市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

禍福は糾える繩の如し(後編)

田畑代議士はなぜ、運命に翻弄されるのか。

この話題に入る前にこの間、耳に入ったお話しをしてみたい。私にとっては、つまり名古屋市政を考える上では田畑代議士の問題よりも重要だろうと思われるからだ。

どのような話かというと、ある方が「C新聞のT記者はどうなんだ?」と聞いてきた。「N市議がこの市議選に立候補しないのではないかと当ててきた。勿論、そんなバカな話があるわけがない。盛大なパーティを開いて、つい最近も観劇会を開催した。どこからそんな話を聞いたかと尋ねてみると、どうもT・T県議からだと匂わせてきた。T・T県議がN市議のネガティブ情報を流すのは常の事で、そんな話は誰も取り合わない。そんな事も知らないのか?」*1

そこで私も、N市議が常時フェースブックで朝街宣などの活動を報告している事や、来季早々にも議長を務めるのではと言われている事などを示して、同意するとともに、この話、ブログに載せて良いかと確認した。

T記者は「浅い」、自分の世界観に固執するところがある。
彼にとって自分が理解した世界観が「正解」で、他の見方は「誤り」なのだろう。後に述べる田畑代議士の件でもそうだが、当事者自身だからといって自分の事情を理解してるとは限らない。それは判る。

しかし、それは観察する記者についてもいえることだ。事象を理解しようとすれば、主観的観察を含めた全てに懐疑的で、立ち現われた事実に謙虚に向き合う姿勢が必要だろう。T・T県議とN市議の関係性にしても、それを理解していればこんなヨタにはどのように対処すべきか簡単に判りそうなものだ。(他のマスコミ関係者にも警告しておくけど、田畑代議士の話についてT・T県議は遠い立場に居た。そして選挙も近いこの時期に、彼がこうした状況を「利用」しないわけがない。あそこから出てくる話については十分な注意が必要だ)

Tさんね、あなた自分が有能であるように振る舞っているようだけど、周りはそうは見ていないよ。
こうしたモノの見えなさが、市長室から漏れてくるようなヨタ話を市民に聞かせて、市民のミスリードを誘う現状を生んでいるのではないのでしょうかね?ちゃんと、取材して、裏取って常識や法律に照らして記事は書こうよ。

C新聞を読んでいると*2、名古屋は減税で1128億円の経済効果があり、名古屋城は建てば世界遺産に登録されて、中部国際空港あおなみ線が3本も通って、今の市長は尾張藩士の末裔だって事になりそうだ。

霞と消えた1128億円 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
河村たかし名古屋市長は尾張藩書物奉行の末裔か? - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

事実は、減税政策では経済効果がマイナスに出る*3。また、1000億円といえば、守山区中志段味土地区画整理事業で、名古屋市は1000億円の赤字を抱えている。けれども市民には危機意識など無い*4名古屋城世界遺産どころか、基本設計ができたと言っているけれど、その図面や仕様書は市民に示されておらず「名古屋市民はだれ一人として、どのような城が建つのか実は知らない」そして、建築審査会の同意も、防災評定も出されておらず、このように法同等の安全が保たれない建築物は、建築基準法の適用除外を受けたとしても建築物としては建てられない*5
なので建築計画が確定する以前に、先行して、登録有形文化財の価値のある現在の天守建物を破壊すれば、名古屋城跡は長く天守台の上にお城のない姿を晒すことになるだろう。それは2020年、観光客を最も誘致すべき時に名古屋城が観光拠点として機能しない事を意味する。

そして何より、名古屋市民は本当に文化的に、歴史的に価値の有る歴史的建造物を破壊し、自らの宝を失う結果に陥る。

本来、市民の目となり耳となるべきメディアの、記者の目や耳が歪んでいれば、市民、有権者の知識が歪み、判断が歪む。*6

・・・と、書くとT記者はより一層、頑なになって歪んでくれるだろう。それを期待する。

追記:
Yahoo! ニュースで反響が大きかった、名古屋市におけるホール不足問題も、中日新聞を読んでいると気が付かないよね。「市民版」って機能不全に陥っているんじゃないの?

名古屋のホール不足が問題になっている ( その他レジャー ) - 街の風景12 - Yahoo!ブログ

さて、では本題。田畑代議士はなぜ、運命に翻弄されるのか。
依って立つ基盤がないからだ。

彼は、行政書士会の推薦候補として、比例名簿に掲載されて国会議員としての歩を進めたようだが、そうした職能団体と田畑氏との繋がりは希薄だった。(これが濃密であれば、東京から愛知県へとお国替えなどできなかっただろう)そして、落下傘降下した愛知二区においても地盤を耕しているようには見えなかった。経歴として「日銀名古屋支店勤務」とはあったが、だからといって名古屋市内にパイプがあったわけでもない。
厳しい言い方をするなら、田畑代議士にとって衆議院議員選挙とは、単なる就職活動で、国会議員というのも職としての選択肢の一つであっただけではないかと思える。

