市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

地域委員会についての情報提供を受けて

注意喚起します!
9月15日の中日新聞誤報で、

  署名簿流出の被害者である
   市民への被害が拡大する恐れがあります。


当該ファイルは(9月16日現在)未だに開放されたままで、
誰でもダウンロードできる状態に放置されています。


詳しくは→こちら



地域委員会についての情報提供を受けて

 地域委員会について、情報をお送りいただきましたので、その公開をさせていただきます。情報の主軸は日本サードセクタ経営者協会(JACEVO)「設立準備会」の中部における第二回(2009年7月12日)の会議抄録と、それへの匿名子のコメントとなっています。この匿名子は情報提供者とは異なる方のようですが、今の地域委員会にも通ずる問題を摘出して見えます。

 当日の模様は YouTube でも見ることができます。

 後房雄JACEVO設立準備会幹事(当時)の趣旨説明
 同日、河村たかし対談後房雄

 会議抄録から更に興味深い部分を抜き出して、コメントを加えさせていただきます。
 (参加者に、後に市長選で戦う事になる石田芳弘犬山市長が見えます)


 1 趣旨説明(後房雄
 「サードセクタ」の意義と、行政との関わりあい、更にその存続の要諦を語って見えます。この会議自体、こうやって「サードセクタ」の側から見た「地域委員会」の理解であると言う事で、ある程度は割り引いて見なければならないかもしれません。(後述)








 2 基調講演(河村たかし
 「サードセクタの仕事をつくるのが私たち(行政)の仕事だと思っている」

 ※「サードセクタ経営者協会」の設立準備会での発言なので、大いにリップサービスがあるのだろうとは思うけれども。
 「議員もNPOもその活動は税金ではなく寄附金で賄うという点では同じである」
 ※NPO法案(サードセクタともつながる発想)であるとか、このNPOに国民が選択的に納税できると言うのは、河村たかし衆議院議員の頃からの発想である。

河村たかし法案集
 平成7年(132国会)市民公益法人に対する法人格の付与等に関する法律案
    =NPO法案/提出、未成立
 平成7年(132国会)地方税法の一部を改正する法律案
    =国民が税金の使途を選択できる地方税の改正案/提出、未成立
 平成10年(143国会)地方税法の一部を改正する法律案
    =NPO寄附金控除

 その後、146(2回)、147(4回)、150(2回)と修正を加える。「ライフワーク」と言っていたが、ここで「飽きた」らしく、151回では、「納税者権利憲章」というような意味合いを付与し始める。実態が更に「怪しくなる」

 なので、平成7年頃からの発想に固執しているのだろうけれども、その間実態的に洗練されたとは言いがたく、逆に理念的、空想的に成ってきていると思える。
 実際に、名古屋において市長という立場に立ったわけで、「公益寄附控除」については幾らでも募集して展開して、キャンペーンを張っていける筈であるにも関わらず、実態としては「こんな感じ」である。


 3 対談

 「減税することも外郭団体問題の解決策の1つである。減税すると聖域なく行財政改革せざるを得なくなる」(河村)
 「また、減税を行えば、NPO法人等への寄附が集まることになる。日本の場合、税金でそれなりの額を払っているので、寄附までなかなかしない。名古屋市が減税をすれば、250億円程度の金が地域に戻る。その使い方は自分たちでかんがえていただき、きちんとしてほしい」(河村)

 ※減税をしても、外郭団体や聖域に切り込んだ行政改革ができたという事実はない。逆に、それらの議論をなおざりに、各局単位に縦割りで減税財源を求めるというような当局内の事情による「行政の縮減」が発生しただけである。


 勿論、減税率がもう少しドラスティックであればこういった議論も成り立つだろうが、全事業規模約2兆円の中の200億円、1%の話であれば致し方がない。
 また、歳入としては1%であるが、減税の規模としては収入に対しては0.6%程度でしかないため、減税を行っても寄附が発生したという事もない。
 そもそも、寄附が発生したとして、地域委員会が受け皿となるならば、寄附が発生する地域(=減税が発生する地域)と発生しない地域の間の地域間格差は広がるばかりであって、それに対する是正措置は考慮されていない。

