市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

河村たかし「減税論」の誤り

 本文の前に告知:
 ブログの体裁が変わりました。以前の体裁には出来ないようです。
 当ブログを印刷してご覧いただいている方々もいらっしゃるとの事で、
 設定を少々強引に操作してサイドバーのサイズを縮小し、
 本文の表示を増やしました。

 ただ、インターネットエクスプローラーでは、ページ上部の Ameba バーと
 本文が干渉してしまいます。

 また、FireFox では2ページ以降の本文が印字できない不具合があるようです。

 Google Chrome では正常に印字できる様ですので、
 ブラウザを Google Chrome にされる事を考慮いただきますようお願いいたします。

 その他、御要望等がございましたらコメント欄にでもどうぞ。


 昨日のエントリーで書いたように、減税日本ゴヤの市議たちは、決算審議期間中であるにも関わらず集団で栄に繰り出したようである。目撃者によれば、幾人かはこの後も錦の街に残っていたようで、相当に深い時間にも関わらず数人が、何軒目のハシゴか、高級店の入っているレジャービルに消えていったようである。

 このブログで散々取り上げている「ザ・公約無視」減税日本ゴヤの富口幹事(守山区選出)であるが。

 その9月26日のブログを魚拓に取った。(こちら


「先週は台風15号により
委員会が中止になり日程が少し変更になりました。
守山区内も一部の地域で被害があり
避難を余儀なくされた方など
大変であったかと思います」

 これが、守山区選出の市会議員さんのお言葉です。
(別に他の議員をヨイショするつもりはないし、人間を比較してはいかんけれども、この姿との相違は際立っていると思う)

 あ、なんか当たりたくなってきた。
市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!-富口選挙公報 この富口幹事は、選挙公報で「毎月の市政報告会」を公約に掲げていました。後援者との懇談は開催されているようですが、一般市民が参加できるような「市政報告会」は未だに開催されていません。「ご参加をお待ちしています」ではなくて、「開催をお待ちしています」と言いたい。

 なぜ、突然絡みたくなったかと言えば、本日のこの報道があったからです。


待機児童:4年ぶりに減少 厚労省発表(毎日新聞 2011年10月4日)
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111005k0000m040056000c.html

 厚生労働省は4日、認可保育所に申し込んでも満員で入れない待機児童が、今年4月1日現在で前年同期比719人減の2万5556人となり、4年ぶりに減少したと発表した。ただ、08年秋のリーマン・ショック後の景気低迷で働く母親が増え、待機児童が急増した09年の水準(2万5384人)を依然上回っている。毎日新聞が8月、全国の主な101市区町村の待機児童数を集計した結果と同じ傾向を示した。

 待機児童の減少は「安心こども基金」などを活用し、保育所定員を220万4393人へと4万6503人増やした結果という。政府の「毎年約5万人増」方針には届かなかったが、前年同期比の増加幅は比較可能な84年以降最高で、待機児童を100人以上減らした自治体は横浜市鹿児島市など8市区に上った。ただし、100人以上増えた自治体も名古屋市那覇市など6市あり、取り組みの差が鮮明となった。

 年齢別では0〜2歳児が全体の82.6%を占めた。また、全体の81.9%が首都圏や近畿圏、政令市など都市部だった。

 待機児童数が多かったのは(1)名古屋市1275人(677人増)(2)横浜市971人(581人減)(3)札幌市865人(25人増)(4)川崎市851人(225人減)(5)福岡市727人(238人増)−−の順。

 全国的に減少傾向にある「待機児童」がなぜ、名古屋で増加しているの?増加数は河村市長が好きな「日本一」だけど。「失政日本一!」ですな。

市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!-減税論 富口幹事は選挙公報で「待機児童ゼロをめざします」と明言したわけだ。この失政は富口幹事の責任だとは言わない。市議に成ってすぐ結果を出せなどという無茶は言わない。しかし、この増加の原因と、自分が選挙公報に掲げた「議員報酬の半減で待機児童ゼロが実現可能」という言葉が事実とは異なっていた事の原因ぐらいは市民に説明できるように調査・研究する義務があるだろう。

 酒を飲む事だけ則竹から学んでも駄目だぞ、8年後の君の姿は則竹の姿か?

