市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

政治の条件

 生きていく上での糧を得るための活動。つまり、日々の活計(たつき)を得るための商売であれば、何を企てても良いだろう。その結果は市場原理の中で評価され、社会性を持ち得ない活動は排除される。

 しかし、自分だけ良ければ良い、または自分の人生の思い出作り程度の利己的な想いで政治にかかわろうというのであれば、単なる邪魔であって、こんな非人間的で無責任な態度も無い。

 社会の何かを変えたいという公憤から。または、何らかの社会正義を実現したいという想いがあって、政治的行動を起こしたのであれば、自分の行動が、その目的に合致しているか、常に厳しく見直す必要がある。

 自らの行為が社会の為でなくなったときに、すぐに辞めるだけの覚悟がなければ、ただ、地位の私物化に過ぎず、ポストに汲々、恋々としている姿は醜く、それが自覚できない哀れな存在でしかなくなる。

 「鉄拳」という芸人がいる。売れているんだか、売れていないんだか微妙な位置にいる芸人だが、その彼が「パラパラマンガ」という手法で作った「振り子」という動画コンテンツが話題になって、突然世界的な評価を得たそうだ。

 そんな姿をあるテレビ番組が追いかけていたが、その番組で一つのオリジナル動画コンテンツを披露していた。

鉄拳パラパラ漫画 いつも心に太陽を

 どのようなものかというと、生活や仕事で辛いことや怒りがこみ上げるような事が起こると、胸から太陽が飛び出す。その太陽はやがて当人の友人との一時や、家庭の様子、趣味にいそしむ姿を映し出す。そしてそういった「心に宿る太陽」を頼りに、ひとは生活や仕事の苦労を乗り越えることができるのではないかといった動画だった。

 誰しも、辛い仕事をやり遂げられる理由は、家族を守るためであったり、友人との一時を楽しむため、趣味での喜びを得るためというような「小さな喜び」があるからだろう。

 どんな人であれ、生きていく上での「太陽」はある。
 その太陽を踏みつぶした者は、その報いを受けなければならない。




 政治とは本来、自分とは関わり合いのない人々の生活に、直接手を突っ込んでいく作業だ。

 赤の他人の生活にお節介にも手を入れていくのが政治の作業だ。

 これは好意では行えない、行ってはならない。

 自分が好意で行ったのだから、結果の責任はとらないというような態度であるならば、行うべきではない。

 (ボランティアは私費、政治は公費)

 私費を主観的な好意によって費やすのであれば、全く個人の勝手といえるかもしれない。

 しかし、公費でまかなわれる政治おいてはそれは言えない。

 主観的な好意で行われた好意が“善きこと”であったとしても、実はその裏に、もっと切実で緊急の要請があったかもしれない。

 公費は有限なのだから、その配分の選択には責任が伴う。

 何かを選んで公費によって行為を行うという選択は、必ず、

 “何かに対する公費支出を止めた”

 という事実がある事に自覚的でなければならない。

 つまり、政治には常に反省が無ければならない。

 反省の無い政治はすべて暴政であるといわざるを得ないのである。