二人の市長の無知蒙昧
20日月曜日に橋下大阪市長が「在特会(在日特権を許さない市民の会)」の会長桜井誠/高田誠と会談した。その様子はテレビにも流れたそうで、「在特会」やその会長なる人物がどのような類の人物か、お茶の間の方々にもご理解いただけたかもしれない。
追記:当ブログの在特会に対する主な過去記事
「在特会」という存在(前篇)
「在特会」という存在(後編)
在特会について(追加・水曜フォーラム用原稿より抜粋)
この行動を見て「橋下市長が在特会をやり込めてくれた」と考えるのは早計だろう。
理由は二つある。
一つは、そもそもこの会談の開かれた理由だ。
なぜ橋下市長は在特会と会談する機会を持ったか。
実は近づく統一地方選挙において、維新の党が公認する候補の中に在特会の活動家(だった者?)が居た。
選挙:統一地方選 維新公認候補に在特会元メンバー /大阪 毎日新聞 2014年10月21日 地方版
大阪維新の会の松井一郎幹事長(府知事)は20日、来年4月の統一地方選の維新公認候補に、「在日特権を許さない市民の会」の元メンバーがいることを明らかにした。(略)
http://senkyo.mainichi.jp/news/20141021ddlk27010416000c.html
そうでなくても排外的な主張において維新の党と在特会は「被る」部分がある。
そこに元とはいえ在特会の者を地方選挙の候補に担いでは、いよいよ維新の党が在特会と同一視されてしまう。
そう判断した橋下代表が、在特会と会合を持ち、公然と決裂して見せる事で維新の党と在特会の相違を際立たせようとしたのではないか。
そうした意味で、怒号が飛び交い、たった10分で終了したこの会合は橋下代表の政治的目的を達成したと言えるだろう。
もう一つはこの会談の直後に橋下市長の口から出てきた言葉である。
つまり「特別永住資格の見直し」という問題だ。橋下市長は次のように発言しているようだ。
橋下:歴史的な経緯等を踏まえて、特別永住者制度と言うものが設けられたと考えています。これを根底から根こそぎ、制度が作られた時点から否定するというのは違うと思いますけれども。
「在特会は今後、在日韓国人ではなく僕か維新の党を攻撃対象にすればいい」―橋下市長登庁記者会見書き起こし
ただ、同和対策事業と同じように、ある一定の年数が経ってきたときに、特別扱いするということは、かえって差別を生むんですよ。だから、しっかりとある程度の時間を置いた上で、これはもう今日本と韓国というのが主権国家同士の関係になっていると思っていますから。
独立した国家と国家の関係になっていると思うので、在日韓国人の皆さんにもね、あとどれぐらいの期間なのかというのは、またこれから維新の党や政治家、国会議員と議論しなければいけませんが、在日韓国人という外国人を特別扱いするのではなくて、通常の外国人と同じようにして、永住者制度の方に一本化していくということは必要になるかと思います。
引用に当たって、3つのセンテンスに分けてみた。
1つめのセンテンスについては異論はない(たぶん、誤魔化しのための前提を設ける橋下流論争術だろうが、それはこの際置いておく)
2つめのセンテンスは間違っている。
特別永住資格というものは同和対策事業のような「是正措置/アファーマティブ・アクション」でもなければ「特別扱い」でもない。そもそも朝鮮半島を出自に持つ「皇民」つまり、日本国民に対して、日本の敗戦を期に解放された被占領国の国籍に帰るか、日本の国籍をそのまま所得するか、その選択が許されていなかった。
さらに日本が講和を行ったサンフランシスコ講和条約のタイミングで、朝鮮半島は戦争状態にあり、韓国(大韓民国)と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の二つの政府が存在し、両政府とも講和には参加して居なかった。
その為日本政府はそういった人々の為の措置を先送りした。
6 日本国との平和条約の規定に基き同条約の最初の効力発生の日において日本の国籍を離脱する者で、昭和二十年九月二日以前からこの法律施行の日まで引き続き本邦に在留するもの(昭和二十年九月三日からこの法律施行の日までに本邦で出生したその子を含む。)は、出入国管理令第二十二条の二第一項の規定にかかわらず、別に法律で定めるところによりその者の在留資格及び在留期間が決定されるまでの間、引き続き在留資格を有することなく本邦に在留することができる。
法律第百二十六号(昭二七・四・二八)
