市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

議決取り消し訴訟

 この記事は1月19日に起きた判決について書いています。19日分が本論に入る前の話だけで一杯になってしまったので20日分に掲載する事にします。

 ここでは遠慮会釈無く長文になる可能性もありますし、法律論ですので退屈なことは保障します。

 本日(19日)にあった判決は二つです。
 「平成23年(行ウ)第32号 議決取消請求事件」PDF
 「平成23年(行ウ)第33号 議決取消請求事件」PDFです。(※1)

 この内の「 第32号」が「名古屋市公開事業審査の実施に関する条例」つまり、「名古屋版事業仕分け」と呼ばれる外部事業審査についての市長と議会の争いであり。
 「第33号」が「中期戦略ビジョン」に関する市長と議会の争いとなっている。

それぞれの経緯

「名古屋版事業仕分け

 「名古屋版事業仕分け」( 名古屋市公開事業審査の実施に関する条例 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
)とは、それまで事業評価(行政評価)は市当局が内部で行っていた。( 名古屋市:平成20年度までの行政評価の概要(市政情報)  )この内部評価でもそれなりの成果は上がっていたのだが、市当局内の評価だけでは「お手盛り」という批判は免れない。市民や議会の参加を得て、外部者による行政評価、事業評価を行おうというのがこの「名古屋版事業仕分け」といわれるもので、民主党政権が行った「事業仕分け」にヒントを得ているのは間違いない。

 この「事業仕分け」について議会が提案したところ、市長からの拒否にあい、知事査定を経て、知事は議会の判断を支持したのだが、それでも市長は納得せずに裁判に訴えたと言うのがこちらの経緯になる。

「中期戦略ビジョン」

 もう一つは「中期戦略ビジョン」名古屋市は元々長期的な経営戦略、経済戦略の元に市政運営を行ってきた。それが「総合計画」といわれるもので、昭和52年から順次受け継がれてきた(名古屋市:総合計画(市政情報) )平成22年度までが「名古屋新世紀計画2010」と呼ばれる計画で、 次がこの「中期戦略ビジョン」となっている。( 名古屋市:名古屋市中期戦略ビジョン(市政情報) )
 この「中期戦略ビジョン」は河村市長のマニフェストから28施策を、市民アンケートから33施策を、長期的な展望にたって継続されている施策として5施策を盛り込んだ。45施策で成り立っている。

 この「中期戦略ビジョン」について、議会が修正を加えた。ご覧頂けばお分かりになるけれども、本質的な修正とはいえない。"訴状(別紙に 修正箇所一覧がある)”

 この修正について河村市長は不服として再議を要求し、議会は再議においてもこの修正を支持した。それに対して河村市長は知事に裁定を求めるが、知事が議会の判断を支持したことから裁判に訴えたと言うのがこの訴訟となる。

 知事に裁定を求めるという辺りから二つのテーマが同じ道を歩んでいるが、これはちょうどこの頃市長と議会が対立を起し。というよりも、市長が議会に対してリコールを持ち出してまで対立を演出しだして、議論や折衝、調整が効かなくなっていた事を表している。

 私はこのブログで「中期戦略ビジョン」については何度も触れている。河村市政にとって、中長期的な街づくりとか産業振興の政策が無い。これを聞くとすぐに「減税で民の竈を・・・・」というテープレコーダーのスイッチが入るだけになる。(※2)
 具体的に街づくり、産業振興を行うためには、この「中期戦略ビジョン」にそって各年度に施策を実施する必要があるのだが、結局そういった経済政策よりは政局が優先され、あげくこういった基本政策が裁判所に入ってしまって無効化する。河村市長の判断は誰のためのものだったのだろうか。

何が争われ、何が判断されたか(1)

中に入る前に

 では、何が争われ、何が判断されたのか。中身について見て行きたいと思う。

 ありがたいことに判決文はそんなにややこしくない。こういった訴状を読み慣れない方でも充分理解し易い上に扱われている問題が特殊な問題ではない。勿論、「地方自治」やら「行政」について何かを語ろうという程度の方であれば理解できて当然のレベルであろうと思われる。その上文章が平易でわかりやすい。(そうだよね、減税日本ゴヤ市議の諸君、またはナゴヤ庶民連、および河村支援者の諸君。理解できるよね?)

