市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

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橋下徹は夜神月か?

「世の中腐ってる。腐ってる奴は死んだ方がいい。」
「正義も悪も結果が全て。キラが捕まればキラは悪。キラが世界を支配すればキラは正義。」 ―夜神月

 本日は2月のおまけの一日なので、ちょっと変わった論考を載せてみたいと思います。

 「夜神月」この漢字三文字を見て「やがみライト」と正しく発音できた方は、今から私が何を言いたいかお分かりでしょう。けれど、「やがみライト」と言われてもチンプンカンプンの方もお見えでしょうから、その辺りから説明していきます。

  夜神月(以下では「ライト」と表記します)というのはマンガ(後にアニメ化され、映画化もされました)「デスノート」の主人公の名前です。ストーリーの中で使う別名が「キラ」でした。

 「デスノート」という物語は、どのような物語かというと軽いホラーかディストピア風のファンタジー要素を持ったコンゲームです。

 物語世界の前提として「死神」が実在するとしています。勿論、物語の中の通常の人間には死神は見えませんし認知もできません。社会的には空想の存在とされていますが実は存在しているということになります。
 そして、人間の寿命はこれらの死神が司っていることになっています。
 死神が人間の寿命を奪うのに、ノートに名前を書くという方法があり、そのノートが「デスノート」と呼ばれ、この物語の題名になっています。

 デスノートに名前を書かれた人間は特定の「ルール」の下に死んでいきます。

 そして、退屈した死神が興味本位で人間に「デスノート」を持たせて、その人間(ライト/キラ)が他人の寿命を操作できる「デスノート」で何をするのかを見るというのがストーリーの大筋になっています。

 デスノートや死神をめぐっては、様々な「ルール」が設定されて、デスノートを持つ「キラ」と「警察」の間でこの「ルール」を駆使した頭脳戦が繰広げられる(コンゲームが展開される)のが物語の魅力の一つとなっています。


 「世の中腐ってる。腐ってる奴は死んだ方がいい。」というのは、この主人公ライトの台詞で、正義感に溢れて社会の不正を許さない、若者にありがちな姿として描かれています。更に、ライトは学業の成績も優秀で、こうやって他人の寿命を操作できる事から、徐々に全能感に浸るようになってくるのです。

 原作はマンガですし、実写映画やアニメも、素材にすぐに触れられると思うので、その中身についてはこれ以上踏み込みません。

DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス)

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DEATH NOTE デスノート / DEATH NOTE デスノート the Last name complete set [DVD]

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 現代社会に「名前を書くだけで他人(ひと)を殺せる、抹殺できるノートが実在したら*1」というディストピアを仮定して、「社会正義とは何か」ぐらい考えてみたってところがこの物語でしょうか?

 この物語についても色々と語られているのは知っていますが。Wikipedia に手ごろな要約があったので参照したいと思います。*2

フランス文学者の中条省平は、本作には社会・政治的な領域が欠落していることから1990年代後半以降に興隆したセカイ系と呼ばれるジャンルに含まれるとし、正義の名の下に独善的な凶悪犯の抹殺を続ける夜神月の行為はテロリズムを肯定する思想であり、この作品が受け入れられている背景には若年層の政治忌避のムードがあると警鐘をならしている。(中条省平「『デスノート』・「セカイ系」の不気味さ」『AERA』2006年10月2日号、28-29頁。)
(引用者注:あくまでWikipediaの記述であって、元原稿を確認していない)

http://ja.wikipedia.org/wiki/DEATH_NOTE

 どういうことかというと。この物語は上に述べたように「名前を書くだけで他人(ひと)の寿命を操作する事ができるノート」を使って、主人公のライトが「社会正義」を実現しようとする物語です。つまり、軽微な社会悪でもライトによって抹殺され、そのような社会悪を抹殺する存在「キラ」が居ると社会の人々が認識すれば、人びとは「キラ」の抹殺を怖れて悪を行わなくなるという物語です。
 ライトは社会全体を相手にしますが、しかし物語に登場する人物はライトの周囲に限定され、「社会的広がり」を持ちません。

 特に異様なのは、ライトはストーリー上ノートを使って社会的な「悪人」を次々と抹殺していくのですが、その姿が殆ど描かれていない事です。つまりこの物語において、ライトが奪っていく命は「設定上そうなっている」というだけで、ストーリーの風景としても殆ど出てこないのです。(確か説明的に2〜3カット出てきた程度でした)

 上に引用した文章で「本作には社会・政治的な領域が欠落している」と言われるのがこれでしょうね。

 「セカイ系」という言葉も説明してみましょうか。この場合は先に言いましたように、主人公であるライトの周囲の人間だけでストーリが展開していくのに、その狭い人間関係でのストーリーが周囲の学校であるとか会社、またはコミュニティーや社会を通り越して、直接「世界」に影響を与えるという単純さ*3を言います。