ここでも当事者、在日韓国、朝鮮人の意思確認は行われていない。
そしてここに言う「別に法律で定める」とされた法律が定まったのが1991年(平成3年)の「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(入管特例法)」なのである。
橋下氏の発言は、あたかも「特別永住資格」自体が経年劣化しているように取れるが、「特別永住資格」自体は古い制度ではない。(だから橋下氏は「しっかりとある程度の時間を置いた上で」と言ったのだと逃げるだろう。これが橋下流言論術だが)
特権でもなければ年数が経って、時代にそぐわなくなっているという制度でもない。
(追記:だからといってこの制度がこのままでいいとも思ってはいないが)
さらに、3つめ。これは主権国家同士の話でもない。考えれば当たり前の事で、日本に生まれて日本で育ち、ほとんど韓国語や朝鮮語も話せない3世、4世も居る。それでいて生活の様々な面では特権どころか制限を受ける(参政権、入出国やら財産の処分等)
これは日本の国内問題であって、日韓、または日朝の国際問題などではない。
破綻が明確になってきた大阪都構想の目くらましにでも新たな争点を見つけたつもりか知らないが、ほとんど同族と言っても良い*1維新の党と在特会、その維新の党が「特別永住権*2」についてアレコレ言い始めると、ろくな事にはなりそうもない。
もっと詳しく知りたい方は:
特別永住資格は「在日特権」か? / 金明秀 / 計量社会学 | SYNODOS -シノドス-
追記:10月22日 大阪市会本会議 川嶋議員・一般質問
自民党大阪市会議員団 - 平成26年10月22日 大阪市会本会議…川嶋議員・一般質問... | Facebook
なかなか興味深いやり取り
facebook にあるリンクより ちょっと遡って 2時間32分頃からの
全部の質疑がおすすめ。
さて、もう一人の蒙昧な市長とは、*3名古屋の河村市長である。
本日の中日新聞、一面トップに「堀川沿い旧料理店の解体申請 河村市長 所有者に”待った”」関連する27面には「異常例事態 溝深く」とリードが続く。
五月上旬には市長に「土地の交換案を示す」と言われたため、「五月いっぱい」と期限を切った上で、市長秘書の示す案を検討した。だが、「今の建物がある土地の評価が低すぎ、納得できる交換案ではなかった」という。
市長の訴える建物保存については「私も長い間、過ごした。愛着もあるし、店を閉める時は切なく、悲しかった」とも話す。
一方で「食べていくにはマンションが必要。市長は私を『文化の破壊者』と言うかもしれないが、私から見れば、市長は『生活の破壊者』です」と語気を強めた。
他人事ではないかもしれない、河村市長には「平針の里山」という前例もある。私的財産の処分について、市長として横槍を入れるのはこれが初めてではない。
平針の事例では開発会社は顧客に逃げられて損失を蒙ってもいる(顧客はここに建てるつもりだった学校を春日井市守山区に建ててしまった)
例えば名古屋市はこういった取り組みをしている。
このサイトでは「保存活用情報」として歴史的建造物についての情報を募っている。
しかし、いざ市長の目に止まったなら、個人的な建造物でもその処分の邪魔をされてしまう。安く買いたたかれて、それを拒めば「文化破壊」と責められるのは耐えられない。そう思えば、こんな情報は迂闊には送信できない。所有者の方も「歴史的価値は尊重したいけれども、河村市長に騒がれる前に潰しておこう」という事にもなりかねない。
市が勧めようという政策の邪魔をしているとしか思えない。
ここには現に、名古屋市が保存すべき「歴史的建造物」として「登録地域建造物資産」から文化財、景観重要建造物までが紹介されている。(今回問題となっている納屋橋に建つ「旧加藤商会ビル」も登録されている。現在は国の登録有形文化財になっている。長い事ブリキで蓋がしてあったようだが、平成12年に寄付されて、17年に今のようなレストランとギャラリーがオープンしたようだ。つまり、河村市政の前であったから成功したという事だろうか)
前回のエントリーでESDの実施に必要な観点として「他人との関係性、社会との関係性、自然環境との関係性を認識し、『関わり』、『つながり』を尊重できる個人を育むこと」が必要であるとした文科省の見解をご紹介した。これはESDという概念以前に地方自治においては当然身に着けるべき素養だろう。いや、政治を司る者には必須の要件ではないだろうか。
ところがこの事例はなんだろうか?「溝深く」?
