市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

河村たかしの新刊「復興増税の罠」のご紹介



河村たかしの新刊「復興増税の罠」のご紹介

 河村たかしの新刊が小学館101新書から発売された(発売される?)書名が「復興増税の罠」であり、発行日は2011年12月6日となっている。明後日発売ということなんでしょうけど、既に書店の店頭には並んでいるようです。

 正直、この本は「お勧めです」
 是非、買ってお読みください。

 特に、大学で地方行政であるとか財政学、または経済学などを専攻されている学生さんは「必読書」といえるでしょう。できればそういったゼミで買い揃えて輪読などされる事をお勧めします。

 最高に笑えますから。

市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!-書籍 前回の「減税論」は157ページで35ヶ所の付箋紙(突っ込みどころ)が見つかりましたが。この「復興増税の罠」は160ページで36ヶ所の付箋紙が付きました。
 少々は見逃しもありますし、論じている事柄がそもそも馬鹿馬鹿しいので丸ごと付箋を貼らなかった部分もありますが、(※1)「減税論」よりも「間違い」が多いですね。
 減税論よりは若干校正が効いていると思えるのはゴーストが変わったからでしょうか?それとも「減税論」の幻冬舎より、小学館の方が校正が厳しいということなんでしょうかね?

 そんなことを言っていたら、そういえば変な事に気が付いた。

 「国破れて議員あり」(2004/7/22) 徳間書店
 「おい河村!おみゃあ、いつになったら総理になるんだ」(2006/9/1) ロングセラーズ
 「この国は議員にいくら使うのか」(2008/9/10) 角川SSコミュニケーションズ
 「名古屋から革命を起す!」(2009/10/23) 飛鳥新社
 「名古屋発どえりゃあ革命!」(2011/1/18) ベストセラーズ
 「減税論―増税やむなしのデタラメ」(2011/4) 幻冬舎
 「復興増税の罠」(2011/12/1)小学館 (あれ?Amazonでは発売日のデータが違う)


 最近は、色々な出版社が現れては消えるけれども、ここまであちこちの出版社から本を出しているというのは、さすがは人気者ということでしょうか。(一般的には本当に「売れる著者」であれば、出版社は掴んで離さない。必ず続編を刊行するので、こうやって出版の度に出版社が変わるというのはアレなのかな?という話はココだけの話としておきましょう)
 と、くだらない事を言っていないで、中身について触れなければならないのでしょうけど、そうですね。まず、目次を見ていただきましょうか。
 ・はじめに
 第1章「日本の国債は危険」のウソ 〜ギリシャと日本を同列に語る愚〜
 第2章「増税やむなし」のウソ 〜増税で日本経済はさらに失速する〜
 第3章「財源がない」のウソ 〜国も電力会社も独占をやめよ〜
 第4章「日本は民主主義」のウソ 〜王様になった議員をやめさせろ〜
 ・おわりに

 つまり、アレもウソ、コレもウソ。自分の「減税論」こそ真実だ!と言っている訳で。
 こりゃ、カルトまで後一歩です。

 カルトの特徴として次のようなポイントが挙げられています。
 1.真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する
 2.組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない
 3.自分の頭で考えることをしないように指導する
 4.世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ
 5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い
 6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える
 7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある
 8.組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる
 9.家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている
10.社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする
11.外部に対して正体を隠す傾向がある
12.生活が細部にわたって規定される
13.組織が信者の生活のすべてになっている
14.共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている
15.組織からの離脱について極度の恐怖心を与える


 この本では、財務省を中心とした官僚組織、行政機構が己の私利私欲の為に税金を無駄に消尽し、その借財を納税者に増税として負担させようとしている。本来、そのような行政をチェックすべき議会、議員も各種の特権や既得権益に目が眩んで行政と結託して国民から収奪する事に汲々としていると説かれている。
 増税論とは所謂「財政均衡論」(※2)をその根拠とするのだが、「大学の経済学部にも問題がある。立派な大学の教授も縦割りの年功序列で決まるものだから、いつまで経っても『国債は悪、増税は善』と教えている」(p.61)と来る。
 さらに「テレビは総務省の認可制だし、新聞は認可制でないぶん自由であるが、再販制度で国に守られており役所とうまくつきあっていかないといけない事情がある。つまりマスコミ会社も国とつるむ構造になっている」(p.182)
 このように、行政(官僚)、議会、学者、マスコミが連携して、「国債は悪、増税は善」「増税やむなし」というデマゴーグを国民に植え付けようとしているのだ!と、言われては上に述べたカルトの特徴「6.外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える」に見事に適合する。
 なのでもはや河村には「立派な大学の教授」の言も耳に入らないだろう。
 そもそも「国債は悪、増税は善」などという二元論すら「5.白黒を常にはっきりさせる傾向が強い」であって、そんなに単純な話ではない。(後述する※2参照)