 また、本来であれば訴状(原告側(この場合河村市長/市当局))を読み込んで、それに対する被告人の意見書なりを読むべきなんだろうけど、この判決文に、それらの文章から有効な論点を汲み取って整理して示されている。この判決文を読むだけで、この裁判における(裁判長から見た)事実関係が一目瞭然と成る。

 裁判長に全幅の信頼を置くとすれば 、この一文だけで裁判の全てが網羅されている。

 「 第32号:名古屋版事業仕分け」と「第33号:中期戦略ビジョン」の両文書が同様の構成になっており、これも理解を助けてくれる。

 これから「 32号」についてもう少し中身に踏み込んで見ていきたい。「33号」については、この「32号」で見た詳細を利用して、論点だけを摘出してみる。「33号」は「32号」よりもページ数は多いが、実は論点は3つ程度に集約されることが判る。

判決文の構成について

 「32号」の判決文12ページをざっと読んでいただけば内容は簡単で、河村市長の主張が間違ってましたということなんだけど、納得できない人もいるかもしれない。

 この文章は次のような構成になっている。
 判決主文・・・結論、原告(河村市長)は間違っていましたよ
 第1 請求・・・裁判を起した人(原告:河村市長)は何を求めて裁判を起したか
 第2 事案の概要
   1 概要・・・(とりあえずは置いておいていい)
   2 前提事実・・・(これもとりあえずは置いておいていい)
    (1)当事者・・・当事者は誰か
    (2)本件議案に至る経緯・・・経緯は上に書いた通りなので斜め読みで
    (3)本件訴えに至る経緯・・・斜め読みで
   3 争点及びこれに関する当事者の主張・・・ここから大切
   (原告の主張)・・・河村市長/市当局の主張

 (この部分が最も重要となる。なので、のちほどもう一度詳細に見ます)

   (被告の主張)・・・議会側の反論

 (反論が展開される。原告の主張、被告の主張ともに、この判決文に盛り込まれた部分については裁判長が判断材料に足ると認定できた主張で、ここに記載されなかった事柄は重要度が低いか、論点とならない事柄と判断したといえる。
 もし控訴するとしたら、例えば今回敗訴した河村市長側が、提出した訴状に書かれていることでこの「(原告の主張)」に盛り込まれなかったような事があって、それが判決に影響していると主張できるような場合とも思われるけど。実際にはなさそう)

 第3 当裁判所の判断

 (以上を踏まえて、裁判所の判断が記述されている)

 つまり、もう一段楽チンをしようとすると、この場合(原告敗訴なので)原告の主張と、それを退けた裁判所の判断を読み比べれば何が争われてどのような結論に至ったかが判る。

実際に「32号」について論点を摘出してみよう

 「(原告の主張)」から論点を摘出してみる。( "参照” )

 (1)事務執行は長の専属的権限に属する。
    議会がその手続・方法等に関して条例により個別具体的に規定し、
    長の判断に拘束を及ぼすことは、議会の権限を超える。

 (2)事業審査の実施に係る事務(本件事務)は、長の専属的権限に属する。
    (地方自治法148条、149条9号)(※3)
    議会が個別具体的に規定し、長の事務執行を拘束したり、
    長の柔軟かつ機動的な事務執行の妨げ(となる条例を制定することは)
    議会の権限を超えている。

 (3)本件条例は本件事務について個別具体的に規定しているので
    本件条例を制定した議会は権限を超えている。
    ア 本件条例3条2項
    イ 本件条例3条3項
    ウ 本件条例3条4項

