平成23年、市議会リコールを受けた名古屋市会は、議員報酬の半減を可決した。
その裏側を描いた「真・庶民革命」は好評をいただき、特設ページに纏めてある。
最近、これをお読みいただいた名古屋以外の方からご意見を頂いた。
「そもそも市会議員の報酬を半減するという争点が理解できない。
市会議員の報酬を、特に理由もなく半減化しようなどというのは理解できない上に、
一般の市民がそれを受け入れたり、支持するというのは信じられない。
そんな狂信的な政策を市長が推し進めたことを物語の前提にされても、受け入れ難い」
というようなご意見でした。
市議報酬半減騒動とでもいうような、リコールから改選という流れに身を置いた者にとって、市議報酬の半減案の中身自体には疑問はもっても、そうした主張の存在までは疑問を持ちませんでした。しかし、こうした流れを知らない人にとっては、市議報酬半減案という存在自体が信じ難いものであるようです。
この事自体、如何に名古屋における市議報酬半減というのが異常な事であるのかを示していると思います。
こうしたご意見を受け、また、歴史的にポピュリズムによって地方議会が破壊されるという一つの事例を残すためにもこの前提を加えた改訂版を書こうと思っています。
市長選挙を受けて、各メディアが河村市政の検証を行っている。
は、待機児童の問題を取り上げている。
河村市長は「待機児童ゼロ」の実現に胸を張るが、「待機児童」の定義自体を国が替えて、実態として保育を受けられない事例はあるようで、各自治体でも実効的な待機児童対策が議論され続けている。
しかし、名古屋市の河村市長はそういった議論や批判には耳を傾けようとはしていない。(「待機児童ゼロを実現しました」と自己宣伝だけに終止しているようにみえる)
ある方が、このニュース素材を見て「半笑いで『じゃあ、小学校に保育施設を作ればいい』という思いつきを口にするのに腹が立った」とおっしゃったが、確かに。
小学校の敷地内に保育施設を作るという「思いつき」は既に4年か6年ほども前から河村市長の口から出ているが、それが実現化されたことはない。
「実効的な待機児童対策」という設問に対して。
「 小学校に保育施設を作ればいい」という回答は、回答になっていない。
単なる論点のすり替えでしかない。
また、この動画の中で取材を受けている方が「表面的な対策ではなく、本質的な対策を」とおっしゃっていたが、適切な指摘だ。
河村市政のポイントは「何もしない事」にある。
河村市政で形になっているのは市民税減税ぐらいだ。
河村市長は行政改革で減税財源を作っていると言っているが、この言葉を真に受けるにしても、減税財源を作るための「行政改革」というのは、つまりは、「お金を作るために市の行政事務を縮小しました、取りやめにしました」という事にほかならない。
また、河村市長は市民の反応、人気を気にする。
普通、市民の人気を取ろうとすれば「バラマキ」をするのだろうが、それは減税政策のためにできない。「バラマキ」をしない上に行政事務を縮小すれば、市民の目につかないところからお金を引き上げていくことになる。市民の目につかない事業は手を抜くことになる。この方から見れば「保育事業の本質に施策が届いていない」と思えたのだろう。
中日新聞が市長選挙を控え「庶民革命は今」という特集を組んだ。
河村市政の検証記事だが、非常に面白い構成になっている。
各回にテーマを設けて政策を掘り下げているのだが、ここに大きな欠落がある。
この欠落こそ、河村市政の欠落だ。
それについては、後日取り上げるつもりだ。
この特集の1回目が「予算削減、荒れる公園」という減税政策への批判となっている。
上に述べたようなことが、具体的な事例を掲げて検証されている。
何かを得ようとすれば何かを諦めなければならないのは世の倣いだ。
歳出を削減して、減税を行うのであれば、行政は後退する以外ない。
しかし、そうした指摘に河村市長は耳を傾けない。
特集記事への回答として「どんどん増税して、福祉に当てたほうがいいんですか」と論点ずらしを行ってくる。(ピケティなどなら、そうすべきだと言うだろう)
減税が「金持ち優遇」なのは、法律の縛りのためで、税率を変えられないからだ。と「言い訳」をする。税率が変えられないのであれば、減税に依る市民の可処分所得拡大は諦めて、別の補助金や施策を展開すればいい。なぜ逆累進の問題を放置したまま「一律減税」に固執するのか? そうした批判には応えていない。
記事でも、「土木などの予算は日本中減っていますよ」と他人のせいにしている。
こうした責任を他に押し付ける発言は、・・・どうぞ続けていただきたい。
市民は離れていくだけだろう。
河村市政の影響で、名古屋市は停滞し、腐食している。
写真は家の近くにある街路樹だが、木の幹に病気が広がり、見るも無残な姿になっている。名古屋市自身の姿に重なる。
4月というのは引っ越しの時期だ。
名古屋市に進学や就職で転入してきた人たちも多い。
そうした中で「名古屋市のホームページに行っても、ゴミの分別がわからなかった」という声を聞いた。
そんな事は無いだろうと名古屋市のホームページの検索欄に「ゴミ分別」と入力してみた。(皆さんもどうぞ、お試しください)
名古屋市公式ウェブサイト:トップページ - City of Nagoya
他の政令指定都市の例(一部)
この千葉市などの事例に見る「ごみの50音別分別表」というのが名古屋市でもあったはずだ。 Google で直接検索をかけてみた。
Google
名古屋市:家庭ごみ・資源の50音別分別早見表(暮らしの情報)
コンテンツとしては現存する。
検索から引けないだけだ。なぜ?
