市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

漠然とした総選挙への感想

 総選挙の話題の前に2点ほど。

フィギュアスケート国際大会

 12月5日の中日新聞朝刊に愛知県がフィギュアスケート世界大会の誘致を検討しているという記事が掲載された。県議会で自民党の県議への質問に答えたとしている。

 もちろん、県や知事も先刻承知している質問なのだろうし、実体として知事から発案した「ネタ」を自民党県議団に渡した可能性もある。

 この記事について私はある河村ウォッチャーに伝えたのだが、その人物ですら事の重要性には気が付かなかったようだ。(というか、重要ではないということか?)

 どういう事かというと、フィギュアスケートの国際大会誘致は河村名古屋市長の2009年マニフェストの項目であって、それを県の大村知事が「横取り」したことになるからだ。また、その会場について、これも「横取り」した感の強い新設の「十万平方メートル規模の屋内展示場」を使うとあっては、いよいよ大村知事の河村離れは本格的だと思わざるを得ない。

 参照: https://drive.google.com/file/d/0B2ymo7zTws_oN2VoRXJKdlBiSFU/edit

 3.名古屋市の経済をいち早く不況から脱出させる
 (3)名古屋市の情報発信力の強化
  4 スポーツイベントの誘致・企画
   フィギュアスケートの国際大会


 多分、ほとんどの人は(ご当人も含めて)忘れていると思いますけど。

 

名古屋市会11月定例議会ベストバウト・ワーストバウト

 
 11月定例会の本会議、議案外質問の様子がインターネットに掲載されている。
 この中の「ワーストバウト」または「時間の無駄」は、中村孝道市議の質問だろう。
 名古屋市会本会議中継

 くだらないを通り越している。

 質問のテーマは「危険ドラッグ対策」だが、こんなのは警察マターであり、所管するのは県しかない。確かに啓発や離脱については保健所の管轄もあるが、中村孝道市議の質問はそこにも向いておらず、効果が不明な(というか、あからさまに副作用の大きそうな)包括的な条例の制定とやらを求めている。
 県の所管することに対して、政令指定都市といえども口なんぞ出せるわけないじゃないの。まったく減税系の市議の質問は「3分間スピーチと同等」と言われるけれども、それ以下かも知れない。

 9月19日の質問では「私の愛読書であり、資本主義を生かすためのマニュアルでありますカール・マルクスが書いた「資本論」でも、資本主義とは開拓を続けなければならないとあります」というとんでもない発言まで飛び出しています。

 なんでも言えば良いというものでもありませんでしょうし、言えばいうほどバカが露わになるという事もあるのでしょうね。

 言えばいうほどバカが露わになるという事例では次の「ベストバウト」でもそれは伺えます。

 今定例会、議案外質問の「ベストバウト」は丹羽市議の質問でしょう。

 名古屋市会本会議中継

 質問によって具体的に市の施策を動かすという本来あるべき姿からは離れているのでしょうが、「バウト」という意味では非常に興味深い。

 迷走する河村市政の大きな二つの問題、「市職員給与についての人事委員会勧告の取り扱い」と「鳥久問題」を取り上げている。


 どちらも河村市長の行動には理も無ければ利も無い。まったく何の為にこんな無理な横車を押すのか理解できない。そしてその丹羽市議の質問に対して最も強硬に反論するポイントもズレている。結局自分に対する評判についてが一番気になる模様で、事の是非以前にこの評判を気にする態度が異常ともいえる。
 そしてそれに対して議事進行をかけた減税日本ゴヤの行為も異常だ。

 そもそも説明員である市長が議事進行を指図するという行為自体が異常で、あってはならない行為だろう。(市、行政の説明責任を放棄しているに等しい)

 そして、その議事進行で減税日本ゴヤから提示された「売名行為」という言葉。
 丹羽市議はそのような事は言っていない。それとも、丹羽市議の指摘した事柄は「売名行為」だったのだろうか?