これらに対する「当裁判所の判断」

  事業審査の実施に係る事務(本件事務)は、地域における事務に当たるから、上記(1)の地方自治法の規定により、被告(議会)は、本件事務に関し、法令に違反しない限り、条例を制定する権限を有する。(※4)

  原告(河村市長/市当局)は主張の(2)において、地方自治法148条及び149条9号を根拠に「事業審査の実施に係る事務(本件事務)は、長の専属的権限に属する」と主張するが、これらの規定は、本件事務が議会の関与を許さない長の専属的権限に属する事項であるとする根拠にならない。

 そもそも憲法及び地方自治法は、議事機関としての議会と執行機関としての長を、いずれも直接民意に基礎を置く住民の代表機関として対立させ、相互に抑制により均衡を保つことを通じて、地方公共団体の適正な運営を図ろうとしていると解されるのであって(憲法93条、地方自治法第6章、7章参照)このことからすれば、議会が執行機関の行う事務について監視する権限を有することは、当然のことであり、(略)議会がこうした監視権を有することに照らしても、本件事務が、議会の関与を許さない長の専属的な権限に属する事項であると解することはできない。

  ア について、事業審査を経なければ事務事業を処理する事ができないという関係にはない。
  イ について、事業審査を法的に義務付けるものではない。原告(河村市長/市当局)が趣旨を尊重し、事業審査を実施するよう規定している。更に、事業審査の具体的な実施方法、内容等については、原告の判断に委ねられている。

  ウ について、誰を審査人として委嘱するかについては、原告の判断に委ねられている。

 本件事務は、議会の関与を許さない長の専属的な権限に属する事項であると解することはできないのであり(議会に監視権が与えられている)原告(河村市長/市当局)に事実上の拘束や制約があることなどをもって、原告の権限を不当に侵害するものであるとはいえない。

 以上のように原告(河村市長/市当局)の請求は理由が無いから、これを棄却する。

何が言えるか。

 上の「(原告の主張)」(1)〜(3)をそれぞれ次のように言い換えてみる。
 (1)事務執行は長の専属的権限ではないか?
 (2)議会が個別具体的に規定し、長の事務執行を拘束したり、
    長の柔軟かつ機動的な事務執行の妨げをしてはいけないのでは?
 (3)これらの事柄は個別具体的に長の事務執行を拘束して妨げているのでは?

 それに対して、裁判所の判断は、事務執行は長の専属的権限であるにしても、それに対して監視・検査を議会が行うのは正当なことであると指摘している。これは当然で、行政の内容について選挙で選ばれた代表者、議会がチェックして始めて民主的な運営ができるというもので、憲法において議会は規定されているが首長が規定されていない事情もここにある。
 そもそもこのように執行権者の執行を何人も妨げてならない、チェックをしてはならないとするならば、行政など独断と専横がはびこるのは理の当然だろう。
 河村市長はそのような事を主張する気なのだろうか?

 そして、(3)について、この事業仕分けの実施を規定した3条の各項目について、あたかも河村市長は市の事務ががんじがらめにされるような主張を展開するが、よく条項を読んでいただけばそのような強制力が無いことがわかる。それどころか内容については河村市長側の良識を信頼して市長に任せているのだ。

 つまり、(1)(2)においては、二元代表制の首長と議会の関係についてもっと真摯に理解しようと努めていただければ、このような訴訟は必要なかったことになる。
 また、(3)については条例の条項をしっかりと読んでいただければこの訴訟は必要なかった。

 つまり、地方自治法に対する理解と文章の読解力が問題の根源にあると思われる。

「33号」中期戦略ビジョン

 実は、この問題は「33号」において更に顕著になる。
 「33号」においての争点は大雑把に言ってしまうと、市長が提案してきた「中期戦略ビジョン」について、不明確な部分やふさわしくない表現などがあったので議会で修正して可決しようとしたところ、その修正が議会の権限を超えていると市長が拒否したことに端を発する。
 特に、修正によって計画の意図がゆがめられるような場合には、それは提案者としての市長の権限を侵しており、逆に単なる字句の修正にとどまるような変更も議会の権限を超えている。と河村市長は主張する。