また、最近は「ライフステージ分類」といって、ホームページのコンテンツを市当局の部局別にするのではなく、市民の立場から、人生の出来事別に分けて表示するという構成が人気だ。名古屋市でもこれは取り入れられていて、トップページに「人生の出来事から探す」というリンクが作られている。
ここの「住まい・引っ越し」を見ると。
やはり、ゴミの分別についての情報は掲載されていない。
何故なのだろうか。
こうしたことが「福祉の後退」「市民サービスの劣化」なのだ。
これ自体は小さなことかもしれない。(しかし、対象者は何人いるのだろう)
こうした小さな、目につかない劣化が寄せ集まって 「減税」 の財源になっているのだ。それならば、「どんどん増税して、福祉に当てたほうがいいんです!」と反論したい。
税とは、再分配なのであって、この社会の不公平を是正する手段であるなら、行政は胸を張って毅然と税を徴収すべきであるし、それを再分配すべきだ。
公務員や議員、首長は税金で食っているのかもしれないが、それはそうした社会の仕組みを公平公正に運営するためであり、国民、市民のためだからなのだ。その給与を否定するということは、そもそも職責自体を自覚していないということなのではないのか。
「税金で食っている者は天国」というのは、高額の公費を得ながら、何もせず、適当にテレビに出て、放言を繰り返せば安々と衆議院議員という地位が手に入り、新幹線に乗ればグリーン車が乗り放題、海外視察も行き放題の自身の代議士生活を語っていただけなのではないのか。
同じ野党民主党の議員でも、仕事をしていた石井紘基氏などは、亡くなっている。
何もしない、単なるテレビ芸人が老醜を晒しているのが、河村たかしの今の姿ではないか。
追記:
2日午後8時半ごろ、名古屋市東区の河村たかし市長の事務所の敷地内に刃物を持った男がいるのを事務員が見つけた。通報で駆け付けた愛知県警東署員が銃刀法違反容疑で、名古屋市の無職男(77)を現行犯逮捕した。
逮捕容疑は刃渡り約9〜20センチの包丁計3本を持っていた疑い。
当時、河村市長は不在だった。
https://this.kiji.is/221286245439260155
私じゃござんせんよ。
しかし、半笑いの市長の態度が、
こういうヒトを呼び込むのじゃないのかね。
あんたが足を踏んでいる市民の痛みに、
そろそろ気が付かなければならないだろうよ。
写真は犯人ではありません。
追記:
・・・・さすが、歴史修正主義者、河村市長を支援するヒトだけあって。
現在、メディアで賞賛されている「レゴランド」について、
「河村市長が誘致した」と喧伝しているらしい。
今後、河村市長自身、レゴランドの誘致を「成果」という可能性もあるだろう。
(市長就任直後の水道料金の値下げも、自身の成果と喧伝した前科もあるから)
これについて何か良いエビデンスがないかと探していたらすぐに見つかった。
河村市長は、松原前市長が進めていた金城埠頭における「モノづくり文化交流拠点構想」の凍結を打ち出していたが、市当局は水面下で、金城埠頭におけるマーリン・エンターテイメンツ・グループ(ME社)と「レゴランド」の誘致活動をすすめていた。
その努力が実り、10月28日、テーマパーク「レゴランド」を運営するME社が「レゴランド」の候補地として金城埠頭を選定し、交渉に入ると発表した。関係者の努力に、心から敬意を表したい。
横井利明オフィシャルブログ:レゴランド・ナゴヤ2015年オープンへ