市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

錆付いた唯一の武器

 8月29日に行われた「勉強会、市民税減税の経済的効果」についてのご報告をしようと思います。中区の錦にある名古屋市教育会館において開かれました。この会合の主催は「市政を考える会」で、代表が駒瀬銑吾氏、事務局が富田勝三氏となっております。

 18:30の開催時間に間に合わなかったために、イントロの児玉克哉教授のお話が半分ほどしか聞けませんでした。ここは非常に残念です。

 本題としては名古屋市自体が実施した「市民税10%減税(当サイトにおいては「0.6%減税」と表記させていただきますが)に伴う経済的影響等について(試算結果) 」を実施された三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社の主任研究員である近藤智氏を講師に招き、同シミュレーションの持つ意味を解説願うというものでした。

 会場にはいっぱいに市民や市会議員が詰め掛けて、なかなか真剣な勉強会となりました。

 実際に、近藤氏のテクニカルな解説は、そこそこの理解力が無ければ完全に眠ってしまいますね。千種の地域委員会の意見交換会でも眠りこけてしまうような県議(三宅県議の事ですが)の意識では付いてもいけないでしょうね。

 ちょうど、隣に座った方がまたすごい人で、質問の際に真っ先に近藤氏に質問を投げかけて見えましたが、つまり、簡単に言えば、減税を行いその分歳出を減らすというのであれば、減税をして民間に残った税金(還付金)を民間が消費する分、公共(市)の歳出が減るだけなので経済的影響に関してはプラスとマイナスがバランスしてしまうではないか。というものでした。

 これが、ちょうど「ケインズの45度分析」という概念に当てはまります。

 更に言うと。例えば名古屋市民に減税の恩恵があった場合、そのお金で旅行をする人が出てくるかもしれない。つまり、減税で市内支出が減って、経済効果が市外に波及してしまうということなんです。

 このシミュレーションでは、こういった波及効果も捨象されてしまっているので、その分効果が大げさに描かれる可能性があるのではという指摘もありました。

 このシミュレーションを構成するに当たって、その元となる資料が色々とあるのですが、その一つがこの図「名古屋市の人口」です。1980年から順調に増え続け、2010年でおおよそ220万人となっています。2015年から先は予想数字で参考資料となっており、更に5年単位なのでグラフの変化が急となっているので気をつける必要がありますが、2035年に向けて急速にグラフの上位(65歳以上)の人口比率が高まる様子が見て取れます。

 この「少子高齢化」については後にも述べますが、今は実数として2010年までの数字に着目してみます。
 このグラフを見ても判るように2010年まで着実に名古屋の人口は増えているのであり、つまり、減税政策があろうとなかろうと人口は自然増している事が理解できます。
 これは、都市化の進展を表すのであって、緑区名東区などの開発が進む地域に住んでいる方には自然な印象だろうと思います。

 次の図をご覧ください。

 こちらは「市民税減税が経済に影響を与える主な経路」を図式化したものです。
 市民税減税は「個人減税」と「法人減税」という二つの減税が起点となります。
 「個人減税」は「可処分所得」の増加をもたらします(せいぜい、0.6%ですが)可処分所得の増加は「民間消費」を引き起こし、それが「市内総生産」を引き上げます。

 「法人減税」は「民間投資」の機会をもたらします。それが別の「企業所得」つまり、売り上げを増やし、その売り上げ増がまた「民間投資」を引き起こします。これらの循環があいまって「市内総生産」を増やします。

 これらの「市内総生産」の増加は「雇用者所得」を引き上げ、就業者増を呼び起こし「市内人口」の増加を引き起こします。「雇用者所得」の増加は同時に物価も押し上げて、これは「市内人口」にネガティブな影響をもたらします。また、「市内人口」が増えれば「地価」も引き上げられ、この「地価」上昇が「市内人口」の増加を抑えます。

 と、これが「減税」を起点とした経済の変化の模式図ですが。

 先ほども示しましたように、名古屋市においてはこのところ順調に人口が増加しています。この人口の自然増はこの模式図の中でも「市内総生産」の向上をもたらすわけで、つまり、減税を起点として経済が向上したのか、その前に人口が増加しているので経済が膨らんだのか判別が付かないのではないかと考えられます。

