大阪府の橋下府知事が
教職員の式典における「国旗・国歌」の強制を法制化するというような話を出している。
まず、そもそもこの強制には
「国旗・国歌法」制定時の国会議論を無視する行為であるといえる。
文科省が隠したがる「国旗国家法」をめぐる国会答弁集
また、この件については2004年10月28日の
秋の園遊会における「天皇のお言葉問題」というのもある。
天皇:教育委員会としては、本当にご苦労様です。
米長邦雄(東京都教育委員会委員):はい、一生懸命頑張っております。
天皇:どうですか。
米長:日本中の学校に国旗を上げて国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます。
天皇:ああそうですか。
米長:今頑張っております。
天皇:やはりあの・・・、その、強制になるということでないことがね
米長:ああ、もう、もちろんそうです。
天皇:望ましいと
米長:ほんとにもう、すばらしいお言葉をいただきましてありがとうございました。
天皇:どうぞ元気で。
米長:はい、ありがとうございます。
もちろん、「天皇の政治利用」はあってはならないことであるし、
特に、今上天皇におかれては政治的発言には慎重であられるに、
この時に、このような発言をなされた事こそ、
当時の東京都教育委員会(そして、今では橋下府知事のような)
国会審議を無視した動きに危機感を持たれていた事は疑いない。
橋下は「公務員なのだから国の決めた国旗・国歌」を尊重する事は当然であるとしている。
しかし、これはまったく誤った考え方である。
公務員は職務においてその所属する公共圏に忠誠すべきだろう。
たとえば、国家公務員においては政令で宣誓が決められている。
職員の服務の宣誓に関する政令
宣誓書
私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います。
年月日
氏名
そして憲法では次のように謳っている。
第15条 2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
第18条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
最初、強制をしないからと「国旗・国歌」を法制化させ。
(皆さん、「国旗・国歌法」の条文読んだことあります?
国旗及び国歌に関する法律
なぜ、こんなにスカスカか、上の議論を読めばわかる。
と、いうか、条文を今はじめて読むのだとしたら、
この問題についてそれが語るに足る態度かと。
子一時間問い詰めますよ)
そして、徐々にこうやって「強制」していく。
なし崩しに「強制」していく。
まるで、蛙を徐々に煮るかのように。
実は、このような「煮かた」が一世紀ほど以前、
ヨーロッパに起こった。
ナチ党が共産主義を攻撃したとき、
私は自分が多少不安だったが、
共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。
私は前よりも不安だったが、
社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、
ユダヤ人等々が攻撃された。
私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。
私は牧師だったから行動した―しかし、
それは遅すぎた。
– 『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』
マルティン・ニーメラー
最近では「割れガラス理論」という言葉が使われている。
未使用の廃墟ビルであっても、
普通に建っている間はいたずらもされない。
ところが、一枚ガラスが割られると、
次々とガラスがいたずらに割られ、
不法侵入者が現れ、壁にいたずら書きがされるようになる。
という情景を描いた言葉だろう。
社会とはこういうものだ。
小は、このような未使用のビルから、
大はナチに見られるような世界的な広がりまで。
最初は小さな事柄である。
しかし、その小さな歪は、
後に大きな歪を生み出す。
この歴史的教訓を忘れてはならない。