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諸事雑感(2)

キーワード

歴史修正主義

 砂川最高裁判決への誤解
 WGIP論の暴走

反知性主義



歴史修正主義・砂川最高裁判決への誤解

 今回の安保法制の制定を見ていて、その強行採決野田聖子氏との総裁選挙が実施されなかった事*1も残念だったが、やはりなんといっても残念だったのは集団的自衛権にまつわる憲法解釈の問題だろう。

 内閣法制局というところの無力さも呆れたものだし、内閣による砂川判決の解釈も酷いものだ。

 しかし、一つ有難かったのは、この砂川最高裁判決について再考させてもらう機会が得られたということだ。

 砂川最高裁判決は集団的自衛権など認めていない。砂川判決は最高裁(司法)が行政(内閣)にこの問題(安全保障というよりは、対米外交)について、何も言うことができないという白旗宣言に近い。白旗を上げて、無力であると自認している砂川判決に、今更、集団的自衛権の根拠を負わせようとするのは無理もほどがある。

 そして砂川最高裁判決は一つ大切な事を教えてくれる。それは「日本は独立国ではない」ということだ。

 通常、条約は国内法に優先する。これは国際的な慣行だ。しかし、ウィーン条約第27条と憲法第98条、第99条を援用すると、日本政府は憲法に反する条約を結ぶことはできない。

 ところが、砂川最高裁判決では、日米安保条約は、この憲法よりも上位にあると捉えて、米軍基地の国内における存在を憲法判断しない事とした。つまり日米安保条約、もっと直截に言うと、米国の軍事戦略について、日本は主権国として、その最高法規である憲法に照らして判断もしないし、司法は何も言わず黙認すると決めた。

 日本における最高法規よりも、日米安保条約や、米国の軍事戦略が上位にあるという事は、この日本という国は、独立し主権を持った国ではないということだ。

 沖縄の普天間では米軍ヘリは人口密集エリアの上を当たり前のように飛び回っているのに、米軍関係者の住宅エリアは飛ばない。
 日本の首都である東京上空には横田空域と呼ばれる米軍管制空域が有って、日本の管制権は及ばない。(神奈川県、横浜、川崎などが首都圏第3空港を模索しているが、実現できない大きな壁がコレ)

 日本が実は独立した主権国ではないという事実、これはTPPや対米債権の扱いにも関わる事実だろう。
 

歴史修正主義・WGIP論の暴走

 私はいわゆる「ヘイトクライム」を繰り返す在特会やその周辺の団体が行う街宣活動をできるだけ監視するようにしている。(大人しく監視している)

 9月27日にも名古屋駅の東口で街宣を行っていたので(大人しく)監視していた。

 彼等の話にも耳を傾けていると、色々と勉強させられることが多い。

 といっても、彼等の発言が正しいと言っている訳ではない。彼等の主張には矛盾や無理があり、そうした矛盾や無理を吸収するために、どんどんややこしい理論を重ねようとする。そうした無理な違法建築にも似た論理構築は非常に興味深い、そして、そういった無理や矛盾がなぜ発生するのか、それを考える事が、こうしたヘイトクライムを解消する上で有効なのではないかとも考えている。

 9月27日のテーマは「WGIP」というものだった。

 なんでも、戦後、GHQが日本を「赤化(共産化)」しようとしていたというのである。

 もう一度言う、在特会の皆さんは、9月27日の街宣で「GHQは日本を赤化しようとしていた」と主張されたのである。

 もう、素晴らしすぎる。

 「GHQが日本の赤化を恐れていた」という話なら今まで幾らも聞いた(というか、日本国内における「レッドパージ」はGHQが強権的に共産党を排除しようとしていたことを示す歴史的事実だろう)。けれども、GHQが日本を赤化しようとしていたなんて話、今まで聞いた事も無い。私は本当に文字通り我が耳を疑い、街宣後、わざわざ彼等の下に確認に行ったほどだ。