 幾つか興味深い発言を引用しておこう。

 先週末にかけて減税率7%(0.42%)修正案という話が持ち上がったが。
 2011年2月の出直し市長選で(略)名古屋市民は再び「市民税10%減税」の河村たかしを選んだ。(略)
 公約は市民の選択である(略)実現しなければならない約束だ。(p.188)

 ご立派。ブラボー!エクセレント!!

 (東日本大震災において、名古屋市は4億5000万円の予算を計上して支援した。名古屋市は2011年度も市民税を10%減税するはずであった。ところが議会の反対にあい実施されなかった。この未実施分約226億円が残った)
 もちろん減税分の226億円は、名古屋のために使うのが筋だ。保育園不足がずっと懸案事項だったので、まず保育園をいくつか整備した。それでもいくらか残ったので、それを被災地支援に充てることにしたのだ。(p.112)

 このブログの読者の方であれば、名古屋市が待機児童数「日本一」であることはご存知だろうと思う。完全に河村の失政だが。現に今、待機児童を抱えて保育園の順番待ちをしている親御さんにこの一節を読んでいただいたら、まあ、怒った怒った。
 さらにこの本の中で例の良く判らない「市民市役所で児童虐待対策を」というような話は出てくるけれども「待機児童」の「た」の字も出てこない。また、驚くことに「地域委員会」の話も出てこない。

 税金で取られた金は税務署に行って、役所に行くだけだ。
 金というものは、経済においては血液のようなものだから回れば回るほどよい。(p.90)

 「減税論」でも河村は「税金というのは税務署の職員が私しているとでも思っているのだろうか?」と疑問に持ったが、ここでも経済循環が「役所に行くだけ」で止まるというような事を書いている。リチャード・クー氏等の主張する「財政出動」の原資はこの「役所に行った金」で、勿論そういった税金も経済を刺激するわけですよね。

 河村は「市債は借金ではない」という話の際に、市債を買って保持する人にとっては財産だという話を持ち出した。河村の話は落ち着いて聞いていくと、このような主語のすり替えが非常に多い。次の一節もその例だ。
 この名古屋市の収支を会社の収支に置き換えてみよう。1兆7000億円を国と県に納めている会社の負債が1兆8587億円(2010年度一般会計当初予算に基づく市債残高)というバランスシートになる。(p.134)

 勿論、国や県に税金を1兆7000億円収めているのは「名古屋市民」で、負債を1兆8587億円抱えているのは「名古屋市」という地方公共団体=法人である。こんな勘違いを本気でやっているなら、経営者としての資格はない。(その負債(借金)によって準備した設備(資産)がどこにあって、名古屋市自体がどう1兆7000億円もの財を生み出していると思えるのだろう)

 ところが、減税を恒久的に実施しようとしたのは全国で名古屋市だけだった。私はここに、日本の病巣、地方の病巣がすべて現れていると思う。(p.150)

 見直しということになっているけれども、「杉並区」の話って何処へ行っちゃってるの?ここに河村の病巣がすべて現れていると思う。

たとえば名古屋市は、職員の人件費10%削減を実現した。(p.152)

 ま、昨日のエントリーの様にウソですね。「7.信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある」です。

 民主党政権にかわって2年あまり。今や日本国民みんなにバレてしまった。自民党民主党もどこも人材不足だと。(中略)
 社会で商売したこともない、企業競争で揉まれたこともない、生き馬の目を抜くビジネス界の実態も知らなければ経験もない人たちに、どうして国の莫大な予算が仕切れるだろうか。血の滲むような経費削減ができるだろうか。(p.172)

 と、外飯も食ったことのない。金の為、仕事の為に頭を下げて歩いたこともないお坊ちゃまが何を言っているのだろうか?
 そうであれば、高い経費をかけて優秀な人材を集め、競わせなければならない。
 そもそも河村が「ヒトを見る目」を語っても、まともに聞き入れられる名古屋市民がどの程度居るのだろうか?

