市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

市長年頭会見を見て

 4日の仕事始めに伴って、市長、議長及び副議長の記者会見が行われた。たまたまスターキャットチャンネルの放送を、途中から見たのだけれど、インターネット上にコンテンツが掲載された。

"2012年1月4日市長会見(名古屋市政データバンク)"

 主なやり取りは中日新聞も掲載している。

"河村たかし市長4日年頭記者会見、主な一問一答(中日新聞)"

 このネット上のコンテンツと、スターキャットチャンネルの素材ではカメラアングルも異なる上に、スターキャットの素材では話題をキャプションで付けてくれているのでまだ見やすい。
 こうやって河村市長の話を聞いていると、そもそもの論点は何であったか判らなくなりますからね。この中でも「議会報告会」の話が「市会だより」の話になってしまっています。そもそも市長会見で打ち出された話でも、途中で途切れたテーマというのは多すぎて、逆に真に受けて政策議論を取材しても実りがないと思われているのかもしれない。
 そのような例に小学校に設置する待機児童対策のためのプレハブの託児施設であるとか、「児童虐待の根絶に向けた共同アピール」というのもそうなる。( "参照" )


 この会見でもリニアを契機とする名古屋駅周辺の再開発などについて。まるで小学生が話すようなバカバカしい話ばかり。東日本大震災の社会インフラ整備があるだろう時に「名古屋城の木造再建」?気が狂っているとしか思えない。年頭挨拶なので酒でも飲んでいるのだろうか?

 寄附金制度について語っているが、やはり、認定NPOについての法制度改正の動きについては追従していないようだ。「コミュニティ基金」は一つの財団が受け手となるだけで、それよりは直接NPO関連の条例整備が必要だろう。

 全体について話題が古い。何周も遅れている話題を壊れた蓄音機のように繰り返しているという印象だ。

 この会見でも触れているが「背番号」についての河村市長の話は全然違う。
 この件は"河村たかしの新刊「復興増税の罠」のご紹介"でも触れたように、「住基ネット」から頭が離れないようだ。実際に、市長就任直後に同ネットからの離脱で騒いでいる上に、今に至るも様々な施策でこの「思い違い」のままを振り回している。

 すでに住基ネットの話については最高裁判決によって立法根拠の基盤となっている。この会見で触れられた話題がどのような制度の話かは判らないが、現在は"「社会保障・税に関する番号制度」"についての議論がなされており、各都道府県で住民ヒアリングも為されている。(勿論、名古屋市は入っていないですね。この話でも一周遅れになるんでしょうね)

 そもそも住基ネットの導入については私も反対していたから良く判る。河村はそれ以降の話をトレースしていなかったのだ。
 この基盤システムについては、愛知県の産業界も期待しているだろうから、それらの人々には失望を感じている人も多いだろう。もしも「復興増税の罠」 がたくさん売れたとして、それが2011年刊行でこの話題についての認識が本に書いてあるとおり「牛は10桁、人は11桁」 と言っていては、そりゃ誰も相手をしてくれませんよ。
 「社会保障・税に関する番号制度」については、ネット上に良いコンテンツが転がっていた。
"社会保障・税に関する番号制度の導入に向けて 広瀬真人(野村総研)"

 私はできる限りシンプルなシステム、制度が望ましいと思っている。つい最近もスマートフォンの「spモード」で驚くほど馬鹿馬鹿しいトラブルが起きたばかりで、今回のシステムでも「番号制度」という言葉にアレルギーがあるとみなして「符号」とか言い出しているから心配だ。
 河村の様に良く判りもせずに声だけ大きな老人が、システムをややこしくする。(※1)

