市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

減税日本ナゴヤ市議に送る、市議養成講座(3.1)

 前回の「事実を一面的に見ない」という文章は議論がヘンテコなところに入って判り辛くなりましたね。申し訳有りませんでした。
 今回は、この「事実を一面的に見ない」というテーマでもう少し判りやすく、具体的な話も交えて考えて見たいと思います。

事実を一面的に見ない(2)

 名古屋には「オタイニンソク」という言葉があるそうです。この「オタイ」というのは名古屋市西区の「小田井」の事だそうです。平成12年の東海豪雨庄内川が越水し名古屋北部の西区、小田井や新川、清洲などに浸水の被害がもたらされました。庄内川は「御城下」である名古屋市中心部を守るために北側の堤防が低く作られている。いわゆる「洗堰」となっている。このため名古屋市中心部への浸水被害はまれだが、そのための犠牲となる北部、小田井の人々の苦労があったようだ。

 江戸の頃は、庄内川の堤防を作る為に各地から要員が挑発された。小田井一帯からも人足がやってきたわけだが、彼らの心情は複雑だ。名古屋の御城下を守る為の堤防工事は、自分たちの町を守っている堤防を弱くするためのものでもある。御城下の人々の為に大水が出れば小田井の田畑は浸水し作物は大打撃を受ける。

 役人の号令に小田井の人たち、「オタイニンソク」は働いているような振りをするばかりで実際には働かない。やがて、こういった事例から、名古屋の街では仕事をやっているような振りをして、怠けている事を「オタイニンソク」と言ったそうです。
 (今ですと、「ネグレクト」ですか。職責も果たさずに大阪や東京ばかり行く事でしょうかね?)

 職責も果たさずに大阪や東京ばかり行くのは論外ですが、「オタイニンソク」には同情も出来ます。彼らにとって「働くこと」が自分たちの町を破壊するこで、そんな労働にモチベーションが沸くわけはありません。

 この堰を切る作業と「行政改革」というのは非常に似ています。「行政の無駄を省く」と力んでみても、その行為自体が自分たちの業務を否定するような作業であっては、モチベーションが働くわけは有りません。

 小田井の人々に堰を切ってもらうだけの理由を提示できなければ協力は得られません。行政当局にに対しても、単に「議員だから」と高圧的に「行政の無駄を省く」などと上から押さえつけるような事をしても良い結果が出るわけがありません。表面的に行政の無駄が省かれたようなデータを示すだけで、本当の無駄は潜在化していきます。
 行政当局が業務効率を上げ、当局と市民の利害がどこで一致するのか、それを探る必要が有ります。つまり、一つの事務事業を見るにしても表面的な事務事業の評価、当局の内部的な事情による評価、そして納税者市民としての評価、更に、その事務事業によって便益を受ける市民の評価はそれぞれ異なるはずです。一方の視点から、その事務事業が「無駄だ」「必要だ」と言ってみても実りある議論になるわけが有りません。

 ところで名古屋市の行政当局は「内部評価」という作業でこの「行政の無駄」を「縮減」してきました。

 名古屋市:平成20年度までの行政評価の概要(市政情報)

 このデータを素直に見ると、21年、22年についてはいったい何をやっていたのかと疑ってしまいますね。

思い込みの恐ろしさ

 最近、メディアを賑わした人に「iPS細胞移植手術を実施した」と怪しげな事を吹聴してしまったMさんという方がいましたね。どうも、この話自体は「虚言」で、論点はそれを報道したメディアの姿勢に対する批判にも行き着いているようですが。
 推測するに、メディアにおいても人件費の削減の為に、こういった情報の真贋を評価できる人材が少なくなっているのかもしれませんね。

 実は、インターネットの世界ではもう一つの「虚言」が話題となっており、こちらが非常に興味深い。元ジャーナリスト・上杉隆さんの事例です。

 上杉隆さんといえば、昨年の東日本大震災前後からフリーのジャーナリストとしてメディアに登場し、「記者クラブ」を批判して「自由報道協会」の結成に参加して、それ以降の復興、及び東京電力原発事故の報道などで活発な情報発信をしていました。
 ところが、上杉氏の報道や著作物の中にいささか「あやしい」事例が散見される事から、あちこちから疑問の声が上がり始めたのです。

