市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

万人に「正しい政治」などというものはない



 「減税」という政策が弱者へと渡される社会保障を薄くし、納税者という社会の中では恵まれた地位に居る者に手厚い制度である。つまり、金色夜叉で金貸しが貧乏人から布団を剥ぎ取るような図式であるというような事については、7月11日の「自動書記です。半分以上寝て書いています」で述べた。( http://ameblo.jp/ichi-nagoyajin/entry-10949962868.html )

 リコール署名の欺瞞については、7月19日の「リコール署名運動に「正義」はあったか?」で問題点を列挙しました。( http://ameblo.jp/ichi-nagoyajin/entry-10959109358.html )リコール署名については、3段階+1で欺瞞が蔓延しています。このエントリーで述べたように、そもそも議会を解散してまで求めるような差し迫って重要な議題でもなかった。更に、リコールまでしなくてもすぐに改選であったのに。その後の関係者の証言から、あの時河村市長は是が非でも議会解散のリコール運動をしたがっていた。つまり、リコールが先ずありきだった。だから、知らない間に「議員報酬半減」が課題に上ってきた。(それまでの地域委員会、減税については議会は飲んでいた)あそこで議会がこの報酬議論も飲んでいれば、議席半減を持ち出しても議会解散に持ち込みたがっていた。つまり、政策やら市民のためではなく、リコールはリコールのために実行された。これがそもそもの欺瞞の1。
 そうやって集められたリコール署名は運動自体が違法行為、脱法行為の連続であった。しかし、一般市民がそういった制度について知らないことにつけこんでいた。こういった遵法精神の軽視は、運動体の内部にはびこり、やがて市議や県議の違法行為(つまり、法令に厳しく従う必要が無いという文化の醸成)につながって行ったのではないか。これが欺瞞の2。
 そして、そのリコール署名簿の選挙における流用問題。これも、運動体内部の遵法精神の劣化、腐敗を示す。更に言うと、河村市長本人も政治団体に認められた個人情報保護法の適応除外を「逆に」解釈している可能性がある。政治団体や宗教法人が個人情報保護法の適応を除外されたのは(審議していた国会議員たちが、自分たちや巨大支援者を安全圏に置こうとしたという背景も確かにあるが)そもそも政治やら宗教が個人情報の中でもデリケートなセンシティブ情報と呼ばれる類の情報であるので、それを取り扱う当事者が疎かな扱いはしないという前提で除外されているのであって、一般の個人や私企業よりもより重い責任が求められているのである。単に法的に除外を受けているからと軽々しく流用を口にする河村市長はこの点で完全に(理解が)狂っている。これが欺瞞の3。


 そして、+1の欺瞞は。この「リコール署名流出問題」は、本来は河村市長の責任ではない。なぜなら、リコール署名の収集主体は請求代表者であって、その運動体である「ネットワーク河村市長」であるからだ。で、あるならば、その「ネットワーク河村市長」は何等かの「調査」または「対応」を取ったか?
 実は、何も行動を起こしている形跡がない。「ネットワーク河村市長」または、そこに組み込まれた運動体の誰か、または請求代表者の誰か一人でも、47万人になんなんとする市民の、センシティブの部類に入る個人情報が流出したにも関わらず、一切の動きもしていない。そして責任も感じない。コメントも出さない。この決定的な無責任。これが腐臭漲る欺瞞の最もたるところだ。



 そもそも「政治とは何か」については、7月9日の「政治とは何か/山内氏への回答、三宅への提起」で述べています。( http://ameblo.jp/ichi-nagoyajin/entry-10947848333.html )

 政治とは社会的資源の奪い合いです。万人に「正しい政治」などというものはありません。誰かが必ず割を食うのですから、政治的主張であるとか政治的運動は「どこかに後ろめたさ」が伴わなければ「嘘」です。
 完全に自分の行っている政治活動、政治的主張が「正しい!」と思える人は、その主張の為に「損をする(=社会的資源を奪われる)」人(または人々)を視野に入れていないだけです。

 そういった視野狭窄に陥った人々は、自己批判も内省もなく、その風通しの悪さから、段々と内部が腐敗してゆきます。腐敗した組織は内部批判を許さなくなってゆきます。
 充分な強度と、社会性をもった組織は組織内の情報が流出しようと批判されようと平気です。いや、逆に歓迎するでしょう。批判されれば見落としていた組織の弱点が見つかるかも知れないからです。しかし、腐敗した組織ではそれは許されません。組織自体が腐敗しているためにちょっとした批判ですぐに組織はバラバラになってしまいます。
 組織自体を成り立たせるのは、情報の統制や相互批判の禁止ではなくて、活発な情報交換と相互批判からなる組織のチェック、そしてそもそも組織自体の存在意義なのです。

 「ナゴヤ庶民連」なんでもありがたい事にこの組織から私は名指しで批判をされているようです。私は陰口は嫌いですから、このように開かれた場所で大声で批判させていただきましょう。私に苦情でもあるのならどうぞ、コメントでもトラックバックでも大歓迎です。

 なんでも、6月の名東区に続いて、7月には瑞穂区で開催予定だったナゴヤ庶民連の会合は8月にづれ、ついに未開催ということになったそうですね。瑞穂区の担当者がナゴヤ庶民連と袂を分かったと伺いました。理性が残っていたんですね。

 減税日本ゴヤの幹事長、田山幹事長はロス・アンジェルスに行かれたそうで。「田山宏之おにぎり伝説」に続いての伝説ですね。え?なぜって?
 だって、減税日本ゴヤは団長、幹事長の呼びかけで市議の海外視察旅行の自粛をしているのでしょう?この田山幹事長のロス旅行は、視察ではなく親善団の旅行で、公務(ビジネスクラス)だとの事ですが、そんな事でけじめは付くものでしょうかね?
 また、10月には市長、議長、団長とそろってイタリアはミラノまで行かれるそうで。良いですね、10月のイタリア。

 と、こういうことを書くと山田幹事が怒るそうですね。私も直接聞かれましたが、上にも書いたように情報なんて管理するよりも、管理しなければならない情報がある方がおかしいと思いませんか?
 ナゴヤ庶民連の内部が崩壊し始めているようなので、私の情報源もいつまで持つかは不明です、ですので敢えて言いますが、これらの情報はいったん市長を通っていますよ。(ふふふ)どなたか、市議の誰かから、市長を通って、どこかを通って、どうなってかここまで来ています。北海道の件もそういった経緯でチェックしています。

 あと、これも記述して大丈夫でしょう。名古屋市の職員も、なかなか隅に置けません。

 私は事実に反している事は主観に関わらず事実に反していると指摘します。
 自分の主観に関わる事はけじめをつけているつもりです。

 そして、もし、自分の政治的思惑が介在しているのなら、そこで誰から「社会的資源」を収奪しようとしているか、充分に自覚しているつもりです。ですから、そこで「正義」やら「正しさ」を振り回すつもりはありません。
 また、注意深く読んでいただきたいのですが、私は文章の中で「私たち」とか「私たち市民」というような言葉を使いません。市民のどれほどが自分と同意見かは、不明だからです。(当たり前の事ですが、こういった視点から、あの、ネットワーク河村市長の「要請書」やら、リコール署名の「要旨」を見ると笑えてきますよね)

 つまり、私は私の主観において、受け入れがたい物に対しては明白に「否」を投げつけます。それが「正義」であろうと「悪」であろうと構いません。

 と、言ったところで7月2日の「今、決然と反河村宣言!」の前文に進む。 ( http://ameblo.jp/ichi-nagoyajin/entry-10940665973.html )