市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

日本イコモス国内委員会よりの回答

またまた名古屋城のお話となる。
この名古屋市の市政にその他に課題が無いわけでもないのだろうけれども、話題にのぼらないのだから仕方が無い。
(わざわざそうした課題を親切に指摘することは止めている)

名古屋城天守木造化にむけての寄付募集が始まっているそうだ。当初、「名古屋城を木造復元して、国宝を目指す」と言っていたようだが、現在、木造復元計画最大の「障害」が、その「国宝」認定に関わる「文化庁」である。いたずらに先方を刺激しないという事で「国宝」という言葉は使われなくなったようだ。

その次に出てきたのが「本物の名古屋城世界遺産にしよう」という言葉だったようだ。私も報道でこの言葉をキャッチコピーにしたポスターを目にした。

しかし「復元建築物」が「世界遺産」になるという事があるのだろうか。これは後に述べる矛盾に満ちた言葉である。

「日本イコモス国内委員会」に次のような問い合わせをかけてみた。

 世界文化遺産の保存・保護(NGO):日本イコモス国内委員会 <JPICOMOS>

表題:名古屋城天守閣木造化計画に伴う寄付金募集において「世界遺産」の文言が使われる事について、貴委員会のご見解について

日本イコモス国内委員会 御中

   名古屋城天守閣木造化計画に伴う寄付金募集において
   「世界遺産」の文言が使われる事について、貴委員会のご見解についてお伺いいたします。

拝啓 貴委員会の貴重な活動に対し、敬意を抱くものであります。

さて、現在、名古屋市におきまして、河村名古屋市長は
名古屋城天守閣を木造再建しようとしております。

この計画は昭和の建築物である現天守閣を破壊し、
さらに戦災によって焼け残った貴重な天守台の石垣にも改造を加えるという文化破壊ともいうべき計画となっております。

こうした計画は遺構の修復工事を排除すべきとしたヴェニス憲章、
「記念建造物および遺跡の保全と修復のための国際憲章」にも反する行為であろうと愚考いたします。

さて、この計画について
河村名古屋市長は、その工費およそ505億円の内、
約100億円を一般市民からの寄付を募る事とされるようであります。
この寄付について名古屋市において条例を制定するとの報道もなされております。

その寄付を募るポスターには「本物の名古屋城世界遺産にしよう」とのタイトルが書かれているとのことでございます。

つきましては、以下の疑問点に対してご回答を頂けませんでしょうか。

1.木造によって再建される名古屋城天守閣は、ヴェニス憲章第15条と明白に矛盾すると考えますが、貴委員会のご見解をお聞かせください。

2.木造によって再建される名古屋城天守閣は、将来的に世界遺産に登録される可能性がありますでしょうか?

3.木造によって再建される名古屋城天守閣は、ヴェニス憲章の精神、世界遺産の在り方とは矛盾すると考えますが、そのような再建計画の寄付金募集に「世界遺産」の文言を利用することは「世界遺産」の在り方、またはヴェニス憲章に謳われた記念建造物および遺跡の保全と修復に対する考え方を歪めて伝えることになるのではと懸念いたします。貴委員会のご見解をお聞かせください。

ご多用中、まことに申し訳ありませんが、以上、お答えを頂ければ幸いにございます。
また、当質問とご回答は広く、名古屋市民にお知らせしたいと考えますので、公開させていただくことをご了解ください。(一部公開とすべきであるのなら、非公開部分と公開部分をご指示ください)

イコモスとは、ICOMOS(International Council on Monuments and Sites:国際記念物遺跡会議)のことで。
1964年に第2回歴史記念建造物関係建築家技術者国際会議で、記念物と遺跡の保存と修復に関する国際憲章(ヴェニス憲章)が採択されたことを受け1965年に設立された機関であり、ユネスコの諮問機関として、世界遺産登録の審査、モニタリングの活動を続けている。

世界的な文化価値のある記念物や遺跡の保存や修復については、国際的な方針が採択されている。それが「ヴェニス憲章」だ。

ヴェニス憲章

その15条には次のように謳われている。

発掘

第15条

発掘は、科学的な基準、および、ユネスコが1956年に採択した「考古学上の発掘に適用される国際的原則に関する勧告」に従って行われなければならない。廃墟はそのまま維持し、建築的な特色および発見された物品の恒久的保全、保護に必要な処置を講じなければならない。さらに、その記念建造物の理解を容易にし、その意味を歪めることなく明示するために、あらゆる処置を講じなければならない。しかし、修復工事はいっさい理屈抜きに排除しておくべきである。ただアナスタイローシス、すなわち、現地に残っているが、ばらばらになっている部材を組み立てることだけは許される。組立に用いた補足材料は常に見分けられるようにし、補足材料の使用は、記念建造物の保全とその形態の復旧を保証できる程度の最小限度にとどめるべきである。