 これはジャーナリストの江川紹子さんとの事例。郡山における残留放射能の問題で、上杉氏の報道が整合しない事を追及しています。
 まとめよう、あつまろう - Togetter

 これは映画評論家の町山智浩さんとの事例。「TBSラジオの番組を降板させられたのは東電を批判したため」という上杉氏の発言について、同じ番組の出演者だった町山さんが「別の理由である」と指摘しています。
 3分でわかる上杉隆VS町山智浩 @uesugitakashi - Togetter

 その上杉氏は10月11日に次のような文章を発表している。
 http://diamond.jp/articles/-/26217

 (この文章で江川さんと町山さんの名前が出ているので、いままでのいきさつが把握できるサイトを予めご紹介した。ただ上杉氏への疑惑はこれだけに留まらない)
 上杉氏の10月11日の記事の発端はこの問題らしい。

 http://www34.atwiki.jp/ddic54/pages/68.html

 2011年9月、インターネット上に「海外政府の日本からの退避勧告」という記事を掲載し、同年11月出版の「国家の恥 一億総洗脳化の真実」という書籍にも収録した。
 この各国の退避勧告をまとめたリストを上杉氏は「著者調べ」として公表している。

国家の恥 ? 一億総洗脳化の真実

国家の恥 ? 一億総洗脳化の真実

 このリストは上杉氏の3月23日(配信は24日)のメルマガからの転載としている。
 しかし、内容が3月19日の読売新聞の記事に掲載されたリストと同一である。

 疑惑1:発表の順番を素直に受け止めれば、上杉氏が読売新聞の記事から引き写してメルマガで配信し、更にインターネット上の記事、書籍に収録したと考えられる。
 「引用」として引用元の記事を参照できるようにすれば別だが、これは、当然「盗用」「剽窃」に当たる。

 この問題が更に深刻なのは、この上杉氏の記事の論旨が「大手メディアは海外政府の退避状況を殆ど報じてこなかった」と非難している点である。つまり、発災後、海外政府は自国民に原発事故の影響を鑑み、日本からの退避勧告を出していたにも関わらず、大手メディアは国民のパニックを怖れてか、こういった情報を国民から隠していた。といっていたのである。勿論、この「大手メディア」には読売新聞も含まれる。

 疑惑2:つまり、その読売新聞の記事を剽窃しておいて、そうした大手メディアにはこういった情報が報じられていないと批判していた事になる。
 こりゃ、なかなかの離れ業だ。

 ということで、上杉氏に対する疑惑が拡大しているのだけど、ただこれも勿論「一面的なものの見方」であるとは言える。
 「 疑惑2」については「殆ど報じてこなかった」ということで、この読売新聞の情報はレアケースであると言い逃れる可能性はある。それにしても少々論旨が繋がりにくいが。

 また、「疑惑1」についても、読売新聞掲載の情報自体が上杉氏の調査によるものである可能性が無いわけではない。その場合、読売新聞はそんな情報をどうやって上杉氏が公表するより以前に手に入れたのか、非常に奇異ではあるが可能性はあるだろう。
 更に、上杉氏がデータマンを雇っていて、そのデータマンが剽窃して上杉氏はそれを庇っているという可能性もないわけではない。ただ、それでも上杉氏には同情は出来ない。

追記(10月16日):上杉氏本人からやはりこの線に沿っての釈明が為されるようだ。

 盗用したとされている3月19日の読売新聞朝刊に掲載された「海外避難リスト」につきましては、同じリスト(同型)を上杉は少なくとも発売前までに情報提供者より入手したことが確認できました。

http://uesugitakashi.com/?p=2156

 なので、私は今の段階ではまだ「疑惑」としている。

 ちょっとこの問題で興味深いのは、これほどまでに危うい上杉氏の発言を<まだ>信じている人たちが居ることです。彼の書籍を買ったり、有料のメルマガを購読してみたり、ツイッター上で江川さんや町山さんに、反論ともつかない反論を投げかけたりしているのですね。