 一般的には、GHQにはルーズベルトの頃のニューディール政策を推進していた官僚(ニューディーラー)が多く流れ込み、戦後日本の復興にニューディール政策を援用しようとしていたと言われている。GHQによる農地解放や財閥の解体、労働組合の結成は、こうしたニューディール政策的な日本国内における内需の拡大を企図したもので、軍政を弱体化させるという政治的思惑よりも、経済政策的意図の方が勝っていたのではないかとも思われる。

 ただ、GHQにおける社会民主主義的政策の推進は、米国内においてその後起こったマッカーシズムの洗礼を受けた。(エドガートン・ハーバート・ノーマンの事例など)


 GHQ内に「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」と呼ばれる計画があったことは事実だろう。その内容も江藤淳などが言うように「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」であったのもそうかもしれない。つまりは、マスコミを使った軍政解体、占領政策への協力を意図した宣伝計画があったことは不思議でも異常な話でもないだろう。なにより、東久邇内閣自体が「一億総懺悔」というドグマを掲げて、「承詔必謹」「国体護持」の為に、天皇への戦争責任を回避し、
それらを軍部や官僚など戦争指導者に向けさせるようにした経緯もある。
 つまり、GHQのWGIPは東久邇内閣の方針とも歩調を合わせたものであったのだろうし、敗戦後の日本が再興する為の落としどころというものでもあったに違いない。

 Naoko Kato | University of British Columbia - Academia.edu
 War Guilt and Postwar Japanese Education


 つまり大雑把にいうと、戦前の日本国民は<悪い>旧軍と戦争指導者に<騙され>て、第二次大戦を戦った、それに対して連合軍、米軍は戦い、日本国民をこうした指導者から<解放>した。という物語を日本国民に植え付けたという事なんだろう。
 これにより、昨日まで「鬼畜米英」と呼んでいた敵国兵である米兵を受け入れ、その占領政策にも素直に従わせたということだ。米国は<正義の味方>というわけだ。確かにこの宣伝は良く効いた、効きすぎている部分があることも認める、私自身も広島に行き、原爆死没者慰霊碑を見た際に、そこに「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから」と日本語で書かれていた事には違和感があった。(英文で、米国に対して書かれるべきだろう)

 江藤淳などもこうした行き過ぎた「贖罪意識」はGHQの宣伝による植え付けであると主張している。しかし、だからといって「GHQが日本を赤化しようとしていた」などとは主張していない。いったい、どこからこんな突飛な話が湧いて出たのか。


 この「WGIP=GHQによる日本赤化計画説」は在特会(や、いわゆるネトウヨと呼ばれる人々)の「歴史検証」ではないようだ、この問題は歴史問題ではなく、今日の、安倍政権における集団的自衛権の議論に、彼等が矛盾を感じているから起きる「建築基準法違反的歴史違法改造」なのだろう。どういう事か。

 いやしくも右翼国粋主義を主張しようとする者は、日本が他国の属国である事を由とする事はできない。しかし、今回の安倍政権における集団的自衛権容認や安保法制の制定は明らかに日本の自衛隊を、米国の国防政策の末端に据えようとする政策に他ならない。
 その為に、彼等在特会などは、中国の脅威や北朝鮮の脅威を過大に評価する。
 それらに対峙するには米国と協力した、日本の国防力が必要なのだと主張したいのだ。