 NPO法人の信頼性については、寄附金を集められる団体が信用できると思う。役所が判断するのはおかしいことである。NPO法人にもおかしいところがあるかもしれないが、役所のほうがもっとおなしいところだらけである」(河村)

 ※河村市長の空想的な現実把握の一端を垣間見ることができる。または、偏頗な人間理解とでも言おうか。「役所」というものに対する疑心暗鬼と、人気投票的なポピュリズムに対する幼稚なまでの信頼。このバランスの喪失が、現在の河村市政の迷走を生んでいるとも言える。
 第二の犠牲者である、減税日本ゴヤの市議の皆さんに対しては、ご愁傷様と言う以外ない。勿論、第一の犠牲者は名古屋市民そのものなんだけれど。




 「資金を寄附で賄うということであるが、寄附が必要なところへ集まるかわからない面もあるので、最低限の部分は税金で賄う必要があると思っている」(後)


 「公募を行うので、手をあげていただきたい。実績はなくてもいい。実績がないところであっても、半年なり一年なり役所がバックアップして指導すればいいだけの話である」(河村)

 ※多分、そのようにバックアップをする事のコスト(人件費)を考慮すると、公募しても効率は上がらない。

 「これからどんどんマーケットを作っていくつもりである」(河村)
 ※この発言もリップサービスであるとはいえ、重要だ。


 「海外にはNPOをチェックするNPOがある。役所のチェックは駄目である。本来はそういうことは議会が行うべきではあるが」(河村)

 ※河村市長はここで既存の市会(市議会)を指して議会と言っているが、この文脈で言うならば、地域予算を議決する地域委員会がNPOの行政執行をチェックするということになる筈だろう。しかし、そもそもボランティアの議事機関としての地域委員会に、執行実体の、それもNPOという連携が担保されない団体の、執行現場をどのようにチェックできるというのだろうか。その人的コストは誰が負担するのか?地域委員会の委員?

 NPOはお金を集めることができるNPOが信頼できるところである。やはり倒産すれすれのところで努力するような仕組みにしないといいものはできない」(河村)

 ※河村市長は自らを民間企業の出身と自称するが、実際に経営実績はない。逆に大学卒業後、所謂「自分で稼いで飯を食った」という経験がないまま、税金で食っていける立場となっている。
 この独特の経営観、営業観が、やはり幼稚な空想的現実把握の一端であると見ることができる。

 「地域協議会(=地域委員会)」について。後氏の発言を整理すると。
 行政からの民間委託は予め定義された内容を実施して一定の成果をあげる必要がある。
 地域協議会は1億円を地域に与え自由に使わせる。
 地域協議会は地域住民から選挙で選ばれるという正当性が必要である。
 選挙で選ばれた地域協議会は付託を受けたのだから1億円を自由に使える。
 (地域協議会は執行を委託する執行主体に執行内容を定義しなければならない)

 ※実際には名古屋の地域委員会モデル実施において、地域委員の選挙は投票率が8.7%しかなく、選挙権者は事前登録が必要で、投票は郵送という不正が起こりかねない方式を取っている。

 また、地域委員選出選挙においては、被選挙者のプライバシーをどの程度守るべきか、または公表すべきか、充分な議論がなされているとは思えない。
 現在の市議と同程度のプライバシーの公表が必要であるとすると、生年月日の公表を伴う選挙に、どの程度の女性の参加が見込まれるか疑問がある。
 また、充分な被選挙者の情報公開が無いとするならば、そのような選挙制度はやはり空想的な選挙制度というよりない。

 「決めるのは住民の皆さんに行っていただくが、さまざまな事務は全て役所にやらせる」(河村)