 もう一つ必須だろうと思うのは、自分の情報がどのように扱われているか、全て開示されるべきだろう。つまり、自分の個人情報へのアクセス履歴を閲覧できる権利を備え、それらのアクセスの中で腑に落ちないものについては理由も求められるようにするべきだ。
 そもそもコンピューターというのは優れた情報の貯蔵庫だったのだが、このシステムの悪いところは、「参照されるモノにとって、何時誰から参照されたかわからない」という設計に成っていた事で、実体のある物質であれば盗まれれば無くなる事が判るけれども、データは盗まれても判らない。という問題があった。
 けれども、これも現在の様にOSレベルでのファイル管理がデータベース化されていれば参照についての追跡もし易い筈だ。同最高裁判決でも明確になったように、情報はそもそもその当人の物なのであるから、こういた情報の開示が必須となるのは当然だろう。

 まあ、なんにせよ。この件でもわが河村市長は、恥ずかしい間違いをわざわざ本にまで仕立てて全国に配布している事になる。

「当ブログのガイド」更新

 旧アメブロに残しておいたコンテンツ当ブログのガイド | 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!を更新した。
 「地域委員会」と「富口市議特集」について追記した。

 「地域委員会」については一部の人々から「店じまいのための施策」と言われているらしい。実際、河村市長も急激に情熱を失っていると聞く。中京都構想や大阪都構想、金シャチ横丁やあおなみ線SL計画よりは地味〜な政策で、市民のリアクションも薄い。
 しかし、このような政策一つ実現化できないような者が「減税による寄附文化の醸成」などという遠大な政策を実現化できるわけがない。
 まるで飽きっぽい子どものようだ。

 「富口市議特集」については、則竹問題でも同じであるが、今後も減税日本ゴヤ問題として市民は注視する必要がある。
 先方でも書いたが、私は則竹氏に対して悪い印象は持っていない。

 私は則竹問題というのは河村たかしという政治家の「人材育成能力」(※2)を象徴している事例であろうと思っている。今回誕生した減税日本ゴヤの市議の中で、この富口市議というのは則竹氏と共通するものを感じ、注意して見て行くべき素材であると感じた。

 これはネガティブな意味ではない。富口市議というキャラクターに、一般的には「良いもの」と捉えられる人格の種を感じたからだ。
 苦境にあっても朗らかに、自らの夢を諦めないで努力を続ける。目上の人を尊重する礼節を心得る。けして自分の損得を出す事を由としない。
 なんとなく、このような「美徳」のようなものを持っていることは否定しない。
 ですから、こういう人がそのまま優れた指導者に出会えれば良い人生を送る事もできるでしょう。則竹氏について、その人柄を悔やむ人は今でも居ます。

 しかし、夢を諦めないで努力する姿勢は、歪んだ指導者の下では事実すら認めない頑なな心となりかねません。目上の人を尊重する礼節は、時に、その目上の人が過ちを起しても批判することができない盲従に繋がります。
 そして、自分の損得を表に出さない自制心は、自身の素直な良心に対してもブレーキがかかる可能性を示唆します。つまり、自身でも間違っていると思っていても、この心の中の良心を押さえ込んでまで行動できてしまう可能性を含むのです。

 歪んだ指導者の下では、これらの美徳は自らを破滅させかねません。
 則竹氏は実際に破滅してしまいました。
 私は富口市議や、幾人かの減税日本ゴヤの市議たちに、この危惧を感じます。

 今からでも、富口氏が原点に返り、自らの選挙公約に虚心坦懐向き合い、その過ちを認め、訂正すべきは訂正し、是正すべきは是正して、現実に即した市議として活動をし直してくれる事を望みます。"真実に向き合うには、勇気が必要なのではなく、単純に謙虚であれば良い"のですから。



※1:河村たかしは自らのプロフィールの専門分野に「プライバシー法制」("参照")を加えている。
 しかし、その見識は「リコール署名簿流用問題、及び流出問題」で明白だろう。

 ところで、この年頭会見でもこのリコール署名簿の流出についての調査報告であるとか警察への届出の動きについて報告が無いようなんだけど、どうなっちゃっているんでしょうかね?

※2:政治家の「人材育成能力」というのは、つまりその人物の持つ政治哲学の強度を指す。