 世間では「河村さんは減税日本の市議に足を引っ張られて可哀想だわ」というような事を言う人が居る。しかし実際は、河村市長の実態に合わせて、類は友を呼ぶというように、減税日本の市議たちが集まっているのだろう。そしてそれらの人々に満足な教育もできずにいるのだろう。それが河村代表の実像であり、減税日本の本当の姿なんだろう。

私が見る総選挙

 ここで漠然とした総選挙への感想を書き記しておく。

 選挙戦も残り一週間を切った。この選挙は自民党公明党の勝利に終わってしまうだろう。自民党は若干議席を減らすかもしれないが、それでも十分な議席は維持する。民主党も少々は伸張がみられるかもしれない。割りを食うのはいわゆる「第三極」と呼ばれていた勢力で、結局、この部分が議席を失う。
 この結果は民主党の党内に新たな火種を生み出すだろうが、それを書き始めるととても長くなりそうなので止めておく。
 また、自民党においても幹事長として選挙を仕切った谷垣さんの影響力というものが大きくなるだろうとは予想がつく。谷垣、石破という両者がどういったダイナミズムをもたらすかも気になるが、これも先の長い話になりそうだ。

 第三極の弱体化は結局、国民にアピールできるテーマを設定できなかったという事が敗因になる。現代社会において政治の要諦は、国民生活の問題点を救い上げ、それに対して解決の道筋を構想し、それを実現させることにある。

 デフレスパイラル。国内経済のシュリンクに無策だった民主党政権が国民から否定されたのはこれに気が付かなかったからだろう。小沢一郎が「国民の生活が一番」と打ち出した姿勢は正しかったのだろうが、しかし、彼は「解決の道筋を構想」する事が出来なかった。敵を作り過ぎた。

 いわゆる「第三極」は一見「解決の道筋」を提示したかに見える。
 「大阪都構想」やら「減税政策」が何やらデフレ経済や巨大債務を抱える大阪という地方自治体にとって処方箋であると期待させたり、名古屋市の市中経済を活性化させると期待されたのだろう。

 しかし、そんなマジックは幻想であることが露呈してしまった。
 (民主党が政権を取る時に使った「埋蔵金」も同様のマジックだったのかもしれない)

 「大阪都構想」は具体化するにつれ、その論理的破綻が露わになってきて「維新(=革命)」と呼ばれたものが、実は単に「壊すだけ」で効果が無い事が判ってきた。

 「減税政策」も、そんな単純な政策で市中経済が活性化するのであれば、すでに様々な時代、各地で行われている筈だ。経済学のスタンダードが示すように、税は一定程度取られることによって、所得が再配分されて経済は活性化する。減税政策はこの「正しい経済学」の教えに背いているだけの子どもじみた思い付き、勘違いに過ぎない。

 つまり、民主党の失敗も、第三極の敗退も、それは故無い訳ではないのだろう。

 では、自民党公明党が正しいのか。

 とてもではないがそうとは言えそうもない。

 公明党が打ち出した「軽減税率」なんぞ、単に税制を歪めるだけで意味があるとは思えない。消費税が10%に引き上げられるときに、軽減対象品は8%のままに据え置くというのでは、たぶんこの選挙で「軽減税率」に期待して投票した人々は失望する事だろう。
 いっそ、軽減税率をもっと大きくすればいいのではないのか?
 そんな財源はどこにあるって?
 日本国内には儲けている「法人」があるではありませんか。

 アチコチに豪華で壮大な建築物を作っている、宗教法人に課税すれば、軽減対象品については消費税を無税にする事ができるんじゃないんでしょうかね?