 ところが、この「中期戦略ビジョン」(基本構想)に対する扱いは、それに先立つ22年3月に http://www.reiki.city.nagoya.jp/reiki_int_nfm/reiki_honbun/i5021201001.html として、その扱い方を条例によって規定している。勿論、これの公布に当たっては市長の承認を得ている(こちらも再議とされたが後に制定されている)

 と、するならばやはり総合計画の策定については首長に専属的な権限を附しているとは言いがたく、議会の修正権についても認められるべきであり、更にそれが修辞的な字句の訂正に留まっていても許される。

 そもそも河村市長の、二元代表制における首長と議会というものに対する理解が誤っていたと言う以外にない。

 実は、この問題は本当は極めて深刻な事態を意味する。
 つまり、河村市長は地方議会における首長と議会の関係性、その両者がそれぞれ住民から選ばれて存在するという意味をそもそも勘違いしていたという事になる。すでに十数年に渡って、国会議員を務めてきた人物が、このような基本的事項を理解していないなどとは信じがたいことだが、その他の言動を見てみるとその疑惑はより深く理解できる。
 とすると、あのリコール運動。議会を解散させた運動は、河村氏の誤解から生じたということになる。実際に、あのリコール運動で、河村氏は既存の議会を否定し、その議席を入れ替えなければならないというような主張をした。そして出来上がったのが「減税日本ゴヤ」という政党・会派であるが、その減税日本ゴヤ名古屋市民にとって正体も見えない、存在意義も見出せないのは明白である。

 その理由は、河村氏の地方自治に対する無理解から来ているからである。(※5)

 河村氏も議会に対して不満を持っていた。この訴訟に見られるように、首長の執行に制限を加える存在として不満を持っていたのであろうが、その制限こそ憲法が議会を定義した理由である。(地方自治法ではなく、憲法であることに注意)河村氏の不満は、河村氏の理解と、憲法から来る現行制度の現実との相違から来ている。
 なので、あのように小手先のリコールを行って議会の構成を変えようとも、議員の報酬を減額して、議員になろうというような者を減らし、議会の力を殺ごうとしても結局同じである。

 またここから、細かく個別的な修正点についての認定が始まるが、問題の認識としては上で述べた「32号」と同等である。

 個々に見ていくと例えば「冷暖房のいらないまち」という表現を「冷暖房のみにたよらないまち」と議会が修正したことを問題としているが、基本方針のなかには「冷暖房のみに頼ることなく」と自らが記載している。つまり、ここで表現がぶれている。
 また、委員会審議において「いらないまち」というのが実際に10年後に実現できるのかという問いかけに「あり得ない」という答弁がされている(こりゃ、常識だろう)ならば、ここで「〜のいらないまち」よりも「〜のみにたよらないまち」の方が整合性がある。その上現実的だ。このような修正をわざわざ裁判にまでかける事かね?

 本来、報道はこの辺りまで深く掘り下げてみてもいいだろう。
 この原告主張は、原告自身における地方自治法の理解の浅さと、日本語の読解力、表現力の問題を表してるだけで、そのような事で、名古屋はこの数年間、経済政策を進める基本構想不在のまま市政運営をしてきたのである。

 この裁判は訴訟費用だけで150万円、愛知県は50万円の費用を支出しているそうだ。その金額が無駄になっただけでなく、その間の市政の空白は取り返しようが無い。
 その原因が河村氏という奇異な人間の上記のような能力の不足から来ているのである。


 この訴訟について、名古屋市の法律顧問である弁護士の方々は訴訟の成立を危ぶんだそうだ。この判決文に名前を連ねる事となった弁護士さんも、訴訟の前から「負け」は覚悟していたらしい。お仕事とはいえ大変なことだ。

