市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

名古屋城についての事実確認と現状の推測(番外)

名古屋城の公式Webサイトに
名古屋城天守閣 復元事業について」というページがあり、
5月30日に「木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針」を掲載したそうだ。

名古屋市はこの名古屋市政に燦然と輝く名文を、
樹脂にでも固めて玄関に長く掲載し、顕彰すべきだろう。

なんだこの代物は?
以下、逐次添削と批判を加える。

引用は同文書、地の文は私の「ツッコミ」である。

https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/tenshukaku/03_fukugenjigyo/index.html#seven

木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針
1. 基本的な考え方
・ 本事業は、歴史時代の建築物等の遺跡に基づき、当時の規模・構造等により再現する「歴史的建造物の復元」を行うものである。

「歴史時代」という言葉は、いわゆる「有史以降」を表す。有史と先史の相違は、文字の存在とそれによる歴史の考証可能性であり、江戸時代という敢えて言えば「近世」の文化を表す遺構が名古屋城跡なのであって、「歴史時代の建築物等の遺跡に基づき」という言葉自体がこの筆者における歴史認識の程度を現している。

また、当時の規模や構造を再現する根拠は「昭和実測図」や「金城温古録」などの文献、および現存する写真から行われているものであり、「建築物等の遺跡に基づき」という表現は明白に誤っている。「遺跡」は移動不能の物に対して使われる言葉であり文書などはこれに当たらない。

名古屋城天守閣は、法隆寺のころから始まった日本の木造建築のひとつの到達点、究極の木造建築とも言われ、豊富な歴史資料をもとに外観の再現に留まらない史実に忠実な完全な復元を行うことの選択を議会、行政における検討や市長選挙での市民の信託を得て推し進めることとしたものである。

法隆寺に代表される飛鳥天平の建築物は木造建築の一つのエポックを現している。それは逆に、それに先行する木造建築に対する技術、知見の蓄積を予想させるものであり、「法隆寺のころから始まった日本の木造建築」という見解に立つ日本の研究者は居ないだろう。

焼失した名古屋城天守が木造建築のひとつの到達点であっただろうことはその通りであるが、それだけに焼失によって失われた技術、手法が推測されるところであり、内部構造について明示される資料等もないことから、いわゆる「本物通りの復元」が困難であるとされるところである。一般に言われてきたように「史実に忠実な再現」ですら危うい中、上記のように「史実に忠実な完全な復元を行う」とするのであれば、その完全性を証明すべきであろう。

内部構造図を(示せるものであれば)示して頂きたい。


この文章は日付もなければ文責者も明記されていない。
誰がどの時点で語ったものなのか不明だ。次のセンテンスの主語は誰なのだろうか。

「議会、行政における検討や市長選挙での市民の信託を得て推し進めることとしたものである」

議会、行政、市長選挙での市民、それぞれの主語に対する言葉はそれぞれ「検討」であり「信託」だろう。
それらを得て「史実に忠実な完全な復元を」「推し進めることとした」のは誰か?

責任主体を曖昧にした非常に「ずるい」文章と言える。

市長選挙での市民」は中日新聞のアンケートへの回答で、6割以上の市民が、市長選挙の投票判断に名古屋城問題を絡めないと回答していたそうだ。議会も行政も「検討」し、「検討」の為の予算については議決しているが、それ以上の物ではない。それどころか議会は基本設計費への支出に付帯決議を付けている。その条件は主に次の二つだ。

1.505億円と言われる事業費を独自に賄うとする収支計画を明示すること。
2.国、県の補助金を得るようにすること。

どちらも守られておらず、特に収支計画についてはこのままでは名古屋市民に多大な負担を求める事になる。
ここで「検討」を止めなければ、議会も市民の負託に応えているとは言えないだろう。

・ 市民の皆さまの中には、「一旦は焼失しているので復元しても本物の天守閣ではない」との意見もあるが、名古屋城天守閣は城郭として国宝第一号であったものが、大戦中多くの市民の命とともに昭和20年5月14日に空襲で焼失してしまったものの、残された石垣には空襲による傷跡も残っており、焼失中の写真も残されている。
その上で、市民の精神的基柱であり、誇りである名古屋城天守閣を、悲しい歴史的史実を経て、昭和実測図や金城温古録等、豊富な歴史資料に基づき、戦災で焼失する前の本物の姿に復元すると世界に主張するものである。
したがって、過去の天守閣と今回の木造復元の同一性について、歴史的な分断を感じさせない復元を成し遂げる事が、事業の価値を決定づける大きな要素となる。

細かいツッコミを最初に「歴史的史実」という表現は重複が重なっている。小学生の作文添削並みになってきた。

次に、この文章を書いている人物の無能さが良く判る。
センテンスの書き出しの問いかけと、答えが噛み合っているだろうか?

