概要
今回はこのところ考えていた事などを制限なく書き綴っていきたいと思う。
主には、南京問題や安保法制で感じた事、特に砂川判決の評価について、そして、「WGIP」と言われるものに対する解釈の暴走、これらは総じて「歴史修正主義」という課題で扱われるものになると思われる。
歴史修正主義はつまるところ、反知性主義という傾向が生み出した「奇胎」と断ずる以外にない。こうした思考停止の態度が、TPPにおける蒙昧を生み出し、原発推進と反原発運動の間の非生産的な議論に行き着いている。(更に、呆れた事に福島に対する差別を再生産する結果ともなっている)
また、話は新自由主義批判へとも繋がっていく。新自由主義の特徴は結局近視眼的な効率追求という事だろう。ここから公共図書館への民間活力導入という齟齬が生み出され、ひいては難民政策への反発も起こっているのであり、排外主義=ヘイトクライムの一般化という合成の誤謬が巻き起こっている。
このまま対立を際立たせるべきなのか、対話の可能性を探るのか、ここでも反知性主義への再論が必要となり、人間性の回復が課題と成っているのだ。
こうした事を、紙幅の制限を加えずに書き綴ってみて、掲載可能なサイズに区切って掲載してみます。