 身を切る改革ですよ。(この言葉自体がまことに怪しい、詐欺師の言辞と言えそうだが)


 つまり「全部ダメそうに見えるけれども、どれが一番マシか」という選択から、第三極敗退、民主微増、自民微減という結果になりそうな気がする。そしてそもそも投票率は低いままだろう。

 内田樹氏がこういった発言をしている。
 活動・発言の記録 2

 「対米従属を通じて対米自立を目指す」

 「対米従属」が何世代も続いたことによって、対米従属をすれば「我が身に良い事が起こる」という成功体験も積み重なってしまった。そうすると、「素直に」対米従属をする、「買弁」行為が従属国家の中では成功者の条件になる。

 例えば、次世代の党の若い候補などを見ると、内田氏の指摘しているような捻じれたマヌーバーについて全く理解できないままの「素直さ」を感じてしまう。(いやいや、書いていて気が付くが、若い候補だけではないな。あの田母神もこういった「素直さ」を内包して居そうだ)
www.jisedai.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

(「新しい保守」だとかもダメな言語感覚だと思ったけど、今見ると党の名前にキャッチコピーが付いていて、それが「タブーに挑戦!」なんですか。そりゃ、なんとも)

 植民地において、植民地原住民であるにもかかわらず、宗主国民にすりよって、その便宜をはかる代わりに、政治的経済的な見返りを要求するものは清朝末期に「買弁(ばいべん)」と呼ばれました。今の日本の指導層は、宗主国への従属的ポーズを通じて、自己利益を増大させようとしている点において、すでに「買弁的」であると言わざるを得ないと僕は思っています。

活動・発言の記録 2

 買弁というのは、自分の国なんかどうだって構わない、自分さえよければそれでいいという考え方をする人たちのことです。日本で「グローバル人材」と呼ばれているのは、そういう人たちのことです。日本的文脈では「グローバル」という言葉をすべて「買弁」という言葉に置き換えても意味が通るような気がします。文科相の「グローバル人材育成」戦略などは「買弁人材育成」と書き換えた方がよほどすっきりします。

活動・発言の記録 2

 この内田氏の指摘は次の文章にも通じている。

 製造業で日本やドイツなどの追い上げにあったアメリカが、自らブレトンウッズ体制を放棄し、やがて新自由主義を前面に「グローバル金融資本主義」を推進するようになったためである。

 この思想によれば、規制撤廃、貿易や資本移動の自由化こそ、世界経済活性化の決め手であるという。各国はグローバル・スタンダードに従い、伝統を捨て、独自の制度を改革すべきであって、そうしない場合には、国際的に孤立することになるという。いわば、国家主権や民主主義をグローバリゼーション推進のために犠牲にすべしという思想なのだ。

 しかし、結果はどうであったか。アメリカ主導のこのイデオロギーは、リーマン・ショックという未曾有の金融危機を招くことによってその脆弱性を露呈した。また、多くの先進国においては所得格差が拡大し、貧困層が顕著に増大した。

http://www.murc.jp/thinktank/rc/column/nakatani/column/nakatani140401

 (「三菱UFJリサーチ&コンサルティング」のサイトというのもなんとなく因縁浅からぬ感じもするけど)

 例の「自己総括」を行った中谷巌さんの文章だ。

 この「買弁」の代表格が、あの竹中平蔵ということになるのではないのだろうか。

 この日本を「グローバル化」して米国の国益に「素直に」従う国にするのか、それとも国家としての「多様性」を維持し、日本という社会の中で暮らしを守っていくのか。

 ・・・例えば、自民党は党是として自主憲法制定を謳ってきた。これは自主憲法こそが自立した国家の条件であると考えたからだろう。しかし現在の憲法改正案は自立した国家の姿とは言い難い。あくまで「対米従属」姿勢の維持でしかない。

 かといって、民主党にもこの捻じれた状況を打破する構想を感じない。

 どう「国益」を維持していくのか、そもそも何が「国益」と言えるのか。
 具体的な指標も想像がついたけれど、紙幅が尽きたのでこの辺りで筆を置く。



参考になるサイトがあった。
 46期衆議院統計 | 国会議員白書

 こういった指標が全てとは思いませんが、なかなか興味深い。