復元建造物が「復元」や「レプリカ」でなく、「本物」として扱われている例でも示し、今事業もそれに列するものであると論証するのならわかる。しかるに回答部分は復元の真実性に帰着しているだけであって、復元である事自体は否定できていない。問いかけをもう一度見てみよう「復元しても本物の天守閣ではない」この疑問に答えていないのだ。

また、実はこの文章の中でこのセンテンスが最も悪質だ。
無能と言うだけでなく、決定的に駄目な歴史認識を現している。

小学校からやり直すか、今後は歴史について語る事は諦めた方がいい。
AKBやらSKEのアイドルでも追いかけまわしていた方が幸福な人生を送れるだろう。

何が問題か。この一文だ。

「戦災で焼失する前の本物の姿に復元すると世界に主張するものである。
したがって、過去の天守閣と今回の木造復元の同一性について、歴史的な分断を感じさせない復元を成し遂げる事が、事業の価値を決定づける大きな要素となる」

過去の本物の天守と、今回の木造復元は「歴史的に分断している」
過去の本物の天守と、現在の鉄骨鉄筋コンクリート製の天守も「歴史的に分断している」

なぜ、こうした分断が起きたのか。それは第二次世界大戦における名古屋大空襲において、本物の天守が焼失してしまったからだ。第二次世界大戦も、名古屋大空襲も、名古屋城天守の焼失も、ともに歴史的事実であり、名古屋市民であれば深く心に刻むべき歴史的事柄だろう。

現在の鉄骨鉄筋コンクリート天守を訪れた人々は、確かに姫路城や犬山城松本城のような城郭建築を期待していれば失望する事だろう。「なんだ、コンクリートのビルじゃん」という声も聞いた。しかしこの「分断」こそが、悲惨な戦争の惨禍を思い出させるのであり、その後の戦後復興期の名古屋市民の熱情を伝えるのである。

この文章には、こうした復興期、現天守を復元した人々への敬意がみられない。触れられもしていない、それどころかこのように「歴史的な分断を感じさせない復元を成し遂げ」戦争の惨禍も、復興期の市民の再建に向けた熱情も隠ぺいしようとする「歴史修正主義」でしかない。

つまり、南京虐殺事件への電波的な妄言に連なる、無責任で、不勉強で、自分勝手で、議論から逃げ回る卑怯者、小心者の、低い低い、見識という以外ない。

よく恥ずかしくもなくこのような事を公言できるものだ。

・ 50〜100年で再度「国宝」になることを目指す。

その道筋を示して頂きたいものだ。
また、先行事例を示す責任があるだろう。

国宝であった京都の金閣寺は、昭和25年焼失し、昭和30年(1955年)復元された。
復元から63年経っているが、国宝に再指定されるのだろうか?


実現不能の空論をもって募金でも行い、不特定多数の人々から金員を募るとすれば、それは何と呼ばれるのだろうか?


・ ゆえに、史実に忠実な復元を確保した上で、まず、2022年の完成時期に、その先においても世界の模範とされるべき改善を重ね、観覧、体験、バリアフリー環境を整備するための付加設備とする。

日本語になっていない。
何を「付加設備とする」のだろうか?
タイトルにある「木造天守閣の昇降に関する付加設備」についてまとめているのだろうか。

しかし「ゆえに」と言われる条件を導く論拠は脆弱である。
なぜ設備として設置できず「付加設備」とするのか、その検討が見られない。
また、この文章では「バリアフリー環境を整備するための付加設備とする」と言っているにも関わらず、後の文章と整合していない。

2. 現天守閣の現状
・ 現天守閣は5階までエレベーターで上がれるが、内部は博物館施設であり、本来の木造天守閣の内観を観覧することはできない。また、展望については、1階の東側及び北側の一部と7階の展望室からに限られているが、7階へは階段でなければ行くことができないため、車いすの方は展望ができない状況である。