そもそも、いったいどこの誰が「まちづくりに不可欠」と思っているのだろうか?
河村市長一人なのではないのか?
「将来の世代のニーズを損なうことなく、今日の世代のニーズを満たすような開発」などという言葉を引くのも口はばったい。
自分のニーズ、好き嫌いが真っ先に有って、他人の迷惑など考えもしない、考える事も出来ない。こんな視野狭窄で独善的で幼稚な態度が許されて良いのだろうか。
視野狭窄で独善的で幼稚な態度、振り返ってみると河村市政はすべてこれかもしれない。
経済学的な裏付けのない減税論、提唱者が早々と逃げ出してしまった地域委員会、平針の里山、議会リコール運動。
それぞれの場面で踏みつぶされた人々。減税政策の為に給与削減された市職員や福祉受給者。地域委員会制度の陰で高齢化に悩む学区連協や区政協力委員。平針の里山では明確に一私企業が被害者となった。そして議会リコール運動でも幾人か、名古屋市民はこんな人物にリコールを突き付けたのかと思わせる議員も居た(というか、そう思えないような議員にしても、今の減税議員よりはいくらかマシだろう)
独善的で幼稚な、駄々っ子河村に踏みつぶされるのは個別の人々かも知れない。
しかし、その足が何時自分のもとに振り下ろされるか判ったものではない。
驚くべきことにこれが現在の名古屋市政の姿なのだ。こんな蒙昧な市長は要らない。
追記:ツイッターで指摘されて思い出したけど。
この建造物も良い物か知らないけど、
納屋橋の活性化には何といっても導水路事業ですよね。
今年の夏、堀川はちょっと残念でした。
堀川導水路事業の再開を求める市民は沢山いるのですけどね。
戦史/現代紛争史研究家の山崎 雅弘氏が次のように述べている。
世間では朝日新聞の「吉田証言」問題を契機に、まるで従軍慰安婦問題における旧日本軍の関与が無かったかのような発言が持て囃されている。
今回否定された「吉田証言」自体、すでにこの数年、旧日本軍の関与を指摘する者の中でも論拠とする者がいなかった発言であり、従軍慰安婦問題について軍の関与を証拠立てる根拠は「吉田証言」以外にも幾らでもある。
つまり、いわゆる「河野談話」の論拠など他に幾らでもあるのだ。
その一つが「白馬事件」である。
この「白馬事件」も否定するのであれば、安倍政権は戦後日本を成立させてきた講和条約も破棄してかかるべきだろう。
「白馬事件」の資料を探していると面白い物を見つけた。
白馬事件とオランダの過剰な復習裁判
白馬事件について - 国民が知らない反日の実態 - アットウィキ
公文書からみるスマラン事件(白馬事件)、他の解説。 - Transnational History
従軍慰安婦問題を考える ジャン・ラフ・オハーン
あなたはこれらの資料にどのようにあたるだろうか。
大阪の橋下市長の従軍慰安婦発言、名古屋における河村市長の南京事件否定発言。
ともに山崎氏の危惧を具現化していないだろうか。
両者ともに不都合な出来事、発言についてはあたかも無かったかのような顔をする。
そして、自身の無謬性を疑わない。
概念操作や言葉の言い換えで批判を抑え込んだつもりになっている。
しかし、現実は冷酷だ。いくら言葉で誤魔化そうとしても、大阪都構想が破たんしている事は目に見えている。減税政策や地域委員会が名古屋において意味が無かった事も明白だ。(そういえば忘れ去られた中京都構想というものもあった)
言葉による誤魔化しで現実を支配できると錯覚に陥った人間が、国を傾ける。