市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

犬笛

 ホリエモンこと堀江貴文がある地方を訪れ、そこの有名餃子店に入ろうとしたところ、同行者の一人がマスクをしていなかったために入店を断られたとして、Facebook で「超失礼な対応されて怒りに震えている」などと書き込んだ。同コメントには店名などはかかれていなかったものの即座に対象となる店舗が特定され、同店舗に抗議の電話などがかかり始めたそうだ。

 同店の店主がブログに、店側からの反論などを掲載したものの騒ぎは収まらず、ブログの当該記事は現在削除され、同店は休業に追い込まれているようだ。

 堀江貴文の掲載文書を少々ひいておこう。

(略)そしたら店主らしき人が出てきて「ホリエモンか?」といきなり言われて同じ話(引用者補足:マスク着用義務について)をしたら「面倒くさいんで入店しないでくれ!」とピシャリ。マジやばいコロナ脳。狂ってる。
 とにかく来店時さえマスクをつけて黙っていろってスタンスなんだろうけど、別にマスク着用を拒否しているわけでもなく、ルールの厳しさを聞こうと思っているだけなのに超失礼な対応されて怒りに震えている。なんかピーチの飛行機の中でマスクを拒否して飛行機降ろされた人じゃないけど、そろそろこのマスク原理主義なんとかならんもんかね。社会がギスギスしている。(略)

 店側のブログでは「ホリエモンか?」などとは言っておらず「堀江さんか?」と聞いただけとされている。

 また「面倒くさいんで帰ってくれ」と店主が伝えたのは、店頭に「マスク未着用の方は(入店)お断りします」と明確に書かれているのに「ルールを守る気もなく声を荒げたからお客様にも迷惑がかかり糠に釘レベルの無駄な説明」を面倒として言った言葉であるらしい。

 私には堀江の記述と、この店主の記述の真贋を判断する材料はないので、事の経緯についてはアレコレ言えない。しかしよしんば店側が「マスク未着用」を拒否したのならば、それを「コロナ脳」であるとか「 狂ってる」と断じる姿勢は、狂っている。

 客商売を行うものは、客に業務を提供するだけであって、客の下僕ではないだろう。その店がコロナ感染症に対して、一定程度の義務を客に課すのであれば、客はソレに従うべきだろう。従業員に既往症を持つものが居るのかもしれないし、従業員の家族に高齢者が居るのかもしれない。「マスク着用義務」程度の制限は当然あって然るべきだし、そもそも飲食店などでは平時であっても店側が入るなと言われれば(ドレスコード等の良俗、喫煙や衛生レベル、集団などで一定程度の静謐が守れないような場合)入店できないものと心得るのが常識であろうと考える。

 私が最も違和感を感じるのは、堀江の書き込みに反応して店舗に抗議電話などをした者たちの存在だ。もちろん私は、堀江の記述を頭から信じないように、その店主の書き込みも頭から信じるわけではない。しかし他の情報から総合して、一定程度の「抗議電話」があっただろうことは想像に難くない。

 著名人がSNSや、しばしば一般メディアで特定の何かを批判し、フォロワーや一般視聴者が反応し、批判対象を「攻撃」する行為は「犬笛」などと呼ばれているようだ。

 欧米では人種差別を基盤とした政治的主張などを、「それとは気づかせずに伝える事」として「犬笛」という表現が使われたようだ。

www.bbc.com

 つまり、人種差別的、排外主義的政治家が、人種差別的、排外主義的支持者に、支持を求めつつ、こうした人種差別や排外主義に親和的ではない人々には気が付かせないように仕向ける、伝える方法として捉えられているようだ。

 上記動画でもあるように「オバマ元大統領」を「バラクフセインオバマ」と呼ぶのは、明らかに単なる呼称ではなく、そこに「フセイン」という名から連想する多民族、または非WASP文化を連想させている事は間違いがなく、WASPであり排外主義的な人々に「オバマ元大統領」に対するネガティブな印象を喚起させる、または与えることを意図していることは明白だろう。

 「犬笛」は印象操作であり、ズルい手法だ。

 日本ではこの「犬笛」の意味がずれ込んできているようだ。

 特定の歪んだ政治的指向を持ったリーダーが、同様の指向を持ったフォロワーたちに「攻撃対象」を指し示す行為を「犬笛」と言っているようだ。そこにはそうした笛で踊らされるフォロワーたちに対して「犬」として蔑む意味が付与されているように感じられる。

 そういう意味では、日本国内における「犬笛」という表現は、欧米における「犬笛」という表現より「攻撃的」とも言えるが、その作動機序や、「犬」と揶揄することで、こうした手法が無効になるのであれば、一定の効果も感じられる。

 このツイートなどでは「杉田水脈」のツイートが「犬笛作戦」であると呼ばれているが、ここでは「一般の人には気が付かせないように伝える」などという本来の「犬笛」の意味が無くなり、「犬」とそれを操作する「犬飼」のような姿が想像できる。