 そういえば、7月25日からの視察旅行でも、最後の札幌、ススキ野で単独行動をしてボラれて2万何某か取られたそうだけど、もう当分、一人前の仕事が出来るようになるまで酒なんぞ飲むな。そして、とっとと市政報告会を月例で開くように。

 と、こんな事はどうでも良い事で、今日は河村たかしの著書「減税論」の誤りを指摘しましょう。先日の「ナゴヤ庶民連」の会合でも湯川市議がこの本を持ち出していて驚きましたが、私の買った同書には、たった157ページに35ヶ所の付箋が貼られています。完全に「電波本」認定ですが、そういった恥の記念碑として是非購入をお勧めしますよ。アマゾンなら中古で39円から売っています。


 同書の46ページに左に示したような図が載っています。著作権法で画像の引用は違法だとかって言っている馬鹿も居ますが、こうやって図だって引用しなければ批判、検証ができないだろう)

 キャプションが「図表10 日本の経済成長を促すには」そして、解説として、「お金を回す=経済を活性化させ、新たな利益を上げるためには、赤字部門にお金を渡しては意味がない。産業部門に渡して儲けることが大事。」となっている。会社で言うならば、「総務部」を「<赤字部門>」と捉え、こちらにお金を回すのではなく、「営業部<産業部門>」にお金を回して「販売して儲ける」というのが正解「○」であると示され。

 国でも同様に、「役所・議会」は「<赤字部門>」であるから「民間<産業部門>」にお金を回さなければならない。という事のようです。正直、こんな認識はまじめに経済を習ったことがある人なら逆に「理解不能」に陥るでしょう。まったく「ユニークな経済理論」という他はありません。

 ちょっと、国や名古屋市の話に行く前にこの図の右側、会社の説明について確認しておきたいのですが、どうなんでしょうか?中学生や小学生程度であればこういった説明図を書いても仕方が無いとは思いますが、高校生程度であればこの図は完全に間違っているよと諭してあげなければなりませんよね。

 そもそも会社が「販売して儲ける」というのは間違いないのですが、その「儲け」を実際に前線で生み出す営業部だけの手柄と捉えるのは、どうですか、入社一年や二年目の新人程度でしょう。まあ、たまには居ますね。確かに、営業利益を各営業部の実績で報奨金にしてバラ撒く会社も、けれど、まさかこういった報奨金が全て営業部に回されていると思っていますか?だいたい営業経費、管理経費を引いて報奨金は計算されるものですよ。

 河村市長はお父さんの会社に勤めて、それも、お母さんなどがずっと会社を見られている間、半分以上法律学校に通って遊んで学んでいらしたので、こういった民間企業の常識も余りご存じないのは仕方が無いです。

 更にいうなら、会社が利益を上げたときに、その利益を営業部門に回すのは「短期的な政策」と捉える事ができます。生産設備がある会社であれば、生産設備への投資を行えば、全体の生産性が上がるかもしれませんし、商品開発の部門を持っているなら、その部門に「今日のお金」を入れれば、「明日のお金」を生むかもしれません。
 そして、大抵の企業は「商品開発部門」は「赤字部門」です。そりゃそうです。明日の商品の為に、今日の売上げを使うのが商品開発なのですから。

 河村市長がどのような企業運営をされていたかが垣間見える図式化です。

 では、国についての説明に移りましょう。ここでいう「お金」がどういった性格のお金であるか、そこを見定めなければ議論になりません。同書にはただ漠然と「お金」とされているだけです。では素直に、ここで示された「お金」を国に入る「歳入」と捉えてみましょうか。それが左に示した図です。

 この「お金」を「歳入」として捉えてみると、その「歳入」は赤字部門である役所や議会に取られるよりも、産業部門である民間に回したほうが経済は活性化するというのでしょうか。

 ならば、税金を全廃してすべてのお金を民間で運営すればよい事になりませんか?

 おおすごい。国家、行政機構の解体、完全民営化ですね。究極の「小さな政府」夜警国家以上です。

 国に「取られるお金」が役所や議会に入るという図式がそもそもおかしい。まるで「税金は税務署の職員が私的に奪っている」というような妄想に近くないですか?冗談や軽口なら理解も出来ますが、こうやって書籍で説明に使われるとちょっと、・・・・・疑ってしまいます。

 「正しい経済理論」というか「常識的なお金の流れ」では左に示したように、例えば、名古屋にもおおよそ2兆円の歳入があります(一般会計は1兆4千億円ほど)この歳入から、「役所・議会」は確かにお金をいただきます。運営する費用、人件費としておよそ1800億円(比率として一般会計からは18%弱)のお金が市当局の職員に対する給与、また特別職としての市長(給与)や議員(歳費)に支払われます。