「しがらみのない政治」などという言葉がはやったが、こんな空虚な言葉もない。現役の政治家でこんな言葉を口にする者が居れば、それは間違いなく「インチキ」だ。

政治家などしがらみの中でしか生きられない。・・・今風の言い方にするなら「関係性の束の中に居る」と言い換えてもいい。

ワタミの社長も政治の世界から手を引くという。政治家として出ようなどというオッチョコチョイは、間違いなく自信過剰だ。「俺に任せればこの国を理想郷に変えてやる」ぐらいの事は思っている。「なぜ、皆はこんな簡単な事も思いつかないのか」と思っている。

自分は判っているが、周りの皆はバカに見える。なので、率先して「俺に任せろ」と言えるのだろう。ところが実際にその「簡単な事」を実行しようとすると、様々な障害がある事が判る。法的規制、他の政策との齟齬、自分には見えていなかったもう一方の利害関係者の存在。自分が「バカな政策」と思っていたことの意外な効果。

つまり「こんな簡単な事も思いつかないのか」と思っていたアイデアなど、すでに誰かが気が付いていて、その思い付きが無効である事を知っており、自分自身が勉強不足でそれを知らなかった事を知る。

なので、政治家に立候補する者は「オッチョコチョイ」なのだ。*7

政治家となる、それは間違いなく「権力を手に入れる」事だ。確かに可能性は広がる、しかしだからといってできる事は限られる。たぶん、失望の連続だろう。なぜなら、自分が手に入れたと同じ権力を、すでに何人もの先輩議員が手に入れており(そしてその中の数人は確実に自分よりは有能で、更に先行者としての優位性も持っている)、自分が手を出せる場所には、すでに誰かの手が入っているからだ。それに気が付かないのであればバカだ。

「社会を良くしよう」という意識は結構な事だろう。しかし、ならばどのようにそれを実現化するのだろうか?

まさか、「バッチを付けてみたい」というような幼稚な考えであれば辞めておいた方が良い。

バカな大人が「人生行き詰まったら選挙に出てみろ、うまく当選できれば議員になって、税金で食ってウハウハだ」と宣伝するかもしれないが、世の中はそれほど甘くはない。ツケは必ず付いてくる。(2月10日 情報公開されたというこの好例が知らされたが、当ブログで触れて良いものか悩ましいので今は触れない)

そもそも議員というのは、有権者の僕だ。
バッチを付けるという事は、そしてそれで食っていくという事は、その僕になることに他ならない。この世界は常に誰かに向かって頭を下げることで回っている。お客様は神様であり、日本の社会というのは、首相であろうと天皇陛下*8であろうと、誰かに頭を下げることからは逃れられない。*9

以前、とある人物が代議士になった。衆議院議員に当選したわけだ。たまたま私がこの人物から意見を求められるという場面に至った。そこで私はこの人物に「即座に頭を下げに行くべきだ」と意見を具申した。というのも、この人物はその地元の議員との関係がぎくしゃくしていることが明白であったからだ。しかし、そんな行き違いも「ヒトの好き嫌い」「ウマが合う合わない」というレベルでしかなく、仕事としてお互いの利害の為に関係を正常化する事もできると思えたからだ。こうした場合、その代議士にも言い分があり、地元の議員にも言い分はあるだろう。けれどもそうした「行きがかり」を清算するには、「大きなバッチを付けた方」が頭を下げ、「今後は先生のご意見を尊重して精進してまいります」ぐらいの事を言っておくべきなのだ。もちろん、それですぐに信用を勝ち得るというものでもないし、関係が正常化するというものでもない。しかしそれでも「大きなバッチを付けた方」が先に頭を下げることが、関係改善の入り口であり、筋の通し方というものに思えた。

この時、私の頭の中では古くから言われている「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉の奥深さを感じた。たしか、徳川家康などもこうした戦略を使ったはずだ。

バッチを付けている者が、自らそれをひけらかすような権力の行使、地位の利用をすれば周囲は目をそらし、表面的には従っても、裏では従わないし、足を引っ張る。しかし、そうした者が、自分の前で頭を下げ、その意見を容れるというのであれば、その言葉を受け入れて関係を維持しようとするだろう。

これは一般有権者と代議士たる衆議院議員との関係だけではない、地方議員においても同様だろうし、地方議員と地元選出の衆議院議員参議院議員、首長などでも同様だろう。

常に、皆誰かに頭を下げることでその職責を得る。しかし、この連鎖は一般に思われている「偉い順」などではない。実は全く逆で、有権者に地方議員は頭を下げ、その地方議員に衆議院議員参議院議員が頭を下げるという構図になる。

