市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

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六月二日はリコール記念日

追記(6月8日):下で名古屋市長選挙において当選者が失職した場合、選挙から3ヶ月以内であれば次点候補が繰り上げ当選するかのような記述があるが、「市長選挙においては繰り上げ当選はない」とのことであり、お詫びして訂正させていただきます。
誤情報を流して申し訳有りませんでした。

「高須さん手伝ってくれんかね」と君が言ったから六月二日はリコール記念日だそうである。

考えてみれば、大須におけるあの騒動からも、一年が過ぎている。

ここに来て、捜査の手が止まったかと思えば、3月に署名収集を行った請求代表者が高須代表や田中事務局長を相手取って民事訴訟を起こしていたことが報じられ、モザイクのようにこんがらがった知事リコール署名、署名偽造問題はまだまだ話題が豊富なようだ。

現状で7月24日に<どこか>に家宅捜索があるのではないかというような話が出ている。

いままで、2月24日に選挙管理委員会に家宅捜索(署名簿押収)、3月24日にリコール事務局旧事務所に、4月は名古屋市市長選挙で見送り、5月24日に高須氏の会社に家宅捜索と、警察の動きは24日に起きている。月なかあたりに幹部の集まる会議かなんかあって、それから稟議書に印鑑押さないと動けないとか、月末締めでなにかあるとかなんですかね?

また、6月ではなく、7月というのは。ちょうど名古屋市市長選挙から3ヶ月が過ぎ、次点候補者の繰り上げ当選が無くなる時期でもある。

警察の動きに、河村市長がどんなリアクションを取るかわからないので、まかり間違って「市長辞職」などという事態になると、繰り上げ当選で市長が変わり、まるで警察が次の市長を生んだかのような格好になると、警察の政治的中立性が揺らぐという配慮から、繰り上げ当選が無くなる7月25日まで引っ張るのかなとも思える。

なんにせよ、警察の動きだけは想像ができないので待つ以外にないだろう。*1

長くなれば長くなるだけ、河村市長にとっては、中途半端な、眠れない夜が続くことでしょうし、それまでに酒量も増えることでしょう。せいぜい、しっかりと飲んでおくことだ。中に入ったら飲めませんからね。


さて、そうした中でこの記事について意見はないかとリクエストを貰った。
2017年、ちょうど4年前のインタビュー記事で、今になって眺めてみると色々な事がわかる。

news.yahoo.co.jp

河村たかし名古屋市長に聞く!「名古屋=魅力ある街」への秘策・奇策」大竹敏之 | 2017/11/27(月) 17:07

主な話題は3つで、
・「魅力のない街」と言われた名古屋について。
名古屋城木造化。
・最後にもう一度、名古屋の魅力について。

「名古屋の魅力」という論点を、行政の立場から語るのであれば、当然「昇龍道プロジェクト」を語るべきなんだろうが、一切触れられていない。ここでも行政と河村のミスマッチは見て取れる。最後のきしめん談義なども、単なる一個人の意見を超えていないのは明白で、行政の長としての見識など感じられない。

https://www.city.nagoya.jp/somu/cmsfiles/contents/0000055/55327/shiryou0218.pdf

今というタイミングで次の河村の発言を読むと、色々と考えさせられる。

河村  「人生なんか辛いことばっかでまっすぐな道で何でも見通せてまったら生きとれんですよ。だでもっと曲がりくねった路地が必要なんです。ど広いとこで酒飲んどったって話題にもなれせんしよ。ある大学教授が名古屋を『消毒都市』と評しとってね。路地とか衛生的に問題のある場所は全部壊して、どこでも太陽がさんさんと降り注ぐ健全な街に消毒してまったと」

確かに、2017年頃には「名古屋に路地がない」とブツクサ言っていた。行政としては路地を無くし、消防や救急が対応しやすい町並みを作るのが責務であって、第二次世界大戦の戦災を利用して、大胆な都市計画を行い、現在のような町並みを整備した名古屋市の事例は、手本にすらなっている。

また奇しくも「消毒」と表現される居住空間は、今という状況ではデメリットと捉えられるだろうか。

なんのかんのといっても、「古出来の坂の上のお坊ちゃん」である河村には、下町の路地の生活など判らないのだろう。非衛生的で日の差さない路地の生活というものは、坂の上のお坊ちゃんから見れば、酒の肴にするには丁度いい「人情」を感じるのかも知れないが、その匂いや肌触りにどっぷり浸かっていた者としては「バカにしているのか」という以外の言葉が見当たらない。

無責任なテレビのコメンテーターなら丁度いいのだろうが、責任ある行政の長としての言葉、見識ではあるまい。


次に名古屋城天守木造化について、この大竹さんというライターは、当たりは柔らかそうだが、なかなかズバッと斬り込んでいる。この対談をみると、河村の癖がはっきりと分かるし、その問題点も理解できる。

まず、大竹さんは「市長はあれを“文化のシンボル”にしたいのか?、“観光の目玉”にしたいのか?どちらなんでしょう?」と本質的な質問をぶつけている。

ここで、河村は論点をずらす、それもいつものことながら、非常に幼稚な論点に逃げ込む「わしは観光というのはあんまり好きな言葉じゃなくて、それよりも市民の自慢、アイデンティティーだわ。」


