減税日本ナゴヤの最低な代表質問
本日、名古屋市会において2月定例会の代表質問が行われた。
正直、怒りに震える想いでこの文章を書いている。
減税日本ナゴヤの最低な代表質問が行われた。
その原稿が公表されている。
代表質問① : 山田まな 活動日記
代表質問② : 山田まな 活動日記
何をそんなに怒っているか。それは一番最後に譲るとして、この文章の異常さがこの会派の病理の一つを表している。それは文章を読まなくても判る。
文章の冒頭に章立てらしきものが書かれている。(1)から(5)まで、それぞれに「ア」から「キ」ぐらいまで小項目に分かれている。
これは私も良くやることだが、書きたい事柄が複数の項目に分かれる場合、このようにまず、項目を列挙して、その項目を関連順に並べる。そして、その項目メモを「コピー&ペーストして」オリジナルはこのように文章の頭にガイドとして残し、コピーの項目について中身を書き加えていく。
そうすると、全体の構成も整理されるし、後に細分項目について議論する時にも楽だ。
この文章はこういった手順では書かれていない。
見ていただければ判るけれども、本文内の細分項目は無くなっている。
というよりも、(4)は文頭では「ア」から「キ」と項目分けされているが、本文では①から⑦となっている。
これは、こういった文章作法を知らないというだけで問題は無いが、それでは彼等はこの文章を討議しようとした時に、その議題をどうやって指定したのか?
普通であれば「え〜っと、この(2)のイ、『市債は〜』についてだけど」というように指摘して議論するのではないだろうか?ところがそれが本文側にないのである。確かに文章を見れば判る、見れば判るが、という事は一回でも査読するつもりで読めば抜けている事ぐらいわかるだろう。
つまり、彼等は代表質問の文章を「誰もまともに検証するつもりで読んでおらず」複数の人間で「まともに討議もしていない」のである。そんなものを名古屋市の本会議の代表質問として、100分以上の時間を割いて陳列しているのである。
と、文章の中身に入る前に、すでに1ページ分批判ができる。凄い!
文章の中身に入るともっと凄い。たった3行目ですぐにツッコミどころが出てくる。
「市民税の5%恒久減税条例が可決され、(略)議員報酬800万円に続き、我が会派としても、名古屋市民の皆様と昨年の選挙にてお約束した3大公約の2つが実現できたことは、大変意義のある事と考えます。 」
おいおい。ふざけてもらっちゃ困るよ。お宅たちが「名古屋市民の皆様と昨年の選挙にてお約束した3大公約」は「市民税10%減税」だったんじゃないのかい?
その「10%原案」について自分たちで否決しておいて、結果「5%」まで縮減されて、その理由も何も、一切市民は、君達減税日本ナゴヤの市議たちから説明を聞いていない筈だぞ。昨年の11月定例議会で「10%減税の財源は有るのです」と言ったのはどの口だ。嘘を言うしか使い道がないような口は捨てちまえ。
そして、この2月定例会は新年度予算案についての大切な議会なんだが、この予算案についての具体的な言及はない。漠然と「すばらしい予算でございます」というなんだかしらないけれども背中が痒くなるようなオベンチャラばかり。
「市長が考える減税の意義について、改めてお聞かせください。 」
「今回の予算では、特にどのような施策に力をいれられたのか、予算全体の特色とともにお答えください。 」
「市民サービスは低下したのではないかとの不安の声も聞かれます。本当に必要な市民サービスは確保されているのか、お答えください。 」
そんなものは市長が提案理由説明で語っているわけでしょう。実際、同じような事しか言ってなかったわけだし。
同じことしか言わないぶっ壊れたレコードプレイヤーの市長には、そのぶっ壊れたレコードプレイヤーをありがたがる人々が群がるのですか。
「(4)名古屋市の在り方を考える−行財政改革について−
ア アセットマネジメント 」 の部分については全体的に「意味が判らない」パス!
それと、何処だ?
