は疑い得ない。つまりは、トンチンカンであったという事だ。

 その「ナゴヤ庶民連」と気脈を通じている減税日本ゴヤの市議も、同程度のトンチンカンさであることもまた疑い得ない。

 彼等のような河村市長の支援者であるとか、そのフォローワーである市議が、このようにトンチンカンな理由は、彼等に理由があるように思えるかもしれない。

 確かに、一般の名古屋市民に聞くと「河村さんも減税の市議に足を引っ張られて大変だね」というような意見を聞く。

 しかし、河村氏の政策や意見、考え方や語り方を見ていると、減税の市議が足を引っ張っていたり、支援団体が勝手なことをして混乱を招いているとも言えない。

 これらの事は全て、河村氏の発言や考え方が、時期を失して現出した例に過ぎない。


 つまり、河村氏自身の発言に一貫性や、論理的整合性。もっと言うならば「政治的哲学」という一本筋の通った芯とでも呼ぶべきものがないから。それがないまま、アドホック(その場しのぎ)に適当な言いつくろい、言い逃れに終止しているから、自身の発言の間で矛盾や衝突が起きる。

 そもそも、河村氏は「政治」を根本的に見誤っている。

 ここに引用した動画は、つい先日4月9日の市長会見の一部である。
 開始33分後。一般のメディアではほとんど触れられることも無い部分である。

 「尾張名古屋共和国」の具体的な制度論などを聞かれて、それまでも地域分権、地域主権道州制などの議論が続けられてきたという話の中から出てきた河村流「維新」理解である。


〔動画書起こし〕
最大の問題点は。
企業なんかの場合は、これ、合併したり独立採算で変わっていくときは、
やっぱりこれ倒産の恐怖があるからなんですね、これ。
ちゃんと、よっぽど新たな形態でやらないと潰れちゃうと、
いうのがあると皆変わるんですよ。


幕末でもそうですよあれ。

ありゃあみんな(半笑い)
それこそ徳川幕府徳川幕府ですけど
皆そのままおったら下級武士みんな、
死なんならんと、これ。

食えやせんがやと。
(食っていかれないじゃないかと)

藩もですね
皆、商売から税金取れなんだもんで、
結構借金抱えとってですね。

尾張藩知多半島からどえらい借金していたらしいんだけど。

まあ、そういうことで食えんから、
とにかく変わってこうというのが、
やっぱり大きいんですね、これ。

だけど残念ながら、今、日本の政治ちゅうのは
一応食えるようにできとりますので、
政治自体がですね。

政治をやるひとが。

だで、そんだけのインセンティブが働くかどうか。

(制度改変=「維新」の)必要性に対するね。

 徳川幕府が制度改変、つまり、大政奉還に至った。
 つまりは「維新」の実現に至った経緯が。

 下級武士たちが「食えやせんがや」と思ったからだろうか?

 尾張藩もどえらい借金していたから、
 まあ、そういうことで食えんから、とにかく変わってこうというのが、
 やっぱり大きいのだろうか?


 なんというさもしい発言だろうか。
 河村氏の発言や発想法には「新自由主義」ではなくて、
 非常に幼稚な「利己主義」が見てとれる。

 (いわく、減税が実現して、周辺市町村からお金持ちが名古屋に移り住む。つまり、周辺市町村の事は考えもせずに名古屋だけの繁栄を考えるというような所論。や所得再配分を否定するような「市民市役所」の話など)

 そもそも過去の発言でも、こういった「利己主義」を否定するようなことも無かった。

「政治家になるというのは、土俵際のうっちゃり、みたいなもの。どうしようもない人間でも選挙に勝てばいいのである。事実、ロクでもない人間がたくさん選挙で勝っていらっしゃるではないか」 (首長たちの革命 p.45)

「政治の世界では、強い者が正しいんです。商売と違って、品質の良さは問題じゃない」 (首長たちの革命 p.63)

 ここには、如何に自分が食っていく為に政治を利用するかという発想しかない。
 政治は自分の身を立てる為の方法であるといってるのである。

 つまり、これは隠しもしない政治屋宣言」ではないか。


 私は違うと思う。

 維新の志士や、先の大戦で身を投げて国を守ろうとした人々は、私利私欲など考えもしない。「食える」とか「食えない」などとは考えずに、人々の明日を思って、自らの身を投げ出したのである。

 政治にも行政にも、その歴史の中には、私利私欲を捨てて社会のために奉仕した人たちが確かにいる。
 そういう人々に報いるために、やがて豊かになった社会が、報酬や年金、厚生などを贖った。そうすると、私利私欲に目がくらんださもしい者どもがこれらの条件に群がってきた。
 この亡者が河村氏であり、そのフォロワーの減税日本の市議、県議ではないか。

 市民や困難に向き合っている住民の負担を、如何に軽減するか。そしてそのコストを如何に配分するか。自分の事はさておいて*1、まずはそこに意識を集中すべきである。

 そうやって、市民の為に活動する人に、自然と支援が集まるという健全な評価とフィードバックが為されれば、政治は市民にとっても為政者にとっても有益な関係を持ちえるだろう。

 このような利己主義(それもすこぶる幼稚で、程度の低い)である河村氏が、これほどまでの市民の支持を得ている姿は、報道が河村氏の実体を市民に知らせていないからだ。

 「幕末でもそうですよ、あれ」といったあとの下衆な反笑い。
 一体この男は、維新の回天をなんと心得ているのだろうか。

 最後は、先日もご紹介した京都大学の藤井教授の講演から、維新の意義を語られた部分を抜き取ってみた。この藤井教授の語る言葉と、河村氏の語る言葉。どちらに肯かれるだろうか。


自分の事ばかりを考える政治家は政治家ではない。
そんな政治屋政治屋辞めて!と言いたくなる。
本当に、踏んづけてやりたくなる。
(最後はお姉系でごまかしてみましたが)


*1:つまり3月13日は、市民に行政サービスを配分する予算を考えるべき時で、自分たちの議長ポストの議論などは二の次、三の次というのが、政治の常道なのである。