市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

事実に対する謙虚さ―マニフェスト

 本日(11月26日)の中日新聞を読んで驚いた。河村市長に対する大村知事の意見が、私の言ってきた事と被っている気がしたからだ。

「でっち上げ厳重抗議」 名古屋市との給与比較で知事が再反論(中日新聞 2011年11月26日)

 減税の財源確保に向けた行政改革の評価をめぐり、名古屋市河村たかし市長と大村秀章知事の論争が長引いている。河村市長が「県は市よりも職員の平均給与が高い」と県に人件費削減を促したのを受け、大村知事は25日に緊急会見し「一般行政職の給与を比較するラスパイレス指数では、県は名古屋市より低い。まやかしのデータによるでっち上げで厳重に抗議したい」と再反論した。

 論争は、県が2012年度からの県民税10%減税実施を見送ったことに、河村市長が「県は行革をやっていないから減税できない」と批判したことから始まった。大村知事が22日に県職員の給与削減額を示して反論すると、河村市長はすかさず同日に「県職員の平均年収は665万円で、市の634万円を上回っている」と切り返した。

 これに対し、大村知事は25日、「県職員は、大卒で給与が高い教員の占める割合が大きい。同じ一般行政職員で比較しなければ意味がない」と主張。昨年4月現在のラスパイレス指数(国の行政職員の平均給与を100とした場合の比較)が、県は98・9なのに名古屋市は103・8と上回っていると指摘し「河村さんは、事務方が出した誤った数値をうのみにしており、悲しい。真実を見つめて仕事してほしいと、友人として忠告したい」と述べた。
 一方で、名古屋市は人件費以外の行革で減税の財源を確保していると評価も。「名古屋市は減税を実現できると思うので、市議会は認めてほしい。可能な限り応援し、盟友関係は変わりません」とかばった。(下線は引用者)


 私はこのブログで散々、「事実を元に語る事の重要性」を訴えてきたつもりだ。
 政治的指向の相違を議論しようとは思わない。それはただ私が淡々と主張するだけで、それが容れられるか否かはまったく判らないしそんなに期待もしていない。しかし、その前に。事実の誤認や誤魔化し、または知っている筈なのに事実と異なることを話す ― つまりは「嘘をつく」 ― 傾向についてはまったく許せない。
 それは単に人間の美徳としての「誠実さ」を求めるからだけではない。誠実でない者は謙虚さが無い。謙虚さが無い者は環境の変化を受け入れられない。自分の思い込みや、根拠のない願望と将来予測の境界も曖昧になる傾向がある。
 このような者は、自身に都合の良い情報は耳に入れるが、都合の悪い情報には耳をふさぎ、目をふさぐ。
 つまり、このような者の捉える現状把握は非常に危なっかしい代物になる。

 そして、そのような現実から遊離した現状把握から、将来予測を構想しても真っ当な予測が立つわけが無いのである。
 もしも、何百万と言う人口を抱える都市の市長が、このように現実から遊離すれば、その軋みは市民生活にも影響を及ぼすだろう。

 事実と異なること。「嘘」をつく者に政治ができない。つまり「信なくば立たず」と言われるのは、このような理路からも理解できる。

 そういえば、私が「嘘つき」と断じる富口市議は今定例会において「市長のマニフェスト」について本会議場で個人質問するらしい(28日午前)。ご自身の選挙公約すら守れない人が「市長のマニフェスト」について何を語るのか。非常に興味深い。(ここここを参照)

 こんな言葉もあった。

「偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。 それには費用も掛からず、想像力以外の何の苦労も要らない。」 − エドマンド・バーク

 また、最終日の午後1番には大阪のちがった、中区また間違えた。何処選出でしたっけ?ま、何処でもいいか。大阪の林市議が「市のウェブサイトについて」個人質問すると言う。林市議って、システムエンジニアだったそうですが、ご自分のサイトは作っていない。減税日本ゴヤ自身、結成以来既に8ヶ月ほど経ちますが未だに自身のサイトを持っていないんですよね。この林市議が一時期、減税日本ゴヤ市議団のホームページ作成担当だったそうですけど。そんな人がいったい何を言われるのか、これも興味があります。