 その他のお金はどこに行くのかといえば、例えば社会保障費として市民に渡されたり、保育園や他の市営の施設、介護費用などとしてそれぞれの職員や経費を賄う費用に宛てられます。つまり、行政サービスに使われるのです。

 こういった費用は主に、社会的弱者に対して向けられるでしょう。納税が出来る、利益を得る事ができる社会的に力がある者が働いて、その利益の一部を税として納税してくれれば、そのお金が社会的弱者、または恵まれない者を助ける原資となります。これが「税の持つ所得の再配分機能」です。

 今は社会的に力があり、働ける者でも、いつ体を壊したり、経済的な苦境に陥り、社会から助けを必要とする立場になるかわかりません。その為の相互扶助の仕組みでもあります。
 まあ、この辺りまでは中学校の公民の教科書に載っているような話でしょうか。

 昨今のように社会全体が不況となると、失業をする人々も増えます。そういった人々に最低限度の生活を保障しないと、そういう人の幾ばくかは犯罪に走る可能性もあります。最低限の生活保障というのは社会の安全保障の意味合いも持っているのです。

 また、先ほど市の職員などに給与として支払われるといった1800億円ですが、これも別に消えてしまうわけではありません。これらの職員が生活をすれば様々な消費を行うわけで、これによっても市中の経済は「回って」いきます。

 働きもしない市会議員が、決算審議中に錦で飲み歩いても経済は回ると言う事です。

 では、ちょっと気を回して、ここに記載されている「お金」が「歳入」の全てではなくて、何等かの余剰金であると仮定してみましょうか。そうであれば、民間に回すか国が受け取るかと言う選択の対象となるという話にリアリティーが出ます。

 税収が思った以上にあったり、行財政改革で余剰金が発生することはあります。では、こういった余剰金が発生したときに、それを民間にバラ撒くべきでしょうか?このような性格のお金を一時的な満足の為にバラ撒くなどという判断は、日本人のメンタリティにはそぐわないと思います。日本型ピューリタニズムとも合致しません。また、当ブログでも取り上げた「米百俵のたとえ」の如く、余剰金を民間にバラ撒く事は「愚策」と言えます。

 最近でも、「地域振興券」であるとか「ふるさと創生資金」といったようなバラ撒き政策がとられたことがありましたが、どれも「愚策」の烙印を免れていません。
 そもそも、こういったバラ撒きは、その20%程度が貯蓄に回ると言う「正しい経済理論」もあり、経済効果の上からも疑問です。

 では、こうった余剰金を「役所・議会」に渡すとどういうことがおきるでしょう。「税金を税務署の職員が持っていってしまわない」のと同様に、こうやって徴収された余剰な税金も、歳入として国や市に入れられれば職員給与や議員歳費になるようなことはありません。

 (当たり前すぎて、書いていて不思議な気持ちになってくる。

 この本、本当に市長やら、衆議院議員を経験した人が書いた本なんだろうか?
 ゴーストライターを頼むにしても、もっと上等のライターを雇わなければ、恥をかきますよ)


 歳入に余剰金が発生すれば、そのお金は全額支出されます。職員給与や議員歳費は予め条例等で金額が決められているわけですから、こういった歳入の多寡に左右されません。

 余剰金がそのまま新たな政策や、既存の政策についての追加予算として支出されれば、市中経済は活性化するでしょうし、債務の返済に回されば、将来的な負担を軽減する事もできます。そして債務についてくる利子負担を軽減することとなり、以降の予算編成に余裕を持たせることが出来ます。(その逆に、債務が増えれば予算が硬直化します/この辺りも中学校の公民レベルの話だと思いますが)

 まあ、とりあえず。以上の様に河村たかし著「減税論」は、まったく無茶苦茶な本なので(その他にも34ヶ所以上、同等の誤りがある)39円程度で買えるリーズナブルな本とはいえ、市民に経済政策を説明する上では使われないほうが良いです。

 この本に書かれていることを真に受けて説明すると「嘘」をつく事になりますし、中学校の公民程度の知識がある人がきちんと聞けば間違いが判って、恥をかきますので。


待機児童対策について、過去に述べている。

作業(I)
そのエントリーでも触れている平成22年1月4日 市長年頭記者会見

結局、このような態度が「失政日本一」を生み出したのだろうと今わかる。