名古屋城木造復元の予算案が3度目の継続審議となった。
一部メディアでは「決められない議会」とか「議会が迷走している」というような論評があるらしい。
しかし、私はこの議会の判断に理解ができる。
今、国会でIR法(いわゆるカジノ法案)が採決された。
政治の世界に「決定力」であるとか「スピード」を求めた結果がこうした拙速な採決なのではないだろうか。
名古屋城の問題は、今後数百年と残っていく(残さなければならない)問題なのであって、数年、十数年というスパンで考えるべき問題であるとは思えない。名古屋市民の文化的遺産として、有識者や市民の意見を広く深く取り入れ、拙速な結論を出すべきではない。
この11月議会では市当局の説明が変化している。
優先交渉権者を決定した際の工期期限である2020年という大きな条件を2022年まで延長したのが10月の事だ。
工期延長が認められれば、勿論工費も高騰する。
市当局(優先交渉権者)は当初、工費も高騰すると回答していたが、突然505億円で収まると回答を翻した。
また、当局は名古屋市と竹中工務店の間には現在契約関係はなく、ここで木造復元計画を中止しても名古屋市には竹中工務店に対して賠償などを負う義務はないと説明していた。(当局の示した書面にも明記されていた)
しかし河村市長は12月5日の市長定例記者会見において、「契約関係はある」と賠償を請求される可能性を明言している。
このように、市当局と市長の発言が食い違ったり、市当局の議会への説明が二転三転するようでは議会は否決も可決もできないとするのは当然のことではないだろうか。
このように「生煮え」の案件を、それでも「継続審議」でお付き合いするのは、この問題が市長の現在の最優先事項だからだろう。(完全に物事の優先順位が狂っていると思うが)
つまり、私が見るところ。
市長か市当局が迷走しているのであって、議会は迷走などしていない。
(別の力関係。地殻変動が起きているようだが)
しかし、一方で、マスコミがこの様子を見て
「名古屋市当局迷走」と論評せず「議会が迷走」と評するキモチも理解できる。
一般に、当局に対し「迷走」などと厳しい論評を打てばそれ以降当局から情報を引き出しにくくなる。
しかし「議会が迷走」と言っておけば当局は助かる。
一枚岩の当局より、バラバラの議会を叩いておく方が、影響が少ない。
(「議会が迷走」とマスコミが打っても、「自分が迷走している」と論評されたのだと思う議員は少ないだろう)
実は漠然とした有権者の議会不信は、こうした所からも生まれてきているのではないだろうか。
少々話は逸れるが「議会に対する不信」というのは、考えてみれば雑な主張だ。
正しくは「議会には信ずるに値しない議員が含まれている」だろう。
河村市長に先導された先のリコール解散などは、こうした雑な論理が形になってしまったものだ。
そのおかげで議会の中でも有為な、信じるに値する議員を落選させて、減税日本の議員を多数当選させてしまった。その結果は皆さんご覧の通りだ。
今もまた、議会不信を背景に(直接の要因ではないが)
議会議席が削減される。
しかし、古人が言うように
「悪貨は良貨を駆逐する」
雑駁な議論のまま全体数を削減するだけでは「議会不信」は改善されない。
私は集団というものは常に一定量の不良品を含むものだと思っている。
そうであれば、有為な議員を得るには、その絶対数を増やす以外にないだろう。
議会に不信を持つ人々は、その不信の原因を明言できるだろうか?
それは推測ではないのだろうか?
そして、その議会を改善するために議席を削減させて効果があるのだろうか?
迷走しているのは、議会なのだろうか。