 ※今、名古屋市において、議決機関は1つだけである。今後、規模が小さいとはいえ、このような議決機関が200以上発生して、その事務作業を市役所、区役所においてするとなれば、その重複するコストは膨大なものとなるでしょう。

 また、名古屋市には、市議会が1つしかない。1つで全てきめていくから、非常に雑で荒っぽいことが多い。だから文化小劇場などを16館も作ろうとしてしまう。
 しかし、地域で決めていけば、同じものを金太郎飴のように造っていくという無駄なことはなく、地域によって必要な施設を造ることになる。要は自治体内で分権をするということである」
(後)

 ※というのは、逆のような気がする。各地域で独立して議論すれば「金太郎飴」が膨大な数できそうな気がする。多分、24年度は各地で「防災対策設備」が「金太郎飴」になると思う。実際には、施設を造るような予算規模でないから良いようなものの、16館の文化小劇場というのは、一つの区が作れば「我も我も」と、<悪しき平等主義>が発動した結果だろうが、この<悪しき平等主義>は地域委員会が導入されたからといって絶滅できる保証はなく、今は区という単位で16の悪しき平等主義が、地域委員会という200を超える悪しき平等主義で拡大して展開される恐れがある。


 「考察」について。

 「地方公共団体における行政改革推進のための新たな指針(平成17年3月29日 総務省)

 これは、はっきり言って「行政の撤退命令」であって、今後、行政は地域課題から撤退し、その穴を地域住民の自立か、NPOなどの第三セクターで賄えと言っている。

 特に河村市長流の新自由主義的な「小さな政府」指向と呼応すると、この傾向はより一層先鋭化する。

 河村市長は「地域のことは地域で決める」と繰り返し語るが、「地域で決めたことは地域が責任を負う」とは言った事がない。しかし、新自由主義において決定責任結果責任は表裏一体である筈で、決定権ばかりに目を送らせて、結果を負う義務について語らないことは不健全である。(はっきりと言おう、誤魔化しである)

 また、「考察」においてその1で、鋭くも意思決定主体(議決機関)と、実施主体(執行機関)の同一性における「恣意的な運営」の問題点を指摘しているが、実際にはモデル実施において、区政協力委員であるとか、学区連絡協議会の構成員(執行機関の構成員)が、地域委員会(議決機関)の構成員である例が散見され。(というよりも、そうすべきだという意見に傾きつつあるようにも見える)

 この同一性はその内にどこかで問題を生み出すだろう。

 また、その2に指摘されているように、「会議運営と財務に精通した職員配置及び相当な事務量の発生が想定される」いよいよ、40地区の実施(24年度における40地区の実施は、議決を通っていない「中期戦略ビジョン」に謳われた実施目標である)を行うのであれば現状の人員では不可能であろうし、8地区でのように手厚い補助もできない。
 ましてや一部で言われているような60地区であるとか、全市四分の一での展開などという数字は、無謀を通り越している。




 さて、そもそも「サードセクタ」側から見た「地域委員会」の制度設計の議論である事を前提としても、すっぽりと抜け落ちているモノが有る事は明白だろう。

 この一連の議論に、地域住民の意向であるとか、その課題。または、地域住民自体の姿が想定されていないように思う。

 そもそも、今後、行政は「義務的経費」が支出の大部分を占め、その予算における柔軟性はなくなっていくものと思われる。そのように「議論の余地無い地域課題と、議論の余地無い予算の要求」がある中で、今更「議決機関」を設置する必要があるのだろうか。

 選挙の経費を使って、議事経費も使って。

 そして、そもそも議論するマンパワーすらも、地域課題の実行主体に裂いてあげればよいのではないかと思えてくる。

 もっと、明け透けに言えば。「ちゃんと目を開けば、地域課題なんて幾らでも転がっている。議論なんかしている暇があったら、地域を歩いて、そういった課題を一つ一つ潰して行けば良いのではないの?」