市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

河村たかしの誤り −その前提−

 河村市長の主張を見返してみると、様々な誤解、曲解にぶつかる。ここまで社会であるとか、政治を誤解し、曲解しているのならば、他人が河村市長の考えを理解できなくて当然とも思える。逆に、河村市長の、時によってあい矛盾する発言を「理解」出来るとするならば、その「理解」できた人の中にもこの矛盾は巣食うのだろう。そういった矛盾に自ら「食われてしまった」犠牲者の一人が則竹氏なのかもしれない。河村市長本人の中には、こういった矛盾がいくつも渦を巻き、あたかも複数の台風が上陸している日本列島のように激しく雨をうち降らせ、風を逆巻かせているのだろう。
 これでは、孤独感もいや増すことだろうし、酒の量が増えるのも理解できる。


 以前、ある方に軽いアドバイスをした際に、「疑問を持ったら法に戻る」という話をした。現在の社会を構成する様々な文化的装置の根拠は、多く法に基盤を置いている。そして、その法は必ず何等かの社会的問題を解決する為に制定されている。
 法とは、先人が社会的課題に立ち向かった痕跡であり、その一行一句一言一句に、先人の智慧がこめられている。

 本当なら、河村市長にもこの言葉を送りたい。落ち着いて法の条文を虚心坦懐に読むならば、あなたの抱えている矛盾も、苦悩も消え去るのだと。
 あなたの抱えている矛盾や、苦悩は、こういった先人の智慧に学ぼうとせず、それを悪戯に壊した結果なのだと。
 そして、その矛盾や苦悩は、別にあなたの外部にあるものではなく、あなたの内部自身から作り出されるものなのだ。で、あればあなたが一つ、矛盾や苦悩を解決しようと外部/社会を改変すれば、その矛盾や苦悩は外部に具体化され、他者に対しての矛盾や苦悩となる。これではあなたは矛盾や苦悩を人の世に撒き散らす災厄となってしまう。
 どうか、鎮まって、ご自身の中の矛盾と苦悩に、真摯に向き合って、その矛盾と苦悩の来る淵源を見つめ直していただきたい。

 鎮み給へ、払い魂へ、清め玉へ。

 というわけで。本当であれば、河村市長本人に訴えたい言葉ではあるのだけれど、それは無理であろうから。せいぜい、河村市長の言葉に「当てられた」人々に、その言葉に「当てられた」せいで抱えてしまった矛盾であるとか苦悩が、少しでも晴れるように、そういった河村市長の言葉、考え方の過ちを示して、その矛盾の呪縛を白日の下に晒してみたい。
 人に拠っては、そういった呪縛に囚われている方が心が落ち着く人も居るだろうし、呪縛を白日の下に晒してみても「心ここに在らざれば、視れども見えず」とも言う。しかし、この試みは徒労には終わらないだろう。その理由も後に書けたら書こう。

 また、この「ブログテーマ:河村たかしの誤り」に含まれた一連の記事で、「河村市長のここがこうやって誤っている」と指摘はするが、ではこのブログで「正解」を提示できるとは思っていない。
 例えば、集団が道に迷ったときに、元気いっぱい、自信満々で「こっちだよ!こっちの道が正しい帰還ルートだよ!」と叫ぶ人が現れると、皆その人に注目する。そして、その人にそう主張する根拠を正して、確たる根拠を求めるという努力を払う人は少数だ、たいていの人はその言葉や行動に自信が感じられれば満足して信じ始めてしまう。そのような時に、たまたまそのルートの行き着く先が行き止まりであることに気がついた者が「その先は行き止まりだよ」と諌めようとすると「じゃあ、どの道が正しい道なんだよ」と問いかけることがある。
 ここで重要なことは、「その道を辿っていけば行き止まりになることは判っている」ということである。「じゃあ、どの道が正しい道なんだよ」と言われても困る。それは判らない。ひょっとすると誰もわからないかもしれない。
 人間にとってこの「わからないかもしれない」という態度は、非常に重要であるが、同時に力がない。間違っていても決然と判断を下す事が、社会においてのリーダーの条件となる。しかし、当然そのように無根拠に決断された判断は誤りである場合もある。と、いうよりも多い。リーダーとなる条件は、先に述べたように「時に判らなくても決然と判断を下せる能力」であるが、実はここには陥穽がある。
 この者がちゃんとした、優れたリーダーであれば、「自分は客観的に示すに十分な根拠をもって判断を下すことはできないが、今、この場でこの集団を率いるには立ち止まるよりも右なり左なりに<とりあえず>動くことが重要である。で、あるならば右か左かは神のみぞ知る、その責任も含めて自分は右に(または左に)進路をとる!」と自覚している。そして、ここにはこの自覚に裏打ちされた自信があるだろう。
 ところが、実はまったく無責任な者が、単にリーダーに成りたいが為に無根拠のまま、そしてそれすらも無自覚なまま進路を決めてしまうことがある。こういった場合、進路を進めていく中で誤りがボロボロと出現してくるが、この無自覚な者はこの誤りの存在を認めなくなる。すなわち、現実に目を向けようとしなくなる。
 このような視野狭窄に陥る集団というのは、この世に幾らでもある。

 今、この名古屋という地方自治体を覆っているナニカに、この大いなる誤りを感じる。


 今後の予定:

河村たかしの誤り」
・2周遅れの経済理論
・政治の安売り王  −政治の世界でプライスリーダーは電気羊の夢を見るか
・地方政治を知らない市長

・二元代表制を知らない市長
 「市会本会議における、市長の逆質問とは」
・逆質問を要求する河村たかしのメンタリティ

・「地域政党」というまやかし
  −一部の人々は、昨今の「地域政党ブーム」を「隠れ民主」と揶揄していますが、それこそバイアスがかかった物の見方で。民主党自体が実は「隠れ自民」でしかない。そして、「減税日本ゴヤ」の中には、「隠れもしない自民」がいる。
 軽くフォローしておきますが。私は「隠れ民主」と揶揄する人に組しません。そういった「(軽)陰謀史観」はマンガ的です。と、同時に「隠れ自民」も「隠れもしない自民」もそのままでは批判の対象とは思えません。こういった政治的スタンスなどというもので語れる話ではないのです。それは、上の「地方政治」を語る段階で少々は触れる予定です。
 問題は、「地域政党」というものが必要とされた国政的な、全国的な背景があって、その中で減税日本は生まれて、敗北しているという点です。
 この大きなフレームを理解しないと、減税日本と、減税日本ゴヤ、そしてその政党を第一会派として迎えている名古屋のスタンスは理解できないでしょう。

・ねたきりのおばあちゃんの枕元ではしゃぎまわる子供は叱るべきか、叱らざるべきか。
・6月1日の陥穽 −策士が策に溺れてザンネン賞の図

 何処から書くかは決めていません。
コメント欄にリクエストがあればそこから書くかもしれません。

$市長のための市会ではなく、市民のための市会を!-市民フォーラム
(このイメージをクリックすると大きなイメージが見られます)

 6月20日に「地域委員会」についての市民フォーラムが開かれます。地域委員会の実施を受けた提言書が名古屋市の公式ページにありますので、この提言書から非常に重大であると思われる問題も含めて質問をしたいと思います。


 そのために、私は現地に出向きます。面白そうだと思った方興味がある方は是非ご参加ください!




6.20 ActAgainstKawamura!