 また、この模式図は、河村市長が説明したり、一般の人が受け取る印象と近いものだと思われますが、実は重大な欠落があります。つまり、「市内総生産」を構成するものは、ここで言う「法人税減税」を受ける民間企業や「個人減税」を受ける民間企業従業員だけではないということです。
 減税の金額は全て行政改革で賄うのが河村市長の公約ですから、ここでプラスに働いた金額は市の公共事業においては全てマイナスに働きます。減税で儲かった企業の民間投資(中部電力は3億円強減税を受けたんでしたよね)の金額分、名古屋市から受注していた企業の売り上げは落ちるわけですし、個人減税もありましたが、市の職員については10%の報酬削減が行われたわけです。

 河村市長の言うように、減税財源が全て行政改革で賄われたのなら、その金額はプラス側、マイナス側にちょうど同額で「市内総生産」として総数で言うと同じになるはずです。


 民主党の代表選挙と新首相の誕生で完全に影が薄くなってしまいましたが、減税日本が党大会を行い、「活動方針」とかを発表したようです。この文章は読めば読むほど味わい深いものがありますが。(もちろん、皮肉です)

「減税政策の正しい経済学的根拠を広め、減税対増税の対立軸の明確な政治を始めます」

 とは、まあ、元気いっぱいすごい言葉を言えるものだと思いますね。
 本当に、減税日本の関係者でもどなたでも結構です。今の日本において、地方税でも国税でも「減税」を持ち出している経済学者や経営者、政治家が居るのでしたらご提示願いたい。
 減税日本の党大会会場において河村代表は、

減税は権力と戦う唯一の道。皆さんと一緒に庶民のための政治を広げたい」

と語ったそうですが、これはつまり、「減税政策を掲げているのは、日本でこの河村たかし一人である、ここで減税に国民の指向が向けば現体制を否定して、この河村たかしが総理になれる目が出てくる」と言っているに過ぎないでしょう。

 本当に「庶民のための政治」と言うのであれば、単純な「減税」ではなく累進税率の見直しか、直間比率の見直しが必要な筈で、河村市長が実施した「0.6%減税」は定率であり、「庶民」には不利、高額所得者に有利な制度となってしまっているではないですか。


 初期には所得制限等も考慮されたようですが、それが無理とわかると「高額納税者に敬意を」とか論点のすり替えをして誤魔化していましたから。今後もどのような誤魔化しをするか判ったものではありません。

 「減税政策の正しい経済学的根拠」なんてありません。そもそもたったの「0.6%」の定率減税に「正しい経済学的根拠」も何も。風邪を引いた子供に「しょうが湯」を飲ませる程度の影響も感じられません。

 「減税対増税の対立軸の明確な政治」も無駄です。必要なのは「どのように負担するのか」でしょう。減税は「小さな政府」論です。増税は「大きな政府」論です。今、日本は米国を抜く勢いで「ジニ係数」が悪化しています。貧富の差が開いています。OECDの資料によれば、日本だけ(!)が政府の介入によって子供の貧富の差が悪化しているという結果が出ています。
 つまり「税による富の再配分を否定していたので、貧富の差が広がり、子供を持つ世代における貧困を作り出してしまっている」のが今の日本の姿です。

 減税か増税かというような議論ではなく、どのように負担を配分していくべきか。その議論が必要です。

 更に言うと、市債や国債は明白に「借金」です。

 ただ、市債や国債によって社会的インフラが整備されれば、それはそのインフラを利用する未来の市民、国民と共に負担をすべきで、こういった使途についての市債や国債は、その負担を共にする未来の市民、国民からも同意を得られる事でしょう。

 けれども、現在の市民、国民が、自らの享楽のためだけに市債や国債を将来の市民、国民に残すのだとすれば、私たちは断罪を受けなければならないでしょう。

 先の減税日本の「活動方針」にはこういった時間軸の視点が欠落しています。

 もう一度先ほど引用した「名古屋市の人口」と言う図をご覧ください。

 着実に15歳未満の人口比率が減り、65歳以上の人口比率が増えていきます。そして全体として人口は減り続けます。つまり、経済は縮小していきます。この傾向は今後2050年頃まで続きます。今後はこの右肩下がりのトレンドの中で、どのように増大する社会保障負担を配分していくかを考えなければならないのです。

 ここで、減税をし、つまり行政の撤退を認め。地域の自治を声高に言い、つまり、各地域の自主自立という美名の下に国や県の共助を否定する。こんな方向性は自殺行為でしかありません。

 こんな明白な事実があるにも関わらず、それでもなお、「減税」が政権奪取への唯一の武器であるならば、誰も追従しない錆付いた武器と言う以外にありません。

 同期で年下の野田氏が総理の座に着いたことを思うと、この河村代表の姿は、滑稽を通りこえて憐れを誘います。