市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

山田さんの最近の行状

 8月13日のエントリーで私が減税日本ゴヤの市議、山田さんについて、市議として認めていない事を明言しましたところ、山田さんに関わる非常に酷い事例報告が入ってきました。
 別系統の情報源に事実確認をしましたところ、信頼性の高い情報のようですのでご報告しようと思います。

 しかし、気が付けば8月15日。

 非常に意義のある「終戦記念日」「敗戦記念日」にこんな馬鹿げた話だけで終わるのもと思いましたので、ちょっと回り道をしつつお話をしたいと思います。

 そもそもこのブログの最初に私は「鼓腹撃壌」という地方政治における理想の形を提示しました。 ( 参照 )

 政治の介入は必要な部分と不要な部分があります。

 政治の介入だけで理想の社会も構築できませんし、政治の介入を「悪」であるかのように否定する態度も正しいとは思いません。*1

 社会的生物である人間は一人では生きていけない。社会とともに無ければ生きていけない。個人と社会は適切なバランスの中で相互に介入しつつ社会を成り立たせていく必要がある。

 先に私は適菜収氏の所論を引いたり、彼の著作を紹介した。( 参照 )
 彼の主張するように民主主義は絶対ではない、非常に危険な存在である。しかし、彼のいう「民主主義の本質は反知性主義であり云々」と述べられる「知性主義」もまた危険な側面を持っていることを適菜氏は見落としている。
 この機会に言っておくが、やはり彼のような安易な「B層批判」「衆愚批判」には与することはできない。その考え方は何も生み出せない。何か言ったつもりになっているが実は何も言っていないに等しい。

 お笑いなのは「B層は権威に弱い」と言っている本の題名が「ゲーテの警告」なんだから、自己撞着も甚だしい。

 更に、日本における民主主義の淵源をGHQの影響と矮小化して見せるのは「ネット右翼」と変わらない。民主主義はもっと根深くて恐ろしいもので、ワイマール憲法ナチス・ドイツを生んだように、日本においても大正デモクラシーが5・15事件、2・26事件を経て軍部の独裁を生み出したとも言える。

 全体主義はその揺籃の段階で民主主義を求めると言えるのかもしれない。

 終戦記念日敗戦記念日の今日であれば、いよいよ寛容の精神を忘れた全体主義こそが、この国を破滅の淵に追い込んだ事を思い起こそう。

 話を戻そう、人間(個人)は社会とともに無ければ生きてはいけない。

 この個人の側を「国民」、社会の側を「国家」または「行政機構」として捉えた場合。その「国家」「行政機構」というのは特定の個人や集団の為だけにあるべきで無い事は当然だ。
 この考え方が憲法第15条の2の

 「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」

 という規定を生んだ。

 公務員であれば不偏不党、門地閨閥等で国民を差別してはいけない。

 また政治家も公務員として歳費を取っているのだから、政治信条を持つのは当然としても、だからといって住民を差別してはいけない。

 なので「自分を信任してくれる人だけの為に働く」という考え方は公務員として適切ではなく、公職者としての要件を満たしていない。なので私は山田さんに「市議を辞めなさい」と断定している。( 参照 )

 (政治的にそもそも偏向している政治家が、しかしそれでも「全体の奉仕者」として居られる理由を考えるべきだ、それが判るまでは公職者としての要件を満たしていない。一度、ヒゲのM氏であるとか河村代表に聴いてみるといい。さぞや面白い私見が展開されるでしょう。)




 ということで、戴いた山田さんの行状ですが。

 現在、名古屋市会総務環境委員会で「受任者名簿を選挙・政治活動に使用しないことを求める」という請願が出されている。
 人間として疑う - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
 平成24年請願第12号請願審査 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 先の市議会リコール解散署名の受任者であった市民が、自分たちの個人情報が掲載されている「受任者名簿」の選挙・政治利用をしないようにとの要望を挙げたものである。