文化的に見た場合、名古屋城天守閣木造化は文化的に価値があるのか否か。

これは好きとか嫌いとか、主観的な趣味の問題ではない。価値相対的な話題でもない。国際的な合意が「排除すべき」としているのだ。

河村市長は「ドイツ・エルベ渓谷」が世界遺産登録されたと誤解していたようだが、
同地域の登録は取り消された。それは生活のための橋梁を新設したためである。

世界遺産登録を捨ててまで、現在の住民の生活の利便を追及するという考え方は一つの見識だろう。
それは主観的な価値観の判断であり、それこそが政治、自治の機能というものだ。

しかし、不要不急の木造化建築物が「世界遺産」と呼ばれるにふさわしい文化的価値を持つかはこうしたヴェニス憲章に謳われた基準から推し量って、明白に矛盾していると指摘できる。

私は「本物の名古屋城世界遺産にしよう」という文言が印刷されたポスターを見て、この問い合わせをかけたのだが、その後名古屋市当局内において名古屋城天守閣木造化と「世界遺産」のこの矛盾について議論があったのだろうか、今では天守閣木造化計画の寄付金募集に対して「国宝」や「世界遺産」という文言は使われていない。

つまり、私の日本イコモス国内委員会に対する問い合わせの根拠は薄弱なものとなってしまったわけだ。しかし後日、同委員会より丁寧な回答をいただいた。

公開の了承を受けている事と、回答の中に名古屋市民に広くお伝えしたい同委員会のご意見があるのでご紹介したい。

お世話になっております。日本イコモス国内委員会事務局です。
先日は貴重なご意見をいただき、ありがとうございます。
また委員会内で検討中のため、返信が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
下記、回答になります。よろしくお願い申し上げます。

名古屋城の木造での再建問題に関しては、ヴェニス憲章に抵触するか否かの問題のみならず、その後に採択されたローザンヌ憲章(考古学遺産管理・運営に関する国際憲章)、オーセンティシティに関する奈良ドキュメントとの関係、木造建造物の再建における真実性(オーセンティシティ)の問題、戦後建設されたRC造の天守の20世紀建築としての評価の問題およびいわゆる戦争記念物の評価の問題等、多様な論点から議論する必要があります。現在、国際イコモスではPost-trauma Reconstruction の問題に関して指針を作成準備中です。本問題もPost-traumaの問題という側面も有しています。日本イコモスとしても国際イコモスにおける議論も踏まえつつ、慎重に検討してまいりたいと考えています。

日本イコモス国内委員会事務局

この中で私が注目したいのは次の指摘だ。

戦後建設されたRC造の天守の20世紀建築としての評価の問題およびいわゆる戦争記念物の評価の問題等、多様な論点から議論する必要があります。

つまり、現在の天守、河村市長が破壊しようとしている鉄筋コンクリート製の現天守に「20世紀建築としての評価の問題」「戦争記念物の評価の問題」がかかっているという指摘である。

現在、国際イコモスではPost-trauma Reconstruction の問題に関して指針を作成準備中です。本問題もPost-traumaの問題という側面も有しています。日本イコモスとしても国際イコモスにおける議論も踏まえつつ、慎重に検討してまいりたいと考えています。

「Post-trauma Reconstruction」とは、戦争や災害の被害を後世に伝える復元建造物と捉える事が出来る。

広島の原爆ドームは原爆の惨禍を今も語り継いでいる*1
陸全高田の奇跡の一本松は東北震災の悲劇を語り継いでいる。*2

名古屋城天守こそ、第二次世界大戦における非文明的な無差別爆撃、都市に対する広範な焼夷攻撃によって焼失させられた建造物を、戦後復興の人心の回復とともに再建された昭和遺構であり、まぎれもない名古屋市の歴史を刻む建造物である。

天守こそ、名古屋市民の心がこもった建造物である。

この文化的価値、歴史的価値、そして名古屋市民の心を、十分な議論もなく破壊しようというのが、今行われようとしている天守閣木造復元である。これこそ、文化の破壊であり、歴史の改ざんであり、名古屋市民の心を破壊する行為である。

この愚行を止めなければならない。


8月26日に名古屋城木造化をテーマとしたシンポジウムを開きます。
どうぞ、ご参加ください。



8月1日は4月23日から数えて100日目に当たる。
つまり、この8月1日で河村市政3期目は100日が経過したことになる。

この100日間、はたして名古屋市は何が変わっただろうか。
この停滞、この遅延、この空白が今後3年と200日ほど続くという事なのだろう。


*1:復元された建造物ではないが

*2:建造物とは言えないかもしれないが