よく子どもが「市会議員よりも県会議員の方が偉い、国会議員はもっと偉い」というような事を言うが、これはまったく逆の構図となる。

これにもいくつか例外はある。党の中央組織が強い場合は、こうしたボトムアップの「民主的」な在り方ではなく、組織官僚的な上意下達の組織運営となることもある。ボトムアップの民主的な組織というのは、その組織内権力の基盤である権威が「民主」つまり、有権者に置かれるので、組織がボトムアップとなる。けれども、組織の中央に権威がある場合は、組織運営も上意下達の形になってしまう。(具体的な党の名前は出さない)

不幸なのはこうした「権威」が個人に係っている組織だ。こうした組織では常に個人が中心となってしまうために組織は不安定となる。
仏教では法四依の教えの中で「依法不依人」と語り、こうした個人への依存を戒めている。仏教経典というのは、仏教を守るための組織運営を教える知恵も含まれており「依法不依人」という考え方は、特に優れた組織のルールであると思われる。ヒトはヒトに依りたがる(「依人」)が、それは組織運営を歪める。ヒトは常に矛盾や過ちを含むために、「依人」による組織運営は矛盾やひずみを生み、構成員を板挟みにする。

特に、上位者に媚び諂い、上位者の過ちや矛盾を質さず、却って拡大するような手合いは、その組織を破壊する。つまり、「ヒラメ上司」の下ではヒトは働きにくいってことだ。

バッチを付けるということ。今の日本の社会で国会議員や地方議員になるという事は、有権者か、党組織か、こうした個人の奴隷になるということだ。個人やら党組織に身をささげるメンタリティは私には理解できないが、有権者一般の奴隷となることには理解ができる。

なぜなら民主主義とは、政治そのものを民衆の奴隷とする事だからだ。民衆が政治の奴隷になってはたまらない。民衆が政治に翻弄され、あるいは悲惨な生活を強いられてはならない。民衆が安心、安全な生活を送れるために、政治とはあるのであり、政治権力を民衆は隷属させるべきだ。であるならば、そうした政治の担い手は民衆の、有権者の奴隷となる以外にない。

最大多数の最大幸福のために、経世済民があり、政治があるのであれば、その担い手は民衆の奴隷に他ならない。その覚悟が無い者は、政治に足を踏み入れるべきではない。

残念ながら、田畑代議士にはこの覚悟はなかったようだ。そして彼は民衆の奴隷として、有権者に奉仕し、有権者の為にある自分と言う立場を理解せず、気ままな個人としての無責任な行動を起こしてしまったという事だろう。たぶん、田畑代議士は早晩名古屋を去るだろう。離党するしないに関わらず、名古屋に居る理由は無いからだ。しかし、だからどこへ行くのか?それは私も判らない。

これ以上はこのブログでは判らない。なぜならば、田畑代議士も、被害者と目されている女性や、その配偶者なる人物にとっても、事の本当の真相は判らないだろうからだ。そのような事にあれこれ論評するのもバカバカしい。何も決めつけて語ることなどできない。このブログでご報告できるのは、私の目に写った事実から言える範囲にとどまる。



追記(2月20日):
自民党「田畑代議士」離党騒動の真相 被害女性が “盗撮被害”と“告訴”を独占告白 | デイリー新潮

*1:おっと危ない。同選挙区には「T県議」がもう一人いた。H・T県議ではない、T・T県議だ

*2:T記者一人の責任ではないけど

*3:日本全国どこも追従しない誤った政策である事は明白だ

*4:十分な報道がないから!

*5:1/1スケールの木造模型なら建てられる

*6:現在の科学では、名古屋城天守台石垣の上に建てる建築物に、不特定多数の来場者を入場させる安全性を担保できる根拠は示せない。石垣の耐震性を科学的に示せるものなら示して見せていただきたい。昭和34年にケーソンを埋設して現天守を建てた判断は正しい。しかし、全体の耐震性を現在の基準に合わせて保証することは不可能だ。つまり、現存の歴史的建造物であれば、その維持は可能だろう、名分も立つ、先行事例もある。けれども新築の建造物には現代の安全基準が求められるのであって、つまりは石垣の再建が必要となり、結果として特別史跡そのものを再建するという本末転倒の要件に行き着く。現天守建物を解体すれば、新築の木造天守は作れない。法の定める安全基準、その科学的根拠を無視して再建したとすれば、発災の際に、どのような結果を生じるかは、法的にも科学的にも不明だ。その一義的な責任は当然名古屋市河村たかしにあるが、その河村たかしに対する問題点の指摘を十分にせず、市民/有権者をミスリードし続けてきたC新聞にも重大な責任がある

*7:当然、私の論考だって見えていない部分があるだろう。なので、議論を提示するにとどめている。「俺に任せろ」などとは言わない、言えない

*8:天皇陛下の仕事というのは、この「頭を下げつづける事=祈り続ける事」であるとする説がある

*9:誤解するバカウヨが居るといけないので、先回りして天皇陛下が誰に頭を下げているかだけ言っておくと。「皇祖皇宗」であり、「戦没者」である