コレクティブ・インテリジェンスとは、広大な知の領域に己を投げ入れて、自己の矮小さを知ること。自己の矮小さを知ることは、他者の偉大さ、人間の広範な在り様を知ることになる。それは自身をも広げてくれるし、そもそも人間が知性を持って生きているのであれば、こうした自己に無かった知見を知る機会こそが、生きる意味ともいえる。
これは我が家に新しい物がやってくると、必ずその匂いを嗅いで刺激を求める我が家の猫にも見られる傾向で、新しい知見に開かれていない貧弱な知性、そうした他者を受け入れられない狭量な精神というものは、この我が家の猫以下の生き方という以外にない。
天皇陛下の退位に伴って、元号が改正される。皇位継承の前に新元号が発表された。どうせ、事前に発表するのだから、当初言われていたように半年前(年が明ける前)ぐらいに発表すればよかった。こうした中途半端さに現在の官邸の姿が垣間見える。つまり、安倍首相というのは強力な独裁者という訳ではなく、様々なバランス(野党も含めて!)の上に乗っているに過ぎないのだろう。
一部には、この改元で「安倍首相にゆかりのある文字が入っていたら元号を使わなくする」という人まで現れた。「安」の字や昭恵夫人の「昭」や「恵」の字が入るのではないかといった人も居た。
蓋を開けてみると「令和」で、そこそこ座りの良い言葉だ。
明治:M、大正:T、昭和:S、平成:Hと来て、危惧されていた「頭文字被り」も回避された。
令和:R
その内、誰かが「Rの時代」とか言い出す(オッズは1.4倍)
私的には、どさくさ紛れに「究極超人あ~る」の再々開を希望したいものだ。
てな感じで、やれやれとなごんでいたら、凄い人は居るもので、この「令和」の中に「アベ」が潜んでいる!と言い出した人が居た。
【アベ】「令和」に安倍首相の名前が使われている!としている人の主張がすごい「アベ」 : まとめダネ!
「アポロが月に行かなかった」なんて甘い話だね。*1
まあ、この「『令和』の中に『アベ』が」論は、さすがに、ネタ・・・でしょ?え?違うの?
逆方向で面白いのは、出典が万葉集だという説明に
『日本国紀』をお持ちの方、あらためて万葉集について書かれたくだりをお読みくだされば幸い。新元号がこの書に拠ったことの意味をより深くご理解いただけるかと思います。
— 有本 香 Kaori Arimoto (@arimoto_kaori) 2019年4月1日
と、喜んじゃっている人が居る事なんだけど。
実は肝心の万葉集では、中国の「詩紀」を称揚している。
詩紀落梅之篇古今夫何異矣 宜賦園梅聊成短詠
万葉集/第五巻 - Wikisource
こちらは口語訳で判りやすい。
果たして、有本香氏や百田尚樹氏は原典に当たっているのだろうか?
さて、この序は大伴旅人*2の作とされているそうだが、「令和」の出典と言われている部分にはネタ元がある。中国古典からの引用という事になる。
歸田賦
作者:張衡於是仲春令月,時和氣清;原隰鬱茂,百草滋榮。
歸田賦_原文、翻譯及賞析_張衡詩詞_讀古詩詞網
別に、排外的になる必要ないだろうに。
天を屋根とし、地を座として、膝を近づけ酒を交わす。
人々は恍惚として言葉を忘れ、胸襟を朝霞のかなたに開いている。
淡然と自らの心のままに振る舞い、快くそれぞれが満ち足りている。
これを文筆にするのでなければ、どのようにして心を表現しよう。
中国にも多くの落梅の詩がある。昔も今も何の違いがあろう。
心を広く構え、自己の枠外を受け入れる事ができれば。
自らの自我領域は拡大する。
自我領域の拡大とは、領域の境が拡大する事であり、つまりは他者がより増えるという事だ。
受け入れ難い他者に出会い、それを排除し、見なかったことにすれば、
領域の境における揺らぎからは離れられる。
自らが各個確固たる自我であるかのように感じることができるかもしれない。
しかし、それは自我の外の他者を「見ない」ようにしているだけに過ぎない。
そのような生き方は、我が家の猫以下の生き方である。
中国にも多くの落梅の詩があり、多分、ラテンにも、中近東にも、アフリカにも似たような心情やそれを模した言葉はあるだろう。
人間の歴史の様々な機会に(ひょっとすると、ホモ・サピエンス以前にも)、同様の心情はあり、言葉があるだろう。
ヒトの多様性と普遍性を共に知る事が、自分自身を知る事であり、自分自身を批判的に捉え直すことが、自我領域の活性を上げる方法であるだろう。
嘉辰令月歓無極、万歳千秋楽未央。
告知:
「名古屋城天守の有形文化財登録を求める会」が起こした名古屋城木造化事業における住民訴訟、
第一回公判の日程が決まりました。
5月16日(木)午後2時より
名古屋地方裁判所 第1102法廷 です。