 実は、これは中島岳志氏が指摘している「サブカルチャーの右転び問題」とも通底する問題で、そこから「今生天皇」発言する某日本会議賛助会員市議の「憂国理論」やら、多分「河村たかしの南京理論」も語れるのですが、今日は止めておきます。なにせ2月のおまけの一日なので。

 非常に単純な、そして幼稚な、つまりは視野狭窄的な(他人の立場に立って社会を見てみるということができない、社会経験の少ない、それでいて「正義感」だけは強い)子どもが。<世界>に対して働きかける事ができる「力」を持ってしまった時に、その子どもは「力」を上手く使うことができるか。圧倒的多数の人間は「力」そのものに飲み込まれて、自分自身の自我自体も歪んでしまうのではないかと思うのです。

 つまり、橋下市長です。

 橋下氏も、ある意味露悪的なモード(サングラスにジーンズ)から、単純な正義を振りかざして「お茶の間の人気」を博したのですよね。(私は余りテレビは見ないので、彼のそういった活躍は知りませんでしたが)

 そういった発言で実際に、社会が動く事を見知ってしまい、やがて大阪府知事という実政治に転進し、そこでも単純な正義感で「力」(この源泉は「民意」なんでしょうかね)を振りかざしていたわけです。ライトが「デスノート」で社会悪を抹殺するように、橋下徹という存在も、民意の圧倒的な支持を受けて、行政に巣食う「悪」を暴き出して見せた(と、社会的に認知された)のではないでしょうか。

 実は、「デスノート」はもう一つの「層」で橋下氏と関わりがあります。
 「デスノート」は2003年にパイロット版が掲載され、2006年に実写映画化されるまでに至りました。

 山口県光市に起きた「母子殺人事件」が発生したのが1999年で、最高裁が高裁の「無期懲役」の判決に対して審理差し戻しの判断をしたのが2006年です。つまり、あの問題で「死刑」を求めるべしという世論が高まったのがこの時期なのです。
 当時タレント弁護士であった橋下徹氏が、懲戒請求をテレビで呼びかけるという騒ぎが起きたのが2007年です。

 所謂「世論の被害者への同情論」「世論の被害者憑依」や「刑罰の厳罰化要求」(それまでは「死刑廃止」が議論されて、法相が任期中死刑実施命令書に印鑑を押さないということも起きていたのに、「死刑廃止」どころかこのケースなどでも「死刑を求める世論」が形成される。「セカイ系」の一般化/大衆化とでもいうのでしょうかね?)

 更に「体感治安の悪化」とかいう問題まで持ち出されてきたりね。
 (「少年犯罪の増加」という根も葉もない話が持ち出されたのは、もうちょっと前でしたかね)

 つまり、あの懲戒請求の時点でも、すでに橋下氏は「ライト的であった」と言えないだろうか?母子殺人の加害者弁護団に対して、懲戒請求を出せと呼びかける「デスノート」を突きつけたわけだから。

 こういった「セカイ系」の若者に対しては「中間項」の不在が問題だといわれているんでしょう。つまり、家族や学校、会社や社会、更には地域コミュニティやら地方といったようなもの。特に、都会では孤立化する若者はなかなか「社会」を獲得できないまま、「セカイ」と繋がりを持つ可能性は高い。

 小林よしのりやら国家*4というものに傾斜してみたり、橋下徹を応援してみたり。

 完全に、自分とセカイの間にあるものを見失っている。
 橋下氏が呼びかけた、母子殺人犯の弁護士に対する懲戒請求を拡散する者達が、よく事情も斟酌しないまま(つまりは、橋下氏自信の主張自体、あまりに「社会正義にもとる行為」だったわけですが)「犯人を吊るせ!」「弁護士も吊るせ!」と「正義」を振りかざす姿は恐ろしいものがあった。

 そして、そうやって中間項の衰弱から人気を博した橋下氏自信が、中間項を形成すべき地方自治体の長となっている。これは死神じゃなくても。

 「人間って、おもしれ〜」と言いたくなる構造だ。
 



 そういえば。朝生で橋下の隣に座って指くわえていたのが東って図になっていたな。あの時東は橋下が「セカイ系」だって認識しなかったよな。
 自分の橋下=セカイ系の認識が間違っているのか。
 東が目くらましに(また)騙されているか。

*1:勿論、その他の要件があることは知っていますがそれは今はおいておきます

*2:Wikipedia がソースとして「信用すべきでない」ということは知っていて。このブログでは滅多に参照していませんが、ここでは立論の根拠としないので引用します。

*3:我ながら「単純さ」とは乱暴に斬ったものだと思う。

*4:突然、引っ張り出してきたり