市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

減税日本ナゴヤ市議に送る、市議養成講座(5)

減税日本ゴヤ市議に送る、市議養成講座(5)

 さて、いよいよこの市議養成講座のキモに入っていくわけですが、その前にご指摘いただいた事項が二点有りますのでそれをご紹介します。

 昨日のエントリーにも追記させていただきましたが。

 私はロムニー氏の納税率が15%から更に、教会への寄附である10%が「課税控除」されて、結果、納税率が5%となっていると述べました。米国の制度の場合、このような寄附金は「所得控除」されて、課税対象が削減されるだけで、税率は変わらないのではないかというご指摘を受けました。

 この件に関して確認してみたところウォール・ストリート・ジャーナルのこの記事に行き着いた。 / WSJ日本版 - jp.WSJ.com - Wsj.com  なお、内容は会員登録していないと読めないために、こちらの人が引き写してくれているものを参照します。 ( こちら )

 21日に公表された2011年の納税申告によると、ロムニー夫妻の同年の所得は1369万6951ドル(約10億7000万ドル)で、納税額は193万5708ドル(約1億5000万円)だった。

 計算すると税率は14.1%になりますね。
 
 また、こちらのCNNの報道によると、寄附金控除額を実態どおり申告すると「13%ライン」を下回る可能性があり、批判をあびる懸念から、寄附金控除額を過小に申告して納税額を増やしている(!)可能性があるようです。(凄いですね)

 私が書いたように、15%のキャピタル・ゲイン課税率から、教会に収める10%を引いた5%が納税実績であるというのは、米国民主党側から出てきたネガティブ・キャンペーンの一種で、私が直接聞いた人、それから裏を取った(つもりだった)情報は、どうもこの同じ情報源から引き写された情報だったようです。

 以上、訂正するとともにご指摘に感謝いたします。


 もう一つは当ブログの上部でご紹介し続けている「奇跡の一本松保存基金」の話である。
 次のようなビデオメッセージがあるらしい。

 この中で河村市長は「名古屋市としても全力をあげて応援していきたいと思っています」と述べている。「全力をあげる」のであれば名古屋市のHPにも東日本大震災関連の枠があるのだからここに取上げるべきではないのだろうか?
 名古屋市公式ウェブサイト:トップページ - City of Nagoya

 東日本大震災関連のページにも記載が無い。
 http://www.city.nagoya.jp/kurashi/category/20-2-17-0-0-0-0-0-0-0.html

 調べた範囲では名古屋市のWEBサイトのどこにも「保存基金」の話は出ていない。これでは「全力をあげて応援していきたい」ではなく、「まったく無視」ではないか。これでは河村市長お得意の「口では良い事を言っても、実際には何もしない」「河村流ネグレクト」ではないか。

 事は対外的な話で、河村市長が嘘つきと言われても平気だが(というか、私が言っています、というよりそれは本当の事だからしかたがない)「名古屋市民は嘘つきだ」と言われるのは心外である。
 市当局、または議会からどうにか働きかけてHPや市の広報などにも記載し、できれば名古屋まつり今度の議会報告会の会場などでも寄附を募るなどして、この「保存基金」に「全力をあげて応援して」あげていただきたい。

 以上、情報提供、ご指摘を戴いた件について2件、ご報告させていただきました。


前回の概要:
 ・代筆された原稿を読み上げるだけの議案外質問は議会の形骸化。
 ・表明を取り繕うだけの借り物の言葉に説得力などあるわけがない。
 ・公職者としての発言はまず「市民の為の発言」でなければならない。
 ・自分の為の発言に説得力はない。
 ・自己正当化、虚栄心からの言葉は嘘になりやすい。
 ・自分という束縛から離れる事で発想を解放する事ができる。


 いよいよ本日は「議論の方法」といったものについて話していきたいと思います。議員の職務の非常に多くの時間が「議論」に割かれます。公的な本会議、委員会も勿論議論の為の場ですし、それを取り巻く議運、理事会、非公式な会派間の打ち合わせも議論です。当局への問い合わせやその回答を受ける際にも議論が必要でしょうし、会派内でも政策部会、運営会議、全体総会や幹部会など様々な会合に取り巻かれています。更に地元支援者との意見交換なども議論の枠内に収まるかもしれません。

 前回「議論そのものの「目的」とはなんでしょう」という問いかけがありました。これに答える前にそもそも「なぜ議論に成るのか?」を考えてみましょう。

なぜ議論に成るのか?