どこでもいいや、こんな記述もあったね。
「自民党さんが提案する400万都市構想に呼応する形で」
あのね。この発言は議事録の形でず〜っと残るんですよ。いったい幾つ恥を残したいのですか。自民党愛知県支部連合会政務調査会の提言にあるのは「300万都市の創出」であって「400万都市構想」というのはない。
本日も坂野市議がこの件については言及されているが、少し討議をすれば「おかしい」と気が付きそうなものじゃないか。
「ウ 区役所改革 」または 「③区役所改革 」については、「東区役所でつちかわれた総合窓口構想を全市的に拡大できないでしょうか 」って言ってますが。お宅の代表が言っている「区役所民営化」とはどう整合性が取れるのかね?
それとも、他の人たちと同様に河村市長の言っている「区役所民営化」なんて妄言、というのであればそう言って頂かないと。
(後ほど情報をいただきまして、この項目は各会派間の話し合いで割愛されたようです。せっかく、項目を作ったのに「大人の事情(?)」で割愛されたために、原稿を全文掲載する事にしたのかね?)
そして「エ 住宅都市局営繕部の見直し 」または「④住宅都市局営繕部の見直しについて 」ですが。
名古屋市立西部医療センター500床の建設においては、基本設計15か月、実施設計に12か月、建設工事に34か月の合計61か月を要していました。
(略)
いうことは、仮に西部医療センターが他の公立病院のように約19か月早く完成していたら、相当な入院、外来収益の増収が期待できたのではないでしょうか。
はい、みなさ〜ん、ここ笑うところですよ。
西部医療センターがなぜ「余分な工期」が必要になったか。名古屋市政に詳しい皆さんはご存知ですよね。
はい、河村市長が工事を止めたからです。
「上下水道局の経営改善について」について言うと、広域化には利水権の問題があって、こんなレベルで解決がつく問題ではない。確かに下水の広域経営は課題だが、すでに動きはある。
それよりも東日本大震災を受けて(計画自体はその前から進んでいるが)ライフラインの維持と言うことで耐震パイプの敷設作業と言うのが進められている。これももっと予算があれば前倒しできたのにそれができていない。なぜか。
河村市長が水道料金の引下げをしちゃったからですね。
まあ、後は単なる思い付きに毛が生えた程度のものばかりなので意味がないですが。
最後に、私がこの文章でどうしても許しがたいと思った部分。そして、それは河村市長の「南京問題」とも通低する思想的怠惰、視野狭窄事例を指摘しよう。
それは、「尾張名古屋共和国」について語られたところにある。
「名古屋市と周辺市町村は、歴史的にも、尾張国の一員、運命共同体としてお互い助け合って生きてきたのであり」とある。
この人物は木曽川左岸の「御囲堤」の事は知らないのだろうか?その他にも庄内川に沿っても、名古屋城周辺と域外では歴然と「差」があったことに無自覚なのだろうか。
名古屋市と周辺市町村は「運命共同体」ではない。
水害に対しては歴然と、名古屋市は域外の周辺市町村の犠牲によって助けられてきた歴史がある。それは何も遠い昔の話ではない、平成12年の東海豪雨においてさえも広大な浸水被害をもたらしている。
歴史の教訓について、私はこういった言葉を教えられた。
「足を踏まれた人間は、踏まれた痛みを忘れる事はできない。足を踏んだ人間が『いつまでも足を踏んだ事を蒸し返すなよ、忘れろよ』と言ってみても説得力も何も無い。
足を踏んだ事を、申し訳ないと思うのであれば、足を踏んだ人間は、足を踏まれた人間が気が済むまで、頭をたれる以外にはない。
足を踏んだ人間が、この事についてあれこれ言えることは少ない」
名古屋と周辺市町村の関係について、こちらから「運命共同体としてお互い助け合って生きてきた」というのは思い上がりも甚だしい。
この思想的怠慢が「父親が南京の人々に親切にしてもらった」から、(南京の人々がこの問題をどのように受け止めているか無視して)「30万人は無かったんじゃないか」と放言してしまえる幼稚さと重なって見える。
もう、本当にお願いだ。これ以上名古屋の恥を歴史に刻まないでくれないか。
追記(3月3日):開けて翌日の中日新聞、市会報告欄には各会派の代表質問が一項目ぐらいずつ取上げられていたが、もっとも長時間に渡ったこの質問は当然の如くスルーされていた。