 こういった状況を見て斉藤環さんが興味深い話をしています。
 斎藤環先生 pentaxxx の「嘘つき」Uの話。 - Togetter

 (略)
 震災後、なぜ「嘘つき」が支持されるのか。ずっと疑問だったのだ。「嘘つき」(以下"U"とする)は、たとえ捏造情報をばらまこうと、被曝デマを飛ばそうと、外紙記者の発言を捏造しようと、大手紙の記事を剽窃しようと、信者は支持をやめようとしない。なぜか。

 Uとその信者は「外傷性の絆」で結ばれているからだ。加害者と犠牲者、ここではUとU信者とのあいだに生じる強い感情的な結びつき。それが外傷性の絆だ。その条件は以下の通り。まず外傷的な状況がある。震災や原発事故がそれだ。

 (1)権力(情報)関係が一方的である。(2)嘘をつく行為は気まぐれな優しさや愛情を装いつつなされる。(3)U信者は自己防衛のために嘘や捏造を否認する。(4)外傷的な絆のもとでは、U信者は現実の認識すら変化させてしまう。

 信者はその関係性をたのむ度合いが大きいほど、Uの嘘を正当化しようとする。認知的不協和は強力な自己保存メカニズムであり、あらゆる証拠が彼の嘘を証明しているにもかかわらず、真実をねじ曲げてでもUの虚偽発言を正当化せずにはいられない。

 U信者は嘘をつかれ続けたことを誰に対しても(自分自身にも)認めない。外傷性の絆は、U信者の自我の基盤をむしばみ、本当の危険を正確に認識したり、代わりのアイディアを思いつくことを困難にする。だから、いったんこうした絆ができあがってしまうと、そこから抜け出すことは著しく困難になる。
 (略)
 政府や東電という「敵」の存在もまた、「外傷性の絆」をいっそう固いものにしてくれるだろう。賭けてもいいが、Uはこれからも「敵」を攻撃し続け、嘘つきは連中のほうであると言い続け、危険性をあおり立てることで外傷性の絆をいっそう緊密にしようとするだろう。

 無自覚に(自覚的にやれるほどの知性は感じられない)これができるUこそは天性の詐欺師であり情報のabuserであると言いたくなる。外傷的状況に便乗したという意味では、精神医学的に最悪の火事場泥棒というべきだろう。傍目に信者は愚かしく見えるだろうが、彼らは二重の意味で被災者だ。
 (略)

 「認知的不協和」という言葉が出てくる。人間は相矛盾する「認知」、考えを自分自身の中に抱えることは出来ない。そうした場合に、この矛盾を解消する為の行動、解釈の操作を行う。
 こういった傾向は昔(それも紀元前!)から知られている。イソップ童話に出てくる「キツネと葡萄」という話はこの「認知的不協和」の例になる。

 キツネが高い木に成った葡萄を食べようとする、ところがどんなに頑張っても葡萄の実に届かない、やがて諦めたキツネは葡萄の木を後にする、そして言うのだ「どうせ、あんな葡萄、すっぱくて食べられないよ」

 葡萄の実が食べたいキツネ、ところがこの実を手に入れる事ができない。この矛盾にキツネは「あの葡萄はすっぱい=おいしくないから食べたくない」つまり、「採れなかった」という事実から「おいしくない葡萄の実は要らない」という認識を捻じ曲げる事で、自己防衛をはかるわけです。

 こういった「嘘」に身を委ねると、それが事実とは食違う事を「(自分自身にも)認めない。外傷性の絆は、U信者の自我の基盤をむしばみ、本当の危険を正確に認識したり、代わりのアイディアを思いつくことを困難にする」

 河村流減税政策(歳出削減をしてまでの減税政策)を薦める「正しい経済理論」が本当にあるのか?海外の議員はボランティアだというのは本当か?(上杉氏も「記者クラブは日本だけの制度だ」と言っていましたが、欧米にもあります)
 議会報告会は政務調査費で開けるのか?地域委員会を本当に実現化させようとしているのか?制度改正のためのアクションは行われているのか?
 本当に、河村市長は市長としての職責を果たしているのか。

 「代わりのアイディアを思いつくことを困難に」している理由はなんなのでしょうかね?