 請願の主体は「市議会リコール解散署名受任者の会」となっており、代表のF氏は間違いなく受任者である。その他にも請願提出者は96名となっており、私が知るだけでも複数の受任者が賛同している。

 こういった請願については代表者と希望する数名は氏名を公表されるが、連署した全員の氏名は公表されない。
 
 さて、この請願については8月2日の委員会で審査され、その模様は上記のエントリーで詳細に報告した。この請願審査の中で減税日本ゴヤの松山委員が「請願提出者とされる96名について、何名が受任者であるか不明である」「調べてみたい」と発言していた。

 この件については、1名でも受任者が含まれているのであれば請願は成立すると思っているので松山委員の発言も重くは受け止めていなかったのだが、実は減税日本ゴヤは本当にこの調査をしようとしたようなのである。

 自分たちの選挙公約である「政務調査費の個人公開」についてはいつまで経っても実現しようともしないくせに、こういった余計な事だけには一所懸命になるんだね。本当に「ズレている」

 なんでも議会事務局に山田さんが96名の詳細について要求して、議会事務局が拒否すると、何度も減税日本ゴヤの控え室に担当者を呼びつけて高圧的に公開を迫ったらしい。

 更に拒否すると「公開できない理由を文書で示せ」とまで迫ったようで。

 最後は事務局が議運理事会に泣きついて要求を止めさせたという事である。

 なんでも、こういった請願者の氏名を公表して行政側が訴訟を起された例もあるということで、そうでなくても個人情報の取り扱いに煩い昨今、この横車は異常だ。

 実は、当社の優秀な調査員が昨年、「10%減税の実現を求める」という「ナゴヤ庶民連の請願」について、その署名者88名を特定してみようとアプローチしたようなのですがかないませんでした。 ( 参照 )

 さて、こういった横車や、市当局に対する不当な要求。人的経費の無駄遣いも問題ですが、この問題は「もし、市当局が横車に負けて署名者の氏名を開示していたらどうなった」と考えると減税日本ゴヤや山田さんの行動の異常性が際立つ。

 だって、松山さんの「何名が受任者であるか不明である」「調べてみたい」という意向を受けて、請願署名者の氏名を求めたのであれば、それを受任者の名簿と照らし合わせて何名が受任者であったのか確認してみるのでしょ?

 と、すると、方法は二つですよね。

 減税日本ゴヤが受任者名簿をネットワーク河村市長から借りて、それをこの請願署名者と照らし合わせる。このような受任者名簿の利用が正当なのでしょうか?

 今回は照らし合わせる一方の請願署名者のリストが手に入らなかったので幸いですが、常に手許にある受任者名簿がいったいどのような扱いを受けているか垣間見える気がいたします。

 もう一つの方法は、この請願署名者のリストをネットワーク河村市長に渡して受任者名簿と照らし合わせてもらう。

 こちらの場合は、市議が権限を利用して不正に手に入れた情報を、支援者団体に流用させたという事になります。

 減税日本ゴヤ、またはそこの市議と自称されている山田さんには、こういった照合をされる事自体が、名簿掲載者の権利侵害であるということが判っていないのでしょう。*2

 他人や他人の気持ちを尊重するという心が欠片でも残っていれば、こんな事が良い事か悪い事かぐらい判りそうなものではないですか。


*1:そういう意味でも河村氏の言う「減税政策」は本質的では有りません。いったい河村氏は政治による所得の再配分を肯定しているのか否定しているのか。私には否定しているように思える。河村氏が考える適切な税負担の比率というのはどのようなものだろうか?単に「今の消費税から1%削減」であるとか、「今の地方税から0.3%削減」というのではそれがベストバランスではないだろう。

*2:罰則が無いだけで、個人情報保護法に違反する私企業の収集名簿であろうと、適応除外の政治団体が収集した名簿であろうと、掲載者の承知していない利用が掲載者の権利侵害であることは変わりはありません。