 しかし、日本には不戦の誓いを掲げた憲法がある。

 今、米国と歩調を合わせて、中国に対峙するという時に、つまりは米国の国家戦略は日本の国益に適うと主張するときに、その米国が押し付けた憲法の存在が邪魔になる。

 米国は、日本に自主防衛権を与えたかったのか、与えたくなかったのか。

 憲法を押し付けたGHQ=米国と、集団的自衛権を求める今の米国の戦略の間に矛盾がある。この矛盾を埋める議論が「GHQは日本を赤化したがっていた」というトンデモ解釈になるのだろう。GHQは日本を弱体化させようとしていた(これは確かにその通りだ)その為、現在の憲法を押し付けていたのに違いない。それはGHQにソ連のスパイが紛れ込んでいて、日本を赤化して、弱体化させようとしていた者が居たからだ。「GHQにソ連のスパイが紛れ込んでいた証拠は、当時の上院議員マッカーシーという人が調査報告を出しています」と在特会の若者が真面目な顔で説明していた。私は声を失ったよ。マッカーシーなんて、知らなきゃおかしいレベルの現代史の超大物だろう、そして、その調査報告を真に受けることの危険性も知っていなけりゃ話にならない。

 ところが、驚いたことに、最近の右派紙誌には、このマッカーシー報告が大真面目に取り上げられている。

 ・・・良いでしょう。GHQが日本を赤化しようとしていたか、そうでないか。そんな事を議論するのは効率が悪い。百歩譲って、GHQは日本を赤化しようとしていた、弱体化させようとしていたとしましょう。なら、なぜ、今の米国政府は、中国や北朝鮮と向き合う軍事負担を日本に押し付けるために集団的自衛権の行使を求めているのだ。とか、今の米国政府は、今の日本の国力を弱体化させようとしている。とは推測できないのでしょうか?

 当時のGHQに日本を弱体化させる意図があるというのであれば、今の米国政府にもそういった意図がある可能性は否定できないのではないのかね。

 こうした簡単な矛盾に気が付かないとはどうした事なんでしょうね。


反知性主義

 「反知性主義」という言葉に対して、ヒトを「反知性主義的だ」というのは、その者を「知性が無い」「バカだ」と言っているに等しい酷い決め付けではないか、という人が居る。これは誤りだ。「知性が無い」「バカだ」というのであれば、それは「非知性的」になるだろう。「反知性主義的」とは、知性や思考に向き合おうとしない、それらを避ける、または背を向ける行為を言う。

 十分な思考能力や知性があるにもかかわらず、考えようとしない、思索を深めない、批判に応えようとしない態度、これらが「反知性主義」である。

 事実を基にしなければ、歴史も政治も語ることはできない。

 しかし、事実を選別することは容易い事ではない。

 自己の願望から、自己の願望に沿うような事実だけを受け入れるのであれば、それは事実を見ているとは言い難い、反知性的な姿でしかない。

 南京事件などでは、その歴史的事実を否定しようとする者は「不在の証明」をしなければならない。そんな事はできない。そんな事をできると思うこと自体が反知性的だ。

 集団的自衛権の法的根拠を砂川最高裁判決に求めるのは誤った解釈だ。そればかりか、砂川最高裁判決は、日本が主権国家ではない事を改めて明らかにしている。その延長線に今回の安保法制があるとするならば、それは属国としての日本が、米国の国際戦略、軍事戦略の下に着くということを吐露しているに過ぎない。

 つまり、三島由紀夫が市ヶ谷で叫んだ通り「自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終わるであらう(「檄」より)」となるのである。

 そして、WGIP論の暴走、江藤淳が言っていた事を超えて、トンデモない推論が力を持つ理由。歴史解釈が今日的問題で幾らでも改ざんされていく姿を現している。


 その内、彼等リビジョニスト(歴史修正主義者)はこう言いだすのではないか?
 「日本が米国と戦争していたなんて、左翼、共産主義者などが言いふらしているデマに過ぎない。今の日米関係を見て、日本と米国が戦争をするなどと言う事が信じられるだろうか」ここまできたら、歴史修正主義もたいしたものです。

 作家の 平野啓一郎が次のような発言をしている。



*1:今の段階で、小泉進次郎氏など異論を述べている議員が出てきている。自民党の強みは、こういった党内異論を内包していけるところにあったのであって、安保法制が先鋭化している中で、野田氏が党内異論を表明出来れば、国民ももう少し安心できたのではないかと思う。