 議論とは複数の意見が存在するから成立します。一つの意見しかなければ参加者はそれを「確認」するだけでしょうし、一人のひとの意見を、他の参加者が聞くだけであれば、それは議論とは言いません。また、複数の意見が存在しても、それぞれが接触をしないのであれば無関係に存在するだけで議論にはなりません。

 複数の意見が一つの場所で、お互いに衝突する時に議論は成立します。

 それでは、何故同じ事柄に対して様々な意見が発生するのでしょうか?

 1)その事柄に対して見えている事が違う。
     得ている情報が違う。立場が違う。
 2)向かうところが違う。
     その事柄に関わる価値観が違う。
 3)そもそも議論している対象が異なる場合がある。

 1)その事柄に対して見えている事が違う。とは。
 例えば、原発問題に関して言えば、原発の安全性や事故発生時の危険の度合い、また他の発電施設との比較や経済性評価の情報や立場によって、様々な意見が生まれていることは容易に理解できます。

 2)向かうところが違う。とは。
 これも原発問題で考えてみましょうか。ある人は「経済性や産業界の都合など関係なく、子どもたちに放射能の危険のない社会を残しましょう」というような意見を持ち。別の人は「資源が無い日本の国が豊かな社会を維持するためにはエネルギー供給の問題は欠かせない」という意見を持つことは理解できます。この両者ではまったく「向かっているところが違う」事が判ります。

 3)そもそも議論している対象が異なる場合がある。とは。
 ここではやはり原発問題で考えて見たいのですが。今問題となっている上杉隆氏の話などは、原発問題の議論に見えて実は「記者クラブ制度」や「マスメディアの在り方」ということが本当の論点となっているようです。その為に、上杉氏の提唱する自由報道協会や「NO BORDER」という活動があるという主張と理解できます。

 こういった「議論」には気をつけなければなりません。ただ、減税日本ゴヤの中にもこういった議論が幾つもあります。

議論の目的

 (3)は置くにしても、(1)や(2)の場合を考えると、議論とは、自分が興味を持っている事柄に対して、自分とは異なる視点からの「見え方」を議論の相手に提示してもらっていると理解できます。

 以前、「事実は多面的である」と言いました。どのような事柄を考えるにしても、事実に立脚しなければなりませんが、その事実は多面的です。なかなかそのすべてを把握する事はできません。そもそも神ならざる人間では、事実の多面的な在り様をすべて把握し、その上に立脚する事はできないでしょう。しかし、少なくともその内のいくつかは「知る事」はできます。そのための作業こそが「議論」なのです。

 つまり、これこそが「議論の目的」です。

 ひとによっては「自分の主張を相手に押し付けて飲ませる」事が「議論に勝つ!」ことだと思っているようですが、こんな事は下の下です。または、自分自身の主張を押し付けて、それを聞いてくれなければ排除するなどというのは、あまりに幼稚な態度です。そもそも相手に自分の主張を押し付ける事にどの程度のメリットがあると考えますか?

 議論と、説得とは全然違うものであると理解すべきです。

 説得力は議論の中からは生まれません。

 人を動かす力は議論とは別の要因に拠るのです。


 議論の目的、それは自分の意見を相手に押し付ける事でも、自分の意見を一方的にまくし立てて自己満足を得る事でも有りません。それよりも相手の意見、相手の目的、相手の見えているものを理解し、自分自身の視野を広げる為にあります。

 そして、政治的な議論の場合、相手の意見と自分の意見が何故異なるかが判ったら、その相手と自分がどうすれば共存できるか、その条件を探るのです。

 政治的議論をしようとするのですから、自分自身に明確な目的があるはずです。(それが無い、自覚できていなければそもそも失格です)その自分自身の目的と、議論の相手の目的(それは、表面的に主張されている事とは異なる場合もあります)を合致させて、先方との合意を得る。その際に、自分自身の政治的目的を(形はどうであれ)実現させる事が出来るのであれば、政治的目的を獲得したと言えるでしょう。

 最近、「熟議」という言葉が良く使われるようです。集団が一つの考え方、一つの価値観だけを持っていては、集団自体が単眼的なものの見方、考え方になってしまいます*1。様々な立場、価値観から意見を百出させて、それらの言論空間の中で全体が立ち行く合意点を探る、これが「熟議」だろうと思います。その為には最初から意見が合意されている必要など無い。というよりも、最初から意見や価値観が合意されていては、そんなものは議論ではない。

