市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

若者に本当の人生を


 人間の本質を見るときに、「性善説」に立つ人と「性悪説」に立つ人がいる。私の経験から言うと、「性善説」に立つ人というのは、一面、こういった「きれいごと」を言う事で、時として自分の知的怠惰、思考停止を正当化しようとしているだけに見える。
 「騙すぐらいなら、騙された方が良い」なら判るが、「疑うぐらいなら、騙された方が良い」とまで言い始めたら、他人に責任を負う、家族を持つとか会社を経営するとか、公職者に就くとかは諦めた方が良い。「疑う」という知的作業を放棄する事は、第三者に責任を持つ者の場合、その第三者に対する「選別すべき責任」を放棄しているのであって、諸共に責任をかぶる家族や社員、市民や国民はたまったものではない。

 では人間を「性悪説」で見るべきか。どんな悪人でも「人間的」な側面はある。

 佛教に「縁覚」という言葉があるそうだ。縁に触れ、人は影響を受ける。芸術家は良い作品や美しいものに触れる事が、良い作品を生み出す契機となる。人も良い人に触れ、触発される事で自分を拠り良くする事が出来るようだ。

 人間には本来「善」であるとか「悪」といった「色」は付いていないのではないか。鏡の色は何色か答えられないように、人間にも「色」はない。その縁に触れて「善」にも「悪」にも成り得るのではないか。

 このような考え方に自分は得心がいく。


 この動画は映画「コンプライアンス」を紹介する評論家町山智浩のラジオ番組に、その映画のトレイラーを編集した動画だ。ネットの中に転がっていたものから、この映画の紹介部分だけを「引用」させていただくために YouTUBE に転載した。(権利者からの申し立てがあれば即座に削除いたします)

 この映画は日本公開の予定が無いようだ。実話を基にした映画で紹介動画の途中で挟まれる「ABCニュース」の画像は実際の「犯行」の模様だそうだ。

 どのような問題だったかというと、米国のハンバーガーショップに電話がかかってくる。電話の主は警察で、店で働く女性従業員が窃盗を働いた疑いがあるのだという。ハンバーガーショップの責任者は当然驚く、そして電話の主はその店員の身体検査を要求する。

 責任者が身体検査を始めると電話の主はどんどんと要求をエスカレートさせる。

 要求はどこまでエスカレートするのか、責任者はその要求をどうするか、店員はどうなるのか、そして電話の主の目的は。

 こういった人間の心理を探る有名な実験に「ミルグラム実験」と呼ばれるものがある。別名「アイヒマン・テスト」とも呼ばれる。ナチス・ドイツ絶滅収容所の責任者であったアドルフ・アイヒマンは戦後、アルゼンチンに脱出し クレメント と名乗った。イスラエルの機関が彼を追いつめた時に、その決定的な裏付けとなった事柄は、クレメントが妻の誕生日に花束を買った事だった。その日付はアイヒマンの妻の誕生日と一致していたのである。

 絶滅収容所の責任者として、想像を絶する人々の命を奪った冷酷な戦争犯罪人は、人格異常者でも特別な人間でもなかった。妻の誕生日に花束を忘れない、平凡な人間だった。

 これを受けて米国のイェール大学のスタンリー・ミルグラムは「権威者の指示に従う人間の心理状態」を探ろうとする。

 実験は次のように行われた。

 被験者には「記憶に関する実験の協力者」として報酬を約束して一般の人々を募った。
 
 実験は「先生」役と「生徒」役に分かれて行う、学習における罰の効果を測定するものだと説明がなされた。「生徒」役の被験者に電極が付けられ、「先生」役の被験者は「生徒」が誤った回答をする度に「生徒」に電気ショックを与える事とされた。

 実験者は「先生」役に徐々に電気刺激を強めるように指示する。

 実験が進むと電気刺激は耐えられない程強いものになり、「生徒」からは苦痛の声や実験中止を求める声が上がる。しかし実験者は実験を続行し、冷静に電気刺激を強めるように「先生」役に指示を出し続ける。「先生」役の被験者は電気刺激をどの程度まで上げ続けるだろうか。

 実は「生徒」役の被験者は役者で、電気刺激も流れていない。生徒からの苦痛の訴えと、実験者からの電気刺激を上昇させる指示に対して「先生」役の被験者はどう対応するのかを見るのがこの実験の本当の趣旨である。