 昨年12月には河村市長からこの訴訟の取下げが打診もされているようだ。

 この判決を受入れておくか、控訴して確定を先延ばしにするか、まだ判断はわからない。

 比較的市民の間の反応は鈍い、静かなものだ。だいたい、司法判断に対しては市民の反応は鈍い、その意味を伝える報道によって左右される事は否めない。

 なので、ここはこのまま敗訴を受入れて話題がフェードアウトするのを待つ方が得策かもしれない。控訴すればもう一度司法判断が下されて話題に上るのだから。

 というよりも、控訴されればそれだけ市民の税金が無駄に浪費されるのだから勘弁願いたいが。

 どちらにせよ、衆議院の解散を横目で睨んでの判断になるのだろう。
 名古屋市民の為というような視点はない。



※1:この「行ウ」というのは、「事件記号符号」と呼ばれるもので、行政訴訟であって、第一審(地方裁判所から始まり)ですよと言う事になる。高等裁判所に持ち込むと「行コ」となる。

※2: 減税政策そのものは、最初は行政改革の手段だった筈だ。
 つまり、歳入を絞り、公債発行もできなくなれば行政は事業を削減する。つまり、行政事務を縮小するためには歳入を絞り込むべきだという発想から、財源である税そのものを減税し、行政改革を進めるというアイデアだったのだろう。しかし、「10%」と言われた減税と言うのは、実は「0.6%」であり、歳出金額ベースで言えばわずか「1%」に過ぎない。その為に本格的な行政の「リ・ストラクチャリング」といったようなものは起こらずに(現に、河村市政において、名古屋市の大胆な組織改変は行われていない)各局、各課がそれぞれの予算を一定程度削減するシーリングが行われているだけである。

※3:地方自治体の長は、事業審査の実施に係る事務の専属的権限を持っているか?

地方自治法 第148条 普通地方公共団体の長は、当該普通地方公共団体の事務を管理し及びこれを執行する。

地方自治法 第149条 普通地方公共団体の長は、概ね左に掲げる事務を担任する。
       :
 9 前各号に定めるものを除く外、当該普通地方公共団体の事務を執行すること。

※4:議会の議決権についての地方自治法上の根拠

地方自治法 96条 普通地方公共団体の議会は、次に掲げる事件を議決しなければならない。
   1項1号 条例を設け又は改廃すること。
        ↓
地方自治法 14条1項 普通地方公共団体は、法令に違反しない限りにおいて第二条第二項の事務に関し、条例を制定することができる。
        ↓
地方自治法 2条2項 普通地方公共団体は、地域における事務及びその他の事務で法律又はこれに基づく政令により処理することとされるものを処理する。


※5:実は、このような事例は大阪における橋下市長(前知事)の改革にも言える。
 改革を訴えるものは、現行制度を理解して、その制度の問題点を指摘しているように見えるが、実は違うことが多いようだ。
 つまり、現行制度と、その現行制度の問題点は、その問題点を引き起こす裏にある事情を支えるためにある場合がある。つまり、その問題点を単に修正するだけではその修正によって引き起こされる別の問題がより深刻になる。

 例えば、大阪府の教員に対して相対評価を行い、一定期間最低評価を受ける教員は首と言うような案が提出されているが、このような制度が導入されれば教師間は首のかかった競争相手となる。教員室から毎年一定程度の「犠牲者」を出さなければなら無い事になる。
 このような関係性を教師間に持たせれば、教師間で相互に行われるノウハウの伝授はなくなる。つまり、新任教師に対して現場の知恵を授ける者が居なくなってしまう。
 やがて、各学校から新任教師(1〜5年程度)が一定程度首となると言う現象が固定化されることだろう。この期間をうまく乗り切れてもその教師は様々なノウハウを得ていない。学校の現場などというものは、人間を扱うのであるから、こういった文字にできないようなノウハウの宝庫である筈だろうが、そのノウハウが消えてしまうのだ。