論点を深く掘る方法

 減税日本ゴヤから出てくる主張には「目的」の曖昧なものが多く見受けられます。
 この政治的目的を見誤っているような議論も多い。

 この9月定例会の教育子ども委員会で問題となった財源についての見解も、そもそもなぜそのような質問が投げかけられたかといった「目的」について見失われたまま表面的な議論をしていたと理解できます。環境・エネルギー特別委員会における議論でも、総務環境委員会という常任委員会ですでに議論された事を特別委員会の議題にかける事の「目的」はいったいなんでしょうか?
 減税日本ゴヤの中で、さまざまな議論が起きる際には、その主張者に「あなたが主張するその意見の目的はなんですか?」と聞く習慣をつけられては如何ですか?最初は表面的な「目的」を言明するでしょう、その言明に対しても「なぜ、それが必要だと思うのですか?」「なぜ?」「なぜ?」と疑問を掘り下げてみてください*2
 本当の「目的」が浮き出てくる筈です。そしてそれが「自己正当化」や「利己心」であるならば、そんな主張は外に出すべきではない。

 立花隆の著書に「論駁」という名著が有りました。今では再構成されて「ロッキード裁判批判を斬る」に一部が収録されているようです。そこに次のような一文があります。

 論争は、双方の議論が噛み合ってこそ意味がある。Aがある議論を立て、Bがそれに反論したら、Aはその反論を受け入れて自分の誤りを認めるか、それともBに対して再反論するかしなければならない。 一部誤りを認め、一部反駁するという手もある。 さらに議論をつづけるときは、誤りを認めるなどして合意された論点についてはそこでさておき、まだ合意ができない論点に双方議論を集中して、お互いに相手を論駁すべく格闘する。

 論争がそうして正しい形でつづけられていけば、論争はついに両者が合意するところまで行きついて終わるか、それとも、論点をギリギリ論証も論駁も不可能な地点まで煮つめることによって(すなわち、主観の相違への帰着とか、相異なるプロトコル命題への帰着など)、 お互いに「合意できないことに合意する」かである。正しい論争はキャッチボールのようなものである。お互いに論点をやりとりしなければならない。

 この際に扱われている議論の対象は、学術的な話題であったので、政治的な議論(論者から外部的とでも言える)とは若干異なる。ただ、それでも議論が浮き出させるものは、その両論者の「主観の相違」か、「相異なるプロトコル命題への帰着」であると言われている。
 この「プロトコル命題」というのも若干なじみの無い言葉かもしれない。この場合は「話題」とでも理解できるだろう。先ほどの(3)に有ったように、一つの議論をしているつもりで、実際にはまったく異なる話題を取り扱っている場合がある。

 この講座で議員に求められる職責を16件列挙しましたね。覚えていますか?

 そしてそれはどうされるものですか?

 そうです「議決」されるものです。

 市民から公費をもらって「プロ」として議論をするのですから、以上のような「議論の目的」を意識しつつ、しっかりと深堀りされた議論が尽くされる事を期待します。

 これこそが市議の職責で、この拙文が「市議養成講座」と銘打つ所以です。

 以上で「市議養成講座」の本論は終了です。

 次回はこれらも踏まえた減税日本ゴヤに対する具体的な提言を幾つか述べて講座自体を終了します。


減税日本ゴヤ:政調費返さず コミック誌購入市議、返還したのに…

 政務調査費コミック誌購入などに充てていた河合優名古屋市議(47)=減税日本ゴヤを除名=から減税ナゴヤに返還された11年度の政調費4829円が、不適正使用発覚から3カ月たった今も市議会に返されていない。減税ナゴヤは「会派に支給された政調費全体を調べているため」と説明しているが、議会事務局はいつまでも返還されない事態に困惑している。

 河合市議は11年11〜12月、経済誌などを買ったとして政調費4829円を使用。だが今年7月3日、実際には女性コミック誌、家計簿、年賀状素材集などを購入していたことが明らかになった。

 河合市議は問題発覚直後に全額を減税ナゴヤに返還した。減税ナゴヤは同4日、「河合議員の他の領収書や他の所属議員について1週間をめどに調査する」と議会事務局に説明。同11日に調査期間を1週間延長すると伝えたきりになっている。議会事務局は「訂正すべきものを訂正していない状態が続いているのは、好ましくない」としている。

 減税ナゴヤの浅井康正団長は毎日新聞の取材に「他に不適切な支出が分かって次々返還するのは良くないので、慎重に調査している。(当て逃げ事故など)一連の河合市議の問題の対応などに時間をとられてしまった。近いうちに返したい」と釈明している。【高木香奈】(毎日新聞 2012年10月17日 中部朝刊)

http://mainichi.jp/area/news/20121017ddq041010009000c.html


*1:一つの価値観に集約すると言っていたのは維新の会の橋下さんでしたかね

*2:これのネタ元は愛知県の人なら馴染み深いトヨタ自動車の「なぜなぜ5回」と言います