「本来の木造天守閣の内観」
「本来」とする根拠は無い。

ここで指摘しておくが、名古屋市の各文書に見られる「天守閣」という表現は正確ではない。
「閣」という言葉は居住施設に対して付けられる言葉であって、
名古屋城天守には誰かが居住したという史実は無い。
居住の為の建物でないのであれば、「天守閣」ではなく「天守」と表記すべきだ。

史実に忠実に名古屋城天守を扱うのであれば、そこで「本来の木造天守閣の内観を観覧する」(ここでも小学生並みの重複の重なりが見られる)とすれば、それは史実に忠実ではない。

本来は「木造天守」なのであって「木造天守閣」ではないのだから。


3. 内部エレベーター
・ 内部エレベーターについては、柱、梁を傷めないものとして、史実に忠実に復元する天守閣とするためには、乗員が4人程度、かご(乗用部分)の大きさが幅80cm、奥行き100cm 程度となり、乗ることができる車いすも小型なものに限定され、よく使用されている幅65cm、長さ100cm程度(電動車いすは幅65cm、長さ105cm 程度)のものは利用できない。したがって、バリアフリー法の建築物移動円滑化基準に対応するエレベーターは設置できない。

ここで筆者は内部エレベータなどの昇降機が設置されなければ、「バリアフリー法の建築物移動円滑化基準」(高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律施行令)に違反している事を自覚している。

4. 外部エレベーター
・ 都市景観条例を定めて、すぐれた都市景観の形成を進めている中で、景観計画により名古屋城の眺望景観の保全を図ることとしている。・ その眺望の対象である天守閣の歴史的な外観を損なうことから、外部エレベーターは設置しない。

おめでとうございます。
現在も不評で無粋な東側の外階段。あれを設置しないとするそうだ。
と、すれば事は「バリアフリー法」の枠を超えて、建築基準法の求める「2方向避難路」を確保しないという事になる。名古屋市消防局はあの外階段が無い状況で、大天守に滞留するであろう最大3000人の来場者をどのように安全に避難させる事が出来るだろう。地震や火災の際、人命を預かる公共建築物として、2方向避難路を確保しないという事は、来場者の命や、発災時に対応する職員の安全を無視、軽視する、非人道的発言と言う以外にない。

もう一つの解がある。
外階段を設置せず、「本物復元」を目指すのであれば、ヒトの立ち入りを禁止して、原寸大木造模型として設置すればいい。

もう一つの解を思いついてしまった。O.C. を使えばこの矛盾は解決できるのかもしれない。まだ解決しなければならない問題は有るだろうけど、ヒトが死ぬよりはいい。

もし、O.C.の活用が可能であるのなら、木造化ではなく、現天守に展開してほしいものだ。
O.C.の展開はその他にもインパクトを与えられそうだ。竹中は内部防火壁についてガラスの壁を提案していたが、 O.C.が利用可能であれば、ガラスの壁以上に効果的だろう。
いや、O.C.を展開するのであれば、建造されているマテリアル自体意味を喪失する。
それが木造であろうとコンクリート製であろうと、O.C.によって見た目を改変してしまうのであれば、意味がないからだ。これで全て解決だ(笑)

5. 基本方針
・ 史実に忠実に復元するためエレベーターを設置せず、新技術の開発などを通してバリアフリーに最善の努力をする。
・ 今回、木造復元に伴い、本来の天守閣の内部空間を観覧できるようにする。また、電動か否かによらず、車いすの方が見ることのできる眺望としては、現状1階フロアまでだが、様々な工夫により、可能な限り上層階まで昇ることができるよう目指し、現状よりも天守閣のすばらしさや眺望を楽しめることを保証する。


「保証」の担保がない。

・ 例えば、昇降装置を有する特殊車両を応用し、外部から直接出入りすることや、ロボット技術を活用し、内部階段を昇降することなどが挙げられる。併せてVR技術を活用した体感施設の設置を行う。

特殊車両については、それは「付加設備」でもないし、建築物の計画でもない。また、その経費についての検討もない。

VR技術を活用とするのであれば、今日からでも可能であろうし、建物など何も要らない。
子どもじみた言い訳を列挙しているにすぎない。

・ 新技術の開発には、国内外から幅広く提案を募る。

VRまで持ち出すのであれば、505億円もかけて建て替える必要など最初からないだろう。

「本来の木造天守閣の内観を観覧する」VRについての技術の提案を受けて、現建設計画は停止させればいい。

・ また、協議会を新たに設置し、障害者団体等当事者の意見を丁寧に聞くことにより、誰もが利用できる付加設備の開発を行う。

だから、それが現状ではエレベーターであり、外階段なのだろうが、そうした物を上記のように根拠もなく否定していて、丁寧に聞いた意見が反映されるという保証がどこにあるのだろうか。

・ 姫路城や松本城など現存する木造天守にも転用可能な新技術の開発に努力する。

なぜ、姫路城や松本城に転用可能な技術の開発を名古屋市民が負担しなければならないのだろうか?
そのような議論が今までどこで行われたのだろうか?