 そして、そういう 杉田の吹く笛に踊らされるものは少なくない。


 「余命三年時事日記」というサイトから発生した「弁護士大量懲戒請求」とそれに対する訴訟も構図は同じだろう。

togetter.com

 杉田もこの余命も、そして堀江の書き込み事例も、こうした者たちの「犬笛」に反応してしまったにすぎない。

 「犬」になって何が楽しいのだろうか。

 また自分は「犬」になっていないだろうか。

 昔、某匿名掲示板の管理人である某ひろゆきは「嘘は嘘であると見抜ける人でないと(インターネット掲示板を)使うのは難しい」と言っていたが、一般的に「私は嘘が見抜ける」と思っている者たちこそ、嘘に騙される。事実、某ひろゆきも騙されている。
 誰だって、インターネットの掲示板ぐらい使えるし、騙される、そして本質的には嘘を嘘と見抜ける者など居ない。

 何かを「嘘」と決めつけることも、「これは信じることができる」と思いこむことも、同様に浅はかなことであり、知性とはここで「保留」を置くことができる事だと思われる。


 また、杉田や余命、堀江などの言葉に突き動かされる者たちは、それが「正義」であると確信を持ってしまっているようだ。そうした行為が「正しい」と付和雷同に思っている。

 自分の行う行為は、正しさに裏打ちされていると思う、この薄っぺらい正義感、安心感が、実はこの社会で様々な問題を引き起こしているのだろう。日本の社会で引き起こされる、企業内犯罪や陰湿ないじめ。そして距離をおいて眺めれば狂気としか言いようがない判断。(最近の例で言えば「Go toキャンペーン」の強行とか、古い例で言えばインパール作戦やら、ちょうど今映画が公開されているが、ミッドウェイ海戦なども、俯瞰してみれば「バカな判断」だが、当人たちにとっては疑うこと無い「正しい」判断だったのだろう)

 ヒトは、自分の行動に絶対の自信を持ってしまうと、ひどく偏った行いでもしてしまうし、様々に見落としをし、思わぬミスを誘発する。自分の行動に一片の懐疑心があれば行動の最中でも、自分自身を顧み、その行いが本当は如何なる意味を持つものであるのか、再評価することができ、自身の行動も客観的に確認することもできるだろう。

 つまり

 易々とは口車に乗らない。
 「正しい行い」をする時には注意すべき。

 だろう。特にこうした「犬笛」を吹く者たちは、極端で偏った主張を行い、フォロワーの心を動かそうとする。しかし、そうした「口車」に乗って行動を起こしたとしても、その責任は各個人にある。「犬笛」を吹いた者たちは責任を回避しようとするだろう。至極当たり前のことだが、自分に責任が取れないような行動は、起こしてはいけない。

 見も知らない堀江貴文の、SNS上の一片の書き込みを見て、見も知らぬ遥か彼方の土地の店舗に「抗議電話」をかける。そこに事実の裏付けはないし、そうした行動が正しいことであるのか保証など無い。そしてその行動が正しくなかった場合、その責任も取れない。その店舗に謝罪を行うこともできない。

 または、呆れたことに。そうして見も知らぬ他人に、迷惑をかけてみても、そうしたことを反省もせずに、また次の「犬笛」を待つ。そして「犬笛」に反応して、他者を攻撃していれば、自らは何か「安心」が得られるのだろうか。「誰かを攻撃していれば、その間は誰かから攻撃されることはない」ということなのだろうか。「社会がギスギスしている」とはこのことだ。


 翻って考えてみると、杉田や堀江はいったい何を思って「犬笛」を吹くのだろうか。

 彼らが、指を差し「攻撃目標」を示せば、周囲を取り囲んだ「犬」たちが一斉に「攻撃」を繰り出す。いわゆる「反社会的暴力」は社会的に排除されているわけだが、こうした者たちの「暴力」は放置されたまま置かれている。

 現在、行われている「大村知事リコール運動」もこうしたフォーマットと少しも違いはない。少々複雑なのは、最初に「犬笛」を吹いたのは、河村たかし名古屋市長であり、その「犬笛」に高須克弥というもっと音量の大きな「犬笛」を持った者が反応をしたということなんだろう。

 河村たかしの意図は簡単だ、理屈などどうでもよく、事実関係もどうでもいい。名古屋市民の目から「頓挫している名古屋城問題などの市政の停滞」を覆い隠し、県民税減税議論や中京都構想(または、尾張共和国構想)更には国際展示場問題等で敵対している大村知事を攻撃しつつ、来年の市長選挙までメディアに露出する機会を作れればいい。

名古屋市:あいちトリエンナーレ2019にかかる愛知県知事への公開質問状について(暮らしの情報)

 名古屋市は公式ホームページにこんなキチガイじみた文章を掲載しているのだ!

 また、高須克弥にとっては、上記の堀江同様、「自分を誰だと思っている」とでも言うように、自身の影響力を社会に示したいのだろう。「自分が指一本動かせば、愛知県の知事の首ぐらい簡単に取れる」とでも思ったのだろう。

aichi-recall.jp

 そして、両者の吹く(調子っぱズレの)犬笛に、今日もバカどもが反応し続ける。

 彼らにとっては、自分たちの行いが正義であり、大村知事をリコールすることが、この愛知県や日本の社会を良くすることなんだろう。

 カルトより始末が悪い。


追記:
こんなチンピラを
なんだかオピニオンリーダーかのようにありがたがる社会、メディアが間違っているんだよ。

www.j-cast.com

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ホリエモン新党?(左上は「減税」を掲げている日本第一党在特会)の桜井誠

狂気は、個人にあっては稀有なことである。

 しかし、集団、党派、民族、時代にあっては、通例である。

   ニーチェ善悪の彼岸」より