 実験の結果、「先生」役の過半数が、生徒が死に至るまでの電気刺激を与えてしまった。

 つまり、「実験者」という権威の言うがままに、「他人の苦痛」を冷静に考慮することなく、「先生」役の被験者は行動してしまった事になる。

 この被験者である「先生」役が淡々と権威である「実験者」の指示に従い、「生徒」役に過剰な苦痛を与えてしまう、または死をも考慮しない。という在り様が、絶滅収容所においてはナチス・ドイツの権威と、それに淡々と従うアイヒマンという図式となった。

 その後、スタンフォード大学では「監獄実験」というものが行われた。

 こちらは任意の一般人を参加者として、くじ引きで「看守役」と「囚人役」に分け、閉鎖された空間で擬似的な「監獄」を体験してもらうというものである。
 こちらも参加者が過剰に状況に同調してしまい、2週間の予定が実験を6日で切り上げなければならなかった。
Stanford Prison Experiment

 また、この実験の模様は映画「es[エス] 」として紹介されている。


es[エス] [DVD]

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 また、同様の実験がドイツにおいても行われ。こちらは開放された高校の中でグループを形成する事で「権威」とそれに「従属する人々」の関係を探ろうとした。結果は悲惨なものとなった。

 集団的同調圧力に弱い日本人だけの問題ではない。
 米国であれ、ドイツであれ。多分、イスラムヒンドゥーの文化圏でも同様の実験を行えば、同様の結果が得られるだろう。社会的生物としての人間は、こういった「権威」と「服従」という関係に弱い。(ここからドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」などを題材に、何ページでも書けそうな気がするが、それは止めておく)

 これらから言える事は「権威」を持った人物、「地位」に就いている人物が、矛盾する事を言い出すと、その下につく「服従する者」はその矛盾に振り回されるという事である。

 一旦、従属するグループが形成されると、権威者が明らかに間違った事を言っていてもそれを批判できなくなる、従属者の間の横の同調圧力が生まれる。

 従属者は個々には疑問を持っているかもしれない。しかしそれをグループの中では表明できなくなる。それは何故か、他の従属者が表明しないから。やがて従属者間の横の同調圧力と、権威者と従属者の縦の服従関係は固定化し、そのグループはどのような非人間的な行動も可能となる。

 カルトの形成もこのようなものなのだろう。


 ここで「減税日本」の話になる。

 様々な情報を整理してみると、最近、減税日本ゴヤの幹事長を務める余語市議の言動がおかしい。根拠の無い発言、脈絡の無い発言も散見される。何等かの事実を隠蔽しなければならないという精神的重圧から、こういった発言が繰り返されているのではとも考えられる。

 また、政審会長の山田さんの発言のいい加減さも相変わらずだ。

 鹿島市議ミニ集会 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 最近、東庁舎内で会ったので「鹿島さんのミニ集会で約束した事は履行してくださいね」と申し上げたところ「なんでしたっけ?」と失念されていた。メールで内容を送る事を約束したので当日お送りしたが返事が無い。(着信していないのなら、請求があっても良いでしょうにね)

 当然、「約束の履行」もない。

 先日書いた湯川市議の件も痛ましい事例かもしれない。私は則竹元団長も、元々は正直で悪い事など出来ない若者が、歪んでしまった事例に思えて仕方が無い。

 減税日本を構成する50代以上の方々に申し上げたい。

 「あなた方は、若者に『嘘を付く事』を教えようとするのですか?」と。

 減税日本を構成する50代以上の方々に申し上げたい、「あなたはご自分で、減税を正当化する『正しい経済理論』が、どなたの提唱されるどんな理論か答えられますか?

 答えられないのだとすれば、そんな理論が無い事を早く認めるべきです。

 そして、そんな『嘘』から、あなた自身も離脱すべきですし、若者を長時間関与させるべきではない。

 減税日本の矛盾は『河村たかしが見本となる、立派な政治家である』という嘘がその根底にある。河村たかしが行う事 ――言い逃れ、責任回避―― を、減税日本を構成する若者が見習い、真似をしている。

 50代も過ぎたような、分別のある大人は、減税日本に参加しようとする若者に、この事実を突きつけ、再考させねばならない。

 若者の精神を矛盾で歪ませてはならない」
 

 人生は一度きりです。

 嘘のある人生は、この一回しかない人生を嘘にしてしまうことです。

 本当の人生を取り戻すには、事実に目を向け、正直にその事実を見つめる事です。

 若者から「本当の人生」を奪ってはいけません。