こうした余計な「自説の正当性の主張」が自縄自縛を生み出し、発言がどんどん矛盾していく。
こうした文章にしてみると、矛盾はまだ一部であり、形式的には明確なんだろう。
しかし、筆者の頭の中ではこうした不確かで無意味な議論が渦を巻いているのであり、論点が定まらず、論考の生産性が非常に乏しいこととなっている。つまりは、自説に対する批判や、見直し、いわゆる「内省」の機会が健全に機能すれば、こうしたつまらない主張、論考の隘路を生み出さずに済むのだ。しかし、もう還暦も過ぎてこういった思考方法を修正するのはさぞや苦労な事だろう。

死ぬまで続けられればいい。

・ 再建後は元来の姿を見ることができるようになり、介助要員、補助具を配置することなどにより、今より、快適に観覧できるようにする。

上で「バリアフリー環境を整備するための付加設備とする」と述べていたが、結果として「付加設備」の話題ではなく、「介助要員、補助具を配置」という議論に帰着している。

つまり、「付加設備」については回答を持っておりません。と言っているにすぎない。
ゼロ回答以下だ。

「再建後は元来の姿を見ることができるようになり」と目の前に飴玉をぶら下げておいて、その実現方法については何も回答していない。これで納得を得られると思っているのであればよほどめでたい。

ちなみに、こうした「介助要員」の雇い入れ経費についての収支計画への影響は検討されていない。つまり、為政者として「介助要員」など準備するつもりは端からないのだ。こうやって期待だけを煽っておいて実際には何も実行しない態度は何と呼べばいいのだろうか。

無責任で、根拠に乏しく、不勉強で、自分勝手で、議論から逃げ回る卑怯な態度、小心者の、低い低い、見識。

人事院総裁に宛てた
人事院勧告が行う民間給与の調査方法について」の要望書

という文書を連想させた。

2015-03-05 名古屋市特別職・北角嘉幸市長特別秘書

主語や目的語が行方不明になってみたり、自己撞着が見られたり、文章のバカバカしさとしては同等のものだろう。名古屋市政に燦然と輝く電波文書だ。



「上のコンクリート

「石垣部会と調査を協議」…河村市長が意向
木造復元巡り持論
 名古屋城天守閣の木造復元を巡り、名古屋市河村たかし市長は18日の定例記者会見で、有識者会議「石垣部会」の委員と直接話し合う場を持ちたいとの意向を示した。

 13日に文化庁を訪問した際に、文化庁から石垣の調査・保全のあり方について、石垣部会とよく協議した上で結論を出すよう要請されたとして、「上のコンクリートを取ったほうが石垣の調査がきちんとできる」と持論を述べ、「人任せにはできない。どうすればいいのか、直接話す」と主張した。

 当初、5月から着手するとしていた天守閣地階にある「穴蔵石垣」の調査について、市はこれまで開かれた石垣部会の場に議題として提示しておらず、調査開始のめどはたっていない。特別史跡の石垣の調査は、現天守閣の解体の前に必要な調査とされている。

 天守閣の入場は5月7日から禁止されており、「一般的には収入が減るし、そのまま放置するわけにはいかない。耐震強度が弱く、早く上のコンクリート部分を壊さないといけない」と主張した。2022年の完成予定のスケジュールへの影響について、「工期通りやりたいが、時間が延びているのは確か」と述べた。

2018年06月19日

http://www.yomiuri.co.jp/local/aichi/news/20180619-OYTNT50011.html?from=tw

ぶっ潰れたインチキ画廊のポンコツ経営者ならではの
すぐれた「文化財評」

登録有形文化財になり得る現天守を、
「上のコンクリート」?

名古屋市民が総工費6億円の内、2億円を負担した
戦後復興期のシンボルを「上のコンクリート」?

先人への敬意も無い者が、歴史の何を語るというのか。
金だわし持ってきて、その舌削ってやりたい。

f:id:ichi-nagoyajin:20200611112254j:plain