この「自慢」「他の都市に威張れる」というまるで小学生のような価値観には呆れる。

いい年をした大人が、金にあかして城を作り、他者に対して「威張る」というのだ。こんな考え方に同調できる者も、やはり「威張りたい」のだろうか。なんともさもしく、貧しいプライドであることか。


大竹さんはここで「エレベーター」の論点を持ち出して、「文化のシンボル」という目的であるのなら、エレベーターは付けられず、「観光の目玉」という主張を捨てるべき「矛盾していて両立しない」と追求している。*2

それに対する河村の回答は「まぁそんな固く考えんでもね」である。つまり、答えがない。考えても居ない。

名古屋城天守木造化の議論において、この論点は当初からあった。

現在の建築基準、各種法令、特に障害者差別に対するバリアフリーという法的条件に対しては、「本物復元という文化的意義」を振り回し、それにかかる「505億円という過大な費用負担」については「観光の目玉施設」という価値を持ち出す。この両者は相互に矛盾して両立し得ない、その場その場で河村の逃げ込む「言い訳」になっていた。この両者の矛盾について、真剣に議論し、熟慮してこなかったために、事業方針自体が定まらず、この対論から4年経った現在に至るもまるで同じところにとどまっている。*3

「4年も経つんだから、いい加減結論を出しなさい」と追求しても、河村は「まぁそんな固く考えんでもね」と答えるのだろう。
しかし、現実の政治では「固く考え」結論を導き出し、さらにそれを実行に移さなければ解決に至らない。河村たかしでは、こうした徹底した思考、議論が行えなのであるから、実効的な政治は行えない。各メディアが政治に、実効性を求めるのであるなら、議論において自己撞着に至り、思考停止を来したものには退場のレッドカードを与えなければならない。簡単な原理だ。

政治家が有権者から付託を受けたからには、誠実な態度で徹底した思考を行い、厳密な議論に晒されなければならない。それができないのであれば、政治の舞台に上がる資格はない。


インタビューの続きでは河村が「何より本物の魅力というのは何ものにも代え難い。モナリザが模写だったらどうしますか?どんだけうまく描けとってもそりゃいかんでしょう。ダ・ヴィンチが描いたということを想像して時代を共有するのが楽しみじゃないですか」と語ったのに対して、「それを言ってしまうと、木造化しても“平成に建てたレプリカじゃないか”ということになりませんか?」という大竹さんの追求は、これが答えだ。

河村自身、ダ・ヴィンチが描いたモナリザと、模写では価値が違うと言っているんだから、令和*4のレプリカ建築は、どこまでいっても、レプリカ、捏造、偽造。でしかない。


河村が「いやいや、逆なんですよ。空襲で燃えたから、そして図面があるから直せる。人類には戦争というものがあるという事実を表すこともできて、歴史的、人文科学的に本物性があるんです」と言っているが、何を言っているんだろうか。

歴史的にも空襲による消失を語るのは、現在のコンクリート天守だろう。こうした得て勝手、自分勝手な主観に拘っているから、文化庁から相手にされなくなっているのだ。

大竹さんの言われる「根本的な問題ですが、そもそもコンクリート天守閣だと誇りにならないというのもちょっとどうかな、と。現在の天守閣は戦後間もない苦しい時代に、市長のお母様らの世代の名古屋市民が、総工費6億円のうち2億円も寄付して建てたものです。あれはあれで大事な昭和の遺構であり、立派なシンボルだと思います」

という言葉こそ、「人文科学的に本物性」に即した発言に聞こえるし、「人類には戦争というものがあるという事実を表すこともでき」るだろう。

結局、河村という人物は、知的に浅い。旭ヶ丘から一ツ橋に進み、後になって司法試験に挑戦する際にも、丸暗記についてはそこそこ才能があったそうだ(それも、今となっては脳みそのアルコール濃度が上がったせいで性能が落ちているようだが)。しかし深く物事を考えるということができていない。しかしこうした浅薄な思考や視野狭窄、単純なワンフレーズというものが、ちょっと前に流行った新自由主義的な、歴史修正主義的な政治状況には嵌るのだろう。しかし、現在のように、それを乗り越え、次のステージが見えてきている世界では、有効性を失っている。アメリカがバイデンを選んだように、欧州が議論を深めているように、そして、中国や台湾の存在が、日本に「真の政治的判断」を求め、コロナという惨禍が政治におけるインチキを暴き出すように、政治家河村たかしの欺瞞性は暴かれていく。

まあ、それまで後、2月程度の辛抱ということなのだろうか。*5


*1:ルンルン~♪

*2:これも、誰かが私費で造るという文化論であれば許容できるのかも知れないが、公費で作られる公共施設であるという行政論として捉えると、障害者差別であることは明白で、ありえない議論であると指摘しておく

*3:これには、名古屋市の各メディアにも責任がある、市長の自己撞着を放置し、「まぁそんな固く考えんでもね」という態度を放置、追認したために名古屋市は無用で多大な出費を強いられているのだ

*4:記事では、"平成"であることも印象的だ、令和に変わっても、議論は 1mm も動いていないということだ

*5:ルンルン~♪