 「市長のマニフェスト」と言えば、河村自身は忘れているかも知れませんが、そのマニフェストの2項目目に「名古屋市民の安心安全な暮らしを第一に確保する」と言う項目があり、その細目の「(5)安心して行える子育て」の2項目目が「?保育所待機児童の解消と医療費助成の拡大」となっている。
 その中身が。

・市独自の認定基準を設定し、「認証保育所」を増やすことで、保育所待機児童の解消に努める。
・家庭的保育の実施に向けて、人材養成を行うとともに、地域資源保育所園庭、地域子育て支援拠点、公園など屋外)の活用を積極的に検討する。


 なんですよね。(オリジナル/ 当ブログで扱いやすく編集したもの

 このマニフェストに準じて、ちゃんと市政運営がなされていれば、今、取りざたされているような「小学校の校庭にプレハブを建てて待機児童を受け入れる」というようなふざけたような政策を持ち出さなくても済んだのではないでしょうかね?

 報道によると、待機児童の多い守山区緑区で実施されると言うことでしたが、市当局には対象となる学校の見通しもまだないようですね。また、一説には名東区の中学校で実施されるのではないかという話もあるようです。

 そもそも、校長であるとかPTAなどにも打診すらない状態なので、本当に実施するのだろうかと、疑問視する人だらけです。

 小学校にこういった託児施設を作るに当たっては、小学校に通っている子どもたちの保護者は反対するのは当然の事だろうと思います。自分たちの子どもが使っている校庭が狭くなれば、子どもたちが負担を負うことになるわけで、親であれば反対したくなる気持ちは当然の事でしょう。
 ところが、こういった反対意見に河村は市長会見で「ムカツク」とまで言い。口を極めて批判するわけです。
 確かに、既得権を侵害されるからと反対する親の意見は「私利私欲」であって、待機児童を持つ親たちの苦労を考えない行為でしょうが、だからといって待機児童のために既存の校庭を狭めて、そこで教育を受けている子どもたちの権利を奪うのも「私利私欲」である筈です。

 そもそも、河村自身のマニフェストを真面目に実行していれば、このような市民の間の利害対立は起こらなかったわけですから。視点を換えれば河村の「私利私欲」の為に子どもたちが一方的に被害を蒙っているのがこの問題ではないでしょうか?

 「ムカツク」とまで言うとは。

 他人の「私利私欲」には敏感ですけど、自身の「私利私欲」には鈍感。または、甘い。
 そして、自分の「私利私欲」が、あたかも「公憤」であるかのように捉えられる。
 これは、責任感がないから、当事者性が無いからでしょうね。

 交通局の不祥事が公になった際にも、名古屋市交通局の最高責任者として名古屋市民に対する「市長」と言う立場ではなく、単なる「テレビタックル芸人」として「名古屋市交通局」の行政責任を語る。(哀れ、表彰制度は潰されるわけですね)

 守山の吉根地区においては、水門の管理責任は市長であると法で規定されているのにも係らず、その当事者性を無視して市民に挨拶する。

 現実から遊離して、自身に甘く、批判を聞かない。

 小学校の校庭に託児施設なんぞ作れませんよ。そんな事したら、子供たちは野球やサッカーなどの球技ができなくなる。それらの流れ弾が幼児に当たった場合、誰がどのように責任を取るのですか?

 そして、こうやって無理して施設を準備したとして、何処に保母さんが居ます?
 またぞろ、周辺の都市から人材を名古屋に引っ張ってくれば良いというような、自分勝手な見通しを持ち出しますか?

 名古屋は、壮大な託児施設に、なんとも厄介で我儘な幼児を預かったようですね。
 その託児施設の住所は中区三の丸三丁目1番1号ですよ。