 この本で最も秀逸だった一節が次のくだりだ。
 「行財政改革で確保した」という減税財源がいよいよ怪しくなって、10%の減税率を7%に圧縮しようとした直後に発売する本に、次の一節が書かれていたのである。

 だから「行政改革がんばります」と出店しておきながら「いろいろ行革を検討しましたが、財源が足りなくて困っています」なんて間の抜けたことが言える。(p.79)


 確かに「河村さんの話はおもしろい」



※1:途中で話が住民基本台帳ネットワークに移る部分などは、まったく無視した。それにしても、議論が古い。突然「牛は10桁、人は11桁」といっても、10年も前のスローガンを覚えている人も少なくなっただろう。
市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!-牛の固体識別番号
 ちょうど、この住基ネットワーク。敢えて「国民総背番号制度」などとも呼び習わしたが、その問題が発生した当時に所謂「狂牛病」の問題も発生し、牛の飼育について10桁の「固体識別番号」を付けて管理する事とされた。
 住基ネットワークで国民に付加される番号が11桁であることから、「牛は10桁、人は11桁」と言うスローガンが生まれた。

追記(12月5日):
最高裁判例「平成19(オ)403」
住民基本台帳ネットワークシステムにより行政機関が住民の本人確認情報を収集,管理又は利用する行為は,当該住民がこれに同意していないとしても,憲法13条の保障する個人に関する情報をみだりに第三者に開示又は公表されない自由を侵害するものではない」

最近の話題として「住基ネットはなぜ『悪者』となったのか(共通番号[国民ID]を失敗させないために)―住基ネット報道におけるセンセーショナル・バイアスと外部世論の形成に関する研究―」以降の議論の流れ、等。
高木浩光@自宅の日記(2011年05月15日)

―これらの事については、今は棹を挿す余裕はありませんので、ご意見があれば伺うだけになります。
ただ、河村の立論は「センセーショナル・バイアス」に影響されたものというよりは、それをより煽るだけのものと思えます。

 というよりも、そんな事を偉そうに語るのであれば、リコール署名簿の問題をちゃんと始末するべきだろう。

福島県 矢祭町ちょっと、元気がなくなっているように見えて心配。

※2:「財政均衡論」とは。
 そもそも財政法4条で「国の歳出は、公債または借入金以外の歳入を以って、その財源としなければならない」と定められている。「公債または借入金以外の歳入」とはつまり、租税であって、「国の歳出は租税を財源としなければならない」という原則が書かれている。次いで「但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」とされる。つまり、単純な歳入欠陥による「赤字国債」は禁止と解釈されている。

 毎年の国の歳出は、その年の歳入の範囲で賄いましょうという、至極当たり前の原則を歳出と歳入の均衡を保つという意味で「財政均衡論(均衡財政論)」と呼ぶ。

 1964年に東京オリンピックの好景気の反動で歳入欠陥が生じ、「特別措置法」が制定されて「赤字国債」を発行することとなった。この「特別措置」はその後なし崩しになり、やがて赤字国債の大量発行が始まる。さらに償還の期限が60年に延ばされ、借換債の発行で繰りのべが認められるようになる。

 このように「先送り」された国債の発行残高は積み上がり、毎年の歳出(予算)の自由度を制限してくる。これを「財政の硬直化」と言う。

 経済が右肩上がりで拡大する局面や、インフレの局面では、60年前の借財は利子を支払っても返還する時には、貨幣価値が落ちている。今の様に経済が縮小しているような局面、デフレーションの局面では過去の債務が重くのしかかって来る事になる。

 財政法でも公共事業などの公債が認められるのは、これらの事業で作られる社会的インフラが永年にわたって社会に利益をもたらすのならば、その負担も後の世代と分け合うべきであるという「世代間の公平」という原則に立つからである。誰もただ単純に「国債は悪」だなんて言ってはいない。